毎日のできごとの反省

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何故浮世絵の美人の顔は同じなのか?

2016-01-07 14:54:22 | 芸術

 長い間、浮世絵について疑問に思っていたのは、同じ絵師だと、美人画の顔がほとんど同じである、ということである。例えば街の美人を描いた浮世絵は、当時の有名な美人で名が知れた者を何人描いてもほとんど同じで、見る者はヘアスタイルや、衣装などでしか区別できないのである。

 これについて、こういう仮説を立てた。同じように見えても、浮世絵を見慣れた同時代人は、目が慣れているから、区別がつくのだ、と。つまり現代人は浮世絵の表現に目が慣れていないからだ、というのである。これも客観的に考えればかなり無理のある仮説だった。明らかに同じ角度から描かれた、同じ絵師が書く女性の顔は、目鼻の造作や顔の輪郭などが、類型的に同じように描かれているのである。そこで仮説はずっと頓挫したままだった。

 ある時秋葉原の街を歩いていて答えは見つかった。一枚の絵にアニメやコミックの女の子のキャラクターが何人か描かれているポスターがある。すると、そこに描かれた全ての人物は別人を表現しているはずである。ところが、当たり前の話だが、一人ひとりを区別しているのは、ヘアスタイルと衣装だけなのである。体型ですら似ている

 秋葉原あたりに氾濫している、大抵の女性の漫画のキャラクターは、体型はともかく、顔は大人というより少女に近い。同じ漫画家が描く少女は顔の輪郭、目口鼻耳といった造作は基本的に同じである。今は不思議な時代で、戦車と漫画のキャラクターを組み合わせた、ギャルパンツァーなるものが流行っている。無理して流行らせているようにも見えるのだが。

 だから小生が買ったミリタリー系の雑誌にも女性のキャラクターをメインにした漫画がある掲載されている。同じコーナーに表紙にフィギュアの原型のような漫画の女の子が書かれた、雑誌があったので中を見てみると、戦史関連のものだったのには驚いた。一人の漫画家が描けば、同じ年代を想定した女性の顔は類型的に同じである。今手元にある戦史雑誌にも漫画があり、二人の女性が描かれているが、顔の造作と体型は同じで、同じ飛行服を着ているから、区別ができるのは、髪の毛だけなのである。それでも見慣れれば違和感は感じない。

 なぜこうなるのかは、正確には分析できていない。だが根本は、線描という簡素に省略された表現手段が持つ、描き分けの限界ではないかと思うのである。油絵の場合、写真と似たように、リアルに描くことが出来れば、個人の顔の特徴をリアルに反映できるから、一人一人の顔を違って描ける。線描故に、それが困難なばかりではなく、無理して特徴を捉えようとすると絵画としての面白さが失われるのではなかろうか。このあたりは漫画家自身が良く承知しているであろう。

 だから年代が同じで、可愛らしい美人、という設定をして、同じ漫画家が描くと同じ顔になってしまう。それどころか、秋葉原のポスターなどに描かれた漫画の女性は、漫画家が違っても類型的によく似たものが多いと思われるのである。これは単に真似しているのではなく、同じように見えることによって、同時代の流行を故意に作っているか、流行に乗ろうとしているようにも思われる。

 これは浮世絵にも言えることで、時代が近ければ、絵師が違っても顔の描き方や体型も似ているはずである。一方で、女性ではないが、写楽の歌舞伎役者の浮世絵は、役者の特徴を捉えていて、一人づつモデルとなった役者と似ているはずである。はずである、と言ったのは写真などの客観的資料がないから断言できないからである。しかし、違う役者は違う顔の造作や輪郭をしていることは明白である。

 役者絵がこのようなことができるのは、役者の特徴を誇張して描くことが、絵としての面白さを失わせるどころか、増幅するからである。役者の顔立ちには癖があり、役によって化粧も違う。その癖を誇張し、化粧をきちんと描くと、役者毎の区別がつくし、それによる面白みも増す。

もし役者絵を同じ年代の、癖の少ない典型的な二枚目の男の役者の舞台化粧をしない素顔を描く、という条件を設定してしまうと美人画と同じく、絵師が同じならば、同じような顔になってしまう、ということになるはずである。はずである、と言ったのは、そのような設定の役者絵は存在しないから、実証的に証明できないからである。今たどりついた、当面の結論を言おう。浮世絵の美人画の顔が同じなのは技法と絵師の都合と時代によるものである。


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