折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『コンパ』のノリ

2007-08-31 | 友達・仲間
夜中、のどの渇きで目が覚める。
時計を見ると午前2時30分である。
隣のベッドで大学時代の親友H君が熟睡中である。

ああ、今日は『飲みすぎ』、『しゃべりすぎ』だ。だから、こんなにのどが渇くんだし、いがらっぽいのだ。

水を飲みながら、思いはつい2時間ほど前に終わったゴルフ・コンペの『打ち上げ会』へと戻っていく。

その日は1年に1回大学時代の『剣道部』の先輩、後輩が集って催されるゴルフ・コンペの日である。もう10数年にわたって続いている恒例の行事である。

気心の知れた仲間との久しぶりのゴルフは勿論この上なく楽しいが、アルコールを浴びるほど飲みながら、気兼ねなく語り合う「夜の部」の打ち上げ会はそれに輪をかけて、賑やかで楽しい時間である。

皆が近況報告の順番が早く回って来ないかと『手ぐすね』引いて待っている。そして、順番が来ると『堰』を切ったように1年間のことをあれこれと語る様は、あたかも学生時代の『コンパ』を思い出させる。
先輩も後輩も関係なく、また、剣道が強かったどうかも全く関係がない。
そこにあるのは、青春時代の一時期、同じ『時間』と『空間』を共有した仲間同士だけが持ち得る『連帯感』である。
今回、遠く仙台の地から8時間もかけて後輩のN君が駆けつけてくれたが、この会が連綿と続いてきている理由は、まさにこの連帯感にあるのではないか、としみじみそう思う。

小生の順番が回ってきた。
最近の話題として『振り込め詐欺』の電話について話し出すと、先輩のNさんが『俺に30秒ほど時間をくれ、実は俺の女房のところにも<俺が電車の中で痴漢をした>と言う電話があったんだ』と話すと、周りから一斉に『それは、大いにありうる話だ』とチャチャが入って、一段と盛り上がる。

と言う具合に宴会は、いつ果てるともなく続いていく。

もう、その多くが定年退職して第二の人生を歩んでいるが、未だ現役で頑張っている人もいる。
絵画の個展を開くような、玄人肌しの人もいれば、最近、自費出版し、大手新聞社の書評欄に取り上げられた人もいる。また、職業人として写真のプロ、繁忙を極める開業医等多士済々のメンバーが、お互いに声を嗄らしながら、分け隔てなく喋っり合っている光景は、本当に学生時代、青春時代を髣髴とさせる。
メンバー一人一人の話から、それぞれが充実した日々を過ごしていることをうかがい知ることが出来る。小生にとって、1年に1回のこのゴルフ・コンペは、かけがえのない大切な集まりであり、参加するたびに、いつも『勇気』と『元気』をもらって帰ってくる。

来年の開催日は、8月27日、28日にその場で決まった。

来年の集いを楽しみに、この1年を頑張ろうという気持ちでいっぱいである。

『部活』教育

2007-08-27 | 教育
今、多くの学校が地域社会への貢献の一環として、学校の施設の一部を一般の人に無料で開放しているようだ。
我々居合・抜刀サークルも、このお陰で毎週月曜日と金曜日の2回、夜の7時から9時までの2時間、某中学校の武道場を使わせてもらって稽古をしている。

学校側としては、それがどの程度利用され、どれだけ役に立っているか、社会貢献の成果を把握すべく、毎年1回学校の施設を利用している、それぞれのサークルの主催者を集めて、活動状況の報告を聴取したり、学校側、各サークル側双方の要望等を話し合う懇談の場を設けている。

今年もその会合が開かれ、当サークルからは例年通り居合道七段と六段の二人の先生が出席し、活動状況を報告した。

そして、その会合の終了後、中学校の剣道部の部活担当の女の先生から両先生に折り入って相談があったと言う。

その相談とは、

自分は今度、初めて剣道部の部活を担当することになったが、剣道については全くの素人で何もわからない。不安で、自信がないのだが、お二人の先生方は、武道の経験が豊富で一家言お持ちのことと思うので、この際、部員を指導していく上での心構えについてアドバイスをいただけないかと。

相談を受けた両先生は、その女の先生にこうお話されたそうである。

先生、剣道に素人であることを心配されることなんて、ちっともありませんよ。技は教えられなくても、他に教えることはいっぱいあります。部室の整理・整頓、防具の手入れ、道場の清掃もその一つですが、本校においては、どれをとっても大変失礼ながら、なおざりにされている、見過ごされている、もっとはっきり言えばまったくできていない。
武道の目指すところは『人間形成』の場です。例えば、剣道は<礼に始まり、礼に終わる>と教えていますが、およそ武道を志すものにとって、こんな基本的なこともできていないということは、とても恥ずかしいことです。

ですから、先ずは第一にこの点を改めるよう生徒を指導されたらどうでしょうか。これは、剣道が出来る出来ないに関係なく、すぐにやれることです。
悪いところははっきりと指摘して、直させ、身につくまで根気よく教え込む。それが人を教え、育てるということ、即ち、教育と言うものではないですか、と。

道理で、このところ部室がやけにきれいになっていると思ったが、そんなことがあったのかと納得する。
そして、武道の『人間形成』と学校教育とは、こういうところで繋がるものなのだと両先生の話しをお聞きして、思いを新たにした。

『あの女の先生、今のところやる気十分のようですね。以前も、ちょっとの間きれいになったことがあったが、お茶を濁す程度にやってたもんだから直ぐに元の木阿弥になっちゃったけど、今度は徹底的にきれいにしているみたいだから』『そうですね、<渡りに船>とはこういうことを言うんですかね、お陰できれいな場所で着替えが出来て気分がいい』と両先生が笑いながら話しているのを横目で見ながら、新米部活担当の女の先生これから先も頑張ってよ、と心からエールを送りたいと思った次第である。   

一夏の経験

2007-08-23 | 家族・母・兄弟
夏休みも残すところわずかになったが、夏休みと言えば忘れられない一つの思い出がある。

今を遡ること28年前の夏に起こったハプニングであり、その時やり取りした合計3回の電話の内容が今も生々しく耳の中に残っている。


ハプニングを知らせる1回目の電話

『もし、もし、今、子供たちを迎えに駅に来てるんだけど、いないんだよ。駅のホームも探してみたんだけどどこにも見当たらないんだ。予定の電車に乗ったのは、間違いないんだよね』妻の妹のご主人のKちゃんからの電話である。

まさかそんなハプニングが起こるなど全く予想していなかったので、この電話には、びっくりすると共に『どうして』、『何で』と動揺する。

『間違いない、間違いない、俺が上野駅で常磐線の列車に乗せたんだから。』と言う声も不安で震える。

『そう、じゃあ、きっと、一つ前のK駅で降りてしまったんだろう。これから、K駅に電話して二人連れの子供がいないかどうか聞いてみるから。また、あとで電話する。』

電話が切れた後、しばし呆然自失の体である。頭の中が真っ白になる。

やっぱり、小さな子供たちだけで旅をさせたのは間違いだったか、取り返しの付かないことをしてしまったと言う思いに胸をかきむしられ、吐き気を催す。

そもそも事の発端は、息子が小学校に上がった最初の夏休みの『思い出作り』の一環として、妻の実家まで妹と二人だけで列車に乗って小さな『冒険の旅』をさせようと思い立ったことから始まった。

それまでも、息子は一人でしばしば実家の家に泊まった経験があるし、1年生にもなったことでもあり、心配はないだろうと送り出したのである。勿論、間違いが起きないよう実家の人たちとは綿密に打ち合わせし、当日は上野駅まで小生が送って行き、乗り込むのを確認し、列車が駅に着く時刻には、実家の方で出迎えることになっていたのである。

また、連絡すると言ったまま中々連絡が来ない。
28年前、まだ携帯電話などない時代である。電話は家庭電話と公衆電話の時代である。

次の連絡が来るまでの時間が何と長く感じられたことか。妻と二人で電話機の前に張り付いてひたすら呼び出し音が鳴るのを待つ。

身を引き裂かれるような辛い時間が過ぎていく。

変な人にどこかに連れて行かれてしまったのではないか、乗り過ごして今頃は遠くに運ばれてしまっているのではないか等々次々に不吉なことばかりを考えてしまう。
居ても立ってもいられない思いである。

安否を心配する身に待ちに待った2回目の電話

『いたよ。やっぱり一つ前のK駅で降りちゃったんだ。今、隣の駅の駅員さんに確認してもらったからもう大丈夫だよ。これから迎えに行ってくるから安心して』

『良かった』とほっと安堵の胸を撫で下ろす。
そして、電話を切るとその場にへたり込んでしまう。

ハプニングの顛末を知らせてくれた3回目の電話

『今、車に乗せるところ。妹のWちゃんは半ベソをかいてたけど、Tくんは気丈にしていたよ、さすがお兄ちゃんだね』

『Tくんの話だと、列車の中で知らないおじさんに「どこまで行くの」と聞かれて、T駅と言ったら、「この電車はT駅に止まらないから、一つ前のK駅で降りて後から来る各駅停車に乗り換えるんだよ」と言われたんだって。Tくんは、そんなことはない、おとうさんはT駅に止まるからって何回も言ってたもん、と思っていたけど、そのおじさんが、しつっこくT駅には止まらないと言うもんで、K駅で降りたと言うんだ。余計な世話を焼く人がいるから、全く困っちゃうよね。』

電話の話しを聞きながら、一つ手前の駅で降りてしまった子供たちのことを思った。迎えてくれる人もいない、見知らぬ駅の改札口で、小さな二人はどんなに心細い思いをしていたことか、そのことを思っただけで、胸が張り裂けんばかりであった。

『もし、もし、聞こえてる。あのさ、間違ってT駅に降りてしまったことで二人を、叱らないでね』

『ありがとう、Kちゃんは、優しいね。無事でよかったよ。叱れる筈ないじゃない』


今年、孫が小学校に上がり、今こうして最初の夏休みを我が家で過ごしている。
思わず28年前のあの時の息子の姿を重ね合わせて、これも何かのめぐり合わせかと思った。

そして、しばし『時の流れ』に思いを馳せた。

今でも、見送りに行った上野駅で小さな背中に大きなリックを背負って常磐線の列車に乗り込んでいく二人の小さな後姿を思い出す。

当事者である幼い兄妹にとっては勿論のこと、親たちにとっても忘れることの出来ない『一夏の経験』であった。

『お盆休み』顛末記

2007-08-19 | 家族・母・兄弟

悪がき二人にもみくちゃにされているわたし




今日は、当家の愛犬の『パール』です。

毎日暑い日が続きますね。
残暑お見舞い申し上げます。

さて、お盆休み期間中は、当家の家族全員が集まって、それはそれは賑やかで、楽しい毎日で、私も興奮しっぱなしで、今は少々バテ気味です。

今日も、お兄ちゃんの子供たち(7歳と5歳の男の子)に追い回されて、耳や尻尾を引っ張られる夢を見てしまいました。彼らときたら、わたしの上に馬乗りになるやら、背中を枕代わりにするやら、まさに傍若無人の振る舞いなんですもの、参っちゃいます。そこまでされても、じっと耐えて尻尾を振って愛想を振りまくわたしの気持ちお察しいただけます?
でもね、わたし、あの二人がとっても大好きだし、あの子たちもわたしのことが本当に大好きなので、大抵のことは、許せるし、我慢もできちゃうのよ。

おとうさんは、子供や孫たちが来るというのでその間は、孫たちといっぱい時間を過ごせるようにと大好きな読書や音楽や居合などを一切取りやめて、孫たちが持参したゲーム機(Wii)にチャレンジしたり、逆に彼らが知らないトランプの7並べを教えてあげたり、ポケモン映画を一緒に見たり、池袋のサンシャインでやっているウルトラマンフェステバルに行ったりとひたすら孫のお相手です。

そのおとうさん、一つだけ誤算があったみたい。それは、孫たちに読ませようと買い揃えておいた横山光輝の漫画『三国志』(6月30日付ブログ『種まき』)を見せると、孫が『漫画なんか、面白くないや』と全然興味を示さなかったのには、ちょっとがっかりしたみたい。(その分、パパさんが、夢中になって読んでいたけどね。)

一方、おかあさんはと言うと、子供や孫たちにおいしい食事をご馳走しようと腕によりをかけて料理をこしらえているの。
それにしても、台所におかあさん、おねえちゃん、おにいちゃんのおよめさんの3人が並んで立って、おしゃべりをしながら料理している様はとっても素敵で、わたしも仲間に入れてもらおうと近寄っていくと、『パールは、あっちへ行っていて』と言われてしまいました。ショック、ショボン。

でも、大家族って大変ね。9人もいると、食材を買うのも一苦労だし、作るのも大変。後片付けは、もっと大変と一家の主婦は大忙し。おかあさん、大変でしたね、ご苦労様でした。だけど、皆、おいしい、おいしいって喜んでいたよ。


おとうさんやおかあさんをそんな気にさせる子供や孫ってすごいんだなあ、と思うと同時にちょっぴりうらやましかったわ。

家族全員が揃った8月17日の夜は、大いに盛り上がって、すっごく楽しかったわよ。
シャンパンで乾杯し、全員がほろ酔い気分で、孫たちも入って全員でWiiのボーリング・ゲームの勝ち抜き戦をやったり、トランプの7並べに一喜一憂するなど、夜遅くまで笑いと歓声が絶えませんでした。
お陰で、わたしは安眠を妨害されてえらい迷惑でしたが、『家族って、本当にいいなあ、大切なんだなあ。』としみじみと感じちゃいました。そして、わたしもその家族の一員であることを幸せに思いました。




8月18日。
子供や孫たちがそれぞれの家に帰る日である。

帰る車を見送って玄関に入る。
それまで、玄関に所狭しと脱ぎ散らかされていた大小の履物がすっかりなくなり、わが夫婦の履物だけがポツン取り残されているのを見ると、毎度の事ながら『ああ、あいつら本当に帰ってしまったのだ』としばし何とも切ない思いを味わう。
一つため息をついて玄関を上がる。

妻の夏休みも今日まで、明日から出勤である。小生の方も、長いお盆休みを終えて明日から『書道』、『居合』の練習が始まる。ブログも今日から再開である。

いつもの平凡だがかけがえのない『日常』が戻ってくる。
元気を出して頑張ろう。