毎日のできごとの反省

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書評・真珠湾攻撃の真実・太平洋戦争研究会[編著]

2014-03-02 16:21:14 | 大東亜戦争

 研究会編著とあるように、多数の執筆者の文章を集めたものである。ただ「太平洋戦争」というのが情けない。

真珠湾攻撃隊の艦爆が爆撃体制をとってからわずか10分で、米軍将兵が銃座にとりつき迎撃態勢をとったのはみごとである(P131)というのは同感である。半年後のドゥーリットル爆撃隊の接近をしりながらなすすべがなかった日本の失態と比較しているのだが、それだけではない。戦争が近付いているという雰囲気はあったにしても兵士には平時であった米軍に対して、日本はドゥーリットル空襲時には戦争の真っただ中にいたことを考えると日米の差は甚だしいというのである。以前から、完全な戦時体制ではないにもかかわらず、真珠湾攻撃で攻撃隊の損失率が10%もあったのは、世評と異なり大きいものだと書いていたが、初めて似た意見を聞いた次第である。

攻撃隊の派手な塗装についての有名な記述もある。艦爆で高橋少佐機が通商「ドラネコ」と呼ばれ胴体が橙色、江草少佐機は通商「ジャジャウマ」と呼ばれる胴体が真紅のまだら(P176)だそうである。

山本五十六が条約派ではないことが書かれている。すなわち首席全権若槻が、随員に黙って米英との妥協案を請訓したことにショックを受け、特に潜水艦量について強硬な反対論を展開した。「この時の山本の論調には『日本全権団員の息の根をとめるような猛烈果敢さがあった』と伝えられている。」(P233)ワシントン条約で主力艦を制限され仕方なく補助艦艇でバランスをとろうとしたらそれもロンドン条約で制限されて山本は怒り狂ったのである。

一般には山本は艦隊派ではなく、良識派として条約派であるがごとく伝えられているが、行動を検証すれば全くそんなことはないから不可解としか言いようがない。山本が軍縮条約に反対で、財政問題を説明する大蔵省の賀屋興宣を恫喝した話も有名である。山本が航空重視をしたのは、不利になった主力艦比率を航空機で補うためであった。すなわち、山本が陸攻で一生懸命攻撃したのは空母ではなく、もっぱら戦艦や巡洋艦などの主力艦であった。戦艦無用論を唱えていたように言われるが、山本はが大切にしたのは空母ではなく、無駄と揶揄したあの戦艦大和であった。それは単に軍楽隊の演奏つきのフルコースのフランス料理を食べるためだったのだろうか。

特攻を提案したことにされている大西中将は、本来航空に関しては合理主義者だったことは知られている。一式陸攻に防弾装備を計画段階からするように強く主張したのは大西である。その大西が「米本土に等しいハワイに対し奇襲攻撃を加え、米国民を怒らせてはいけない。もしこれを敢行すれば米国民は最後まで戦う決心をするであろう。・・・日本は絶対に米国に勝つことはできない。・・・ハワイを奇襲すれば妥協の余地は全く失われる。・・・」という反対論を部下に語ると共に、山本にも計画を止めるよう進言した(P292)。その後も真珠湾作戦は失策という自説を変えなかったという。小生は真珠湾攻撃をやるべきではなかったとは考えない。しかし、やり方は考えるべきであったと考える。なぜ攻撃後、真珠湾口に機雷敷設をして封鎖すること位考えなかったのだろう。常に米本土から艦艇を真珠湾に回航していたのだから。

外務省が前夜に宴会をして海戦の通告が遅れたのは、過失ではなく故意であるという説がある。海軍が奇襲を完璧にするようにするために、外務省に申し入れたというのである。これならば、実直な日本人がそろいもそろって、こんなへまをやらかしたと言う理由が説明できる。前日から明らかに重要な文書だと分かっているのに馬鹿な事をしたとこぞって非難するのだが、馬鹿なことをしたのではない、と納得できる。

彼らは失態のふりをして職務に忠実だったのである。もし彼らが故意に開戦の通告を遅らせるよう本省から指示されたのだ、とばらしたら、外務省は赤っ恥である。だから、戦後失態をした外務官僚を皆出世させたのである。海軍にしても彼らが黙っていれば責任を外務省の現場に押し付けることができる。外務省も海軍も日本より自分たちの組織が大切だったのである。真珠湾の奇襲を強引に推進したのは山本で、軍令部は皆反対だったのだから、宣戦布告の遅延工作に山本の関与の可能性はある。