相澤淳著 中公叢書
この本は巷間言われている山本五十六や米内光政を中心とした海軍が対米戦争反対の平和主義だったという迷信を、いとも簡単に打破してくれる。そのポイントは軍縮問題、支那事変、三国同盟、対米開戦の4項目について見れば充分だろう。
山本は海軍軍縮会議の第一次ロンドン会議の際に随員として行った際に、大蔵省の随員だった賀屋興宣が財政面から軍縮の意見を述べると「賀屋黙れ、なお言うと鉄拳が飛ぶぞ」と脅迫した(P17)。しかしこの話はこの本の独自の情報ではなく、有名な話である。平成23年から上映された山本五十六の映画など海軍シンパは故意にこの事実を無視する。一体、この話のどこをどう解釈したら、山本が海軍軍縮推進の条約派だということになるのだろう。
米内光政は支那事変初期には不拡大であった。この理由は昭和6年に蒋介石に会って米内が好印象を持って「蒋介石はえらい奴だ」と述べるなどして、シンパシーを持ったことが根底にある、というのだ(P92)。えらく馬鹿げた感情論に基づく単純な話ではないか。ところが中国空軍機が海軍の軍艦や陸戦隊本部を爆撃すると、態度が一変して陸軍より強硬になったという(P106)。初期には対中日本優越論を持っていたのに、支那の中央政権が本気で向かってくることが分かり、態度を一変させたという(P108)のである。前述の蒋介石好感論と同様に、戦略などない軽薄の極みである。
米内や山本は英国との対立を恐れて三国同盟に反対したのではなく、三国同盟に対する賛否の判断は海軍の伝統的な北守南進論にあるというのだ(p202)。当初は陸軍の北進=三国同盟に抵抗したという。要するに三国同盟を結べば、陸軍の北進論が優位になるから反対である、というのに過ぎない。海軍が米内首脳部から及川首脳部に代わったために海軍が急に三国同盟賛成に転じたという通説も間違いであるとする(P187)。
第二次大戦が昭和14年に始まると、ドイツと提携することによって、南方進出する好機だとして、南進論の海軍が賛成に転じたというのである(P206)。そもそも米内は親独ソ、反英だったという(P150)のだから対英融和による反対説などあり得ないのである。こうなると米内が反対したのも賛成したのも説明がつく。 ちなみに米内には、ソ連のハニートラップにかかっていたという説すら全くのデマとも言い切れない行動が目につくのである。
山本は海軍次官時代「航空軍備の充実があれば対米作戦は大丈夫だ」と語っていた(P223)。昭和16年の時点では航空軍備は充分ではなかったから山本は「対米戦能力は、せいぜいが一年から一年半」と言ったというのだ。つまり対米反戦からの開戦反対ではなかった。 山本の不見識は駐米武官をして、米国民性に接する機会を得ながら、米国の戦争が、いいがかりに等しい「リメンバーアラモ」「リメンバーメイン」と呼号して、メキシコやスペインと戦争を始めていることに何らの顧慮もなく、真珠湾攻撃を強行して、「リメンバーハールハーバー」と言わしめたことである。真珠湾攻撃の動機たるや、開戦即日にして米国民の戦意を喪失させる、というのだから、山本は米国にいて、米国民性も米国のやり口を何も知らなかったのだから、論外である。
これだけチェックすれば充分であろう。そもそも海軍が北進に反対したのも平和主義のためではなく、対ソ戦備優先となれば予算を陸軍に持っていかれるという官僚的発想に過ぎなかったし、それが南進となって予算獲得に有利になるという、これも官僚の典型的悪弊である。だから本当に対米戦が起きることになると、対米戦に勝てる自信なし、などとは口が裂けても言えなかったのである。米内にしても、山本にしても同じである。