ライヴの終盤、自前のマイクに向かって叫ぶ灰野。その姿は透明になりバックの赤いカーテンやアンペッグのギターアンプが透けて見える。この一瞬、灰野は幽霊か妖精か、少なくとも人間以外のものに変幻したに違いない。肉体が透明になる程の祈りとは一体どのような力なのだろう。
今から7年前、この頃は灰野が最も活発に演奏活動していた時期に当たる。2007年は年間75本の公演、12月は全6公演。
12月1日 秋葉原・Club Goodman 「Howling」 灰野敬二+ナスノミツル+石橋英子
12月5日 青山・月見ル君想フ 「ULTIMATE MUZIK!」 サンヘドリン[灰野敬二+ナスノミツル+吉田達也]
12月12日 横浜・Stormy Monday デュオ with 藤掛正隆(ds)
12月16日 高知・Chaotic Noise ソロ
12月23日 下北沢・Lady Jane "長い夜” デュオ with 鬼怒無月
12月30日 高円寺・Show Boat 不失者(灰野敬二ソロ)オールナイト
当時灰野は2,3ヶ月に一度のペースで藤掛正隆とデュオで横浜Stormy Mondayに出演していた。横浜らしいアメリカンな雰囲気のライヴハウスで、普段はブルースやアメリカンロックやフュージョン系のアーティストが出演している。キャパは20人くらい、テーブル席でお酒を飲みながらリラックスして音楽を楽しめる。灰野&藤掛の時は、大抵10人強の動員で、筆者を含む数名の追っかけw以外は地元のファンのようで女性客が多かった。1時間ずつの2部構成。灰野はギター以外に民俗楽器や電子器機を使い、ヴォーカルもたっぷり聴かせる。静かに始まっても藤掛のタイトなロックビートが鼓舞して強烈な轟音演奏に突入する。轟音といっても音量ではなく気迫の轟(とどろき)である。1対1で思う存分ぶつかり合える場として、両者にとって有意義なライヴだったに違いない。その片鱗は藤掛の主宰するfulldesign recordsから2009年にリリースされたCD『明日 アルファベットが、消えてしまいますように』に記録されている。
2009年に灰野が実家のある川越に転居して以来、横浜でのライヴは殆ど無くなったが、灰野が藤掛を如何に信頼しているかは、今年稼働した新バンドHARDY SOULの屋台骨として藤掛のドラムをフィーチャーしたことに明らかである。
表題の写真はカメラの悪戯とはいえ、「人間という形を捨てて、魂という暗号に」なるような体験を味わうことこそ、灰野の音楽を聴きライヴ現場に足を運ぶ最大の理由に違いない。
⇒灰野敬二+藤掛正隆@横浜 Stormy Monday 2007.12.12(wed)
まずは色を無くし
次に形を変えてみよう
魂という暗号になろう