毎日のできごとの反省

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日本海軍の年功序列

2014-06-22 11:05:28 | 軍事

 「捷号作戦なぜ失敗したのか」を読んでいるのだが、以前書評で「ミッドウェー」を紹介したが、運命の五分間が全くの嘘であることを単純明快に証明していたので、期待していた。著者の左近允氏は海兵出身だが、尉官までしかいっていないので、日本海軍に対して公平な眼とプロの眼が感じられる。

 比島沖海戦での栗田艦隊の「謎の反転」について、「視界内にある『機動部隊』との決戦は打ち切り、どこにいるか分からない新たな機動部隊を求めてこれと決戦するのでは理由になっていない。」(P347)と断ずる。これは小生と全くの同意見だが、日本人が書いた図書では初めて見た。また「栗田艦隊の『敵機動部隊との決戦を求めて北上』は本音であったら夢であったし、本音でなければ撤退の言い訳であろう。」(P351)と酷評するが、実態は後者に間違いない。何度でも言うが、栗田は逃げたのである。

 閑話休題。捷号作戦において、弱体とはいえ戦艦二隻の西村艦隊と、重巡と駆逐艦しかいないさらに弱小の志摩艦隊をわざわざ分けて別行動をさせた上に、同時にスリガオ海峡を突破し、レイテ湾に突入させたかが、疑問であった。同時突入は成功するはずはなく、志摩艦隊はわずかな損害を受け、西村艦隊が全滅したらしいと判断すると、反転離脱してしまうのである。

 本書によれば、連合艦隊が両艦隊を一つの部隊として突入させるなら、指揮系統はひとつにしなければならならず、志摩長官は西村司令官と同期だが半年先に中将になっているから、合同部隊の指揮官は志摩長官となる。「・・・突入の直前になって戦艦二隻を基幹とする部隊の指揮官を、重巡二隻を基幹とする部隊の指揮官の下に入れることは、連合艦隊司令部としてはできなかったのではないか。」(P260)というのである。

 要するに先輩の方が小部隊を率いているから、後輩であれ大部隊を率いると、捻じれが生じるというのである。志摩は西村と同期なのに、わずか半年先に中将になっているから先輩扱いなのである。これは作戦の成否よりも、年功序列やメンツを重んじる発想である。日本海軍は、機動部隊をマリアナ沖海戦で喪失し、エアカバーのもとで艦隊行動して勝利する、という見通しは完全に無くなった。

残っていた艦上機すら陸上に挙げて、台湾沖航空戦で失って、空母搭載機を喪失した。そこで乾坤一擲、いままで上陸作戦に対して主力艦隊による反撃をしてこなかった方針を捨て、連合艦隊の全力で出撃した。にもかかわらず、作戦の遂行の有利さより、年功序列とメンツを重んじたのである。

 だが、これに一理なくもない。日本人の勇猛果敢な精神は、このように安心して働ける年功序列とメンツに基盤を置いていると言えなくもない。まして、明治以来建軍の伝統が確立すると、軍人の、特に幹部は官僚的になったからである。海軍は特にハンモックナンバーを重視した。軍人として武人らしさを残していたのは、兵学校出身者のエリートでは、山口多聞など、わずかしかいなかった。

 指揮官の配置を急に変えるのが不都合なら、後輩となる志摩長官を、西村司令官の指揮下に入れるべきではなかったか。まして戦勝のゆとりがあるどころか、連合艦隊ひいては、国家存亡の一戦である。もし、連合艦隊司令部が事情を説明せずとも、志摩長官は士官を集めて、国家存亡の危機打開のため、西村部隊の指揮下に入ることを諄々と説明すればよいのである。

 だが本書は志摩艦隊と西村艦隊が合同して突入できたとしても、両部隊は大した戦果もあげず全滅したであろう事を説明している。せめて、志摩艦隊が帰還しただけよかったというのである。結局連合艦隊の作戦計画そのものに無理があったのである。しかし、批判する者は無数にいるがマリアナ沖海戦に敗北し、フィリピン上陸した米軍に、日本海軍は捷号作戦をいかに立案すべきか、という計画を提示した者はいない。小生は、日本海軍は正攻法にこだわり過ぎたのではないかと考える。日本海軍が優勢であった、開戦直後に米海軍が行った、ゲリラ的作戦しか残っていなかったと思うのだが、素人の小生には具体的な案はないのが情けない。

 捷号作戦に勝機はなかったにしても、マリアナ沖海戦に勝機はあったのだろうか。航空攻撃するならば、艦上機による先制攻撃しか戦法はしなかったにしても、そもそも艦上機による敵艦隊攻撃があの時点では無理があった。南太平洋海戦でも、ろ号作戦でも米艦隊の艦隊防空は鉄壁で、ますます強化されていることは戦訓として知られているはずである。そこに正面きって強襲しても、マリアナ沖海戦の時点では、状況はますます不利になっているのは知れている。いや、末端の将兵はともかく、幹部が彼我の防空体制の隔絶した能力差に気付いた節はない。

勝機があったとすれば、空母搭載機を零戦と偵察機だけにして、水上部隊のエアカバーと索敵だけに徹し、その保護の下に戦艦群は射程内に肉薄し、攻撃は戦艦と巡洋艦による砲撃と、駆逐艦による雷撃に徹するしかない、と考えられる。海軍はハワイ・マレー沖の勝利以来、攻撃は航空攻撃しか行わなくなっていた。


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