Sightsong

ジャズ、写真、環境、旅、沖縄、書物、映画・・・発散(記事検索あり)

林立雄『ヒロシマのグウエーラ』

2017-02-20 23:42:20 | 中国・四国

林立雄『ヒロシマのグウエーラ ―被爆地と二人のキューバ革命家―』(渓水社、2016年)を読む。

先日、記者のDさんと有楽町で飲んだときに頂戴した。(ありがとうございます。)

「グウエーラ」とは何か、ゲバラのことである。チェ・ゲバラは、フィデル・カストロらとキューバ革命(1959年)により政権奪取したその年に、訪日し、さらには突然に広島にやってきた。そのとき、ゲバラが何者であるかも、名前さえも、日本では知られていなかった。著者(故人)は、原爆慰霊碑に献花するゲバラを取材した唯一の新聞記者だった。そして、乏しい文書から引っ張ってきた名前が「グウエーラ」だったのである。

ゲバラ訪日の目的は、国を存続させるために必要な経済的なつながりを求めてのことだった。具体的には、キューバの砂糖を輸出する先を探していた。しかし、それとは別に、被爆地・広島を訪れたいと熱く願い、外務省が嫌がるであろうことも察知して電撃的に動いた。ゲバラは、「日本人はこんなに残虐な目に遭わされて腹が立たないのか」と直情的に問うたという。

それから36年が経ち、今度は、フィデル・カストロが電撃的に日本を「非公式」に訪問した。当時、自社さきがけ政権で首相は村山富市。社会党とは言え、アメリカという主人の機嫌を気にすることは今と変わらない。村山首相は、「外務省の耳打ち」により、アメリカの受け売りで人権問題を持ち出してカストロの不興を買った。ここで、より高い政治家としてのヴィジョンで語りあっていたなら、社会党~社民党の凋落も、これほどべったりの対米追従も、少しは違った形に軌道修正されていたかもしれない。

カストロは2003年にも再来日し、ゲバラと同様に、原爆慰霊碑に献花している。そのとき、著者の機転で、1959年のゲバラの写真を見せられたカストロは興奮、感激したのだという。長く歩んで清濁併せ呑んで政治家となった革命家が、熱く走って殺された革命家に、想いを馳せたのだろう。胸が熱くなるエピソードだ。

ゲバラもカストロも、原爆資料館を実に熱心に見学したという。一方、アメリカのオバマ大統領による歴史的な広島訪問(2016年)の際には、ほとんど見学の時間は作られなかった。この段取りを設定した者が、キューバの革命家ふたりの言動の意味を深く理解していたなら、そのような浅はかなことはしなかったに違いない。

●参照
細田晴子『カストロとフランコ』(2016年)
太田昌国の世界 その24「ゲバラを21世紀的現実の中に据える」(2014年)
太田昌国の世界 その10「テロリズム再考」(2011年)
『情況』の、「中南米の現在」特集(2010年)
中南米の地殻変動をまとめた『反米大陸』(2007年)
チェ・ゲバラの命日

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CPユニット『Before the Heat Death』

2017-02-20 23:07:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

CPユニット『Before the Heat Death』(clean feed、2016年)を聴く。

Chris Pitsiokos (as)
Brandon Seabrook (g)
Tim Dahl (b)
Weasel Walter (ds)

言うまでもなく、CPとはクリス・ピッツイオコスである。

それにしても、あまりの痙攣ぶりに思わずたじろぐ。この過激に薄い音での痙攣疾走は、登場時のジョン・ゾーンではないか。本人はどれくらい意識しているのだろう。

そして他の3人とともに、ピッツイオコスもノイズ・マシーンと化す。機械伯爵がパーティーを行う明るくて暗い未来か。いや明るくて暗いのは現在か。

●クリス・ピッツイオコス
クリス・ピッツイオコス『One Eye with a Microscope Attached』(2016年)
ニューヨーク、冬の終わりのライヴ日記(2015年)
クリス・ピッツイオコス@Shapeshifter Lab、Don Pedro(2015年)
クリス・ピッツイオコス『Gordian Twine』(2015年)
ドレ・ホチェヴァー『Collective Effervescence』(2014年)
ウィーゼル・ウォルター+クリス・ピッツイオコス『Drawn and Quartered』(2014年)
クリス・ピッツイオコス+フィリップ・ホワイト『Paroxysm』(2014年)
クリス・ピッツイオコス『Maximalism』(2013年)

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林ライガ vs. のなか悟空@なってるハウス

2017-02-20 07:57:37 | アヴァンギャルド・ジャズ

入谷のなってるハウスにて、「<出る杭は折れ!茶髪は嫌いだ!>年齢差48歳 林ライガ vs. のなか悟空」(2017/2/19)。

何だそれはと好奇心に抗えず足を運んだ。扉を開けてみると、ライガくん(18歳)は茶髪どころか赤髪。ということは、のなか悟空さんは66歳なのか。いやー竹の切り過ぎで肩が凝って、と、カッコいいことを言っておられた。

林ライガ (ds)
のなか悟空 (ds)
森順治 (as, bcl, fl)
大由鬼山 (尺八)

はじめは林+森。林さんのドラムスは研いだばかりの刃物のようで、やけに生々しく重い。森さんのシームレスで柔軟なアルトと見事にもつれた。

次に、のなか+大由。のなかさんのドラムスは対照的で、エアも含め、蓄積したさまざまなビートを発酵させて繰り出してくる。尺八を4本揃えた大由さんも荒々しさと幽玄さとのレンジの広さが凄い。

そしてセカンド・セットではついに林 vs. のなか。シンバルを倒し飛ばし、サングラスを落としそうになる勢いである。対決というより恍惚の昇華。さらにふたりが入り(疲弊したのなかさんが呼んだ)、恍惚感はさらに増していった。のなかさんはトイレに入って叩き、客席で叩き、多彩な技を繰り出した。

なんでも、林さんが14歳のときに家に来たのだが、自分よりすでに上手く、教えることはないと言ってボンカレーをご馳走したのだとか。よくわからないがいい話である。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●参照
リアル・タイム・オーケストレイション@Ftarri(2016年)
森順治+高橋佑成+瀬尾高志+林ライガ@下北沢APOLLO(2016年)
本多滋世@阿佐ヶ谷天(2016年)
M.A.S.H.@七針(2016年)
森順治+橋本英樹@Ftarri(2016年)
M.A.S.H.@七針(2015年)
のなか悟空&元祖・人間国宝オールスターズ『伝説の「アフリカ探検前夜」/ピットインライブ生録画』(1988年)  

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小泉定弘『明治通り The Meiji Dori』

2017-02-19 11:38:06 | 関東

小泉定弘さんの写真集『都電荒川線 The Arakawa Line』と、『隅田川 The Sumida』にサインをいただいたとき、写真集が三部作であり、それは実は重要なメッセージを含み持つことを告げられ仰天した。つまり、「都電荒川線」が12キロ、「隅田川」が23キロ、そして「明治通り」が33キロ。このようなコンセプトを平然と使い語る小泉さんは何者なのか。

そんなわけで、ようやく、残る『明治通り The Meiji Dori』(1988年)を入手できた。

言うまでもなく明治通りは環状道路であり、大正の東京市における都市計画の一環として開発された。1921年に着工され、そして1932年には「大東京都の中間部環状線」の名称が募集されている。審査結果として残った名称は「明治通」と「環城通」。しかし昭和通と大正通があって明治通がないという理由で採択されたという。

この写真集は、明治通りの端から端までをひたすら撮った作品集である。わたしなどは自動車を運転しないから、駅を中心に場所や風景を認識する。そのような蟻の眼でも、古いものと新しいものとが混在することを見出すことができるのが、東京の面白さである。

一方、このように高いところにのぼって道路の流れを俯瞰する眼で見ても、やはり、古いものと新しいものとが混在している。一見、いまの東京と変わらない。しかし、馴染みのある場所をじろじろ見ると、変わるところは変わっている。渋谷なんてその典型であり、この写真にある渋谷は、わたしが上京してきたころの風景だ。勅使河原宏『他人の顔』に登場する渋谷はもっと古く、ぜんぜん違う。

 

ちょうど町屋で飲み食いする機会があったので、新三河島の歩道橋から撮られた風景と同じところをスマホに記録した。変わらないように思えて、実はかなり変わっている。それなりに大きなビルが建ち、また、阪神淡路大震災以後だろうか、京成線の高架の補強工事がなされている。30年近く経っているのだから当然である。一方で、新三河島駅のホームやパチンコ店など、まったく同じように見える。


写真集(1988年)


現在(2017年)

●参照
小泉定弘写真展『漁師町浦安の生活と風景』
小泉定弘『都電荒川線 The Arakawa Line』
小泉定弘写真展『小さな旅』

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ジェレミー・ペルト『Make Noise!』

2017-02-19 10:27:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジェレミー・ペルト『Make Noise!』(High Note、2016年)を聴く。

Jeremy Pelt (tp)
Victor Gould (p)
Vincente Archer (b)
Jonathan Barber (ds)
Jacquelene Acevedo (perc) 

このところ、ジェレミー・ペルトは普通のジャズ・フォーマットに回帰し集中しているように見える。本盤もクインテットというべきか、カルテット+パーカッションというべきか。

ただ、『Tales, Musings and other Reveries』(2014年)やそれに先立つSMOKEでのライヴ(2014年)でもみられたように、きっと、打楽器をふたりとして強烈で複雑なビートを創りだし、その上で堂々としたトランペットを吹く路線の継続でもある。このビートが聴く者をボディブローのように攻める。聴けば聴くほど快感を覚える。

それもペルトの力強い剛球があってのことである。どこかで、ペルトはまろやかな音色で聴かせるトランぺッター云々と書いてあったが、とんでもない。ライヴを観れば、球の重さに驚くことだろう。

●ジェレミー・ペルト
ジェレミー・ペルト『#Jiveculture』(2015年)
ブラック・アート・ジャズ・コレクティヴ『Presented by the Side Door Jazz Club』(2014年)
ジェレミー・ペルト『Tales, Musings and other Reveries』(2014年)
ジェレミー・ペルト@SMOKE(2014年)
ジャズ・インコーポレイテッド『Live at Smalls』(2010年)
ジェレミー・ペルト『Men of Honor』(2009年)
ルイ・ヘイズ『Dreamin' of Cannonball』(2001年)

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寺下誠『Great Harvest』

2017-02-17 23:12:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

寺下誠『Great Harvest』(テイチク、1978年)を聴く。

Makoto Terashita 寺下誠 (p)
Bob Berg (ts)
Errol Walters (b)
Jo Jones Jr. (ds)
Yoshiaki Masuo 増尾好秋 (g) 

時代なのか、影響なのか、寺下さんのピアノはマッコイ・タイナーを思わせる。新宿ピットインにおいてエルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシーンの一員として寺下さんが弾いたのを観たときも、そう思った。独特の和音を次々に重ねながら、熱く前に進むピアノである。

しかし、本盤を聴くと、それに加え、<日本>的なテイストを感じざるを得ない。余裕や懐の深さもあって、ついニッコリ。

わたしが過去に通っていた学校では、よく待合室で愉快な話をされていた(公園でサックスを練習している若者がいて、つい良いねえと声をかけちゃったよ、とか)。また、年に1回の発表会セッションでは、わたしが吹く後ろでピアノを弾いてくださった(自分が吹くのに精一杯でよく覚えていないが)。

ああ、ライヴに行きたくなった。

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『宮沢賢治コレクション2 注文の多い料理店』

2017-02-17 21:43:16 | 東北・中部

『宮沢賢治コレクション2 注文の多い料理店』(筑摩書房)を読む。

どこかで筒井康隆が書いていたと記憶しているのだが、「注文の多い料理店」における、「二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。」という表現の際立った肉感性。ルイス・ブニュエルを思い出すまでもなく、食べることはエロチックであり、食べられるとなればなおさらである。しかも、大の男ふたりが、である。「一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。」というラストシーンも、滑稽であり、かつ怖ろしくもあり、宮沢賢治の凄さを感じざるを得ない。

ところで、面白いことに、他の短編でも賢治は同じような表現を使っていることに気が付いた。大傑作「寓話 猫の事務所」でも、みんなに厭われている「かま猫」(寒くてかまの中で寝るからである)も、足を腫らしてしまい「泣いて泣いて泣きました」。「朝に就ての寓話的構図」では、蟻の子供たちが「笑って笑って笑います」。否応なく喜怒哀楽の心を持ち上げてくれる、たいへんな力である。それでも泣く5連発の「注文の多い料理店」の破壊力がいちばんである。

人びとと森とが当然のように呼応する「狼森と笊森、盗森」。夜中の透明感ある夢のような「鹿踊りのはじまり」。電信柱などに人格を持たせおおせた「シグナルとシグナレス」。静かにウットリと語るだけになおさら怖ろしい「オツベルと象」。音が聴こえるようで、齋藤徹さんがバッハを弾いていたときにその風景とシンクロした「ざしき童子のはなし」。つげ義春が描く辺境のような「泉ある家」。

少年時代に読んだもの、最近思い出したように読んだもの、はじめて触れるものなどがある。そのどれもが味わい深く、ときにギョッとさせられ、またときにほうとため息を吐かされる。

●宮沢賢治
『宮沢賢治コレクション1 銀河鉄道の夜』
横田庄一郎『チェロと宮沢賢治』
ジョバンニは、「もう咽喉いっぱい泣き出しました」
6輌編成で彼岸と此岸とを行き来する銀河鉄道 畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』
小森陽一『ことばの力 平和の力』
吉本隆明のざっくり感

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ラファル・マズール+キア・ニューリンガー『Diachronic Paths』

2017-02-17 21:02:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

ラファル・マズール+キア・ニューリンガー『Diachronic Paths』(Relative Pitch Records、2013年)を聴く。

Keir Neuringer (as)
Rafal Mazur (bass g)

ニューリンガーのサックスとマズールのベースギターとのデュオ。単なるストイックな即興のぶつかり合いではなく、また、どや顔での技術のショーケースでもない。各々がソロ・パフォーマンスを展開しながら、相手のことも常に気にかけているような、不思議な感覚である。

とくにニューリンガーについて、曲によってみせる貌の違いが面白い。「Second Path」では割れた音によるマルチフォニック・サウンド。「Third Path」では循環呼吸。「Fifth Path」ではエチュードにも聴こえる執拗な繰り返し。「Sixth Path」ではささくれた底辺での蠢き、ときに顔を出す傾奇者。

そして、マズールのベースギターがこれ見よがしでない闊達さであり、常に追求というものを思わせる。

半年以上前に「JazzTokyo」誌のコラムを翻訳しておきながら、そのレビューに耳と脳とが引っ張られるのではないかと思い、いままで聴かずにいた。あらためて、ジョン・モリソン(フィラデルフィアのDJ・プロデューサー)による文章を読みかえしてみると、確かに納得できる。

●参照
「JazzTokyo」のNY特集(2016/7/1)

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本田竹広『I Love You』

2017-02-16 23:39:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

本田竹広『I Love You』(TRIO、1971年)を聴く。

Takehiro Honda 本田竹広 (p)
Yoshio Suzuki 鈴木良雄 (b)
Hiroshi Murakami 村上寛 (ds)

 『The Trio』と『This Is Honda』に挟まれた作品。またこの数年後には『本田竹曠の魅力』も出されている。それらすべてと同様に本盤も傑作。

「Willow Weep For Me」の気怠く揺蕩うブルース。長い「Here's That Rainy Day」では頻繁にギアチェンジを行い、ピアノトリオでありながらフルコースを供する。また「I Love You」では華麗にスイングしたりもする。

村上寛のドラムスはスマートな戦闘機のようで目が覚める。

●参照
本田竹広『BOOGIE-BOGA-BOO』(1995年)
本田竹広『EASE / Earthian All Star Ensemble』(1992年)
本田竹広『This Is Honda』(1972年)
本田竹広『The Trio』(1970年)

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ジェン・シュー『独儀:七つの息』@KAAT神奈川芸術劇場

2017-02-15 23:07:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

KAAT神奈川芸術劇場において、『独儀:七つの息』と題されたジェン・シューのソロ・パフォーマンスを観る(2017/2/14)。

Jen Shyu (vo, dance, instruments)

ジャズ・リスナーにも見えないオーディエンスはどのような人たちなのだろう、日本人はむしろ少なかった。その多民族・多国籍な様子が、シューのパフォーマンスに相応しいようにも思えた。

ステージ上には、台湾の丸いリュート、韓国の琴、ピアノ、ジャワの赤い布などが置いてある。シューはそれらを使い、アジアの湿気が感じられるような物語を、弱弱しくも力強くもある声により、多言語で展開した。英語はわかっても他のことばは皆目わからない。韓国のパンソリは、盲目の男が娘と再会する物語のようであった(シュー自身が、パフォーマンスの途中で休憩を挟み、何を隠すこともないように説明した)。彼女のルーツは東ティモールと台湾である。おそらくパンソリは伝統という観点での「本物」ではない。そうなれば他の言語と文化によるパフォーマンスも「本物」かどうかわからない。

しかし彼女のパフォーマンスを魅力的なものにしているのは、そのような伝統の相伝ではなく、広いアジアを自身の裡に取り込み、表現として吐き出すという、越境性と個人性なのだった。

●参照
ジェン・シュー『Sounds and Cries of the World』(2014年)

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清水ケンG『Bull's Eye』

2017-02-14 08:00:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

清水ケンG『Bull's Eye』(Noke Jazz、1996年)を聴く。

Kenji Shimizu 清水ケンG (ts)
Shunji Murakami 村上俊二 (p)
Satoshi Kawasaki 川崎聡 (b)
Shoichi Takayama 高山昌一 (ds) 

わたしはこの前作の『The Reason』を当時聴いたのみだから、随分と久しぶりだ。

ちょっと香りのある音で前へ前へと吹き進むテナーは、スタイリッシュでもあり、ビリー・ハーパーを思わせる。ぜひナマで観たいものだ。気が付いたら清水ケンGさんはケンG、そして清水賢二さんに改名されている。山口や福岡で活動しつつ、ときどきは関東にも来ているようであり、次の機会をねらうことにしよう。

サウンドには、Sun Shipとも共通する愁いと熱さとがあって、実際に、Sun Shipの村上俊二と川崎聡がここでも参加している。村上さんのピアノは、散弾銃か撒き菱のようにばばばばばと音を散らして奔流を創りだす感覚で、とてもいい。

●参照
Sun Ship@大塚Welcome back(2016年)

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伊藤智永『忘却された支配』

2017-02-13 23:18:04 | 韓国・朝鮮

伊藤智永『忘却された支配 日本のなかの植民地朝鮮』(岩波書店、2016年)を読む。

日本による朝鮮の植民地支配時代、多くの朝鮮人が実態的に強制労働させられた。実態的に、というのは、最初(1939年-)は企業の「募集」という建前だったが、その実は、朝鮮総督府のもとで警察組織が強制的に多くの者を連れていったからである。この制度はやがて建前が内実に合わせて「官斡旋」に変えられている(1942年-)。(このあたりの実状は、外村大『朝鮮人強制連行』に詳しい。)

そのうち少なくない者が厳しい差別的な職場で働かされた。結果として多くの死者が出て、また、そのことは郷里にも知らされず、ろくな埋葬もされず、死んでからも差別された。

本書の表紙にある山口県宇部市西岐波の長生炭鉱はそのひとつである。ふたつの通気口の間にある坑道の事故により、183人が生き埋めになった。犠牲者の4分の3は朝鮮人労働者であったという。ここはわたしの故郷の近くだが、暮らしていたころには、事故のことも朝鮮人労働者のこともまったく知らなかった。長い時間が経ったからばかりではない。視えない構造ができあがっているのだ。

地元の人びとや、研究者たちが、それぞれの場所において、地道な活動によって実態を追及してきた。そのような中で目立つ言説は、たとえば、「みんな同じ日本人であった、差別などなかった」とするものや、「かれらの貴い犠牲が発展の礎になった」とするものなどであった。しかし実態として犠牲のかたちには大きな差が出ている。また、亡くなった者には、「貴い死」などを選ぶ自由も、「礎」になることを選ぶ自由もなかった。これは一方的な物語なのである。

いくつか気になることや心にとめておくべきことがあった。

●福岡県桂川町の麻生(吉隈)炭鉱。この跡地には無縁墓地があり、500体あまりの遺骨の3分の1が朝鮮人労働者のものであった。つまり日本人との共同墓地であった。しかしこのことが明るみに出た1985年当時、ほとんどが朝鮮人労働者の遺骨だとのセンセーショナルな報道がなされた。慰安婦証言の「吉田証言」によって歴史の姿を極端(大袈裟)から極端(無かったことにする)へとねじまげた吉田清治氏が、ここにも絡んでいた。吉田氏に騙されたことについて、林えいだい氏はひどく悔やんでいるという。林氏の活動を取り上げた映画(西嶋真治『抗い 記録作家 林えいだい』)でも、約500体の遺体は主に朝鮮人労働者だと説明していたと記憶しているのだがどうだろう。

●三重県熊野市の紀州鉱山。ここには、タイとビルマの間を結ぶ泰緬鉄道の建設のために酷使されたあとの英国人捕虜が連れてこられていた。かれらは全員、刻銘された墓に弔われている。連合国側の心象を良くするためであったとも言われているようだ。その一方で、仲間であったといいながら朝鮮人労働者については通名しかわからず故郷も判明していなかったりもする。ここにも差別があった。(ところで、泰緬鉄道の建設現場においても、植民地出身者が戦犯として差別される姿が、内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』李鶴来『韓国人元BC級戦犯の訴え』に書かれている。)

●なお、同市において、関東大震災直後のデマによる朝鮮人虐殺事件(加藤直樹『九月、東京の路上で』など)があったわずか2年後に、ちょっとしたきっかけで「仕返しにダイナマイトでやられるぞ」とデマが飛び、同じ構造による朝鮮人虐殺事件が起きている。

●日清戦争(1894年-)のはじまりは、朝鮮の農民戦争(かつては「東学党の乱」と矮小化されていた)に対する近代兵器での虐殺であった。日本側の戦死者はわずかに1人。その1人でさえ、歴史の修正のために、清国との戦いで亡くなったという改竄がなされた(中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』井上勝生『明治日本の植民地支配』に詳しい)。しかし、その証拠は、高知市にある軍人の墓石に残されていた。

●参照
西嶋真治『抗い 記録作家 林えいだい』
奈賀悟『閉山 三井三池炭坑1889-1997』
熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』
熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』
上野英信『追われゆく坑夫たち』
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
本橋成一『炭鉱』
勅使河原宏『おとし穴』(北九州の炭鉱)
友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』
本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(九州の仮想的な炭鉱)
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』
石井寛治『日本の産業革命』
内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』
李鶴来『韓国人元BC級戦犯の訴え』
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』
泰緬鉄道
罪は誰が負うのか― 森口豁『最後の学徒兵』
大島渚『忘れられた皇軍』
スリランカの映像(10) デイヴィッド・リーン『戦場にかける橋』(泰緬鉄道)
服部龍二『外交ドキュメント 歴史認識』
波多野澄雄『国家と歴史』
高橋哲哉『記憶のエチカ』
高橋哲哉『戦後責任論』
外村大『朝鮮人強制連行』
井上勝生『明治日本の植民地支配』
中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』
小熊英二『単一民族神話の起源』
尹健次『民族幻想の蹉跌』
尹健次『思想体験の交錯』
『情況』の、尹健次『思想体験の交錯』特集
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
『世界』の「韓国併合100年」特集

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照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』@船橋きららホール

2017-02-13 22:17:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』のレコ発ライヴがはじまった。その最初の演奏を観るために、船橋きららホールに足を運んだ(2017/2/12)。

Hisaharu Teruuchi 照内央晴 (p)
Chihaya Matsumoto 松本ちはや (perc)

このような即興演奏がホールで行われることはそんなにはないだろう。しかし結果として、遠すぎず近すぎず、いい間合いと響きのもと、ふたりの演奏家の身ぶりや息遣いのようなものを感受することができた。オーディエンスの中には、地元の学校の生徒さんたちがたくさんいた。そのうち何人かは、たいへんな刺激を受けたに違いない。

それにしても、松本ちはやの彩り豊かなパーカッションの数々。楽器から放たれる音響にもそれぞれ個性がある。兆しを提示する楽器。はじめから終わりを内包する楽器(たとえば銅鑼は響く前から減衰することがわかっている)。跳躍する楽器。安定をもとめる楽器。それらが松本ちはやというパフォーマーと共犯関係を築く。

相手に立ち向かってゆく楽器もある。演奏の途中、ある時点において何かが決壊し、照内央晴のピアノと松本ちはやのパーカッションとが激しく干渉し合い、次々に時空が折りたたまれてゆくイメージを幻視した。

●参照
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』(JazzTokyo)(2016年)
照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」@喫茶茶会記(JazzTokyo)(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)

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永武幹子@本八幡cooljojo

2017-02-12 22:55:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のcooljojoに足を運び、永武幹子トリオ(2017/2/12)。

Mikiko Nagatake 永武幹子 (p, vo)
Kosuke Ochiai 落合康介 (b)
Masatsugu hattori 服部マサツグ (ds) 

凝っていて愉快なオリジナルが多かった。「God Has 12 Fingers」では12拍子。「I'm Just Awake」ではモンクも思わせるようなちょっととぼけた感じ。谷川俊太郎の詩に曲を付けたという「だって」は、言葉遊びが音遊びになっていって面白かった。スタンダードも面白い。「I Wish I Knew」や「Out of Nowhere」では展開がひねってあって、また、「Time After Time」では旋律を大事に弾いていてとてもよかった。

一聴アクロバチックなのに多幸感がある音楽。ベースの落合さんは柔軟、ドラムスの服部さんはシャープ。

いただいたスケジュールによれば、植松孝夫さんや増尾好秋さんといった大ヴェテランとも組んでいる。どこかでまた観ることにしよう。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

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赤羽ではじめて降りた

2017-02-12 09:38:25 | 関東

『山田孝之の東京都北区赤羽』が滅法面白かったこともあり、また「散歩の達人」誌の北区特集で気分が盛り上がっていたこともあり、Nさんと赤羽で呑むことにした。わたしにとってははじめての街である。駅前には「赤羽馬鹿祭り」なる祭りの看板。

まずは「シルクロード」なる商店街を歩いてみると、冗談のようにどの店も賑わっている。最初に行こうとした立ち呑みの「丸健水産」など、まだ18時だというのに、たいへんな行列ができている。

そんなわけで、第二候補の立ち呑み屋「いこい」に足を運んでみたところ、やはり気持ちよさそうに飲んでいる人たちで溢れかえっている。しかし、ちょうど飲み終えた人が出てくるところでスペースができた。ここのシステムは「キャッシュ・オン・デリバリー」、つまりカウンターにおカネを置いておくと、注文するたびにお店の人がその分を持っていく方法。それにしても、ポテサラ110円、あじのなめろう180円などすごく安い。


興奮して指が写った

つぎに、『山田孝之の東京都北区赤羽』にも登場したワニダさんが経営する「ワニダ2」に行ってみたのだが、まだ19時前、開いていない。それまでどこかで飲んでいようと思い、「OK横丁」あたりを歩いていると、渋いスナック的な居酒屋があったので入ってみた。ところがここが怖ろしい店で、ママは不機嫌そのもののような表情。ふと顔を上げるとマジ顔で「早く飲んで!」と吐き捨てるように言われてしまった。もう早々に退散。

ふたたび「ワニダ2」に戻ってみたが、まだ開いていない。近くのお店の人なのか、常連さんなのか、ワニダさんと知り合いの人たちが親切にもワニダさんに電話をかけてくれたりした。あと10分、15分というわりにはいつまでも登場しない(なんでも朝8時まで飲んでいたからだそうである)。そのうちに見目麗しきふたり組が、わたしたちと同様にまだ開いていないのかと現れた。近くのお店で時間をつぶそうにも、どこも満員。仕方なく、一緒に寒い中をしばらく待っていたら、ようやくワニダさんが自転車でやってきた。

やっと店内。エアコンは壊れていて冷たい風を吹きだしている(膝が寒い)。そのうちに常連さんとも打ち解けてきて、いい雰囲気になった。ワニダさんは気さくという以上の迫力を発散していた。残念ながら、「シネバイイノニ」というフレーズは聞えなかった。料理は作らないよという割には、頼んだらあっさりと卵焼きとカレーを作ってくれた。

ああ愉しかった。赤羽は予想を大きく上回る盛り上がりぶりである。やはり漫画とドラマの効果なのか。浦安にもこの力を少し分けてほしい。


ヘンなものを押してみたが呼び鈴ではなく、なんだかべたべたしていた(興奮してピンボケ)


ワニダさんはピンク色のメニューも大声で連呼していた

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