折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

ひばり VS 岡林信康 ~ ひばりの『凄さ』が浮き彫り

2010-02-26 | 音楽
テレビの追悼番組などで、錚々たる女性の演歌歌手たちが歌うひばりの歌をこれまで何度となく聴いたが、小生の知る限りでは、ひばりのあの自在の歌いぷりに迫るような歌手は一人もいない。

彼女は、さりげなく、いとも簡単そうに歌っているけど、他の歌手が歌うと『ひばりの歌って、こんなにもむずかしかったの』とその都度、改めてひばりのすごさを思い知らされたものである。

当世、他人が歌った曲を歌う『カバー』曲がブームであるが、裏声を巧みに駆使した超高音、ドスのきいた超低音、このとてつもなくワイドレンジな音域を持ったひばりの歌をカバーしようとする歌手が現れないのは、歌手たちにとってひばりの歌を歌うことが、いかにリスキーであるか自身が良く知っているからに違いないと思っていた。

ましてや、ひばりの歌を男性歌手がカバーするのはありえない、そんな愚をおかす歌手はいるはずがないと思っていた矢先、岡林信康がリリースした「レクイエム」~わが心の美空ひばりが評判になっていると聞いて、早速購入し、原曲と聴き比べして見た。


 


岡林さんとひばりさんが長い付き合いがあったこと、そして彼がひばりさんを『姉御』のような存在に思っていたことをCDに添付されている解説書で初めて知った。

そして、このアルバムで岡林は尊敬する『姉御』ひばりの歌に岡林流の斬新なアレンジを施して、その思いを表現しようとしているのだが、その歌を聴いた限りでは、高音域の艶と伸び、低音域の深みが少々不足していて、『声が出てないな』と言う印象であった。

ひばりの歌の最大の特徴である超高域から超低域に駆け下りたり、駆け登ったりするワイドレンジの音域の壁を乗り越えるのは容易でなかったことを示す結果となったのかな、と思った次第である。

逆に言えば、それだけひばりの凄さが際立つ結果となったと言えるのではないかと感じた次第である。

最後にメインタイトルとなっている『レクイエム~麦畑のひばり』について一言。

前述の解説書によると35年前、ひばりさんから岡林へ送られた1通の手紙に一編の詩が添えられていて、この詩にメロディーをつけて歌にしてほしいと記されていたが、当時、岡林はこれを歌にすることができなかったという、いわく因縁のある曲であるらしい。

従って、この曲が出来上がるまでには、実に35年という時を要したのだが、きっと、それには、それなりの理由があったに違いない。

そして、それだけの思いのこもった曲だけに、岡林の情感あふれる歌唱には心を打たれる。

まさに、美空ひばりへの思いのこもったレクイエム(鎮魂歌)である。

そして、この曲をひばり本人ならどう歌うか、彼女自身の歌声で聴いてみたかったと考えるのは小生だけではないに違いないと思った。

スポーツ後進国日本~元オリンピック金メダリストの苦言

2010-02-24 | 雑感
バンクーバーオリンピックもいよいよ終盤に入り、大いに盛り上がっているが、そんな中、4大会連続オリンピックに出場し、金、銀、銅メダルを獲得したスピードスケートの清水宏保さんが、昨日の朝日新聞の夕刊に『スポーツ後進国日本』と言うタイトルで一文を寄せている。


                  
                『スポーツ後進国』と題する清水宏保さん
                の文章
(2月23日 朝日新聞夕刊)   

             
この文章の中で清水さんは、韓国やヨーロッパを引き合いに出して、オリンピックを始め、国家的な次元でのスポーツの取り組み姿勢において、日本がいかに後れを取っているかを指摘して、日本はまだまだ『スポーツ後進国』であると断じている。

清水さんは、オリンピックが始まると国中が幾つメダルが取れるか、メダルの数だけが注目されるが、それまでの4年間のフォローを国やJOCはきちんとしてきたのだろうか、と率直な疑問を呈し、お金の使い方については、予算が限られているのにJOCの役員、メンバーが大挙して現地入りして、そのため選手を育ててきたコーチやトレーナーがはじき出され、選手に快適な環境を提供できていないと辛辣に指摘している。

そして、五輪の時だけ盛り上がって、終わったら全く関心がないというのではあまりに悲しい。日本にスポーツ文化を確立させるため、国もJOCも努力を惜しまないでほしい、と結んでいる。

日本中がオリンピック熱に湧いているこの時に、あえて苦言を呈した栄光の元金メダリスト清水宏保選手の勇気に拍手を送りたい。

われわれも、テレビの前で一喜一憂するだけでなく、彼の苦言に真摯に耳を傾けなければいけないのではないか思った次第である。

それにしても、スポーツもそうだが日本をどういう国にしたいのか、あるべき日本の将来像を全く提示しえないでいる今の政治は何とも歯がゆく、嘆かわしい事態であると思わざるを得ない。

おやじのDNA~『平凡な人生』を生きる

2010-02-23 | 家族・母・兄弟
購読している新聞の日曜版に掲載されている『おやじのせなか』というコラムを毎週楽しみに読んでいる。

直近では俳優の小日向文也さんが登場し、父親から『平凡が一番』と言う生き方を教えてもらった。そして、自分も平凡な生活が一番素敵だと思っている、と語っていた。

これを読んで19年前に81歳で亡くなったおやじの生き方が思い浮かんできた。

つつましやかな日々の生活の中に小さな喜び、ささやかな幸せを見つけ、それを心の糧、心の支えとして生きる平凡な生活、それこそがおやじが生きた人生であり、今の小生の生き方と多くの点でオーバーラップしていると思っている。

そして、最近はひょっとしたら兄弟の中で小生が一番おやじのDNAを受け継いでいるのではないか、と思ったりもしている。


 
67回目の誕生日
『ハッピー・バースデイ』の歌を歌ったり、プレゼンターを務めたりと大張りきりの孫のKちゃんとデレデレのじいじ。


今日は小生の67回目の誕生日である。

小生にとって、平凡な人生を全うしたおやじの生き方は一つのお手本である。

これからも、つつましやかな、穏やかな暮らしを続ける中に、願わくば、『生き生き』、『わくわく』、『ドキドキ』感覚をちょっぴり味わえる生活、そういう生活を目標にこれからの日々を送って行きたいと思っている。

そして、その『生き生き』、『わくわく』、『ドキドキ』感覚から生まれたちっちゃな喜び、ささやかな幸せを、それが記憶からこぼれおちる前にその都度ブログに書き記して、来し方を偲ぶよすがとしてとどめたいと思っている。










平成22年2月22日22時22分22秒

2010-02-22 | 日常生活

平成22年2月22日22時22分22秒に投稿したブログ。年号が西暦表示のため
「2」が11個揃って表示できていないのが、いささか残念。



今日は、平成22年2月22日22時22分22秒という『2』と言う数字が11個も並ぶ滅多にない日である。(明治以降、昭和に続いて今回で3回目で、昭和からは63年ぶり。)


2月22日で思い出す人がいる。

2年ほど前に60歳という若さで逝ってしまった義弟のKちゃんである。

義理の兄弟の中でも、ひときわ明るく、無類のお酒好きでアルコールが入ると『ダジャレ』を連発して周りを盛り上げる、太陽のような明るいキャラクターの持ち主で、みんなに慕われ、みんなに頼りにされ、みんなに愛される存在であったKちゃん。

そのKちゃんの誕生日が 昭和22年2月22日 であった。

そして、Kちゃんは小生の誕生日が2月23日であるのを知って、誕生日が近くなると『おれ、Iさん(小生のこと)と1日違いで、誕生日は「2」のゾロ目なんだよ』と「2」絡みの誕生日を自慢していた。

だから、Kちゃんは生まれると同時に  が 11 個も続く現象の 初回 を体験し、元気であれば今年 2回目 を体験できたはずであった。

『あのKちゃんのことだ、元気であれば、 ほれ、見てみろ、今日のおれの誕生日、2が11個も並んだぜ、すごいだろう と得意満面な顔で、はしゃぎまわるんだろうな』と小生。

『そうね、Kちゃんのことだもの、きっと天国でも同じことを言って大はしゃぎしてるわよ』とかみさん。

2月22日、Kちゃんの誕生日の朝、かみさんと二人でこんな会話を交わして、亡きKちゃんを偲んだ。

そして、 平成22年2月22日22時22分22秒 このブログを天国のKちゃんに届けとばかりに思いを込めて送信した次第である。

写真が主役VOL37 青空と河津桜

2010-02-21 | 写真が主役シリーズ



日曜日の朝の散歩。

黒目川でのそぞろ歩きを終えての帰り路。

何時も帰り道は、わき目もふらずに我が家に直行するのだが、この日の朝は、たまたま赤信号で立ち止まって、何気なく辺りを見回した先にピンクの花が咲いていた。信号を渡って良く見ると何と満開の河津桜であった。

それまでも何回も散歩の帰りに通っていたのだが、全然気が付かなかった景色が今朝に限って、ふと目に留まる。これも、何かの縁なのか。何とも気分の良い朝である。

そう言えば、先日幼なじみのKくんから、近くにある河津桜が咲き始めたという便りがあったが、我が家の近くでも、河津桜の木がこんな所にあったのだと、初めて気がついた。





急いで愛犬のパールをつないで土留めを這い上ってカメラのシャッターを切った。

淡いピンクの花びらを写しながら、『あぁ、本当にもうすぐ春だな』と言う思いがこみ上げて来た。

澄み渡った空の青と河津桜の淡いピンクの色、そのコントラストが織りなす景色が今回の主役である。