ロシアを仮想敵国とする陸軍に対して、海軍は対米戦を想定して予算獲得をした。艦艇の動力は日露戦争時代、石炭専焼であった。しかも後日の蒸気タービンではなく、レシプロ式の蒸気機関であった。それから重油との混焼時代を経て、最終的にボイラは重油専焼罐となった。混焼の時代にあっても、石炭燃料の比率は段々減少していった。
例えば大正2~4年に竣工した金剛型戦艦は、最初は混焼罐であったが、大正12年頃の第一次改装により、一部のボイラに重油専焼を取り入れた、石炭重油混焼で重油の比率が高まった。昭和8年頃から開始された、第二次改装では全部、重油専焼となった。この改良はひとえに性能向上のためであった。
もちろん、他の日本戦艦も似たような時期に、重油使用の比率を高めていって重油専焼罐となった。石炭なら国内産も大陸産も入手がある程度可能であるから問題が少なかったが、石油が艦艇の主燃料になったときに、主として石油は米国から輸入していることを考えるべきであった。日本海軍の仮想的国は米国だからである。
山本五十六ら海軍の幹部が、水からガソリンを作れると言う男の売り込みを聞いて、実験をやらせるという事件があった。何日もかけて、男は水の入った瓶からガソリンを取り出して見せたがもちろん、トリックに過ぎなかった、という事件である。この事件を海軍教育における初歩的科学的知識の欠如や、程度の低い詐欺に引っかかるほど海軍首脳はガソリンが自給できないと心配していた、と解説する向きが多い。
炭素の含まれない水がガソリンに変わる、などという事を信じた山本らの科学、という以前の理科の程度はひどい、というのは事実である。ところが、ガソリンを自給できない、と心配していたことが、こんな詐欺に引っかかるという事自体が、軍人としては変であるし、本気で心配していたのかを疑わせる。
というのは、現実に米国からの石油が途絶したとき、彼らが躊躇なく考えたのが、蘭印からの石油確保、という事だったからである。当時オランダ本国はドイツに降伏し亡命政府を作っているような状態だったからこそ考えられる選択肢、であるというばかりではない。もし、そんな事態ではなくても、あの時点では、最も近隣の産油地帯である蘭印から石油を調達する、ということ以外に考えられないのである。対米戦なら当然オランダも敵になるからである。
日本海軍は対米戦を想定していた。戦争の兆候が出れば、米国が石油禁輸をするのは当然である。艦艇燃料の石油依存度が高くなるにつれて、対米開戦を考えたなら当然海軍は、アメリカ以外のどこかからの石油調達対策を考えなければならない。
これは絶対必要な条件のはずである。しかし、海軍がこのことを研究していたという事を、寡聞にして知らない。対米戦の兆候が出ると、突如として蘭印からの石油確保を考えたのである。もちろん蘭印から石油が取れるくらいのことは知っていたのである。にもかかわらず、なぜ海軍が石油調達対策を真面目に研究してこなかったのか。
対米戦が起こるなどとは、本気で考えていなかったからとしか考えられない。海軍は予算獲得のために、対米戦を想定していたのに過ぎない。酸素魚雷にしても、艦艇の過大な兵装にしても、対米戦を考えよ、といわれて海軍技術陣も努力し、日月火水木金金、と言われるほど兵士は必至の努力を重ねていた。訓練により多くの兵士の犠牲も出していた。しかし、海軍の幹部は根柢のところで不真面目であったのである。