PHP研究所・福井雄三著
福井氏は、バランスのとれた見方のできる人であろう。例えばグル―を大変な親日家としながら、一方で当時のアメリカ人に典型的な白人至上主義と人種差別意識を持ち合わせ、悪名高き排日移民法を強力に支持していたことも指摘している。多くの評伝に見られるように、惚れてしまえば欠点は隠す、と言う事はしないのである。
松岡洋右についても、反米の好戦論者と単純に片付ける向きが多いが、実際には日米戦争を最も恐れていて、三国同盟推進の同期は日米戦の阻止であった事を書いてもいる。しかも松岡を日本外交史上最もスケールの大きく、かつリアリストであり、世界的大局観をもちあわせていた人物である、と評している。このような意外性、客観性が本書の魅力である。
戦後のドイツについても、ナチスの行った国家犯罪は、反論も許されず過度に誇張され宣伝されているが、今は沈黙を守りながらもドイツ人は、歪曲された歴史を将来修正する日が来る、と書く(P184)。これは我が意を得たり、であった。ドイツ統一以前、私は、ドイツが一方的に批難されている第二次大戦期のドイツ史について、ドイツ統一がなったときドイツ人は昂然と歴史の修正を始める、と考えた。結果的には外れたが、いずれそのような時期が来ると、福井氏同様に考えている。戦勝国の洗脳で自虐史観がテレビなどのメジャーなマスコミを支配している日本とは違うのである。
海軍はあくまでも陸軍の側女である(P53)、と言いきったのも明快である。従来の日本海軍批判は、大艦巨砲主義、艦隊決戦至上主義だとか、シーレーン防衛を怠ったとか、言われるが、これは個別的かつ枝葉末節であり、福井氏の指摘をもとに考えると明快になる。明治の海軍が心をくだいたように、戦地への兵員の輸送の保護、国内への物資の輸送などの保護を行うのが海軍の役目である。海戦はその目的の達成のために結果的に生起するのであって目的ではない。
最も興味深いのは、対米宣戦布告が真珠湾攻撃開始から1時間近く遅れた件である(P141)。これまでのノンフィクションでは、前日に大事な電報が来ているのに、大使館職員は全員ほったらかしにしたまま宴会に行き、解読を始めたのが攻撃当日で、その結果、宣戦布告が遅れる結果になった。しかもこの失態で誰も処分を受けないどころか、戦後まで順調に出世している、と例外なく外務省の無責任さを非難している。
ところが福井氏によれば、海軍はぎりぎりになって、宣戦布告を攻撃一時間前から30分前に縮めている。これは海軍が、宣戦布告により迎撃されて虎の子の艦隊を喪失する事を極度に恐れたからだと言う。それどころか、30分前の宣戦布告は建前に過ぎず、海軍は被害を恐れるあまり、通告が遅れる事を望んでおり、そのことを外務省と裏で連携していたのではないか、と言うのだ。そう考えれば氏が述べるように勤勉で時間厳守の日本人が、あのような失態を犯した理由も、何の咎めもなかった理由も腑に落ちるのだ。
この仮説が事実だとすれば、私の思うのは、海軍は宣戦布告の遅れの責任を全部外務省になすりつけ、真珠湾攻撃の成果だけ誇り、戦後も真実を隠蔽して海軍善玉説に固執する海軍上層部の卑劣さである。本書では山本五十六の罪と無能を批判しているが、これについては近年、かなり巷間に言われるようになったことである。しかし平成24年に公開された映画「山本五十六」のように相変わらず平和主義者としてあがめる風潮がまだあるのは奇異の感がある。山本が軍隊の戦時の指揮官として重大な欠陥があるのには数々の明白な証拠がある。米内光政がソ連のハニートラップに引っかかっていたのではないか(P85)と言う説も興味ある。
もちろん小生と意見が相違する箇所もある。蒋介石を偉大な軍人で政治家であり、彼が支那大陸を制覇していたら、反共と言う日本の目的は達成され、日本と支那は新たな大東亜共栄圏を作り上げていただろう、と言うのだ。そして台湾を世界屈指の経済大国に成長させた功績を語る(P73)。しかし台湾の繁栄は日本の支配のもたらした功績が大であり、かつ台湾と言う適正規模の国家によってもたらされたものである。蒋介石の中華民国が、中共の代わりに清朝の巨大な版図を引き継いでいたら、大陸全土に幸福をもたらすようなことがあり得るはずがなかろうと思うのである。チベットなどの異民族支配のための強権的な帝国にならざるを得ないのである。
東條内閣ではなく、近衛や東條が推薦した東久邇宮内閣が成立していれば、日米戦争は回避出来ていたかもしれない(P126)、と言う。だが別の記事で書いていたように、当時の米政府はこの時点では対日開戦に決していた。ラニカイと言うボロ船で最初の一発を撃たせたり、3百を超える大編隊による爆撃計画の準備が行われている。これらは計画ではなく、実行に移されていたのである。しかも日本爆撃計画は大手の米マスコミが公然と報道していたが国民に何のブーイングも起きなかった。
一方で中立法の改正により、英ソへの軍事物資の大量支援を実行していた。これは国際法上戦争を意味する。政府はともかく、国民の多数は厭戦気分にあったなどと未だに多くの歴史書に書かれるが、到底事実と符合しない。当時熱心に反戦運動をしたチャールズ・リンドバーグですら、反戦派が押され気味だと嘆いている(リンドバーグの第二次大戦日記)。真珠湾攻撃は乾燥しきっていた藁束に火を付けたのにすぎない。このように公表された事実を情報として共有しないから、意味のない意見のすれ違いが起きるように思えてならない。