フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

年の瀬に/ナッツ・リターン

2014-12-23 20:19:38 | 日記

   年の瀬もいよいよとなった。 昨日は冬至、今日は天皇誕生日、そして明日はクリスマス・イブ。各地で吹雪や大雪に見舞われいる中、東京地方は幸い天気に恵まれている。年賀状は我が家のプリンターで印刷する時に故障で出鼻をくじかれたが、思いのほか早く代替え品が届いて、既にほとんどは投函済みであるし、大掃除も私の持ち分を昨日今日で終えた。今はもう迎春の気分である。一方、家内の方はそんな私を尻目に相変わらず水泳に、バドミントンにと飛び回っている。まあ毎年のことでギリギリ年内に滑り込むタチである。
・・・・と書いていたところへ大分にいる家内の兄がなくなったとの知らせが入り、急きょバドミントンの大会に出場中の家内を呼びに走った。取りあえず家内は明日早朝に大分に発つことになったが、これで年賀状を書くことはなくなった。家内の持ち分の大掃除はどうなるかは分からない。私の方は迎春の気分が飛んでしまった。 

  「ナッツ・リターン」事件が大騒動に発展している。機内サービスのナッツを袋のまま出されたがマニアルとは違う、と激怒したファーストクラスの客が旅客機をゲートに引き返させた。これが「ナッツ・リターン」。大きな騒動になった原因はその客が大韓航空会長の娘で副社長の趙顕娥(チョウ・ヒナ)さんであったことだ。会社の肩書を笠に着て乗務員を怒鳴り散らし、挙句は強権で飛行機を引き返させ責任者を下ろして再出発させたという。12月5日のニューヨーク・ケネディ空港での出来事だった。オーナー企業の二世幹部の横暴ということで韓国内で猛烈なバッシングを受け、国際的な話題に発展した。批判は大韓航空にと止まらず、韓国の大企業の二世三世の行状にまで波及している。韓国では富める者の横暴がまかり通り、一方そうでない層の人たちは怨嗟や妬みが積もっていて、ここで一気にそれが噴出したものと推察している。火事場見物には面白いけれどね・・・。 

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#7-日本語科

   私が配属された日本語科は前号で紹介したように応用外語学部の中の一つの「商務日本語科」(ビジネス日本語科、と訳される)。1学年50名ほどで、赴任した時の1年生は1クラスで47人、2年生が2クラス53人、3年生は2クラスで60人であった。因みに学年は入学年度で呼び、この時の3年生は2007年入学なので07級、2年生は08級というように呼んでいる。
   教師は中国人4人と日本人2人で、日本人教師は主に口語、いわゆるオーラル(会話など)を担当する。日本でも外国語系学科は女性に人気があり女子学生の比率が高いが、中国でも同様のようで日本語科では女子が85%くらいを占めていた。
   もう一人の日本人教師モリキさんは広島の出身で大学は東京。アメリカにホームステイをしたことがあって英語は堪能、かつ中国語も日本で中国語学校に通っていてかなり出来る。40歳、独身のナイスガイである。会社時代の後輩が先に濰坊市の日本語学校に来ていて、その手引きでやって来たとのことだ。
   日本語科の教室は宿舎のマンションの道一つ隔てた建物(教学楼=教室棟)の2階と3階にあり、歩いて1,2分の至近距離。実に便利で楽であった。後に学生たちが私の部屋へ気軽に立ち寄ってくれるようになった大事な因子でもある。
   2009年前期は私が2年生(08級)2クラスで計週4コマの授業を受け持ち、モリキさんは1年生と3年生を受け持った。1コマは10分の休憩を挟む2時限(1時限は45分)で計100分の授業である。学校の時間割は午前が8時または8時半から4時限、昼食休憩が夏期は2時間、冬期は1時間半で、午後はまた4時限である。夕方6時からの授業もあった。朝のスタートが違うのは一斉に学生食堂に駆け込まないよう2段階に分けているのだ。また昼の休憩時間が夏冬違うのは冬は日没が早いためである。北京編の実験学校の話の中でも紹介したが、昼休みにはみんな昼寝(午睡)をする。私はそれには馴染まず、昼の休憩は1時間にして早く終る方が望ましかった。
   日本人教師については授業は自由裁量で、決められたものはなかった。しかし学生たちは「新標準日本語会話」という教科書を買わされており、目を通してみるとなかなかよくできているのでまずはこれを中心にして授業を進めることにした。授業の時間ごとにテーマ、授業目的や方法、その効果などを書いた教案書というのを提出しなくてはならなかった。しかしそれはほとんど形式に過ぎず自由にやらせてもらった。

   
      教室のある教学楼     これが日本語科の教師たち         教室での授業風景  

写真の教師は左からトー先生、ホー先生、モリキさん、私、バオ先生(学科主任)、チョウ先生 
トー先生は日本の大学を卒業していて日本語は抜群。ホー先生は済南大学で日本語を専攻した。バオ先生とチョウ先生の経歴は覚えていない。以上がフルメンバーである。  

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