毎日のできごとの反省

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日米同盟は崩壊しない

2020-09-17 16:27:34 | 政治

 多くの保守派の言論人が、沖縄の普天間基地の辺野古移設の反対運動について、日米同盟の崩壊の危機、と警鐘を鳴らしている。一見妥当なようだが、事はそう単純ではない。それはこう自問してみれば分かるだろう。日本政府が結局アメリカが納得する移設先を見つけなかったとして、だからアメリカは日米安保条約廃棄即基地撤収、と言う道に進むのだろうか。


 日本が基地問題でアメリカの気に入らない結論を出したからと言って、アメリカが怒って日本の防衛には責任は持てないから条約を廃棄して、日本の米軍基地を撤去して出ていく、と考えるとすれば、それはアメリカが単なる善意で日本の防衛をしていると判断している事になる。せっかく守ってやっているのに裏切るならもう知らない、守ってやらない、と言う訳である。

 考えてみればそんなはずがない。日本の防衛がアジアでの覇権を維持するという、アメリカの国益にかなうから日米安保はあるであって、善意などではないのは当然だ。米国はソ連や支那の共産主義政権に唆されて、アジア大陸進出に邪魔な日本を第二次大戦によって倒したのである。その結果、日本防衛のためと称して、日本の各地に公然と恒久的な基地を持つ事ができるようになった。蒋介石政権を使って支那大陸に直接足場を作る事に失敗した米国としては、望外な結果であったのに違いない。

 軍事的にアジアで対峙して、米国の進出を阻んでいると考えられていた日本を倒したばかりではなく、日本国内に基地まで得られたのだから。まして支那が共産化してアメリカのライバルとなった以上、日本の基地は貴重である。もちろんアメリカは日本が完全な自主防衛をする事を望んでいない。もし日本がそうなったら、再びアジアに厄介なライバルを持つ事になる。しかし日本にその能力も意図もない事は明白である。アジアで日本1国でロシアや支那と張り合う事は現在では不可能に近い。

 自主防衛に不可欠な、核兵器保有には国内の反対があるため事実上不可能であり、軍事航空技術を自主開発する経済力も能力も持たない。かといって支那やロシアのように西側など他国から技術を盗んだり、外国人に設計製造を密かに頼むというような安価かつ狡猾な事も日本はし得ない。軍事コストのバランスを得るために、死の商人となる事さえできない。ないない尽くしである。

 そんな日本から米軍がいなくなれば、その空白を埋めにロシアや支那がやってくる。そうすれば日本や東アジアでのアメリカの居場所はなくなるのである。駐留なき安保とか、いざとなれば第七艦隊がくればいいから基地がなくてもいい、などという、かつての民主党幹部の意見などがとんでもない間違いである事は、軍事知識の初歩すらなくても分かる道理のはずである。いくら飛行機や船が速くなり、世界一周が可能になったとしても、時間と空間の隔たりは軍事的には埋められない。ましてやいくら軍事技術が発達しても戦闘の最後を決するのは歩兵である。

 いくら爆撃しようと地上を占領するのは歩兵なのである。そういう物理的な力のない軍事力は意味をなさない。ましていくらいざとなったら米軍が駆け付ける、と米軍が公言したところで、基地を撤去した事はアメリカが日本の防衛を放棄したに等しい、とロシアや支那は判断する。日本やアメリカがどう言おうと、その行動を判断するのはロシアや支那であって日本やアメリカではない。自分たちの勝手な思い込みを、ロシア人や支那人もしてくれると判断するのはあまりにご都合主義である。

 現にフィリピンの米軍基地を撤去した途端に、支那との領土紛争中にあったスプラトリーつまり南沙群島は一気に支那の実効支配下に置かれてしまった。フィリピン政府にはそんな意図はなかったから、後悔した事だろう。日本の基地の東アジアにおける重要性はフィリピンのそれの比ではない。しかも日本の保守論者ですら日本の米軍基地の存在を有り難がってくれているのである。

 しからば米軍を日本の都合のいいように配置するといって、米国を怒らせるような事をしたら、アメリカはどう対応するか。それは安保が日本のためです、などと言うおためごかしの偽善をやめて、アメリカのための安保、と言う本音に徐々に立ち返るだけの事である。基地はアメリカの使いやすい場所に置き、使いやすいような施設にするまでである。もちろんロシアや支那は日本の労働組合などの左派勢力を操って、基地反対闘争を激化させるのに違いない。そうなったときに、日本政府やアメリカ政府がうまく対応する事ができるかは予見不可能である。だが日本国内に大混乱を齎すのには違いない。

 ソ連がSS20を配備した時、アメリカは西独にパーシング2ミサイルを対抗して配備した。あくまでも対抗措置であった。ところが日本では労働組合が、SS20が先に配備された事を無視した上に、日本には何の関係もないヨーロッパにおける、パーシングミサイル反対運動を何と日本国内で繰り広げた。せめて喧嘩両成敗ならましだが、先に手を出した者に目を瞑って、後から殴り返した者だけを非難したのは、明らかにソ連の意図に従っていたからである。

その指示ルートは今もあるのに違いない。更に日支間の経済交流が盛んになった結果、支那による日本人への指示ルートも当時より増えているから、状況は冷戦当時より悪い。もちろん末端の運動員は全体の構図を知らずに、正義感に燃えて運動していたのに違いないから却って手に負えない。その当時東京にいた私は、公園でパーシングミサイルの大きな模型を展示した大規模な反対運動を目撃した。彼らは正義感に燃えていたと言う事は実感できたのである。

 結局安保問題でアメリカを窮地に追いやるのは、日本の混乱を惹起するだけである。日本が米軍基地でアメリカを怒らせると、かつて第一次大戦などで英国に協力することが少なかったために、日英同盟が失われたのと同じ事になる、と警鐘をならす保守の論客はそれを本気で信じているのであろうか。それとも本当の話をしては危険なので、計算して嘘をついているのだろうか。私には前者であるように思えてならない。

それでも野党の幹部のように、アメリカに何を言おうが米軍は日本を守ると考えている人士より遥かにましである。そういう輩は、先験的にアメリカは日本を守るものだというところで、防衛問題には思考停止している。立憲民主党などの野党にとっては基地問題は国内問題であり、党利党略の問題であり、間違えても軍事や外交問題ではない。つまり政治家としての知的レベルに重大な欠陥がある。