昭和40年代生まれにしては、珍しく歴史的仮名遣いで通している。小堀佳一郎氏はもちろんのこと、長谷川美千子氏ともずっと、年代が若いのである。歴史的文献として鴎外の「仮名遣意見」をあげているのは懐かしい。ただし、同じ歴史的仮名遣いの本でも、戦前のものに比べれば遥かに読みやすい。理由には文体もあり、漢字が略字であるからでもある。徹底するなら漢字も略字を止めたらとも思うのである。この書評では引用も現代仮名遣いにした。パソコンで、歴史的仮名遣いにするのは面倒だからである。
閑話休題。氏は安倍総理に期待することが大きく、この本もそのために出したようなものであろう。街の商店街が駄目になったのも、農業の衰退も過保護や無気力のせいである、(P78)というのはその通りである。だから大型店が来る前から「商店街の店先には、ステテコ一丁で日がな一日パイプ椅子に座って時間を消している親爺がわんさかいた。」と言うのは痛快である。
アメリカ問題についても、根本は日本人の側にあるのだ、ということでGHQの対日政策のせいにするのは間違いである、というのもその通りである。だが「大東亜戦争当時の日本は、アメリカにとって本当に怖かった。国力で一〇倍以上差があるのに、一歩、いや二歩位間違えたら敗北しかねなかった。(P84)」というのは事実であるにしても、だから精神的武装解除をして叩きのめしたのは、勝った側からすれば当然、というのは少々いただけない。現にドイツに対しては日本ほど徹底していない。
単に氏が「やられた日本の側の思いを私が今なお、どれだけ痛切に感じ、今でも無念と復讐心に駆られて慟哭する」というだけの問題ではない。負けた側の法律や制度等を変えてはならない、という国際法の要請は、普遍的理念、と言ってもいいと考えるからである。アメリカの「当然」はある、というのだが、ここまで言うと「中国の当然もある。」と茶化したくもなる。確かにアメリカに頼ってアメリカの批判だけするのは、真のアメリカからの自立にはならない、と氏が言うのは事実である。それが戦後日本のジレンマである。
靖国神社について「梅原猛氏などは『靖国神道は自国の犠牲者のみ祀り、敵を祀ろうとしない。これは靖国神道が欧米の国家主義に影響された、伝統を大きく逸脱する新しい神道』だからだ、怪しからん(P112)」と言うのだそうだが、小川氏の言う通りもし伝統から外れるとしても、近代日本が緊急に必要としていたから、それが歪んでいても仕方ないのである。
そして靖国神社を批判する人たちは「靖国を断罪し、無い物ねだりしながら、文体や論法に、靖国の祭神のみならず、戦死者全般への慰霊の心情が、嫌になるほど感じられないことです。(P114)」というのは当然であろう。彼等は戦争は絶対悪なのだから、そもそも戦死者を慰霊することなど考えられないのである。
保守の思想を江藤淳が理論的な「イズム」ではなく「感覚」である、と言っているのに対して、中川八洋氏は防衛するという「自覚」に強く立てば明確なイズムでなければならないと批判した(P159)というのだが、日本の現状に即して見れば微妙な話である。
「江藤のいう『感覚』は保守の基盤、しかしイズムとしての保守主義は、中川氏の云うように、それを守る為に主として英米で形成された思想だ。(P161)」と総括して見せて、こんな基本合意すらないことが保守層内部の紛糾の原因になっている、というのである。これで納得はできるのだが、中川氏は小堀桂一郎氏すらインチキ保守だと断言したことがあったと思う。とにかく論理は明晰であるがエキセントリックな人物である。
中川氏で思い出すのは、パネー号事件について、旧海軍の奥宮正武氏と雑誌で誌上論争をしたことである。月ごとに交代で相手の意見に反論するのだが、奥宮氏が戦争とパイロットの経験を持ち出して、素人には分からんだろうが、という調子で反論するのを、コテンパンにやっつけてしまって、どう見ても中川氏の圧勝だった記憶がある。
日本は元来保守的であるが、保守政治思想の研究が皆無である、といい、「・・・日本の近代思想を、幕末水戸学、福沢から、福田恆存、桶谷秀昭、江藤淳、西尾幹二らに至る骨太の系譜として押さえておく必要がある。・・・中川氏の『保守主義の哲学』が取り上げているような西洋保守思想の古典的な理論書の共有も必要だ。(P181)」と書くのを見れば、氏が幕末以来の誰に信頼を置いているかが明瞭となる。
北方領土問題について「最近の安倍氏が、北方領土返還と日ロ平和友好条約締結への強い意欲を言葉にし始めたことだ。(P235)」と言うのは贔屓の引き倒しである。「首相にそれなりの感触があるか、領土問題と平和条約をセットにして解決するならば、ロシアにも大きな利益になるぞという強いサインかの、いずれかでしょう。(P235)」というに至っては、氏はなぜここまで甘い考えを持てるのであろうか、と不思議でならない。
沖縄ですら、米軍基地の恒久化という実を与えて、施政権の返還と言う実利を日本は交渉で得た。注意しなければならないのは、施政権の返還と言っているのであって、領土主権の返還とは言っていないことだ。ましてロシアは平和条約がなくても、日本との関係は維持している。何のメリットもない。断言する。北方領土はロシアの経済破たんや政府崩壊による混乱、あるいは戦争などがなければ、いくら交渉してもただの一島ですら帰ってこない。これが歴史の常識である。
小川氏は安倍氏に絶大な期待を抱いている。佐藤内閣以降、このような期待を抱かせる宰相はいなかったから無理もない。賛成である。だが安倍内閣も永遠ではないし、全ての懸案を解決できるものでもない。第二第三の安倍氏を国民が育てる必要があるのだろう。まともな政治家が出てくると、右翼のレッテルを貼る、多くのマスコミには期待はできない。