毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

書評・日本は勝てる戦争になぜ負けたのか

2019-11-12 16:56:22 | 大東亜戦争

日本は勝てる戦争になぜ負けたのか・新野哲也・光人社

 全般的にかなりの思い込みと直感で書かれている。このことは著者自身も自覚している。直感で書かれていると言うのは悪いことではない。科学でも仮説と言うものは多くがそのようなものだからである。著者の主張を大雑把に言えば、方向こそ異なれ、陸海軍にそれぞれ日本の敗戦による革命を望んだものがいたから、勝てる戦いを負けた、と言う事であろう。これは必ずしも唐突なことではない。当時のアメリカ政府中枢はソ連のスパイに占拠されていて、外交の多くが決定されていた、と言う事は戦後のレッドパージで証明されている。ゾルゲ事件に象徴されるように、日本でもソ連のスパイが政治中枢を動かしていた、というのも事実であろう。その暗部は我々が知っているよりはるかに大きいのに違いない。日本は敗戦と近衛文麿の自決によってその全てが闇に葬られてしまったのであろう。 

日本人の多くが、かつての仇敵であったソ連の共産主義体制の惚れ込んだのは不思議ではないのかもしれない。日本の敵は帝政ロシアであった。ソ連はそれを倒したのである。敵の敵は味方であるかも知れない。しかも計画経済により、重工業化の大躍進をしたと伝えられた。軍備のため重工業化を必要とした日本もそれに続け、と考えたとしても不思議ではない。だから軍人が密かにソ連に傾斜したとして心情的にはあり得るのかも知れない。石原莞爾の総力戦の思想も国家社会主義を前提としているし、石原以上の戦略家であった永田鉄山も同様である。ソ連の重工業の躍進が農業を犠牲にした事は、ばれていないし、ソ連のスパイ活動の暗躍もあったのであろう。 

 ただ海軍が戦争下手であったと言うのは著者の言うように敗戦革命を望んだという高等戦術ではなく、幹部教育の失敗と官僚主義によるものであったと思う。陸軍は人間を相手にした戦争をするだけに、戦史教育を含んだ戦略と言うものを考えなければならない。しかも満洲鉄道を保護する関東軍を持っていたために、必然的に異民族を相手にした生きた戦略を学んだのである。海軍は、日本海海戦を艦隊決戦の勝利と誤解して、艦隊決戦に勝つための教育しかしてこなかった。日本海軍の戦略とは軍艦のカタログデータを優れたものにすることでしかなかった。この差が海軍には石原莞爾のような戦略家を生まなかったゆえんである。指揮官教育と言う点でも海軍には問題があった。東郷平八郎は、白旗を揚げて降伏の意思表示をするロシア艦隊に対して、参謀の進言を退けて停船するまで砲撃させた。ミッドウェー海戦で山本五十六は、空母ありの報を南雲艦隊に伝えたらどうか、と言ったが、参謀に反対されて止めてしまったと言われている。大東亜戦争の海軍には指揮官に必要な決断力がない者が多い、と言わざるを得ないのである。 

 著者はインド洋攻略を主張しながら、インパール作戦を批判しているのは矛盾である。艦砲や艦上機の攻撃だけでインドの英軍を駆逐するのは無理である。海軍の本質は補給路の確保や上陸の支援など、陸軍のサポートであって陸上兵力と対峙する事ではない。最後の勝利は歩兵により得るものである。昭和の日本海軍は敵艦船の撃沈を究極の目標としたが、これは作戦の手段に過ぎないという、明治の提督すら知っていた事実を忘れていた。東條がインパール作戦を指示したのはボースに対する同情ではない。戦略が分かっていたからである。インドの蜂起なくして英軍の駆逐はなく、英軍の駆逐なくして、インドの独立はない。インドの独立なくして東亜植民地の独立はない。 

 東亜植民地の独立なくして英米に不敗の体制を築くことはできない。日本軍の初期の快進撃を支えたのは、西欧の植民地の民が日本軍を支えたからである、という素晴らしい事実を書いているのはこの本ではないか。山本五十六が無暗に拡大戦略をとってソロモンの消耗戦で航空機と艦艇に甚大な被害を受けて失敗したのは、そもそも攻勢終末点というような戦略教育すら受けていないからとしか考えられない。山本は結局米戦艦の撃沈しか目的としていなかった。艦艇勢力が劣勢だから航空機で補おうとしていたのである。海軍が米国には勝てないとは言えなかったのも、三国同盟反対から賛成に転じたのも、全てが陸軍に対する予算均衡と言う官僚的発想であった。 

 著者の言う、日本の戦争下手は戦士たるべき軍隊の中枢が官僚化したのが原因である、というのは事実である。官僚化したのは陸大海大の成績で序列が決まると言うシステムが原因である(海軍は海大よりも兵学校)。システムの失敗はエリート教育の失敗であると言う著者の主張も事実である。政治家教育の失敗も同様である。それが陸大海大帝大を作ってエリート教育事足れりとしたのは、明治元勲の失敗であるのは事実であるが、その原因が下級武士出身だったと言うのは間違いであろう。いずれにしても著者の指摘する日本には正しいエリート教育がなく、学歴偏重の官僚主義が日本を蝕んでいる、というのは現代日本においても大きな課題である。真のエリートのいない議会制民主主義とは、衆愚政治の別称である。 

 確かに長い江戸時代にあっても武士の教育が続けられ、それが維新の原動力になり、日清日露の戦争の指導者の精神的基礎であったと言うのは事実である。しかし下級武士だったからエリートを育てなかった、と言う批判は単純に過ぎる。現に徳川末期の将軍後継の争いなどは、序列を重んじる官僚的発想で、新野氏の批判する学歴偏重と根源は同じである。むしろ伊藤らは下級武士から成りあがったからこそ、東郷のように成績優秀ではないものを戦時に抜擢した海軍の風潮の見本となったのではないか。明治期には伊藤、西郷、大久保らの実力主義の成り上がりの風潮の残滓があったからではないか。 

 著者は昭和十六年の時点で日米開戦を避けることができ、避けるべきであったと言うが、明白な誤りである。そもそも新野氏は、避けるべきであったと言うために、避ける事が出来たとこじつけている節がある。避ける事ができないのであれば、避けるべきであったと言っても仕方ないからである。日米開戦の直前ルーズベルトは「ラニカイ」と言う海軍籍にしたぼろ舟を太平洋に遊弋させ、日本に海戦の一弾を打たせて開戦しようとして、太平洋をうろうろさせている、ぼろ舟が攻撃される前に真珠湾が攻撃されたのに過ぎない。この事が象徴するように、アメリカ政府は参戦したくて仕方なかったのである。 

 既にアメリカは武器貸与法を成立させ、大量の武器弾薬を英ソに送っていた。国際法の中立違反である。ということは事実上の参戦で兵士を送っていないだけであった。正確にはUボートを攻撃させたのだから兵士を送っていたともいえる。国民が本当に戦争反対なら、野党もマスコミもこのことを攻撃して世論は沸き立っていたはずであるが、そのような事実もない。米国が第一次大戦に参戦したのはドイツの船舶攻撃により僅かばかりの民間人の被害を生じたからである。大量の武器供与ははるかに危険な行為である。建前は反戦でも米国民は戦争やむなしが本音であったと考えるしかない。ハルノートは満洲からの日本軍撤退を要求していないし、最後通牒ではない、と新野氏は書く。支那に満洲が含まれていたか否かなどは瑣末な事である。ハルノートは突如交渉の経緯を無視して条件を極度に高くしたのは交渉の拒否を意図している。 

 米国が世論の反対にもかかわらず、あれほど長くベトナム戦争を継続したのは何故か。それを考えれば支那本土から撤兵すればいい、などと言う発想はない。既に日米修好通商条約を破棄し、禁輸など経済制裁を実行している環境の中である。これらのことは米国民周知の事実である。かつての社会党などはイラク戦争の直前に、戦争はしなくても経済制裁だけにとどめよ、などと主張したが、これは経済制裁が準戦争状態であると言う国際法の常識を無視している。ことほど左様に当時の環境からして、最後に登場したハルノートが最後通牒ではないと言うのは誤りである。ハルノートはソ連のスパイによって厳しいものに改ざんされていた、と言うのは事実であろうが、それ以前にルーズベルトは日米開戦を対独参戦の口実にしようとしていたのだから、ソ連のスパイの暗躍がなければ日米開戦はなかったとは考えられない。根本的には人種偏見もあって、支那大陸進出つまり体のいい支那侵略のために日本が邪魔だったのである。 

 ハルノートを公開していたら、と言う事は小生も考えた。だがそれ以前に石油禁輸その他の公式な経済制裁措置を取っている。従って大統領は、それにもかかわらず日本は譲歩しなかったから仕方なく原則的要求を行ったのだ、と説明すればお終いである。すなわちハルノートは唐突に出たのではなく、エスカレートする米国の制裁措置の最後に登場したのであって何ら不自然なものではない。アメリカ国民は原理主義の面があるから、日本の対外的行動をなじって理想的言辞を並べれば説得できる。当時の米政府のマスコミ対応は現在の日本よりよほどましであり、説明上手である。 

 真珠湾攻撃さえしなければアメリカは参戦できなかった、というのも考えにくい。地球儀を見ていただきたい。新野氏の言うように東南アジアの資源地帯やグアム、サイパンなどの島嶼を確保しようとすれば、そこに大きく立ちはだかるのはフィリピンである。真珠湾を攻撃しなくてもフィリピンでアメリカは邪魔するのに違いない。逆に言えば地理的に、これらの地域を確保しようするのに、フィリピンは最適な位置にある。必要なのである。結局この観点からも、英蘭に宣戦すれば、アメリカとの戦いは避けられない。とすれば真珠湾の無力化は必要である。 

原爆を積んだ重巡インディアナポリスの航路をたどってみよう。パナマ運河を通過して、サンフランシスコ、真珠湾に寄港しテニアン島で原爆を降ろした同艦はフィリピンに向かう途中で撃沈された。パナマ運河、サンフランシスコ、ハワイ、テニアン島のこれらの間はほぼ等距離である。航続距離や補給の観点からも、これらの地点を経由する必要があったのである。つまりハワイへの補給を断ち無力化すれば米軍は日本を攻撃できない。 

 よく言われるように無力化のためには、真珠湾攻撃の際に、港湾施設と石油タンクを破壊する事であるが、それだけでは足りない。潜水艦などをハワイ周囲に配置して、機雷封鎖や出入りする艦船攻撃などをしてハワイを使う事を常時防止する事である。アメリカ西海岸を砲撃したことから分かるように、イ号潜水艦の航続距離は他国のものに比べ極めて長い。そのような作戦は充分に可能であった。この本は基本的にいい発想から書かれているが、たまに我田引水があるように思われる、と言うのが書評子の結論である。