フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

級友がまた一人鬼籍に/接待官僚の証言の嘘が露呈~相も変わらぬ政・官界の責任逃れパターン

2021-02-20 10:22:11 | 日記

   大学時代の級友Y君の訃報が届いた。同じクラス仲間N君が夫人から連絡があったと伝えて来た。Y君の病気のことは知らなかった。夫人の話によるとガンからの肺炎が急速に悪化したとのことであった。大学の同じ専攻学科の19人から4人目の物故者となった。
    因みに3年間クラス変えが無かった高校のクラスメートでは50人中8人が亡くなっている。私は今76歳6ケ月、青春時代を一緒に過ごした同級生の2割ほどが鬼籍に入ったことになる。 
    N君はクラスでも卒業後に最も活躍した一人であった。ある時期欧州の化学メーカーとの合弁会社の経営者としてルクセンブルグに駐在していたが、私が欧州出張の際、丁度赴任したばかりの彼の家に泊めてさせてもらい、観光や食事の案内をしてもらった。また、その3年後くらいには夫妻が車を飛ばしてパリまで来てくれて一緒に食事をしたことがある。その後ウィーンで3回目の予定ができていたが、これはアメリカの同時多発テロ後の海外渡航の自粛でキャンセルになってしまい、彼は暫く後に日本に帰国した。
   そんな思い出を残してくれたN君とは永遠(とわ)の別れになってしまった。

写真左=赴任早々のルクセンブルグのN君の邸宅
右=パリまで車で会いに来てくれたN君夫妻(左の二人)

  


    菅首相の長男が勤める放送関連会社と放送事業所管の総務省高級官僚との癒着接待問題。国会答弁に立たされた官僚は飲食までは認めたものの、事業とは関係ない一般的な交流で放送事業に関して話したことは「記憶にない」とか「ないと思う」などと否定をした。それが文春オンラインが録音データを公開するに及ぶと声は自分のものと認めざるを得なくなり、「記憶のあいまいさを遺憾に感ずる」とか「利害関係者との認識はなかった」などとはっきり「嘘の答弁をした」と言わず、「記憶」とか「認識」などとはぐらかした表現で逃げようとしている。
    相も変わらぬ政治家と高級官僚の言い訳・責任逃れのパターンで、官僚の方は今後国会の答弁に立たないでいいように大臣官房付に『更迭』という形を取った。 

 

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