劇場型裁判の典型だ。被害者を画面越しに映し事件の経緯を説明する。時に言葉を詰まらせるなど、心の傷を強調しながらも、被告に厳罰を求める意志だけは強固に貫く。果たしてどこまでが真意なのか、演技は入っていないのか疑いすら感じる。裁判員制度初の性犯罪裁判。下された15年というあまりに重い判決は、フェミニズムが裁判員の心理を巧みに誘導した戦果と言えるだろう。
・裁判員裁判 初の性犯罪事件で求刑通り懲役15年の判決 2009/09/04 15:48
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/298098/
裁判員制度で審理する初めての性犯罪事件となった2件の強盗強姦罪などに問われた住所不定、無職、田嶋靖広被告(22)の判決公判が4日午後、青森地裁で開かれた。小川賢司裁判長は懲役15年(求刑懲役15年)を言い渡した。
(全文引用)
・裁判員裁判 性犯罪公判、法律家より厳格 量刑相場に一石 2009/09/05 01:01
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/298243/
検察側の求刑通りとなった4日の青森地裁判決。主任弁護人の竹本真紀弁護士は「裁判員は、法律家以上に強姦の結果を重く見たのではないか」と感想を漏らした。被告よりも被害者に感情が傾きがちな“素人感覚”が厳罰化を招くともいわれる裁判員裁判では、被告なりの事情を訴え、情状面を強調せざるをえない弁護活動は困難を強いられそうだ。3日間の審理は、“求刑の8ガケ”とされてきたいわゆる「量刑相場」に一石を投じるものとなった。
(部分引用)
今回の事件に関しては、強盗と強姦が混在し、しかも件数も2件という状況から、重い刑が下される余地は確かにあった。しかしメディアは性犯罪の部分だけを切り取り、量刑相場をわざと吊り上げようという意図がうかがえる。
フェミニズムは性欲そのものの撲滅を狙っている。だから彼女らのほとんどは非婚主義者だ。彼女らによれば自分の父親も性犯罪者と同等ということになる。当然そんな反社会的な思想では性生活を通じた夫婦生活の繋がりや遺伝子の受け継ぎなど生態系の維持が出来なくなってしまう。
そもそも、男女の性愛は誰でも円滑に遂行されなくてはならない。動物の世界のように法律も何も存在せず、雄同士が戦って勝ち残った強い雄だけが雌とつながり子孫を残せるといった野蛮な社会とは違い、人間社会は共存共栄という秩序が重視されなければならない。その一つが夫婦家族を中心とした社会であり、その形態が崩れることのないように法整備がされなくてはならないのだ。
しかしフェミニズムは家族を破壊している。未婚女性には非婚を奨励し、既婚女性には離婚を奨励する。とにかく女性に反男子感情を吹き込み、男と女を分離させ、男女の触れ合いが出来ないように妨害行為を行っている。だからこそ男性は性欲に飢え易くなり、児童ポルノに買春、痴漢やパンツ盗撮などの性衝動を求める。それで済むならまだましな方で、一部は強姦などの性暴走を引き起こす。妻子持ちで家庭も上手くいっている男性と、女日照りの童貞男性と比べてどちらが性暴走を引き起こし易いか、考えるまでもない。
しかも、男女の触れ合いが困難ないわゆる恋愛難、結婚難社会では、男性全体に対し女性獲得のための競争意識を助長する。例えば限定100個限りといったスーパーの折込チラシが出ると、その商品目当てに客が殺到するのと同じ原理だ。当然、女性がスーパーの限定商品になってはどうしようもない。だが現状は女性は限定商品と化している。だから余計に男性は性欲に焦るようになり、若いうちから性的接触をしようと躍起になる。
これに対し、女性は自らの売り手市場をいいことに、男性の弱みに付け込んで無制限に贅沢を求め続ける。イケメンでデートは全部男性が奢るのは当たり前、一時たりとも不満な思いをさせるな、結婚は年収700万以上で家事育児は分担が当然などと理想ばかりを高くする。そしていつまでも結婚しない。それが男性の反感を買い、性衝動に更なる拍車をかける。更に、非婚社会では女性の独り暮らしも増えるため、女性はより襲われ易くなる。
つまり、性暴走の根本原因(真因)は男女の触れ合いを妨害しているフェミニズムそのものにあるのであって、実際に性暴走を引き起こした男性は社会的には被害者である。しかし法的には性暴走は即犯罪とされ、その真因であるフェミニズムが偽善者面して標的とされた女性を被害女性として過剰な被害者意識と法的加害者に対する憎悪心を植え付ける。そして性犯罪厳罰化へと世論誘導を巧みに仕掛けていく。
本来なら、性暴走の真因であるフェミニズムこそ社会排除し、円滑な家族社会を浸透させ、非婚主義や離婚賛美などは反社会的思想であるということを国民に周知徹底させなければならない。それが国民が安全に暮らすための最短距離だ。いくら性犯罪厳罰化をしたところで、一度でも性暴走の標的にされてしまった女性の心を御破算にすることは出来ない。満足するのは実害とは無縁のフェミニストだけだ。
更に、厳罰化は女性をより危険にする可能性が高い。何故なら強姦を殺人と同等或いは重い罪にしてしまったら、女性は強姦された後殺害され、遺体も遺棄されるだろう。そして犯人が逮捕されても、殺害は認めても強姦は認めないだろう。そうなってもいいのかと女性達に問いたい。
結婚より仕事をする女性が立派だなどといった言葉に踊らされ、男性の性は全て悪であるかのように偏見教育を施された女性がフェミニストと化し、男性の性欲全てを敵視し、程度に応じてセクハラ、痴漢、強制猥褻、強姦など分類しながらその範囲を無制限に拡張し、男性を全て性犯罪予備軍の如く偏見視することによって、男性を精神的に追い詰めていく。そして一部の性暴走した男性をよってたかって集団いじめの如く断罪し、更なる男性への言論統制、行動制限を強化する。そして男性は更に追い詰められていく。その繰り返しだ。
更にそうした経緯に関し、フェミニズムに汚染された女性記者などが、女性の精神被害は計り知れない、女性の安全性の確保が先決だ、などと女性だけが不遇であるかのように情報操作をした記事を書いて、いかにも女性全体の味方であるかのように正当性を強調し、女性優遇政策の必要性を訴える。そして多くの国民は連中の仕掛けにまんまと嵌められているのが現状だ。
もし仮に、覚醒剤で逮捕起訴された酒井法子被告が、覚醒剤使用の正当性を訴えて、気持ち良くなり疲れも取れる、家事育児も捗る(はかどる)、夫婦で一体感が感じられる、などと記事を書いたところで誰が信用するだろうか。しかし心の覚醒剤、または心のインフルエンザであるフェミニズムの正当性を記事にすると信用してしまう人が沢山いるから困りものだ。
こうした悲惨な社会事情があるにもかかわらず、それでも皆さんは性犯罪を単純に厳罰化すればいいと思うだろうか。しかもその真因であるフェミニズムが厳罰化を主張するのが正義だと思うだろうか。我侭で自己中で、貞操意識の欠片もなく、しかも男性を何人も渡り歩き食い物にするような女性が大部分と化した現状でも、性犯罪に遭ったからということで直ちに弱者認定をしてもらえて、被害者の心の傷は一生消えない、被害者感情に配慮した裁判を、犯人には厳罰を、などと過剰な保護をすることに違和感を感じるのは私だけだろうか。
少子高齢化、晩婚化それに非婚化、これらは全てフェミニズムの功罪である。そんなフェミニズムの蔓延した現代だからこそ、性犯罪の量刑はむしろ軽減すべきであって、女性の心的被害等があるならば、それに関しては、真因であるフェミニズムやそれを強行している国家そのものが責任を負うべきではないだろうか。更に社会秩序を破壊しているフェミニズム信奉者は性犯罪の被害対象から除外するのが筋だろう。
世の中には、苦しみを抱えながらも何の支援も受けられない人が数多くいる。女日照りで性暴走を引き起こす男性などはその典型ではないだろうか。事件は社会の歪みと不正な権力の蔓延に対する警鐘と言えるのではないだろうか。だが表に出るのはごく一部で、多くは気力すら失い、空虚な人生を過ごすだけの男性がほとんどで、自殺してしまう人も少なくない。彼らの心の傷は、そして命は蔑ろにされてもいいのか。そんな彼らをよそに意地汚く腹黒いフェミ女性団体やマスコミのフェミ女性が、テレビや新聞などの大規模メディアを支配して好き勝手な主張を言い並べる現状は、北朝鮮のメディアと大差ない。
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