フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

熱海桜を観て友人宅に高校のクラス仲間が集まる

2017-01-31 11:30:54 | 日記

   4月並みの陽気だという昨日、熱海の友人宅に高校のクラス仲間5人が集まった。千葉に住んでいたその友人S君は2年半前に奥さんを亡くし、その後長女宅に同居したが終の棲家(ついのすみか)として、昨年熱海の高齢者向けマンションを購入して移り住んでいる。そのお披露目を兼ねて、早咲き種のアタミザクラの「糸川桜まつり」と「熱海梅園まつり」を案内してもらい、その後彼の居宅にて手作りの料理をいただきながら宴会をしたのだ。
  
   ネットで調べると、アタミザクラは明治の初めにイタリア人によって気候温暖な熱海に植えられた外来種が植え継がれて来たもので、早咲き種のカワヅザクラの変種らしい。市内の糸川という小さな川の両岸に植えられた数十本の桜がもう満開のピークを過ぎていたがまだ十分に鑑賞ができ、平日にも拘わらず多くの人が見物に訪れていた。また花の蜜を求めてなのか、大変な数の愛らしいメジロが桜の花の間を飛び交っていた。
   
      糸川の桜まつり            海岸でも熱海桜が満開
   
   もう一方の「熱海梅園」の方も「冬至梅」を中心に早咲きのウメが満開状態であった。私は神代植物園で「冬至」は毎年見慣れているが、ここでは他に先駆けて早咲きのウメで一足早い春の訪れを演出しているようであった。学習図書の出版社に勤めていたH君は園芸に詳しく、私と同感していた。

   それらの熱海観光を終え、宴会用の各自の好みの飲み物類をスーパーで買い込み、いよいよS君のマンションへと案内された。建物は市の背後地の高台にあり、海岸近くから見上げると威容堂々たるものだ。車で坂道を登り、玄関に入ると広いラウンジロビーがリゾートホテルのよう。食堂や温泉大浴場は勿論、売店、医師常駐の医務室を始め、多目的ホール、図書室、麻雀室やビリヤード、陶芸等趣味の部屋などのユーティリティーが整い、大体ここで生活が完結できる。ロビーや居室からの眺望も申し分ないのだが、難点を言えば外出するのは車を使わないと難しいことだ。私も民生委員の役目柄、高齢者用の施設は幾つか見学させてもらっているが、これほど整った所は初めてであった。

   さてS君の居室に入り、宴会に・・。ビールで乾杯の後S君は酒のつまみ作りにほぼ専念、残る4人は各自の好みの飲み物(ビールのほか日本酒、ワインなど)で話に花を咲かせる。もともと昨年11月のクラス会の際に気の合った同士で出来たプラン、当然話は盛り上がる。高校時代の思い出話のほか、例えば先出のH君は篠笛などの趣味や海外へ旅行・ハイキングなど話題が豊富。Y君は波乱に富んだ会社生活を送り、今は大分県にある美術館の責任者として再々大分に通っている。偶然にもそこでは私の三男が務める新聞社にお世話になっていると言っていた。自らも绘画を趣味にしている。N君には実に久しぶりの再会なのだが、万年青年の風情で、年金生活の傍ら長野で山小屋を経営している。さすがに野山の自然に関することは詳しい。雪に閉ざされる冬場に備えての準備に忙しい11月のクラス会には欠席が続いているので今回引っ張り出したような次第。最後になったがホストのS君は会社時代の仕事を生かしてコンサルタントの現役である。熱海の居室はそのオフィスでもある。首都圏での仕事は新幹線通勤で苦にならないという。体を壊した時に酒をほとんど控え、今ではそれも慣れてしまったとか。みんな名のある企業をリタイアしていて、博識にして話題豊富だ。遠慮会釈のない歓談で、またプランを立てることにして 夜9時過ぎにお開きとなった。



  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする