毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

若冲展

2016-05-26 16:34:49 | 芸術

 平成28年は、伊藤若冲生誕300年ということで、東京都美術館で若冲展が開かれていた。混むだろうと思って、連休前の平日を選んだが、美術館に行くの途中のチケットショップで40分待ちですが、と言われたで驚いて帰ろうとしたが、今までで一番空いている、というの諦めて列に並んだ。それどころか、その後テレビ放映があったせいか、連休明けは平日でも、4時間待ちの日があったと言うから驚いた。一般に浮世絵師の肉筆画に比べると、流石に技量は高い

 だが驚いた1枚があった。石燈籠屏風図(公式目録番号36、以下数字はそれを示す)である。かなりの大作だが、僅かしか彩色が施されていないで、燈籠が点描で描かれているのだが、他の水墨画に比べて、正直テクニックと言うものがなきに等しい。失敗作であろう。批判する者はいなかったが、流石に他の作品の驚くような混み具合に比べ、見物人はまばらである。黙しても鑑賞者は自然に評価しているのである。

 どんな技量の画家でも、不得意な画題、と言うものがある。この屏風は不得意なものを選ばざるを得なかったのだろう。釈迦三尊像 釈迦如来像(1-1)の三幅の、特に顔の部分であるが、やはり、不得意の節が見える。

 「百犬図」(15)は動物であるにもかかわらず、小生には子犬の表現はいまいちである。どうも鳥や魚などに比べ、哺乳類や人物は得意分野ではないように思われる。

これは偏見かもしれないが、画業に専念したばかりの40代前半に描かれた「鹿苑寺大書院障壁画 葡萄小禽図襖絵」(20-1)の見事な筆遣いと比べると、70代半ばに描かれた「蓮池図」(36)は、線や面の使い方など、後者は粗雑に見える。年をとれば筆は慣れていても、反射神経や視力に衰えが生じるのではなかろうか。若冲は手が元々いいのである。おわかりだろうか。手筆に恵まれているのである。努力もあったのであろう。それにしても、若冲の筆遣いはすばらしい。

しかし、筆遣いは歳をとれば、どこかをピークとして衰える。イチローのバッティングセンスと同じである。老境に入って衰えたのは仕方あるまい。しかし、それを指摘しないのは本人にとっては最大の失礼ではなかろうか。画狂人と称して、歳をとれば筆がさえると言ったのは北斎本人の幻想であって、真に受けるものではない。

若冲がこのところメジャーになっているのは、若冲のセンス、特に彩色画のセンスが、現代のアニメや漫画、イラストレーションなどに強い刺激を与えるものであるからだろうと思っている。江戸期の肉筆の絵師は、狩野派のようなお抱えグループではない、若冲のような民間の個人は少ない。これは浮世絵のような大量出版物にように、薄利多売で大きな利益を上げることができないためであろう。

若冲は若くして青物問屋の跡取りとして、比較的生活にはゆとりがあった。40歳になって弟に家督と家業を譲ったのも、それまでの蓄えがあり、画の修業が一応の完成の域に達した自信があったからだろう。1枚の単価を高くしなければならない、肉筆画で生活を支えるのは、狩野派のようなパトロンがいなければ困難だったのである。日本でも西洋でもパトロンの存在(王侯貴族)がなくなって、肉筆の絵画が衰退したのは無理からぬことである。芸術で生計を営むことができる、というのは芸術家の最低限の要件である。その点でパトロンもなしに、生前から財をなしたピカソは、その1点において大天才である。