フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

ハイタッチで「よいお年を」/歌舞伎見物

2014-12-26 22:19:36 | 日記

   昨日は2学期の終業式。通常金曜の午後にある小学校の安全見守り当番が木曜日の昨日に当った。正午に午前番と引き継いだ後、12時半から児童たちの下校が始まり、1時間足らずでみんな帰って行った。普段私は下校時に正門で児童に「さようなら」の言葉をかけて見送るのだが、昨日は年内最後なのでハイタッチの手を出しながら「よいお年を」と声をかけた。すると大半の児童がそれに応じてタッチをして帰って行った。私の背丈の半分くらいな一年生がモミジのような手でタッチをしてくれたり、わざわざ手袋を脱いで手を合わせてくれたり、とても嬉しい見送りになった。ありがとう、よい子たち。改めてよいお年を。

   今日家内と国立劇場での歌舞伎見物に出かけた。前に紹介したことがあるけれど、私の親しい知人(中国滞在記でヒロノブさんとして登場)のお嬢さんが文化庁で日本の伝統芸能の部署にいる縁で招待いただくのだ。今日の出し物は「伊賀越道中双六」・・・と言ってもお分かりならないかもしれないが、剣豪荒木又右衛門の伊賀上野の仇討に題材を取ったものである。主演は中村吉右衛門、ほかに尾上菊之助、中村歌昇、中村又五郎など。荒木又右衛門と言えば荒事(活劇)を想像するが浄瑠璃を基にした人情話であった。この演目は初代吉右衛門の当たり役に当代の吉右衛門が挑む、と解説に書いてあったが、しばし華やかな舞台を楽しませてもらった。
 

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#8-授業開始前、長期滞在の準備や手続きを

   経貿学院に着任後一週間は主に長期滞在するための準備や手続きに充てられた。外国人教師の世話を担当するソン事務主任の案内によって警察の公安局で居留手続きをし、「外国人専門家証」という身分証明証が給付された。手帳サイズで日本のパスポートより一回り小型、これに「本証を持つ者には中国政府によって外国人専門家の利便と待遇を与える」と記され、中国人と同等の処遇が謳われていた。
   健康診査にも連れて行かれた。検査の主な目的は国外から有害な疫病が持ち込まれるのを防ぐためで、街なかのかなり大きな病院で行われた。しかし検査設備は日本の病院に比べて格段に見劣りがし、検査そのものもいい加減であった。型通り身長・体重測定や血液・尿の採取は行われたが、血圧とか視力とかかなりの項目を白衣のドクターが自分で適当に書き込んでいた。日本では考えられないことで唖然としたが、おかげで検査は短時間で済んだ。また銀行に行って中国元との両替をしたりした。
   個人的なものについては例の日本人会のボスを自称するサトウ氏が中国人の助手を通訳にして、携帯の端末の購入とか加入手続きに世話を焼いてくれたり、日本語科のチョウ先生が市内の大きなスーパーに案内してくれて、洗面道具やキッチン用品など生活必需品を買い揃えたりした。日本から発送した荷物も届き、宿舎の中の模様替えを行うなどして滞在生活の準備が整った。
   そして大学主催による外国人教師6人の歓迎会が催された。教職員用食堂の奥に個室があってそのパーティールームで以後折々に外人教師が招かれてパーティーが開かれた。こうした会の食事は豪華なものであったが、肝心のビールが冷えておらずこれには閉口した。中国では「冰的(ピンダ)」と言わない限りビールは常温なのだ。このことは以後もしばしば困惑するところとなる。
   こうしていよいよ経貿学院での教師生活がスタートをする。

    
     外国人専門家証の表紙    6人の外人教師と学科主任の先生たち

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