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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

見聞録023 パンドラの強力菌

2008年10月10日 | ケダマン見聞録

 ユーナの失恋騒動から一週間が経った。いつものように何事も無い、平和で長閑なユクレー屋の風景となった。お腹のでっぱりが随分と目立ってきたマナも暢気な顔だ。

 「お前よー、そんな緩んだ顔して大丈夫か?母親になるまで後2ヶ月もないぞ。」
 「ゆったりした気分でいることが胎教に良いんだよ。だけど、緩んだ顔ってさ、これ以上無いっていうくらい緩んだ顔したあんたに言われたくないよ。」
 「そうかぁ?俺も緩んでるかぁ?まあ、しょうがないわな。空は爽やかに澄み切ってるし、陽射し穏やか、秋の風も涼やか。こんな季節だと緩むよなぁ。」
 「だね。こんだけでもう幸せって感じるね。」
 「だな。・・・しかし、失意の少女はどうしてるかなぁ、季節感じてるかなぁ。」
 「どうなんだろうね、季節を感じてる余裕は無いかもね。」
 「悩み多き青春ってわけだ。面倒なもんだな、恋するのも。」
 「胸が苦しくなるほど悩む。それでも人は恋をする。何でかねぇ。」
 「おや、経験豊富な人の言葉とは思わねぇことを。」
 「私は、何で恋するのか知っててしてるんじゃないよ。自然にそうなるんだよ。」
 「金玉と子宮の仕業だと思うぜ俺は。・・・あっ、そうじゃないのもあったな。」

 ということで、ケダマン見聞録その23は『パンドラの強力菌』。

 ギリシャ神話のパンドラの箱って知ってるな?その箱を開けたとたんにさまざまな病原菌が地球にばら撒かれたという話だ。それはまあ、神話だが、実際に地球ができて、生命が生まれ育っていく過程で、そういった菌も作られていった。
 そういった菌の一つにごく僅かしか存在しないが、感染力もごく弱いのだが、とても強力な菌がある。それに感染すると、胸が苦しくなり、眠ることもできなくなり、食事も喉を通らなくなり、回りのものが見えなくなり、あばたもえくぼになった。
 その菌はごく少量しか無く、しかも、ごく小さいためなかなか発見できずにいた。しかし、その存在に確信を持つ科学者も少なくなく、彼らはそれを「パンドラの知られざる強力菌」と呼び、その発見に情熱を傾けた。が、未だに発見されていない。

  地球以外では、その菌が地球の数十倍存在する星もある。だから、その菌に感染する人間も地球に比べれば多くいる。そうだな、例えば、マミガジの絵本『わくわくわくせい』に出てくるヒコとオリなんかはきっと、その菌に感染した口だ。
 恋愛のほとんど全ては金玉と子宮に操られて起きる。なので、恋はいずれ冷める。冷めると、「何で私はこんな男に惚れたんだろう」ってことになる。ところが、パンドラの強力菌は直接、脳に働き、別のパンドラの強力菌に感染した異性と目を合わせたとたん、強烈な恋に落ちる。菌はとても強力なので、一度罹った恋はなかなか冷めない。で、『わくわくわくせい』のヒコとオリは、互いに触れることなく死ぬまで愛し合ったのだ。
 パンドラの強力菌の多く存在する星では、それをジュンアイ菌と呼んで、多少恐れていた。ジュンアイ菌が増えると、子供の出生率が減るからだ。なので、そういった星では、国が率先して、H映画、H雑誌を作り、子供達を教育しているとのことだ。
     

 以上が、見聞録23『パンドラの強力菌』の話。場面はユクレー屋に戻る。

 「あんたさあ、そんな星が羨ましいんでしょう?」
 「いやー、俺に純愛はいらねぇよ。女から女へ渡り歩くのが俺の恋愛だぜ。」
 「はぁ、まるでプレイボーイみたいなこと言ってるけど、そんな経験あるの?」
 「女から女へと渡り歩いた経験はあるぜ。捨てられてしょうがなく。」と答えて、俺は昔の辛かった日々を思い出した。なわけで、その夜はいつもより酒が進んだ。

 語り:ケダマン 2008.10.10


忘れたくない人生

2008年10月10日 | 通信-その他・雑感

 先週土曜日、友人Hの店で、Hとその女房のE子とおしゃべりしていたら、「すみません、○○新聞ですが」と一人の新聞勧誘員が店に入って来た。その言葉が終わらない内に「おい、Aじゃないか!」とH。Aは、私も顔見知りの、高校の同級生だった。
 「私のこと知っているんですか?」とAが言う。
 「何、ふざけてるんだ!」と、Aと親しくしていたHが怒鳴るように応じる。聞けば、Aは、交通事故で頭を強打し、記憶喪失になったらしい。あまり親しくなかった私のことはもちろん、Hのことも全く記憶から失せてしまっているようだ。

  もしも私が、Aと同じように記憶喪失となって、友人知人親戚の顔を全て忘れたとしたらどう感じるのだろう、と考えてみた。人の顔以外の知識は残っているというので、私はパソコンを使えるだろう。腕に覚えた現場仕事もできるだろう。社長や同僚達の顔は覚えていなくても、今の仕事を続けていけるかもしれない。
 家に帰るとパソコンがあり、スケッチブックと絵の具があり、ギターがあってサンシンもある。それらを使って何をしていたかという記憶が残っているなら、それらを使って今まで通りのことをやるであろう。人の顔を忘れても、私はきっと退屈しない。
 さらに歳取って、仕事が無くなって、時間がたっぷりある身分になったとしても、やりたいことが山ほどある私は退屈しないと思う。もしも、やることが無くなってしまったとしても、これまでの人生の思い出を思い出して幸せを感じていると思う。

  そんな時のためにも、私は私のこれまでの人生をできれば忘れたくないと思った。幸いにも、私は中学2年生の頃から断続的に日記をつけていて、大学ノートが8冊、B5サイズ程度のスケジュール帳が10冊ほどあり、2001年からはその日あったこと思ったことなどをパソコンに綴っている。それらは、私が思い出を思い出す道具になる。
 ところがである。日記には何を思って、何をしてきたかということが書かれてあるが、忘れたくない人生には、誰のことを思ったのか、誰と何をしてきたかという「誰」が不可欠なのだ。若い人であった、女であったなどといった大まかな括りではダメで、あの人のことを思っていたという「あの人」の顔が脳裏に浮かばなければ楽しくない。
 なわけで、記憶喪失になると思い出が楽しくない、という結論に私は達した。
 そう考えると、これまで思い出を作ってくれた友人知人親戚に感謝したくなった。さらに、「これからもお付き合いよろしく」と願いたくなった。

 「なるべくここに寄れよ、何か思い出すかもしれないだろう。」と記憶喪失になったAにHは声をかけていたが、たとえ何か思い出すということが無くても、そうすることによって、Aは新たな人生の思い出を作っていけるかもしれない。そうなるといいね。
          
          

 記:2008.10.10 ガジ丸


瓦版072 失意の少女

2008年10月03日 | ユクレー瓦版

 春休みでも、ゴールデンウィークでも、夏休みでも、冬休みでも無いただの週末にユーナが島に帰って来た。「何かあったのか?」と思ったら、何かあったらしい。
 島に来てすぐ、ウフオバーに顔を見せて、「オバー、私、振られたさあ。」と言い残して、どこかに消えたらしい。何があっても自殺するような娘ではない、ということはオバーだけでなく誰もが認めるところだが、「暗い顔していたよー、泣きたいのを我慢してたかもしれないさあ、あんまり落ち込むと体に毒だからねぇ、ちょっと心配だねぇ。」ということで、私とケダマンで、ユーナを探すことにした。

 「失意の少女は海を眺めながら、涙をはらはら流してるぜ、きっと。」と、ケダマンが言うので、先ずは海岸へ出る。ここはチャントセントビーチ、悲しみを背負う女には似合いの場所だが、ユーナはいない。ここから左へ行くと船着場、右は村、
 「どっちだと思う。」とケダマンが訊く。
 「うん、ここだと思ったんだけどな。人に会いたいならウフオバーのところにいるだろうから、村へ行くとは考えにくいよね。かといって、船着場にはジラースーたちがいるからな。どうなんだろう、どちらも可能性は低いと思うよ。」
 「だな。一人になりたいのなら、もしかしたら山の方かもな。」
 「行ってみようか?」
 「しょうが無ぇな、世話の焼ける少女だぜ、まったく。」

 何だかんだ言いながら、怠け者のケダマンがさっさと踵を返し、山へ向かう。ユーナに対する情は、私よりケダマンの方が深いみたいである。あるいは、「もしかしたら」という不安が、元ネズミの私よりケダマンの方に強く働くのかもしれない。想像力の強さということなのだが、ユーナという生物の理解度に関して言えば、私の方が勝っている。私の直感は、ユーナに「もしかしたら」ということは無いと感じている。野生の感だ。人間はどうも、余計なことまで想像する生き物のようである。

 山道を歩きながら、ふと思い出したようにケダマンが言う。
 「そういえば、去年の今頃も失恋していた女がいたな。」
 「あー、いたね。」
 「まあ、あいつは経験豊富だからな。放っておいても自分で何とかするんだがな。ユーナはしかし、まだ子供だからな。」
 「子供というより、恋愛に慣れていないだけだと思うよ。今まで経験したことの無い感情をどう処理したらいいか判らないんだよ。」
 「そうだな。しかし面倒だな、人間というものは。」
 「だね、動物はやりたいかやりたくないかという本能だけで動くからね。」

 などということを語りながら山を一回りする。結局、ユーナは山にもいなくて、ケダマンと私は、ただ散歩しただけの数時間となった。ユクレー屋に戻る。
 ユクレー屋のドアを開けると、そこにユーナがいた。

 「あれ、ユーナ、いるじゃないか。」(私)
 「オメェいったいどこ行ってたんだ、探したんだぞ。」(ケダ)
 「探してくれてたんだ、アリガトね。船にいたよ。ガジ丸たちの手伝いしてた。」
 「んー?オメェ元気じゃ無ぇか。普通じゃ無ぇか。振られたって言うからよ、ちったぁ心配してたんだぜ。」(ケダ)
 「そう、心配してくれてありがとう。でもさ、ガジ丸と話していたら元気になったよ。ハグして貰ったしさ、もう大元気。」
 「そうか、そりゃあようござんした。それにしてもよ、振られたくらいでこの島に来るなよ、そんなことしていたらこの島はいつも定員オーバーだ。」
 「だよね、同じようなことガジ丸にも言われたよ。でさ、もう帰るから。」
 ということで、ユーナは船着場の方へ戻っていった。ユクレー屋には、ウフオバーとマナに「大丈夫だよ」ということとサヨナラを言いに来ただけらしい。ジラースーの船が出るのは明後日なので、ガジ丸に瞬間移動で送ってもらうのであろう。
     

 それからしばらくして、ガジ丸がやってきた。私の推理した通り、ユーナをオキナワの家まで送ってきたとのこと。ケダマンがさっそく尋ねた。
 「お前、ユーナから失恋話は聞いたのか?」(ケダ)
 「あー、聞いたよ。たいしたこと無ぇよ。まだ若いんだよ彼女は。」
 「おー、そうか、で、どんな内容だ。」(ケダ)
 「聞いてもつまらんぞ、唄聞くか?」
 「唄って、ユーナの失恋話の唄を作ったの?」(私)
 「あー、このあいだケダが『ナンダバダバダ』って唄が作れないかって言ってたのを思い出してな、ユーナの話にピッタリだったんでな、さっきできた。」
 ということで、ユーナの失恋話の唄をガジ丸が歌った。確かに、ガジ丸の言う通り、たいした話では無かった。たいしたことないので、一番しか無いとのことだった。

 記:ゑんちゅ小僧 2008.10.3 →音楽(ナンダバダバダ)


多民族国家、日本

2008年10月03日 | 通信-政治・経済

 先日のあそうだろう総理の所信表明演説をニュースで見た。所信表明としては特異なものであったとニュースキャスターや評論家は言っていた。自身の考えを述べるのが所信表明だが、民主党に対する問いかけの方が多かったとのことである。
 私はしかし、総理の意思である「日本は強くあらねばならない」が気になった。「ねばならない」が気になる。強くない日本は価値が無いという風に聞こえる。さらに言えば、弱い日本人は価値が無いという風にも聞こえる。「日本は勝たねばばらない!」とまでなると、戦争に向かって突き進んで行った戦前の日本のようで、気持ち悪い。

 麻生内閣の閣僚の一人にバカな大臣がいて、「単一民族国家日本」などという発言をしたらしい。沖縄人が日本人に含まれるかどうかについてはいろいろ意見もあるが、少なくともアイヌ人は日本民族では無い。他にも日本国籍を持つ韓国人、朝鮮人、中国人、台湾人などが多くいて、小笠原には欧米系の日本人もいるらしい。
 アイヌのことについて詳しいことは知らないが、『アイヌ新法』という法律があるということを微かだが、記憶している。確か何年か前にできた法律だ。・・・と、不確かな情報ではいけないので、調べる。広辞苑に記載があった。
 アイヌ新法:アイヌ文化の継承・振興を図り、その伝統についての知識を普及・啓発することを目的として1997年に公布・施行された法律。1899年(明治32)公布の北海道旧土人保護法は廃止。
 とのこと。1997年だから「何年か前」という私の記憶は間違い。11年前だ。それにしても、11年前まで「旧土人」として保護の対象にされていたのかと驚く。

 先週金曜日、インターネットのニュースに「日本人は本土人と琉球人の2つに大別される」というのがあった。DNAを調べたらそういうことが判ったらしい。
  よって、日本民族を形成しているのは本土人と琉球人ということになる。南方からの縄文人と北方からの弥生人と、それらの混血が日本民族という考え方は前からあったが、本土人と琉球人が違うということがDNAで証明されたことに私は納得し、満足した。
 その時、事務員のM子に、「面白いニュースがあるよ」と言って、上記の話をした。M子の傍でやり取りを聞いていた社長が「M子は全くの琉球人だな」と言うと、「私は本土人の血よ」とM子は応える。M子はどう見たって琉球人なので、「100%そうさあ」と言うのかと私は予想していたので、意外であった。「ふむ、琉球人であるより本土人であった方が良いと思っているんだな。」と理解した。
 倭国にはかつて、「琉球人お断り」と貼紙のある店もあったらしい。戦前の話だ。そんな被差別意識が戦後10年ほども経て生まれたM子にも残っているであろう。

 こんな人が日本国の大臣になれるのかと驚き、呆れてしまったバカ大臣のような人は稀だと思う。日本民族じゃないなら差別しようなんていうバカな日本人は、今はほとんどいないと思われる。アイヌ人も琉球人も、また、在日の人たちも、日本国を形成している民族の一つであると誇りに思っていいのだ。また、違う血の者が互いに協力して平和を維持している日本国は、多民族国家であることを誇っていいと思う。
          

 記:2008.10.3 島乃ガジ丸