A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

Cookie Scene/Summer Of Love@Dommune 2011.6.22(wed)

2011年06月24日 01時44分38秒 | 懐かしき想い出

Summer Of Loveというと1960年代末にサンフランシスコ中心に花開いたサイケデリック/フラワー・パワーのムーヴメントだが、1980年代末~1990年代初頭にイギリス・マンチェスターを中心にSecond Summer Of Loveというムーヴメントが巻き起こった。

伊藤英嗣氏が編集する雑誌「クッキーシーン」から『Cookie Scene Essential Guide: POP & ALTERNATIVE 2011』というムック本が発行された記念にDommuneでSecond Summer Of Loveを振り返るトークショーがストリーム放映された。出演は伊藤英嗣氏、久保憲司氏(フォトグラファー&ライター)、岡村詩野氏(音楽ライター)、杉田元一氏(元What's In Es編集長)。当時一緒にツルんでいた仲間なので懐かしく拝見した。1980年代前半6年間イギリスに在住し、その後も何度も渡英して現地の生のミュージック・シーンを吸収した久保氏の話が面白い。エクスタシーをはじめとするドラッグ事情、レイヴ・パーティーの裏話、当時のミュージシャンの素顔などが映像・音源を交えて披露された。遠い日本で「おマンチェ・ブーム」に浮かれ騒いだことが懐かしく思い出された。ストーン・ローゼズ、プライマル・スクリーム、ブラーなどシーンの立役者的バンドだけではなく、フラワード・アップ、スープ・ドラゴンズなどB級バンドにも言及されたのが嬉しかった。

Eキメて
踊り明かした
夏の夜

先日の「NEWSWAVE Night」に続いてUKロックに浸った夜だった。
















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80's New Waveの饗宴~NEWSWAVE Night@新宿Be-Wave 2011.6.19(sun)

2011年06月21日 00時52分27秒 | 懐かしき想い出

1980年代後半に音楽評論家の小野島大さんが編集していたミニコミ「NEWSWAVE」はパンク以降のニューウェイヴの専門誌として一部のファンには高い支持を得ていた。その名を冠したクラブ・イベントが開催されたので顔を出した。

1990年代ブリットポップ全盛の頃は結構クラブ・イベントに通い、DJもしたりしていたのだが、ブリットポップが下火になると共に自然にクラブから足が遠のき、特にタバコをやめて以来、煙が立ち込めるクラブの空間が苦痛になってしまった。しかし今回は「祝PIL、ポップ・グループ、シスターズ来日! 伝説のNEW WAVE Partyが復活!!!オトナに優しい夕方開始、終電前終了のイベントです。」ということで、また小野島さんや久保田稔人氏、杉田元一氏などDJ陣には昔お世話になったこともあり久々に出かけた次第。歌舞伎町のど真ん中にある地下のクラブで、平均年齢35歳くらいの男女で結構盛り上がっていた。80'sニューウェイヴ満載でしばし懐かしさに浸った。

エイティーズ
チョット恥ずかしい
青春時代

PILとポップ・グループを観にサマソニに行くかどうかはまだ検討中である。
















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タコ(山崎春美)にまつわる回想

2011年03月26日 01時43分54秒 | 懐かしき想い出
1980年代前半山崎春美が率いたプロジェクト、タコの2作のアルバムが紙ジャケ再発された。ピナコテカ・レコードの1stのアナログLPと1990年代半ばに北村昌士氏のSSEレーベルからブートレッグ発売された「タコ大全」を持っているのだが、今回は山崎春美さんとEP-4の佐藤薫さんの監修で新マスタリング/特別解説付というので購入。Disk Union特典の収納ボックスが付いてきた。

1982年に一浪の末大学に入学した私(歳がばれるね)の先輩にプログレ/サブカル雑誌「Marquee Moon」(現在の「Marquee」)に寄稿していた榎本リュウイチさんという人がおり、彼の紹介で吉祥寺ぎゃていにバイトの職を得た。榎本氏は大学の自治会だか企画団体に属しており、その年の学園祭でいくつかの企画を計画した。

ひとつはギズム、ガーゼ、エクスキュート、アレルギー等のハードコア・パンクのオールナイト・ギグ。例によって教室の窓ガラスは全部割られ、消火器がぶちまかれて機材が泡だらけになった。私が貸したギター・アンプも錆びて使えなくなってしまった。弁償しろ!と憤ったが怖くて言い出せなかった。

もうひとつが吉祥寺マイナー関連のアーティストによるライヴである。十時劇場に出演していた人たちが7,8人出演したが、記憶が曖昧で、白石民夫さんがリズム・ボックスにのせてサックスのマウスピースを取り替えながらキーキーとフリークトーンを出していたのは覚えているが、他に誰が出演したのか定かではない。多分篠田昌已さん、石渡明廣さん、佐藤隆史さん、風巻隆さん、工藤冬里さん辺りだと思う。灰野さんがいなかったことは確かだ。ライヴの後に連続企業爆破事件で知られる東アジア反日武装戦線の情宣ビデオを観せられ鼻白んだ覚えがあるから、何か政治的背景のあるイベントだったのかもしれない。そこに恐らく山崎春美さんも出演していた筈である。タコとしての出演ではなくソロかセッションだった。

私はそのイベントの始まる前の昼間に、Nullの二人=岸野君(g)と岡野さん(vln)、即興道場で知り合った高校生のトランペッターと共にサックスで1時間ほどセッションした。私の両親以外に観客は居なかった。

また田中泯さんの「舞塾」が大学講堂前の広場で局部を隠しただけの白塗りの裸でパフォーマンスを行い(これも榎本さんの企画だったか?)今思うと不思議な学園祭だった。

以降私はぎゃていでカウンターのバイトおよびOther Roomとしてライヴ活動を続けたが、同年秋の山崎春美さんの自殺未遂ライヴにショックを受け、少しずつこの世界から足が遠のいて行った。タコのライヴは観たことはないが、春美さんの痙攣パフォーマンスはぎゃてい時代に何度も観ているし、彼はぎゃていの企画ミーティングにも参加していたと記憶している。因みに当時は春美さんに関わらず痙攣パフォーマンスが何故か流行っていた。

タコのLPが発売されたのは自殺未遂ライヴの前だったか後だったか覚えていない。いずれにしろ発売当時に新品で買ったのではなく、暫くしてから大学生協のバーゲンで購入した。坂本龍一が天皇の玉音放送を真似る「な・い・しょ・の・エンペラーマジック」や歌詞がシュールな「人捨て節」「嘔吐中枢は世界の源」などは、アングラ音楽に興味のない友人に聴かせても面白がられたものだ。

今回の再発は丁寧なジャケットの再現と興味深い解説(香山リカさんや野々村文宏氏、佐藤薫さん等が執筆)は素晴らしいが、肝心の音がマスターではなく盤起こしなのがチョット寂しい。

その昔
タコというバンドが
あったとさ

丁度今、大里俊晴さんの著作集「マイナー音楽のために」を読んでいる途中だからタイミングが良い。


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オーネット・コールマン「ロンリー・ウーマン」の追憶

2011年03月17日 00時20分00秒 | 懐かしき想い出
坂田明さんや大友良英氏が最新アルバムでオーネット・コールマンの「ロンリー・ウーマン」を採り上げている。坂田さんのライヴには最近3回連続で通ったが、毎回この曲を演奏してくれた。

元々この曲は1959年にオーネット・コールマンがドン・チェリー(tp)、ビリー・ヒギンズ(b)、チャーリー・ヘイデン(ds)からなる2ホーン・カルテットで発表した、フリージャズの萌芽といわれる傑作アルバム「ジャズ来るべきもの(The Shape Of Jazz To Come)」の一曲目に収録された曲で、美しいメロディと、意図的な不協和音が不思議な味を醸し出し、オーネットの初期の代表曲とされている。私は大学生の頃このLPを購入し、その革新的なサウンドにすっかり参ってしまった。その後自分でサックスやギターでこの曲をカヴァーしたりもした。

日本ジャズ界の大御所ギタリスト高柳"JoJo"昌行さんがタイトルも「ロンリー・ウーマン」という秀逸なソロ・ギター・アルバムを1982年に発表している。私は同時代にこのLPを聴き、ストイック極まりないJoJoさんのプレイに衝撃を受け、どんどんフリージャズの深みに嵌まっていった。その頃大学の生協で年2回中古レコード・セールが開催されていた。500円均一コーナーにかなりのレア盤がゴロゴロしていた。何故かフリージャズ系が充実しており、ESP DISKの諸作、デレク・ベイリーやグローブ・ユニティ・オーケストラ、EEUやニュージャズ・シンジケイトの自主制作盤など貴重なレコードをたくさん購入した。多分セールの主催者がこの辺の音楽についての知識が無かった為の値付けだったのだと思う。

その頃、荻窪グッドマンの即興道場(参加者が楽器持参でセッションする)で出会った高島君というジミヘンとジャンゴ・ラインハルト好きのギタリストと私のサックスのデュオで「Other Room」というユニットを組んで吉祥寺ぎゃていでライヴ活動を始めた。ちなみに同じ日の即興道場で知り合ったのがZENI GEVAのK.K.Null=岸野一之君である。岸野君はヴァイオリンの岡野さんという人とデュオを組み「Null」として活動するようになる。「Other Room」はフリージャズやアヴァンギャルド・ロック、民俗音楽などのごった煮ユニット、はっきりいえばメチャクチャ・サウンドで、現インキャパシタンツの小堺文雄氏とセッションしたこともあったが、1980年代半ばには活動を停止した。そのまま続けていれば別の道が開けたのじゃないかな、と思うこともある。

そんなことが「ロンリー・ウーマン」の哀しげなメロディーを聴く度に頭の中に蘇る。そういった意味ではこの曲は私の個人的な「追憶のハイウェイ61」なのである。

半世紀
昔の曲が
今語る

こんな時だからこそ平時の感覚でブログを書いてみました。ライヴ/CDリリースが次々に中止・延期になる中、このブログで少しでも鬱憤を晴らしたいと思います。

Ornette Coleman - Lonely Woman


masayuki takayanagi - lonely woman


Otomo Yoshihide - Lonely Woman (Quintet)




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近藤等則さんの思い出

2011年03月10日 00時47分15秒 | 懐かしき想い出
一昨夜Dommuneで「Tokyo Rotation東京回転」特集をやっており、METHOD OF DEFIANCE=ビル・ラズウェル+近藤等則+山木秀夫+DJ Krushが出演、スタジオ・ライヴを披露したらしい。
残念ながら私は演奏には間に合わなかったが、その後の近藤さんの「地球を吹く」特集を観れた。これは近藤さんが世界中の秘境を旅して、そこで大自然との共演を行なうという壮大な企画である。
地球を吹くHP

近藤等則さんは1970年代日本のフリージャズ・シーンを代表するトランペッターで、山下洋輔さんや浅川マキさんなどのアルバムに参加している。1978年には渡米し様々なミュージシャンと共演、デレク・ベイリーのカンパニーやミシャ・メンゲルベルクのICPオーケストラに参加してもいる。

1980年代前半には海外のフリージャズ・ミュージシャンの招聘を行い、今は無き法政大学学生会館ホールでライヴを数多く企画していた。私も何度か観に行ったのだが、ペーター・ブロッツマン(ts,ss)やトリスタン・ホンジンガー(cello)、ポール・ラザフォード(tb)などが出演したのを覚えている。また1982年にはミシャ・メンゲルベルク&ICPオーケストラの初来日公演にも参加、海外の兵達の向こうを張って孤軍奮闘していた。私はこの頃のライヴを熱心にカセットで録音したものだった。そのカセットは今は何処へ行ったか分からないが・・・。

1980年代半ばには「近藤等則 & IMA」を結成、フリクションのレック氏も参加し、硬質なファンク・ジャズを展開した。
1997年から「地球を吹く」を開始、現在もジャンルを超えた音楽活動をしている。

実は私は一度近藤さんを引っぱたいたことがある。混雑した井の頭線の列車の中でたまたま同じ車両になり、私が降車するときに吊り革を掴んでいた手が偶然に近藤さんの頭にぶつかったのだ。「スミマセン!」と謝ったものの、近藤さんの苦々しげな顔が忘れられない。

近藤さん
EEUを
聴いてます

EEUとはEvolutional Ensemble Unityの略で、1970年代後半近藤さんが高木元輝さん(ts)、吉田盛雄さん(b)と組んでいたフリージャズ・ユニット。間章さんの肝いりで"ジャズの新しい地平"を目指す活動をしていた。






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ゆかりちゃんのこと

2010年12月23日 01時02分43秒 | 懐かしき想い出
小学校低学年の頃、同級生のゆかりちゃんという女の子とよく遊んでいた時期があった。ジャリン子チエのような男勝りの活発な性格の子だった。

彼女の家はちょっとした山の中腹にある一軒家で、遊びに行ってはかくれんぼや鬼ごっこをしたものだ。不思議と他の友達が一緒だったという記憶はない。ゆかりちゃんと私の二人きりで遊んだのであろうか。

学校の授業で仲の良い友達をひとり選んで作文を書く機会があった。私は迷わず「ゆかりちゃんのこと」という作文を書いた。しかし彼女は私のことは書かなかった。幼い頃でも異性のことを書くのは気が引けたのだろうか。ちょっと傷ついた想い出がある。
その後クラスが別になり、自然と彼女と遊ぶこともなくなってしまった。私は小5で転校してしまったので二度とゆかりちゃんに会うこともなかったけど、今頃何をしているのかふと思い出すことがある。

幼き日
遊んだ想い出
懐かしく

苗字は覚えていない。
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パチンコ

2010年06月10日 00時22分37秒 | 懐かしき想い出
最近パチンコ/パチスロについてのネット・アンケートが多い。

自慢じゃないが私はパチンコ屋には今まで5回くらいしか行ったことが無い。パチスロなんて触ったことも無い。
それでも適当に答えておけばアンケートでポイントが稼げる。

パチンコ屋の何が嫌かというとあの欲望の塊のような軍艦マーチともうもうとしたタバコの煙である。最近は禁煙フロアなんかあるのかもしれないが、どうも入り辛い。何より私は賭け事が苦手なのだ。

パチンコというと子供の頃に駄菓子屋にあったパチンコ台を思い出す。鄙びた店先に申し訳なさそうに鎮座していたそのパチンコ台はフィーバーすることも無く、たまに遊んでもらうと嬉しそうな音を立てて玉を吐き出したものだ。

パチンコと
パチスロは何処が
違うのか

今でも駄菓子屋にはパチンコ台が置いてあるのだろうか。
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ヤング・ミュージック・ショー

2010年05月16日 01時57分23秒 | 懐かしき想い出
1970年代に青春を過ごしたロック・ファンならきっと覚えている筈のNHKのロック番組「ヤング・ミュージック・ショー」。

MTVなどまだ無い時代に、ロック・ミュージシャンのライヴ演奏を1時間近く放映する画期的な番組だった。当然ゴールデンタイムでは無く平日の夕方の中途半端な時間に放映された。しかも不定期、というかゲリラ的なペースで放映され、たまたまNHKでの告知か新聞のテレビ欄で見つけない限り観ることは出来ないという人騒がせな番組だった。

私の記憶に残っているのはキッスの日本公演、クリス・スペディングのギターがカッコよかったブライアン・フェリーのスタジオ・ライヴ、悪名高いベイ・シティ・ローラーズの口パク・ライヴ、やたら人数の多かったアース・ウインド&ファイアーのライヴ、そして何故か印象的だったスーパートランプのスタジオ・ライヴだ。

まだロック・バンドの編成も詳しく知らない中学生時代に観たスーパートランプのステージはギターが3人位居て、そのうち一人は大して演奏もせずステージをうろつくばかりだったのを覚えている。なんか一人暇そうで可哀想だな、と思ったが、それがベーシストだったと知るのは数ヶ月後だった。

現在NHKアーカイブスとしてBSでNHKの古い番組がリバイバル放映されている。先日キッスのヤング・ミュージック・ショーをやっていたらしい。他のアーティストも是非放映して欲しいと思うのは私だけではないだろう。

若者の為の番組だ
NHKは素晴らしい

権利関係が複雑なのだろうが、DVD化も望まれる。

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つちのこ

2010年04月26日 01時24分03秒 | 懐かしき想い出
日本を代表するUMA(Unidentified Mysterious Animals)=未確認生物である「つちのこ」は70年代の漫画「ばちへび」をきっかけにTVや漫画でも取り上げられブームとなり今でもたびたび目撃情報があがる実在性の高いUMAである。

●つちのこの語源は?

形状がが藁を打つ「槌」に似ている事が語源で、「つちのこ」を漢字で書くと「槌之子」となる。
また「つちのこ」は
 ・のづち「野槌」
 ・つちへび「槌蛇」
 ・つちころび「槌転び」
と呼ばれる事もあるが、これらも同様の語源である。
またブームのきっかけとなった「ばちへび」と言う呼び名は秋田の方言の「バチ=尻尾が短い」が語源である。
その他にも「たわらへび」など50以上の呼称があると言われている。

●つちのこの見た目は?

つちのこはズングリしたヘビのような愛らしい姿であり体長は30~60センチ、胴体は7~15センチ頭は三角形で平たく、他のヘビのように蛇行による移動はせず身体を伸ばしたまま前進後退をしたり尺取虫のようにして移動を行なうとされている。
また普通のヘビとの違いとしてつちのこには目蓋があり、まばたきができると言われている。

●つちのこの正体とは?

・本州に生息するヒメハブの一種
・トカゲの新種、外来種の見間違い
・ヤマカガシの奇形
・未確認の生物
・エイリアンアニマル
などなど

●2億円の賞金首!?

各地で相次ぐ目撃証言がある「つちのこ」にはの村おこしの一環でイベントとして、その生け捕りに賞金がかけられる事がしばしばある。その中でも有名なのが1992年に兵庫県千種町で行なわれた捕獲イベントでなんと2億円もの賞金がかけられ大変な話題となった。

つちのこは
未だ見果てぬ
夢の蛇

私の昔のあだ名は「ばちへび」だった。

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古都の春遠し

2010年03月01日 00時45分04秒 | 懐かしき想い出
この季節になると必ず思い出す川柳がある。
「コトノハルトオシガンバレ」
カタカナなのはこれが電報で届いたから。

現役のとき大学受験は京都大学を受けた。古いお寺に囲まれた落ち着いた雰囲気で勉強してみたかったのだ。
しかしいかんせん、受験勉強もろくにせず、憧れだけで受けた大学である。
当時はインターネットなんてないから、遠くの大学の合格発表は電報で知らせてもらうしかなかった。
届いたのが冒頭の文面なのである。

思えば神社仏閣を観光したり、十字屋というレコード店にサイケ・コーナーがあるのに感動して、The Seedsの「Future」を購入したりして、受験にかこつけた観光旅行だった。

それ以来京都へ行くことも滅多になくなったが、弟が2年前から転勤で京都住まいなのも何かの縁か。

呼んでいる
古都の憧れ
いつまでも

受験生諸君もう発表を待つだけ。もう少しの辛抱だ。
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