ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版080 いものいいものにものにもいい

2009年01月16日 | ユクレー瓦版

 いつもの週末、ユクレー屋へ行く前にマミナ先生の家に寄った。ここ数日顔を見せないので、絵本でも書いているのかと思って訪ねてみた。
 ドアをノックしても返事が無い。しばらく待って、もう一度ノックしようとしたら、ドアが開いた。出てきた顔はしかし、いつもの元気が無い。
 「どうしたの?元気なさそうだけど。」
 「風邪引いてたのよ。もう治りかけなんだけどね。まあ、中に入って。」
 「カゼ?って、あの病気の風邪?マミナ先生でも風邪を引くんだ。体内には気が充満してるって言ってるから病気とは無縁だと思ってたよ。」
 「なんかそれ、皮肉に聞こえるけど、まあいいや。とりあえず中に入って。外の風は病み上がりの体には毒さあ。」とマミナは言って、私を中へ招いた。

 「私もさ、風邪を引くなんて全然思ってなかったさあ。風邪なんて、記憶に無いくらい久しぶりだよ。この島に来てからは初めてかもしれない。」
 「なんでまた、そんな珍しいことになったの?」
 「なんでかねぇ、ちょっと頑張り過ぎたかもしれないねぇ。」
 「頑張ったって何を?」
 「これ。」と言って、マミナは机の上を指差した。見ると、画用紙が数枚あって、文字と簡単な絵が描かれてある。絵本のようだ。
 「マナの子供の誕生祝にね、絵本を書いてあげようと思ってね、頑張ったんだけど、昼間、村の子供達の面倒を見て、普通に家事もやってからだから、絵本書くのは夜になるでしょ、夜更かしが続いて、寝不足になって、体も冷えて、ってことだねぇ。」
 「そうなんだ。で、絵本は完成したの?」
 「はっさ、風邪を引いたら絵本なんて書く元気は無くなったさあ。」
 「頑張ったことが裏目に出たということだ。」
 「そうだね。頑張り過ぎは良くないって、神様の忠告だねきっと。」

 「あっ、そうだ。一緒に来て。」とマミナは言って、私を台所に連れて行く。
 「忘れていたさあ、料理の途中だったんだよ。」と言う通り、コンロには火が点いていて、鍋がかけられてある。火はとろ火で、鍋はコトコト言っている。
 「ちょっと、そこに座っていて。」と言うので、二人用食卓の椅子の一つに座る。
 「今夜の夕食?何作ってるの?」
  「そう、夕食で、病気回復の留(とど)め食。いものにもの。」
 「いものにものって、芋の煮物ってこと?」
 「勝さんがね、滋養に良いからってヤマノイモを持ってきてくれたのよ。」
 「ヤマノイモって、オキナワのヤマイモ、ダイジョのことだね。」
 「そう、それ。それの煮物。体が温まって元気が出るってさ。」
 「普通は生で、とろろにして食べるよね。」
 「オキナワでは昔から煮物や、お菓子の材料として使ってたんだよ。」
 「そうか、芋の良い物は煮物にも良いわけだ。」
 「あっ、それいいね。次の絵本の題にしようかね。『いものいいものにものにもいい』ってさ、いかにも私の絵本の題にピッタリさあ。」
     

 マミナは、鍋の中の様子を確認して、それから、私の対面の椅子に腰掛けた。
 「あと、5分位煮込めば出来上がりだね。あんたも食べていってね。」
 「うん、ありがとう。ご馳走になるよ。」
 「そういえばさ、あんた、マナの子供の名前は聞いた?」
 「いや、まだ。決まったんだ?」
 「今日、発表するって言ってたよ。私は電話でマナから直接聞いたんだけどね。」
 「で、何て名前?」
  「ワタルとアスカ。平和の和に、太いの太、流れるで和太流、和やかに太く流れる川のような男という意味だってさ。アスカは明日香るの明日香。」
 「そうなんだ、じゃあ、今日は名前発表パーティーになるね。マミナも行くの?」
 「私は行けないさあ。ほぼ治ったといっても、うつるかもしれないさあ。赤ちゃんにとっては、ただの風邪も油断ならないからね。マナにもそう伝えてあるよ。」

 そして、5分ほど経って、料理が出来上がった。ご馳走になった。芋の煮物は美味しくて、確かに体が温まった。ぽかぽかして、なんだか平和な気分になる。
 マミナの家を出てユクレー屋に行く。マミナの行った通り、赤ちゃんの名前発表があって、その後、予想通りパーティーとなる。皆が平和な気分に浸った。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.1.16


動けざるもの山のごとし

2009年01月16日 | 通信-政治・経済

 12月の中頃からトイレ兼風呂場にアリが目立ち始めた。普通のクロアリ。そこは、シャワーを浴びている時は確かに暖かいかもしれないが、窓開けっ放しなので、普段は外気温とほぼ同じだ。変温動物のアリが寒くなってから何で?
 数年前、職場のトイレ、便器の周りにアリが群れていた。同僚によると、「誰か糖尿病の人がいる。アリは糖の混じった小便を狙っている。」とのことであった。
 そのことを思い出して、「あっ、俺が糖尿か!」と一瞬、愕然とする。しかし、最近、甘いものを食べる機会が増えたとはいえ、それでも、一般に比べると、私の糖分摂取量は少ないと思う。それに、よく見ると、トイレのアリたちは小便が激しく飛び散っている便器の周りにはほとんどいない。どうやら、糖尿病は思い過ごしのようだ。

 南国とはいえ、いちおう沖縄も冬である。12月、1月の寒い日は最低気温14度、15度くらいになる。そんな気温では変温動物のアリは活動しにくいのであろう。トイレ兼風呂場のアリたちは、たいてい動きがのろいか、あるいは止まっている。
  そんなアリたちを、最初の頃は片っ端から殺していた。武器は自作のコーレーグス。コーレーグスとはウチナーグチ(沖縄口)でシマトウガラシのこと。またはシマトウガラシを泡盛に漬けた調味料をさす。今回の場合は後者。アリたちは動きが鈍いので、殺戮はいとも簡単。彼らは居た場所からほとんど動かないまま、静かに衝天していく。
 殺したアリを水で流して、きれいにする。ところが、翌日にはまた1匹、2匹と、どこからか湧き出てきて、数日後には元と同じ位の数になる。増えたところで、再びコーレーグスをかける。12月の2週間ほどで5、60匹は殺したかもしれない。
          

 私がアリの大量殺戮をやっている頃、派遣社員が解雇されて、住む場所も追われて、ホームレス状態になる者が多く出ているというニュースがあった。この寒空に野宿はきつかろうと同情する。厳しい寒さの中で寝て、そのまま動けなくなるかもしれない。
 「あっ!」と思う。「俺は何してるんだろう。」と思う。私が殺しているアリたちは寒さに凍えて固まっているのだ。「外は寒いよー、部屋の中までは行かないからさあ、トイレにはいさせてくれよー。」と思っているかもしれないのだ。彼らはそこにいるだけだ。私に害を与えてはいない。何で殺す必要がある?・・・ということで、以降、アリたちを殺さないことにした。もう既に、だいぶ数の減ったアリだが、今は自由にさせている。

 ホームレス状態の人を見て、アリにも情けをかけるようになった私だが、もちろん、人とアリとを同等視しているわけでは無い。アリは野生の掟の下で生きている。踏み潰されたり、凍え死んだりはその掟に違反しない。だが、人間は違う。理性的、良心的な法の下で生きている。例えば日本国民は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を憲法によって保障されている。そうはなりたくないのに、社会の仕組みの歪みによって、否応無くホームレスになっている人がいたとしたら、それは政治の怠慢だ。政治の怠慢が、働きたくても働けない人を増やし、国や国民を痩せさせていく。

 私が思う国力とは、喧嘩が強い、つまり、軍事力が強いということでは無く、また、金持ちであるということでも無い。国力とは、国民一人一人の生きる力の総合だと思う。生きる力とは、生活できる力だ。働いて、結婚して、子供を育てることのできる力だ。
 動けざるもの山の如しとなってしまえば、国力の衰退は間違いない。頑張れ!政治。

 記:2008.1.16 島乃ガジ丸