ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版079 戦い続けるネコ

2009年01月09日 | ユクレー瓦版

 いつものユクレー屋、いつものカウンター、マナはもう元気に動き回れるのだが、母屋の赤ちゃんの傍にいる。ユイ姉がケダマンと私の相手をしてくれている。
 「あめぇよー、区別つくか?赤ん坊の?」とケダマンが私に訊く。
 「区別って、双子だからね。よく似てるよね。」
 「双子と言っても男と女だ。見た目に違いがあると思うんだが、どっちが男だか女だかさっぱりだぜ。股間を見なけりゃあ判らない。」
 「そりゃあ、生まれたばっかりだからね。そのうち違いが出てくるさ。」(ユイ)
 「ガジ丸は、そういえば、区別できるって言ってたな。」(私)
 「ほう、父親のジラースーにもできないことがガジ丸にできるか。」(ケダ)
 「何故だか知らないが、そう言ってたよ。」(私)

 その何故を、夜、ガジ丸が来た時に訊いた。
 「オーラに違いがあるんだ。男と女では。」とのこと。

 ガジ丸一行のうち、ガジ丸はすぐに我々のいるカウンターに座ったが、後の勝さん、新さん、太郎さん、そして、これは当然なのだが、ジラースーたちは酒の前に母屋を訪ね、赤ちゃんとマナのご機嫌伺い。少し経って、勝さん、新さん、太郎さんは店に戻ってきたが、ジラースーは、やはりというか、なかなか戻ってこなかった。
 「いやー、区別つかないねぇ、よく似ているよ。」と三人もケダと同じ感想。

 しばらく酒を飲み交わし、ユンタク(おしゃべり)した後、ガジ丸がピアノを弾き、歌った。先週は赤ちゃんの誕生を祝う唄、『交差点の挨拶』を歌ったが、今日はまた、違う唄だ。『交差点の挨拶』も新作だったが、今回も新作、題は『古い猫は旅に出る』。
 「最近、量産だね。制作意欲が旺盛なんだな。」(私)
 「あー、年末に俺の昔話をしただろ、それで閃いて、できた。まあ、これは、言うなれば、俺のテーマ曲だな。サブタイトルに『ガジ丸の唄』としてもいいな。」
 で、思い出した。年末にガジ丸が語ったガジ丸の思い出話。以下に要約。

 俺は元々、生まれた場所も親の顔もはっきり覚えていない野良猫だった。気が付くと、大きなガジュマルの木の、根元に空いていた穴の中にいた。しばらくはそこをねぐらにして、辺りにある食えそうなものを手当たりしだい食って、生きていた。
 ある日、いつもより少し遠くまで散歩に出た。雨が降ってきたので雨宿りをした。小さなアパートの軒先だ。そこで俺は親切な女の子に出会ったのだ。
 女の子は俺を家に上げてくれ、牛乳をくれた。その日から俺は半野良半飼いの生活となった。概ね自由に動け、女の子の家に行けば餌が貰えた。彼女は俺のためにキャットフードまで常備していた。俺の生活はすごく楽になった。
 そのお返しに、俺は彼女と彼女の家を守った。元々運動能力が高く、生まれてから数年は野性として生きていたので俺は強かった。座敷犬など俺の敵では無かったし、大きな犬でも互角に対峙でき、向こうも敢えて戦いを挑まなかった。俺は彼女に吠え掛かる犬を睨みつけて黙らせた。彼女の家にはネズミもゴキブリも近寄らせることは無かった。
  しかし、それから時が経つにつれて、俺は野良であることをしだいに忘れていった。女の子の家にほぼ居つくようになった。餌が与えられる楽に浸りきってしまった。怠惰な生活は、ネズミを追うことも忘れさせた。高くジャンプする力も失われていった。
 そんなある日、サバ事件が起きた。台所にあったサバを俺は欲望に駆られ、つい齧ってしまった。サバ一匹くらい俺が食ったってどうってこと無いだろうとは思ったが、女の子が叱られて泣いているのを見て、俺は胸が苦しくなった。ネズミ一匹捕まえられない俺にずっと優しくしてくれた女の子を泣かせてしまった。ひどく後悔した。
 で、その日のうちに、俺はその家から離れ、長い旅に出ることになった。
     

 以上がガジ丸の話。その後、あんなことこんなこといろいろあった旅が永遠と続いて、いつかしらマジムンになったとのこと。あんなことこんなこといろいろについては、私も興味があるので、いずれ聞かせてもらおうと思っている。

 記:ゑんちゅ小僧 2009.1.9 →音楽(古い猫は旅に出る)


パートナーの必要

2009年01月09日 | 通信-その他・雑感

 「今年は畑仕事を頑張るぞ」と一年の計を立てたが、他の事も頑張らないと畑仕事も頑張れないのだ、ということに気付いた。頑張って家事をし、頑張って記事書きもし、頑張ってその他諸々のことを手早く片付けないと、畑仕事の時間が作れないのだ。
 ということで、年末年始休みは31日から4日までの5日間であったが、その内最初の4日間は掃除、畑仕事、HPの記事書き、調べ物、父のためのパソコン講座プログラム作りなどに頑張った。「昼間からテレビを観ながらのんびり酒を飲む」は全く無し。
 「忙しく働くのは、少なくとも私の生き方では無い。」ということにも気付いてはいたので、「正月最後の休みの日くらいはのんびりしよう。」と決めていた。3日の夜、弟と飲み屋で飲んで、実家でも飲んで、その後、スーパーで明日のための肴を買って、11時前には家に着いて、「明日は昼間から酒だ!」と、幸せに眠る。

 翌朝、「ほら見たことか、身の程知らずに頑張った報いだぜ。」となっていた。風邪を引いていた。時間が経つにつれて、しだいに本格的風邪の症状となる。症状が重くならないようにするには引き始めが肝心、ということで、昼間からの酒は中止。この日の朝から禁煙となり、この日の夜、泡盛のお湯割を2杯飲んだ後は禁酒となる。
 月曜日、仕事始め、養生したのが功を奏して、喉の痛みも無く、鼻水も止まっている。ちょっと熱っぽさは残っているが、仕事はできる。で、出勤する。ところが、職場は暖房が無く、風邪の体には寒い。背中がゾクゾクしたかと思うと、くしゃみが出て、後は鼻水が洪水状態となる。午前中で早引きして、家に帰って養生。
 薬飲まない、病院行かない、注射打たないが、私はもう10年以上も続いている。私の部屋にはヘルペス用の塗り薬とバンドエード以外に医薬品は無い。サプリメントでさえ置いていない。病気の治療は、私の体の自然治癒力に任せている。
 火曜日、自然治癒力は概ねのんびりしている。前日の午後からひたすら寝たのにもかかわらず、症状はほとんど変わらない。よって、会社に電話し、欠勤する。

 子供の頃風邪を引いた時、母がお粥とカツーユー(鰹湯)を作ってくれた。熱々のお粥とカツーユーで体が温まって、そのまま寝ると大量の汗をかき、汗がひいたら風邪が治っていた。で、私も風邪を引くとたいていそうしている。
 去年は風邪を引いていない。一昨年は引いたかもしれないがよく覚えていない。ということで、前回はどうだったか忘れたが、今回、ひとつ気付いたことがある。お粥とカツーユーを摂った後、食器を洗ったりしている間に体が冷えたのだ。なので、食べた後に寝ても汗をたっぷりかかない。たっぷりかかないので、風邪も治らない。
  母はお粥とカツーユーを蒲団の上で食べさせてくれた。で、体が暖かいうちに寝ることができた。もしも私に、私のことを思ってくれるパートナーがいて、風邪の体を労わってくれたならば、私のためにお粥とカツーユーを作ってくれ、蒲団の上で食べさせてくれたかもしれない。そしたら、私の風邪は火曜日には治っていたかもしれない。
 ということで、私は貧乏だが、また、たっぷりオジサンでもあるが、今年はパートナーを募集してみようかと思う。優しいパートナーは、お金や年齢を問題にしないかもしれないのだ。ん?じゃあ、問題は何だ?性格か?・・・ならば、諦めるが。
          
          

 記:2009.1.9 島乃ガジ丸