ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

発明030 白馬のおじぃ様

2008年10月31日 | 博士の発明

 久々にシバイサー博士の研究所を訪問した。博士は在宅で、しかも、起きていた。何やら作業中で、「ちょっと待ってくれ」と言うので、しばらく、ゴリコとガジポの遊び相手になる。一人と一匹は大元気だ、1時間ほどで私はへばってしまった。
 「ゴリコちゃん、オジサンはもう疲れたよ。休んでいいかなぁ。」と言うと、
 「うん、いいよ。遊んでくれてありがとう。」と応える。いろいろ苦労を経験してきたせいか、ゴリコは子供とは思えない心遣いをする。偉い子である。あんまし偉くない私はゴリコの優しさにすぐに甘える。室内へ入って、ソファーに座り、一息ついた。
 奥の部屋、つまり、博士の研究室兼作業場からガタガタとか、トントンとか、ギーギーいう音が聞こえる。何か作っている。何か発明品かもしれない。
 たいていは開けっ放しの研究室のドアだが、何かやっている時は邪魔が入らないようにと閉じられている。そのドアをノックする。すると、ちょっと間があって、「あー」と返事があったので、ドアを開けて、「もういいですか?」と声を掛けた。

 「あと10分ほどで済むから、その辺に座っててくれ。」
 「何か発明品ですか?」
 「あー、そうだ。」
 「そうですか。どうぞ続けてください。邪魔はしません。」

 ということで、私は椅子に腰掛けて、黙って博士のやることを見ている。博士の手がけている物はロボットのようであった。人間の男の形をしている。ゆったりとした服を身に着けている。上品そうな顔立ちをしているが、年寄りの風貌である。白い口髭と顎鬚を蓄えている。いったい何なのか見当がつかない。そして、約10分後、
 「できたぞ。」と言って、博士は目を輝かせる。子供のように無邪気な顔である。
 「さーて、試運転だ。君、ちょっと手伝ってくれ。」
 「はい、喜んで。それにしても博士、これロボットに見えますが、老人のようにも見えます。いったい何なんですか?」
 「おー、ご明察の通りロボットであり、老人型である。」
 「何でまた、老人型ロボットなんですか?」
 「まあ。それは今に判る。さあ、これを運ぼう。」と博士は言って、その老人型ロボットを抱えて裏庭に出た。そこには白馬がいた。いや、いたのでは無く、あった。本物では無い、本物そっくりに作られた置物だ。表面は樹脂のようだが、訊けば、骨組みはアルミとのことで、なかなか頑丈にできているらしい。
 博士は、その白馬の上に老人型ロボットを跨がせた。ロボットの重さは、正確には判らないが、だいたい2、30キロ位だと想像する。白馬は、その程度の重さではビクともしない作りのようである。「人間の大人が乗っても大丈夫だよ。」とのこと。

 白馬の上に白髭の老人が跨っている。それが何の意味なのか、何を目的にしたロボットなのか、私には全く見当がつかなかった。
 「博士、何ですかこれ?」と単刀直入に訊いた。
  「マナは幸せ、ユーナも恋人ができた、で、マミナにも幸せが来るようにと思ってな、マミナのための白馬のおじぃ様を作ったのだ。」
 「白馬のおうじ様って、このロボット、随分歳取っているように見えますが、王子様というより王様、いや、王様も引退したような高齢に見えますが。」
 「だから、白馬のおじぃ様なのだ。おうじ様では無い。マミナの年齢からして、この位の年齢の男がお似合いだろうと思ったのだ。性格は優しいぞ。ジェントルマンだ。ユーモアもある。茶飲み友達には最適だと思うぞ。どうだ?」
 「おしゃべりするんですね。それはいいかもしれません。ジェントルマンなら乗馬だけで無く。社交ダンスなんかもできるといですね。」
 「体は動かん。ただ話し相手をするだけだ。この馬も動かんし。」
 「じゃあ、マミナが、座らせたり寝かしたりするんですか?」
 「そういうことになるな。まあ、年寄りはあまり動かないといういことだ。」
 「それじゃあ、人形ごっこになるじゃないですか。だめですよそれは博士。相手がおじぃ様というだけでもあまり嬉しい事じゃないのに、それで人形ごっこしなさいなんて言ったら、いくらマミナでも怒りますよきっと。」

 そんな私の助言にも関わらず、「見せてみなきゃあ判らん。」と言って、その後すぐ、博士は『白馬に乗ったおじぃ様』をマミナに届けた。私も付いて行った。一通り説明を聞いた後、マミナは一言、「要らん!」と言って、ドアを強く閉めた。女心だ。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2008.10.31


傾かない天秤

2008年10月31日 | 通信-その他・雑感

 現場が忙しいとのことで、去った日曜日、休日出勤となった。久々の肉体労働、終わった後のビールが美味いので、それはそれでいいのだが、時間を取られるのが嫌。
 週末は稼ぎ時である。「稼ぎ」はお金じゃなくて、調べ物をしたり、記事を書いたり、絵を描いたり、音楽を作ったりの稼ぎ。私の創るものなど、他人にはどうでもいいことであろうが、私にとっては人生の楽しみとなっている。なので、大事。
 10月はそれまでも、第二週末は宮崎から遊びに来た友人と過ごし、その翌週は母の一周忌があったりして、週末の稼ぎ(創作の)が少なかった。そして先週末、金曜日は金曜日の職場の仕事に時間を取られ、日曜日には上述の休日出勤が予定にあった。
 で、その間の土曜日、この日は一日、創作に充てたいと考えていた。ところが、前日、桜坂劇場から送られてきた10月の(上映作品などを紹介している)小冊子を見た時、それに挟まれていた封筒に気付いた。映画招待券が入っていた。桜坂劇場は会員に対し、その誕生月に招待券を1枚くれる。で、私の誕生月、10月限りの映画招待券。
 これまで、そういった無料の招待券を私は何枚も無駄にしている。時間の都合がつかなかったりしたのだ。1枚1000円、発泡酒なら7、8本飲める。勿体無い、と今回は思った。特に観たいと思う映画は無かったのだが、観に行った。

 特に観たい映画は、じつは、その前日まではあった。『きみの友だち』という作品。テレビなどで話題になっていなくて、一般にもあまり知られていないと思うが、小冊子に書かれてある紹介文を読んで、気になっていた。その後、たまたま友人のSから電話があって、その映画のことを彼が大いに褒めていたので、観たいと思っていた。
  が、残念ながら前日に上映終了。まあ、終わったものはしょうが無い。で、その次に気になっていた『たみおのしあわせ』を観た。オダギリジョーが主役、原田芳雄がその父親役で準主役。他に大竹しのぶ、小林薫などの芸達者が出ている。大いに期待する。
 が、残念ながら、映画は期待ほどのものでは無かった。私の感性では理解できないシーンがいくつも出てきた。ラスト近くになるにつれてそういうシーンは増えていった。何で父と息子が結婚式場から手を繋いで逃げるの?何で突然、死んだ母親がバスから降りてきたの?など。ラスト、画面には「そして夏になった」と文字が出て、それで終わった。夏が来てどうなったの?と私の感性は消化不良で終わった。

 まあ、そんなことはあっても、それなりに面白かっし、1000円を無駄にせずに済んだのだ。めでたしめでたしである。と思いつつ、外のベンチに座って一服する。
 一服しながら考えた。1000円は無駄にしなかったが、さて、映画を観ていた2時間という時間は無駄ではなかっただろうかと。ちょっと判断に迷う。映画館への往復を含めて3時間、家で絵を描いていた方が楽しかったかも、と思ったのである。
 1000円+映画と3時間を天秤にかける。どちらが勿体無いかの天秤だ。天秤はどちらにも傾かない。映画の後、散歩しながら歩いて帰った。1万5千歩の3時間。この3時間もまた、天秤にかけてみた。今度も天秤は傾かない。そして、それが何故かはすぐに気付いた。平和な日本でのんびり生きている私の時間に、天秤で量れるほどの価値の差は出ないということだ。生きることに不安の無い3時間、何をしても目糞鼻糞。
          

 記:2008.10.31 島乃ガジ丸