折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「惰性」と「やっつけ仕事」の産物

2015-07-05 | 趣味
武蔵野市立吉祥寺美術館市民ギャラリーで開かれている同心書道会展。



今年で48回を迎える同心書道会展。

今年も7月2日から7日まで開かれている。

小生もTカルチャースクールを通して、この書道展に毎年出品している。

この書道教室に通い始めて12年になる。

当初こそ教室で、自宅でと一生懸命取り組んでいたが、ここに来てマンネリ化が一気に進行し、いまでは教室に通う月2回が唯一書く機会となってしまっている。

今年の作品も、以前当ブログで書いたように、提出日当日の午前中にやっと完成と言う「やっつけ仕事」の体たらくである。


今年のテーマは、葉室 麟の時代小説「銀漢の賦」の中で出会った、宋の詩人蘇軾(そしょく)の書いた「中秋月」という漢詩である。



もう止めようかと思ったことも何度もあったが、踏ん切りがつかないまま堕性でここまできてしまった。

7月からこれまで指導いただいた先生が体調を崩され、当分の間お休みということになり、新しい先生が見えることになった。

これを一つの契機ととらえ、心を入れ替えて真摯に書道に向き合って見たいと考えているところである。


中秋月  蘇軾(そしょく)の漢詩(北宋)

暮雲収蓋溢清寒
銀漢無聲轉玉盤
此生此夜不長好
明月明年何處看

読み方

中秋の月

暮雲(ぼうん) 収め尽くして 清寒(せいかん)溢れ、
銀漢 声なく 玉盤を転ず。
此(この)生 此(この)夜 長くはよからず、
明月(めいげつ) 明年(めいねん) いずれの処にて看みん。

意味

日暮れ方、雲はすっかり無くなってさわやかな涼気がみなぎり、
銀河には玉の盆のような明月が音も無くさしのぼった。
この楽しい人生、この楽しい夜も永久につづくわけはない。
この明月を、明年はどこで眺めることだろう。

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「中秋月」(蘇軾)を書く~今年の書道展出品作品

2015-05-20 | 趣味
つい先日、小生が月2回通っているTカルチャースクールの今年の書道展の締め切りがあり、当日の朝、何とか気に入る作品が出来上がって、かろうじて間に合わせることができた。

作品を何にするかは、ずっと前から決めていた。

数年前に葉室 麟という作家が書いた「銀漢の賦」という時代小説を読んで感銘を受けた。

葉室 麟著「銀漢の賦」(文春文庫)


葉室 麟という作家との初めての出会いで、以来、同氏のファンとなって手当たり次第に作品を読んだ時期があった。

その「銀漢の賦」の中で出会ったのが、宋の詩人蘇軾(そしょく)の書いた「中秋月」という漢詩である。

その時、いつかこの漢詩を筆で書いて展示会の作品に仕立てて見たいと思った。

そして、その引き金を引いたのが、この原作をもとにNHKが「風の峠」というタイトルで毎週木曜日に6回にわたってテレビ放映したことであった。

蘇軾の「中秋月」を、源五が引き取った十蔵の娘の蕗に説明する場面(NHK木曜時代劇「風の峠」第3回より)


このテレビドラマ、原作に優るとも劣らぬ出来栄えで、また、このドラマに占める漢詩「中秋月」の重要さが特に強調されているのが印象に残り、大いなる刺激を受け、さっそく書き始めたのだが、お手本がある訳ではなく、自分のオリジナルの書体で書かなければならず、書いても書いても「これは!」といった出来栄えのものが書けず、途中で挫けそうになったこともしばしばで、まさに「悪戦苦闘」の末、結局は、提出日当日の朝書いたものを提出すると言うはめになった次第である。

書けども書けども、思い通りにいかず、反故紙の山を築く結果に。


中秋月  蘇軾(そしょく)の漢詩(北宋)

暮雲収蓋溢清寒
銀漢無聲轉玉盤
此生此夜不長好
明月明年何處看

読み方

中秋の月

暮雲(ぼうん) 収め尽くして 清寒(せいかん)溢れ、
銀漢 声なく 玉盤を転ず。
此(この)生 此(この)夜 長くはよからず、
明月(めいげつ) 明年(めいねん) いずれの処にて看みん。

意味

日暮れ方、雲はすっかり無くなってさわやかな涼気がみなぎり、
銀河には玉の盆のような明月が音も無くさしのぼった。
この楽しい人生、この楽しい夜も永久につづくわけはない。
この明月を、明年はどこで眺めることだろう。

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筆で書いた「天声人語」

2014-07-09 | 趣味
今回の作品「天声人語」の一部分。


小生が通っているTカルチャースクールの書道教室で作品の展示会が開かれており、この日は小生の教室の先生も来られるというので、出かけてきた。

以下は、会場での先生との会話の一部である。

作品の前で先生と。


「私も『天声人語』の書き写しをやっているけど、鉛筆で書くのも大変なのに、よく筆で書いたわよね」。

「今回は、特に送りがなで書き間違いが多くて何回も書きなおし、もう最後は作品の善し悪しというより取りあえず間違いなく仕上げること自体が目的になってしまって・・・・」

「603字を1字も間違いなく書くって、大変よね。以前の『千字文』といい、今回の『天声人語』といいあなたの集中力には感心してしまうわ」

「今回は『お手本』なし、ということで自分流にどこまで書けるか試してみたんですが、自己流になってしまってダメでした」

「こう言うチャレンジは、必要なことよ、いい勉強になったんじゃない。立派に書けてるわよ」



今回の「天声人語」に筆でチャレンジしてみようという試み、アイディアは良かったが、それを生かすだけの実力がまだまだ伴っていないという現実を実感させられることになった次第である。

今年の出品作は「天声人語・書き写し」

2014-05-19 | 趣味
小生が通っているTカルチャースクールの書道教室では、毎年7月に作品の展示会を開催している。

この日は、この展示会に出品する作品の提出日である。

この時期になると、いつも何にしようかと思い煩うのが常だが、今年は早くから「天声人語」を筆で書いて見ようと決めていた。



今回の出品作に使用した2014・2・22付、朝日新聞の「天声人語」。
この文章は、今年に入ってからの天声人語の中で特に小生のお気に入りのものである。
これを罫線入り千字文の用紙(半切)を使って、行書体で書き写した。


その理由は、

第1には、天声人語を専用の書き写しノートに書き始めてから今34冊目に入っており、鉛筆では大分書き慣れてきたので、そろそろ筆でチャレンジしてみたいと予てより思っていたこと、

第2には、これまでの作品はお手本を見て書いてきたのだが、天声人語にはそのお手本がなく、すべて自分のスタイルで字を書く必要がある。たまにはお手本なしの自分流の書体で書くのも一興かと思ったからである。

天声人語603字を筆で書くには、「手間」と「時間」と「根気」を要したが、何とか提出にこぎつけたので、一安心と言ったところである。


93歳の会員の力作も~同心書道会展

2013-07-09 | 趣味
武蔵野市立吉祥寺美術館市民ギャラリーで開催されている書道展の様子


今年で46回を迎える同心書道会展。
今年も7月4日から9日まで開かれている。

小生もTカルチャースクールを通して、この書道展に毎年出品している。

この書道教室に通い始めて10年になる。
最初こそ教室で、自宅でと一生懸命取り組んでいたが、段々興味が薄れると共に、いつの間にか教室に通う月2回が唯一書く機会となってしまっている。

小生の先生の出品作「花あまた」


本書道展への出品も09年に楷書、10年に行書、11年に草書でそれぞれ「千字文」を書いた頃がピークで、以後、目標がなくなってしまい、急に意欲が薄れてしまった。

そんな次第で、今年の出品作もやっつけ仕事、泥縄式の誹りを免れない。

それに比べ、本会員の最高齢者である93歳のTさんの作品「教育勅語」「八雲立つ」の2作品の何と気合のこもった力作であることか、頭が下がる思いで拝見させていただいた次第である。


     
93歳の会員の方の出品作「八雲立つ」(右)、小生の出品作「張猛龍碑」(左)