今年最初に読んだ本は、百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」。
この本を選んだのにはちょっとした経緯(いきさつ)がある。
昨年の暮れ、大学のサークル仲間の先輩のNさん、Hさんとの忘年会の席でこの本が話題になった。
Nさん曰く。
「本を読んで、泣くと言う体験はほとんどないのだが、この本には何度も涙したよ」
「いい本だった、お薦めするよ」と。
あのNさんが涙ながらに読み、かつ、「読んで見て」と薦めるとは、どんな本なのか俄然興味が湧き、年内に購入した(図書館では多数の人が順番待ちの状態)が、年末年始の慌ただしい雰囲気の中では読む気になれず、先週末から読みだして2日ほどで読み終え、さらに2回目を昨日読み終えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/3b/f83df191ea768c80a7dd3adacdda7430.jpg)
一度読んだ本を間をおかずに読みなおすと言うことは滅多にない。
それだけ強烈なインパクトを持ち合わせた作品ということである。
さて、そのストーリーだが、
自分たちには実の祖父がいたことを知った姉弟が、特攻で死んだという祖父の戦友たちを訪ね歩き、10人から話を聞くうちに、だんだんと祖父の人物像が浮かび上がる。
最初の証言者の話は「臆病者」だったという最悪な話から始まるのだが、次々に証言者の話を聞いて行くうちに、祖父という人がどんな人間だったか、さまざまなエピソードをとおして明らかになっていく。
どのエピソードも涙なくしては読めない。
巻末の解説で今は亡き児玉 清さんが
デビュー作である本書「永遠の0(ゼロ)」と出逢えたときの喜びは筆舌に尽くし難い。それこそ嬉しいを何回重ねても足りないほど、清々しい感動で魂を浄化してくれる稀有な作家との出逢いに天を仰いで感謝の気持ちを表わしたものだ。(中略)なんと美わしい心の持ち主なのか。なんと美わしい心を描く見事な作家なのか。なんと爽やかな心か。涙の流れ落ちたあと、僕の心はきれいな水で洗われたかのごとく清々しさで満たされた。(以下略)
と書いているが、全く同感で、読んでいて幾度も流した涙が、魂を浄化してくれたのだ、これは『レクイエム』だと読み終ってしみじみと感じた次第である。
それにしてもなんと周到に組み立てられた物語の展開だろう!
最終章まで読んでも、追い求めてきた主人公の最後がどんなだったか、わからない。それがエピローグで明らかにされる。
最初、物語の巻頭に置かれたプロローグは一体何を意味するのかと感じた疑問が、エピローグでなるほどそういうことだったのかと氷解する。
このプロローグとエピローグが見事に一つにつながるくだりを読んで、思わず「ウーン」と唸ってしまったのは小生だけではあるまい。
ネットでこの本のことを検索していたら、沢山寄せられた感想の中に
この本は世代を問わず多くの人に読んでもらいたい
というのがあったが、小生も全く同じ感想を持った一人である。
また、同じくネットの中で著者 百田尚樹さんからのメッセージを見つけたので、ご参考までにご紹介したい。
現代に生きる人々の多くは「生きていること」は当然と思い、また「自分は誰のために生きているのか?」と問う機会などもほとんどありません。
六十数年前、私たちの父母や祖父母の時代はそうではありませんでした。
明日をも知れない戦火の中、すべての日本人が「私は誰のために生きているのか?」という問を自らに向け続け、自分と家族が「生きている」ことに深い感謝の気持ちを持っていました。それは「不幸な時代」でもあります。しかし、そういう問や感謝の気持ちさえ忘れてしまいがちな現代という時代も、ある意味「不幸な時代」かもしれません。
「永遠の0」を読んで下さった皆さんが、「自分の人生は誰のためにあるのか」という思いに至り、生きる喜びと素晴らしさに気付いてくれたなら、著者として、これほど嬉しいことはありません。
この本を選んだのにはちょっとした経緯(いきさつ)がある。
昨年の暮れ、大学のサークル仲間の先輩のNさん、Hさんとの忘年会の席でこの本が話題になった。
Nさん曰く。
「本を読んで、泣くと言う体験はほとんどないのだが、この本には何度も涙したよ」
「いい本だった、お薦めするよ」と。
あのNさんが涙ながらに読み、かつ、「読んで見て」と薦めるとは、どんな本なのか俄然興味が湧き、年内に購入した(図書館では多数の人が順番待ちの状態)が、年末年始の慌ただしい雰囲気の中では読む気になれず、先週末から読みだして2日ほどで読み終え、さらに2回目を昨日読み終えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/3b/f83df191ea768c80a7dd3adacdda7430.jpg)
百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」(講談社)
一度読んだ本を間をおかずに読みなおすと言うことは滅多にない。
それだけ強烈なインパクトを持ち合わせた作品ということである。
さて、そのストーリーだが、
自分たちには実の祖父がいたことを知った姉弟が、特攻で死んだという祖父の戦友たちを訪ね歩き、10人から話を聞くうちに、だんだんと祖父の人物像が浮かび上がる。
最初の証言者の話は「臆病者」だったという最悪な話から始まるのだが、次々に証言者の話を聞いて行くうちに、祖父という人がどんな人間だったか、さまざまなエピソードをとおして明らかになっていく。
どのエピソードも涙なくしては読めない。
巻末の解説で今は亡き児玉 清さんが
デビュー作である本書「永遠の0(ゼロ)」と出逢えたときの喜びは筆舌に尽くし難い。それこそ嬉しいを何回重ねても足りないほど、清々しい感動で魂を浄化してくれる稀有な作家との出逢いに天を仰いで感謝の気持ちを表わしたものだ。(中略)なんと美わしい心の持ち主なのか。なんと美わしい心を描く見事な作家なのか。なんと爽やかな心か。涙の流れ落ちたあと、僕の心はきれいな水で洗われたかのごとく清々しさで満たされた。(以下略)
と書いているが、全く同感で、読んでいて幾度も流した涙が、魂を浄化してくれたのだ、これは『レクイエム』だと読み終ってしみじみと感じた次第である。
それにしてもなんと周到に組み立てられた物語の展開だろう!
最終章まで読んでも、追い求めてきた主人公の最後がどんなだったか、わからない。それがエピローグで明らかにされる。
最初、物語の巻頭に置かれたプロローグは一体何を意味するのかと感じた疑問が、エピローグでなるほどそういうことだったのかと氷解する。
このプロローグとエピローグが見事に一つにつながるくだりを読んで、思わず「ウーン」と唸ってしまったのは小生だけではあるまい。
ネットでこの本のことを検索していたら、沢山寄せられた感想の中に
この本は世代を問わず多くの人に読んでもらいたい
というのがあったが、小生も全く同じ感想を持った一人である。
また、同じくネットの中で著者 百田尚樹さんからのメッセージを見つけたので、ご参考までにご紹介したい。
現代に生きる人々の多くは「生きていること」は当然と思い、また「自分は誰のために生きているのか?」と問う機会などもほとんどありません。
六十数年前、私たちの父母や祖父母の時代はそうではありませんでした。
明日をも知れない戦火の中、すべての日本人が「私は誰のために生きているのか?」という問を自らに向け続け、自分と家族が「生きている」ことに深い感謝の気持ちを持っていました。それは「不幸な時代」でもあります。しかし、そういう問や感謝の気持ちさえ忘れてしまいがちな現代という時代も、ある意味「不幸な時代」かもしれません。
「永遠の0」を読んで下さった皆さんが、「自分の人生は誰のためにあるのか」という思いに至り、生きる喜びと素晴らしさに気付いてくれたなら、著者として、これほど嬉しいことはありません。
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