折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

さくら開花~お花見は自粛!?、では、花を愛でるのは?

2011-03-30 | 雑感

ようやく開花したさくら。明日以降一挙に咲き揃うことだろう。朝の散歩が一段と楽しくなる季節である。

先週は、およそ春とは思えないような余りの寒さに、あたかも『自粛』するがごとく身を縮めていた桜が、今週になってからの暖かさで、今日ついに開花した。

汗ばむような陽気に誘われて、昼下がりのひととき、黒目川の遊歩道をぶらぶらと歩いた。

この遊歩道の両岸は桜並木になっていて、花見の季節は多くの住民で賑わう場所である。

そして、桜の蕾が膨らみ、まさに咲き出でんとするこの時期、愛犬のパールと散歩しながら、歩みを緩めてまわりの木々を丹念に観察し、最初に咲いた一輪を見つけるのを毎年楽しみにしてきた。

今朝はピンクの蕾が大きく膨らんで開花寸前であったが、まだ咲いているさくらは見当たらなかった。

午前中、暖かい日差しが燦燦と降り注いでいたので、ひょっとするとどこかの木に咲いている一輪を見つけられるかもと思って出かけた次第である。

 
暖かい昼下がりの一時、遊歩道では春休み中の子どもたちの姿をあちこちで見かけた。

東北関東大震災を受け、『自粛』ムードが横溢している。

昨日のテレビでは、今年のお花見はどこも『自粛』一色であると報じていた。
当地においても、4月2日(土)・3日(日)に開催予定の「第5回黒目川花まつり」が早々と中止となった。

確かに、これまでのような『どんちゃん騒ぎ』のお花見を自粛しようというのは大いに賛成であるが、桜は自然からの楽しい、嬉しい恵みである。その恵みを素直に受け止め、その美しさを愛でる気持ちまでも自粛することはないと思うのだが・・・・。

【3字体(楷書・行書・草書)千字文】を書く 第7回

2011-03-28 | 書道

お手本 大貫思水「新版四体千字文」(日本書学館)


【読み方】

がいし しんぱつ   しだい ごじょう

きょうい きくよう  がいかん きしょう

じょぼ ていけつ   だんこう さいりょう



【意味】

けだし思うに、この身体髪膚はわが父母から受けた大切なものである。四大(地、水、火、風)によって身体のできたことを考え、よく五常(仁、義、礼、智、信)の道を守って身を立てねばならない。

うやうやしく謹んで、父母が自分を養育した大恩を思って、片時も忘れず、この大切な身体をわざと傷つけるようなことがあってはならない。

およそ婦人は貞操・潔白の行いを慕い、婦徳を養うに心がけ、男子は才能・善良を手本とし、自ら才徳ある人となって世に立つことを期せねばならぬ。

久々に気が晴れる~黒目川のゴミ掃除

2011-03-27 | 日常生活

      青空のもと大人から子供まで沢山の住民が参加した黒目川の清掃活動。

市のコミュニティ協議会が主催する「黒目川堤防清掃活動」に参加して来た。
愛犬のパールとの朝の散歩道となっている黒目川、いつか機会があれば参加したいと思っていた。

朝9時、集合場所には既に大勢の地域住民が集まっていた。
主宰者発表によると数会場に分かれて行われているこの催し、合計すると何と700名を超える人が参加しているとのこと。

この清掃活動は、桜の季節『黒目川花まつり』に合わせて毎年行ってきたが、今年は東北、関東大震災を考慮し、『花まつり』は中止になったが、清掃活動は行われた次第。

先ずは、東北、関東大震災で亡くなられた人たちに黙祷をささげた後、4班に分かれて清掃開始。

作業は1時間ほどで終わったが、このところ鬱々として楽しめない日々が続いていたが、青空のもと無心にゴミを拾うことで久しぶりに気が晴れた次第である。

 
集合場所には沢山の住民が集まっていた。(左)、清掃活動の結果、集まった沢山のゴミの袋。


        黒目川の桜、『自粛』している訳ではないだろうが、まだ蕾の状態。例年より開花が少し遅れている。

一大事!!~『節電』で居合の稽古休止

2011-03-25 | 日常生活

       居合の稽古場となっている中学校の剣道場。ここで、毎週月曜日、金曜日の7時から9時まで稽古をしている。


大地震と津波、そして原発事故と放射能汚染とが重なった想像を絶する大災害から2週間が経った。

この間、この国家的危機を受け官・民あげてそれこそ総力で被災者の支援に取り組んでいる。

先日、当市の取り組みをネットで検索して見た。
そのホームページには、現時点で考え得るさまざまな対策を打ち出して、市民に協力を求めている。

例えば、これまで市民のために夜間に開放して来た市の公共施設の使用を当分の間中止すると言う措置も『節電』の具体策の一つである。

それに呼応して、つい先頃、わが居合道支部が稽古の場所として貸してもらっている中学校から、教育委員会から計画停電のため学校体育施設の市民への使用を当分の間中止するとの連絡が来ているので、しばらくは学校の施設は使用できないとの伝達があったとのこと。


           学校体育施設の市民への使用を当分の間中止するとの教育委員会からの通知。

我々の居合道を始めとして、多くの市民がさまざまの形で市の施設や学校の体育施設を利用させてもらっている。
確かに、現状からすれば市民への便宜より、節電への協力が優先されてしかるべきであることは理解できるところであるが、このような状況がいつまで続くのか、長期化が避けられそうもないだけに不安は拭えない。

また、最悪の場合、これを機に学校体育施設の解放は今後行わないということになりはしないか、そんなことを、なんやかんや考えると何とも気がかりで、いたたまれない思いである。

居合の稽古は、小生の生活リズムにとって大切な柱の一つである。

それが、今、脅かされようとしている。

小生の日常生活にとっての一大事である。

2週間前までは、想像だにしなかったことである。

異様・異常な光景~大震災後のテレビCF

2011-03-23 | 雑感
東北、関東大震災から12日。

我々の周囲では、徐々に日常生活が戻りつつあるものの、計画停電、ガソリンを始めとする日常品の買い占め現象、各種イベントの取り止め等々依然として非日常的な事象が続いている。

そんな中で何とも気になっているのが、震災後に放映されているテレビのCFである。

 
テレビから流れてくるCFはACジャパンの映像のみ。

『自粛』ということなのだろうが、テレビから大口スポンサーのCFが一斉に消えた。

今、テレビから流れてくるCFは、広告を営利目的のためでなく、公共のために役立てようと、全国の企業が集まって作った団体であるACジャパンの意見広告の映像である。

商品の広告であれば、それほど気にならないのだろうが、意見広告はそうはいかない。一つの意見を一方的にシャワーのように浴びせられたのでは、例えその内容が納得いくものだとしても、それを見せられる側としては、たまったものではない。

「おい、またかよ、もう勘弁してよ」と辟易とすると同時に、何か気分が悪くなって来る。

これは、もう『映像の暴力』である。

とにかく、ACジャパンのCFしか流れていない(ほんの時折、違ったCFが流れる時は、何かほっとする)中、数パターンある意見広告が繰り返し、繰り返し、垂れ流される光景は一種異様であり、異常である。

このような事態が一刻も早く解消されるのを望んでいるのは、小生だけではないと思う。