今日は、午前中は爽やかなよいお天気でした。
並び数字の日でしたので、郵便局に行きお葉書を数通出しました。
横浜旭局の風景印と黒活を押印して貰いました。
旭局では、丁寧に押印してくださいました。
また、名刺判に旭区のあさひを表わす切手を探して、
この切手に風景印を押印して貰いました。
平成8年に発行された「児童福祉週間」の切手です。
風景印の図柄は、戦国の武将畠山重忠の顕彰碑と
万騎が原大池、それに左近山団地です。
畠山重忠は、源頼朝の幕府創立以来の功臣でしたが、
讒言により謀反の罪を被り、
後の将軍実朝が、重忠討伐を命じました。
重忠は、故郷の埼玉県比企郡に居ましたが
「鎌倉に異変あり。至急参上されたし。」
との虚偽の命を受けて、鎌倉に向かう途上、
武蔵野国二俣川、鶴ヶ峰(現在の横浜市旭区)で、
義時を大将とする数万騎が自分に差し向けられたことを知ります。
重忠は覚悟を決め、わずかな兵で踏みとどまり奮戦しますが、
ついに愛甲季隆に射られて討死してしまいました。
享年42歳。
旭区役所の近くに、畠山重忠の顕彰碑があります。
また、旭区役所の後に、畠山重忠の首塚があります。
急変を知った畠山重忠の奥方が駕籠で駆けつけますが、
重忠が討たれたことを知って自害し、駕籠ごと埋められたと
伝えられる駕籠塚があります。
けれども、『吾妻鏡』によりますと、奥方は再婚しています。
清廉潔白な武将を悼んで、奥方もこうあって欲しいと、
後世の人々は願った末に
駕籠塚の伝説が出来上がったのかも知れません。
鎌倉時代の歴史が残る旭区です。