折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

つながった「縁」

2008-09-28 | オーディオ談笑会

Iさんもその実物を見、実際にその音を耳にしたK邸のタンノイオートグラフ


9月4日付ブログ「ブログが取り持つ『縁』になりうるか?」の続編である。


前回のブログでは、「オーディオ談笑会」の主宰者Kさんが、その昔、タンノイオートグラフのエンクロージャー(スピーカー・ボックス)を自作した時の話を、取り持ってくれた「4つの縁」を中心にエピソード風にまとめたブログ(5月9日付ブログ「取り持ってくれた幾つもの『縁』に感謝」)に書き込みがあったこと、その書き込みをしたIさんという全く知らない人から、「Kさんを紹介してもらえないか」との要請があったこと、そして、これもブログが取り持つ何かの「縁」かもしれないと思い、この「縁」が叶うよう応援してあげようと、Kさんに連絡して、協力を依頼したことを書いた。


Iさんの要請をKさんに取り次ぐのが小生の役割であって、その後のことは当事者であるIさんとKさんの問題であり、小生があれこれと口を挟むことではない、とじっと事の成り行きを静観していたが、内心は「うまくいってくれるといいな」と気を揉んでいた毎日であった。


そうこうしている内に2週間ほど過ぎたある日のこと、待ちに待ったメールがIさんから届いた。

メールには、Kさんと連絡が取れ、先日、Kさんの自宅に招かれて行って来たこと、オートグラフの資料をもらってきたこと、オートグラフの音を聴かせてもらって大いなる力を得たこと、そして、何よりKさんと価値観を共有できて嬉しかったことなどが、丁重に書かれていた。

そして、時を同じくしてKさんからも、

IさんがKさんと同じ「区」に住んでいて、「縁」を感じたこと(世の中、広いようで狭い!!)、
Iさんが、かなりの木工技術を持っていて、部材の選定、複雑な細部の加工のノウハウや使用工具、治具などに話が弾み、すっかり意気投合したことなどが書かれていた。


この2通のメールを読んで、心から「ああ、良かった」と安堵し、5月9日のブログで書いた「4つの縁」にまた一つ新しい「縁」が加わることになり、改めて「縁」の不思議さを思い知らされると同時に、自分のブログがいささかでも人のために役立ったことへの嬉しさをかみしめたのであった。

そして、いつの日かIさんから「タンノイオートグラフのエンクロージャーが完成しました」という朗報がもたらされるのを楽しみに待ちたいと思っている次第である。

愛犬「パール」から、健気な「3つ」のお願い

2008-09-25 | 家族・母・兄弟

お得意のポーズでリラックスする愛犬「パール」
9月25日で8歳になった


皆さんこんにちは。

当家の愛犬のパールです。

5月に登場して以来、実に4ヵ月半ぶり、久々のブログへのお目見えです。

「今回ブログに登場する理由?」良くぞ聞いてくれました。

実は、わたし、今日が誕生日なの、8歳になったんです。人間で云うと61歳、還暦を一挙に通り越して、我が家のお母さんと同い年になってしまいました。


と言うわけで、わたしの健康に気遣って、今日から「高齢犬」用のドッグフードに代えてくれたのは、ありがたいんだけど、折角のブログの出番なので、今、わたしの胸の中に溜まっているもやもやをぜひ聞いてください。

題して、おとうさん、おかあさんへの「3つのお願い」。


お願い その1

孫のKちゃんばかりを可愛がらないで!! 

おねえちゃんの愛息、Kちゃんが我が家に来ると、おとうさんもおかあさんも、もうメロメロ。

その可愛がりようを見ていると、「焼きもち」が焼けて、本当に気が変になりそう。

もう間もなく2歳、可愛いのはわかるけど、わたしがどんな思いで、その様子を見ているか、わたしの身にもなってよ。これでも、わたし結構、傷ついてるんだから・・・・。


― わかってるんだ、キミの「怒った」ような、「悲しい」ような目にみつめられると、いつもおかあさんと二人でパールにすまないと反省してるんだ。

だけど、パール、Kちゃんは今が可愛い盛り、あの笑顔、あの仕草、あの物言いを見ていると、もうメロメロになっちゃうんだ。キミだってそれはわかるよね。

キミは覚えていないだろうが、生まれて3ヶ月目のキミが我が家に来たときは、丁度今のKちゃんと同じように、それは、それは可愛くてさ、みんなその可愛さにメロメロだったんだ。キミにもそういう時期があったんだから・・・・・・。



最大のライバルKちゃんの遊び相手になっているパール


お願い その2

たまには車に乗せて、外に遊びに連れてってよ!!

前はちょくちょく公園などに車で遊びにつれてってくれたのに、最近は全然ご無沙汰。
いつも一人で「お留守番」、つまんない。

― ごめん、ごめん、本当にキミの言うとおりだね。

おとうさんも、おかあさんもすっかり出不精になってしまっていて、キミを遊びに連れ出すことをすっかり怠っているよね。

反省してます。


お願い その3

散歩の時、もう少し自由にさせてよ!!

朝と夕方の散歩は、わたしの最大の楽しみなの。

体を動かして、ストレスを発散したり、マーキングをして仲間とのコミュニケーションをしたりと、色々とやりたいことがあるんだけど、おとうさんたら、寄り道などしないで、ひたすら横についてまっすぐ歩け、と強制するでしょう。もう少し、自由に散歩を楽しませてよ。


― キミはそう言うけどね、キミの要望を100%聞いてたら、あっちへ寄り、こっちへ寄りで散歩にならないよ。キミの散歩でもあるけど、おとうさんの散歩でもあるんだ。

それと、散歩で見かける他の大型犬を見てごらんよ、キミのようにグイグイ引っ張ったり、やたらと立ち止まって匂いを嗅ぎまくっているような犬はいないよ。どの犬も、飼い主の横に寄り添うように実にゆったりと歩いているじゃないか。あれを見ると本当にうらやましくなっちゃうよ。

キミも、もう8歳になったんだから、年相応の散歩のペースにしてよ。これは逆に、こちらからのお願い。


我が家の愛犬のパールが8歳になった。

犬の年齢と人間の年齢を比較する計算式があるそうで、それに当てはめると、8歳になったパールは人間で言うと61歳になるのだそうだ。

あごの下に、白髪が目立つようになったこと、おなかの辺りにちらほら白髪が見られるようになったことを除けば、毛並みや色艶はほとんど変わらず、食欲も相変わらず旺盛で、至って元気である。

今年でとうとう年齢でおかあさんと肩を並べてしまったが、来年の誕生日が来ると人間の年で68歳になり、小生を追い越して我が家での最年長者となる。

これからの犬の1年は、人間の7年に相当するのだと言う。

犬の年の取り方の何と残酷なことか。

そのことを思うと、これからの1年、1年はかけがえのない大切な時間である。

そして、われわれ愛犬と生活を共にする者にとっては、これからの1年、1年は愛犬との思い出を刻んでいく時間でもある。心して過ごしていかなければと思っている。


パールの健気な3つの願い、あれこれ弁解せずに聞いてやらねばなるまい。

やっぱり「基本」が大切だ!!

2008-09-22 | 趣味
本ブログに「オーディオ談笑会」のメンバーの一人として度々登場してもらっているMさん。

そのMさんとは、昔からのオーディオ仲間であると同時にゴルフ仲間でもある。

若い頃、ゴルフを習い始めたばかりの小生を初めてコースに連れて行ってくれ、ゴルフの「筆おろし」をしてくれたのがMさんである。

そのMさんが、好きなゴルフもできないような大病を患ったのは、今から7年前のことである。

そして、今から2年ほど前の「オーディオ談笑会」の雑談中に「やっとお許しが出て、ゴルフが解禁になったよ、この間、息子と回ってきたんだ」とMさんが嬉しそうに話してくれた。

それがきっかけで、その後Mさんと何回か一緒にゴルフをするようになった。

これまでに3~4回、一緒に回ったが、ゴルフが解禁になった当初は久しくクラブを握っていなかったのだから、仕方がなかったとは言え、トップはする、ダフリはする、チョロはするなど気の毒なくらいゴルフになっていなかった。(もっとも、その頃は小生のゴルフも絶不調で、Mさんのことをとやかく言えた義理ではなかったのだが・・・・)

そして、その姿を見て、自分自身を含めて、Mさんのように長いキャリアがあっても、長いブランクがあると初心者に戻ってしまうのだなと実感したのであった。


今年になってのある「オーディオ談笑会」でのこと。

「Kさんには、この間、同じマンションに住んでいる母・娘さんとゴルフを一緒したこと、その娘さんがまだ若い頃、大学のゴルフ部で鳴らした人だったと言う話はしたよね。今、その女史にゴルフを習ってんのよ。週2~3回なんだけど、さすが元ゴルフ部だけあって、教え方が実に本格的なんだ。先ずは、ゴルフの練習のための準備運動から始まるわけよ。そして、グリップ、スタンス、スイングなどゴルフの基本を一から習ってるんだ。楽しいよ」といささか自信ありげな表情で話してくれた。

「それは、それは、今度のコンペが楽しみだね」と小生。


そして、そのコンペが先日行われた。

願ってもないことに、Mさんと一緒の組であった。

スタートして、一見して驚いた。

スタンス、スイング、インパクト、ボールの勢い、いずれをとっても以前のMさんとは別人の観である。


そんな自信に溢れた、Mさんのプレーを目の当たりにして、「ゴルフの基本を一から習ってるんだ」といったMさんの努力の成果が、まさにこれなのだと思い、ゴルフと言わずすべからく「習い事」を上達するには、自己流でなく、「正しい基本」をしっかりと身につけることと、たゆまぬ「練習」の積み重ねが大切であることをMさんが身を持って示してくれたように思った。


「正しい基本」と言えば、もう一人思い出す人がいる。

先月、大学時代のサークル仲間のゴルフコンペで一緒にプレーしたSくんである。

Sくん曰く、「おれ、ゴルフは今年になって2回目」。

だが、彼のプレーぶりを見ていると、とても2回目には見えない安定した内容である。

Sくんのスイング、球筋を見て、同じく一緒に回っていた親友のHくん(彼は毎日欠かさず練習場に行ってボールを打っているゴルフの上級者)が言った言葉が印象に残っている。

「彼は、ゴルフを習い始めた時、余ほど基本をしっかり叩き込まれたんだろうな、基本を体がちゃんと覚えているから、たまにプレーしてもそれなりのゴルフができるんだよ。やっぱ、基本が何よりも大切だね」


先日、息子から「再デビュー」してきました、と言うメールがあった。

もう何年も止めていたゴルフを仕事の関係もあって、また始めることにしたらしい。

そこで、「どうせやるなら『自己流』でなく、練習場のレッスン・プロに基本から教えてもらった方がいいよ」と返信したのだが、今思えば、そのことは、そっくりそのまま今の自分に当てはまるなと苦笑いを禁じえなかった次第である。

「まな板の鯉」の心境~「ガン検診」初体験記

2008-09-19 | 日常生活
「ウンチの出が悪い、ウンチが細い、出きらない感覚がある、左の腰が痛い。それで大腸ガンではないかと疑って来たんだ」

そう言いながら院長は机の引き出しからおもむろに1冊の小冊子を取り出して小生に説明を始めた。
それは「手遅れの癌」で死なないためにと表題がついていて、院長自身が著者である。



院長の著作<「手遅れの癌」で死なないために>
表紙には、今回小生に説明した書き込みが


「人間は癌では死なない。進み過ぎた手遅れの癌で死ぬのだ」

「医者は癌から助かる手伝いができるのみ」

などと「薀蓄(うんちく)」を傾ける。

のっけから「癌」と決め付けられたのには参ったなと思っていると、

「それで、内視鏡の検査の予約に来たってわけ?お前さん、怖くて病院に来るのをためらっていたんだろう。せっかく勇気を出して病院に来たんだ。ここで予約したら、その日が来るまで、またブルーな気持ちになっちゃうだろう。今日、やれることは、やってやるよ」

べらんめえ調の院長の物言いに面くらいながらも、心のうちの温かさが伝わってきて、即お願いすることにする。


病院で検診を受けようと思ったのには伏線がある。

その一つは、昨年11月に亡くなったかみさんの妹のご主人のKちゃんのことが常に頭にあった。

Kちゃんも「ウンチの出が悪い、ウンチが細い、出きらない感覚がある」と言って、医者に行き検査の結果「ガン」であることがわかったのだ。

その話を聞いた時、かみさんに「おれも同じ症状があるぜ」と思わず口にしてしまっていた。

「それじゃあ、病院にいかなければ」とかみさん。

しかし、その後も病院に行くのが怖くて、ぐずぐずと1日延ばしにして来たのだが、そんな気持ちに否応無く踏ん切りをつけざるを得ない事態が出来した。

本ブログでも何回も紹介した秩父の札所めぐりの先達役をつとめてくれた幼なじみの大親友Kくんが腸のガンで入院、手術したのである。

幸いにも、初期のガンと言うことで先日無事退院したが、お見舞いに行った時に彼が言うには、その症状は「ウンチの出が悪い、ウンチが細い、出きらない感覚がある」と言うものであった。

そして、「気になることがあったら、早く医者に行って診てもらう方がいいよ」と述懐していた。

この一言が「引き鉄」となった。

最早、ぐずぐずとためらっている時ではないと意を決して、その日4年ぶりに病院に行ったのである。

検査が始まった。

採尿、採血、腹部レントゲン撮影、腹部超音波撮影、CT撮影、腸のレントゲン撮影とめまぐるしく検査が続く。

CT撮影や腸に造影剤を注入してのレントゲン撮影などどれも初体験である。

次から次へと検査を受けているうちに、「ひょっとしたら、ひょっとすることになってしまうかな」という不安が沸いてきて、気分が段々沈んでいく。

「はい、これで検査は全て終了です。先生から結果説明がありますから、外科病棟の前で待っていてください」という一言で、12時過ぎから始まった検査は約2時間弱で終わった。

後は、先生からの結果説明を待つだけである。

いつ頃その説明があるのかわからないまま、ただじっと椅子に座って呼び出しがあるのを待つ。

こう言うのを「まな板の鯉」の心境と言うのかなと思った。

そして、幼なじみのKくんが検診の結果「ガン」を言い渡され、病院の紹介状を手に家に帰る時の心情を思った。

「おれの家系は、ガンになった人は誰もいない。ガン系統の家系ではないのだ。だから大丈夫」という楽観的な考えと、「もしも、ガンだったら・・・・・」と言う悲観的な思いがさまざまに頭の中を駆け巡る。

「Kさん、お入りください」と言う声。

一瞬、胸がドキッとする。

入室すると、件の院長がレントゲン写真を見ていた。

「結論から言います。あなたはガンではありません」

と例によって、人を食ったような物言いであったが、その目は優しく微笑んでいた。

そして、ひとくさり「薀蓄(うんちく)」を傾けていろいろと説明してくれたが、「安堵感」でしばしぼうっとしていた小生の耳には入らなかった。

「これに限らず、これからも何か気になることがあったら病院に行く。この勇気が大切なんだ。ガンなんて、早く見つければ怖い病気じゃないんだよ。今日はお疲れさん、良かったね」

「ありがとうございました。お手数をおかけしました。お陰で、安心しました」

こうして、初めての「大腸ガン」の検診が終わった。

19,550円、病院の窓口で支払った受診料である。

これで、こと腸に関してはしばらく思い煩うことはない。「安心料」と思えば安いものかも知れない。

そして、これで造影剤を注入された時の痛かったこと、先生の結果説明を待つ間は「まな板の鯉」の心境であったことなど、かみさんに「笑い話」として話せると思うと晴れやかな気分で家路についたのであった。

母の口ぐせ

2008-09-16 | 家族・母・兄弟
    
    敬老の日に母の長寿を祈って書いた「般若心経」の写経を贈った


今年92歳になった母は、耳が少し遠くなったことと、足が弱ったことを除けば、いたって元気で、自分のものは自分で洗濯したり、われわれが行った時のおみやげにと今も畑で野菜を栽培している。


兄貴夫婦と一緒に暮らしているが、自分の健康のことで


「子供たちには、迷惑をかけたくない」


が口ぐせで、体に良いと聞けばすぐに実践するなど、自分の健康管理には人一倍気をつけている。

その努力には、本当に頭が下がる。


母は19の春に当家に嫁いで来て、6人の子供をもうけたが、6人が6人とも全部男であった。(6人のうち2人は幼児期に亡くなってしまった。)

母は余程女の子が欲しかったのだろう、われわれが長じた後も、みんなが集まった席などで、


お前たちの中の一人でも女の子だったら、もう少し張り合いがあったのに・・・・」


とせんない繰言をしばしば口にする。

母の第2の口ぐせである。


その母には、一人だけ残っている同級生の幼なじみがいる。

その幼なじみは、近所に住んでいて、以前はちょくちょく母の所に遊びに来ていたようだが、さすがに最近はもっぱら電話で色々と四方山話を楽しんでいるらしい。

その幼なじみは、母と対照的に娘がいっぱいいて、何かにつけて、あちこちに連れて行ってくれているようで、その孝行話しを、自慢げに長々と母は聞かされるらしい。

それが母にとっては、何ともうらやましいのだろう、われわれ息子たちが集まると、「お前たちは、まったくたまにしか顔を見せないし、来れば来たで黙ってばかりで、ろくに話しもしない」


「これだから男の子供って、張り合いがなくて、全くつまんない」


と毎度決まったせりふを聞かされる。

母の第3の口ぐせである。

「おれは、いつもこのての話を聞かされてるんだ。お前たちも、おふくろの体が動くうちにたまにはどこか食事にでも連れて行ってやれよ」とは、母と同居している長兄の弁。

どこかに連れて行って欲しいという母の思いの中には、多分に幼なじみへの対抗心があるのだろうが、それにしても92歳になっても出かけたい、という気持ちがあること自体が凄いと思った。そして、この「好奇心」が92歳の母の元気の源なのかも知れないと思った。


9月15日は敬老の日。

敬老の日の贈り物は、いつも何にしようかと頭を悩ます。

そこで今年は市販の品物でなく、小生が気持ちをこめて書いた「般若心経」の写経を額に入れて贈った。


「お前が一生懸命書いてくれたものをもらって、うれしいよ」と母が喜んでくれた。

今年の敬老の日の贈り物は、われながら「いい、アイデアだった」と自画自賛している。

    
    「般若心経」の写経と一緒に書き込み式の「えんぴつ写経」を贈った
     般若心経の意味がやさしく解説されているので、鉛筆で写経し、
     経文を音読すれば一石三鳥の効果である