折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

はじめまして

2006-08-28 | 家族・母・兄弟

<おねだりをする時の、ポーズです。>


はじめまして、当家の愛犬「パール」です。

家族の一員になって、来月25日で6年になります。
今年は、「戌」年で、年賀状でもわたしが主役になって、みなさんにご挨拶しました。

わたしの当家での役割は、「健康」、「癒し」、「絆」をもたらすこと。
そのために、日々頑張っています。(以上は、よそいきのご挨拶)


<散歩していると、黒びかりしていて、「まるで黒真珠みたい」と言われるの>

(これからは、普段のわたし)

健康面では、おとうさんは現在体重が58キロ、最高時より5キロも減って、肉体的には大分若返っちゃいました。(その分、顔が少し貧相になったのが、気に入らないが・・。)これなど、わたしとの朝、晩の散歩のおかげ。この間も、暑い盛りの中、

河川敷でゴルフをやってきて、みんなが暑さでバテバテの中、一人元気で後半には、ベストスコア41を出して、2位になったんだって。

スピーチで、「愛犬との散歩が元気で頑張れた要因、愛犬に感謝しなければ」、と言ったんだって。いいところあるな、と見直しちゃいました。



<おとうさんとの散歩コース。春はお花見の人でいっぱいになる。>

今は、真夏で日中は暑いため、朝は5時過ぎに散歩に行きます。
わたしは、涼しいので大歓迎ですが、おとうさんは少々眠そう。でも、毎日寝坊もしないで起きてくるのには、感心しちゃいます。

どうも、散歩から帰ってきて、朝風呂に入って汗を流し、リラックスするのが楽しくて、毎日頑張っているみたい。

おとうさんは、最近ブログと言うのを始めたみたいで、今、えらく「ハマ」ってるみたい。

散歩の途中でも、時々、心ここにあらずの体になり、突然立ち止まって、手帳に何か書いているの。どうも、ブログの原稿を思いついたようなのだが、わたしが、おしっこのマーキングをするよりも頻繁に立ち止まるのには、「1回で済ませてよ。」と文

句の一つも言いたくなる。
でも、その時のおとうさんの真剣な顔を見ると、思わずお座りして協力しちゃいます。

当家は今、ご夫婦の二人暮し。

おかあさんは、わたしに「ぱーるがお話できたら、どんなにいいか」と話しかけてくれるの。そんな時、わたしも、おかあさんと同じ思いよ。でも、人間の言葉は話せなくても、言ってることは全部わかるよ、と全身で訴えるの。

おかあさんは、とってもコミュニケーションをとるのが上手だけど、おとうさんは自分中心で、わたしの気持ちなどには、おかまいなし。もうちょっと、気配りが出来れば、いいおとうさんなのだが・・。性格だから、しょうがないか。

でも、当家の家族はみんなやさしくて、いい人ばかり。わたしは、今、とっても幸せ。


パールが、我が家の家族に加わってから、早6年。
以前飼っていた、柴犬の「ララ」が死んで、もう犬は絶対飼うまい、と心に決めていたが、たっての娘の願いにほだされて、飼う事になった。

今は、かけがえのない家族の一員であり、パールのいない生活は、考えられない。
パールに出会えて、本当によかったと思っている。

呪われた昭和38年11月

2006-08-25 | 音楽
<今日の1枚>

ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄』
ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団


昭和38年と言えば、小生の大学時代であるが、この年の11月に、ありうべからざる出来事が立て続けに発生した。

先ず、11月9日に「国鉄鶴見事故」が発生、当大学の学長三枝博音先生が、東京での学会の帰りに事故に巻き込まれて、亡くなられた。

当大学の「顔」とも言うべき哲学者で、こよなく学生に慕われ、尊敬されていた。

大学葬は体育館で執り行われ、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の第2楽章「葬送行進曲」が重々しく流れる中、多くの学生に混じって小生も花を手向け、冥福を祈った。

それから2週間後の11月23日未明、「ケネディ米国大統領暗殺と言う衝撃的ニュースが世界を駆け巡った。

そのニュースは、下宿先のお寺の本堂でやっていた下宿仲間との徹夜麻雀が終わり、自室に戻り、「さあ、寝ようか」というタイミングに飛び込んできた。

眠気もすっ飛んで、ニュースを報じるラジオにかじりついた。
ショックと興奮で寝るどころではなかった。

時間が経ち、興奮も収まった時、哀悼の意をこめて、フルトヴェングラーがウイーンフィルを指揮した、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の第2楽章「葬送行進曲」を聴いた。

まさに、昭和38年11月は、何かに呪われたとしか思えない月であった。

そして、月に2回も深い悲しみを持って、「葬送行進曲」を聴くことになるとは、思っても見なかった。


孫たちのブログ

2006-08-22 | ブログ
こんにちは。
ぼくたちは、K(6さい)とS(4さい)です。

いま、夏休みで、じいじとばあばのところに、あそびにきています。
これは、ぼくたち二人の日記(ブログ)です。



1日目

じいじ、ばあばのところには、「パール」という犬がいます。
ぼくたちが行くと、おおよろこびで、しっぽをちぎれるほどにふって、はしりまわったりして、だいかんげいしてくれます。

せなかにのっても、みみにさわっても、ちっともおこりません。
ぼくたちは、パールがだいすきです。



2日目

きょうは、だいすきなでんしゃにのって、「恐竜展」にいきました。
でも、きょうりゅうたちは、みんなほねばかりで、おもしろくなく、がっかり。

かえりに、スゴイ雨とカミナリで、でんしゃがとまってしまいました。
どうなるのだろうと、どきどきしたけど、5ふんでうごきだした。

「ああ、よかった!!」



3日目

きょうは、じいじのいなかに、はかまいりにいきました。
大きいいえで、お庭もひろいので、おともだちといっしょに、土いじりをしてあそびました。

お墓にいくとちゅうで、ザリガニをみつけました。
とろうとしたら、すぐにもぐって、にげてしまいました。



4日目

きょうは、ばあばのいなかに、いきました。
いえには、いっぱい、おともだちがきていて、みんなでたのしくあそびました。

じいじ、パパとぼくたちで、川にザリガニつりにいきました。
1っぴきもつれなかった。





5日目

きょうは、てんきがよくないので、おでかけは、なし。
じいじに、まんがの本をよんでもらったり、じいじがよくいく、としょかんにいきました。

としょかんには、ぼくたちのだいすきな、でんしゃの本がいっぱいあって、たのしかった。




6日目

きょうは、いけぶくろに、「昆虫展」をみにいきました。
クワガタ、カブトムシがいっぱいいて、ぼうでさわれたので、とてもたのしかった。



7日目

きょうは、ユネスコむらへいきました。
ここでは、ほねだけでない、きょうりゅうをみました。

3Dのきょうりゅうのえいがは、ちょっぴり、こわかった。


最終日 バイバイする日

きょうは、「バイバイ」する日です。じいじ、ばあば、パールいっしょにあそんでもらってありがとう。

また、あそびにくるからね。


かくして、たくさんの思い出を残して、孫たちと過ごした日々が終った。
次に会えるのは、来年のお正月か。

その頃は、二人とも、もう一段たくましく、腕白になっていることだろう。

我が家に、いつもの日常が戻ってきた。
寂しいようで、ほっとしている日々である。

続・わがふるさと

2006-08-19 | 友達・仲間
幼なじみ


電話の呼び出し音、妻が電話を取ると、「小学校の同級生だけど、『Iちゃん』います。」

「Iちゃん」とは、勿論小生のことである。

「『Iちゃん』、同級生の○○チャンから電話」と妻

60歳を過ぎた、いい大人が幼なじみ同士とは言え、「○○ちゃん」とちゃん付けで呼び合っているのが妻には信じ難いようで、いつもからかわれる。

「○○ちゃん」は、我が家だけでなく他の同級生の家族の間でも有名になっているらしく、どこの家でも家族から揶揄されているらしい。

この所、とみに会う機会が増え、その連絡の電話も多い。そのせいか、最近はからかわれるよりも、「そんなに何回も会って、よく話すことがあること。」と皮肉を言われることも。

確かに、そんなに話をするわけではないが、会ってお互いの無事な姿を実際に自分の目で確認し合うことで、安心し、短い時間ではあるが、一緒にいることで満ち足りた気分になれるのも、幼なじみゆえのことである。

幾つになっても、会えばお互いすぐに子供の頃に戻れ、「ちゃん」付けで呼び合う、それが幼なじみと言うものである。

小学校の同級生は、まだ他に大勢いるが、「ちゃん」付けで呼び合う幼なじみは、同じ集落で育った、男3人、女6人計9人だけである。

その一人一人がかけがえのない、大切な存在である。
年を重ねるごとに、この思いは強くなっている。

「Iちゃん、います。」という電話は、これからも折に触れてかかってくることだろう。


<今日の1枚>

本田竹広 ふるさとー On My Mind-

先般、亡くなられたジャズ・ピアニスト本田竹広さんの、まさに「白鳥の歌」となった作品。童謡に託した、本田さんのふるさとへの想いが凝縮されている。


わがふるさと

2006-08-16 | ふるさと

<写真> 「生家」 数々の懐かしい思い出を刻んだ我が生家、取り壊して今はもうない


8月13日は、墓参に田舎に行く。
自宅から車で1時間足らずの所だが、我が田舎は子供の頃とさして変わらないたたずまいで、いつもやさしく迎えてくれる。

ここはまるで時計の針が止まってしまっているのでは、と思わせるほどに全てが子供の頃と変わっていない。

ふるさとが、このように子供の頃と変わることなく存在していることは、本当にありがたいことであり、嬉しいことである。

しかし、一見変わっていないように見える風景の中に、最近はちょっと気になるところが見えてきた。




<写真> 「集落」 青々と広がる田んぼの先に、集落が点在している


この集落にも、過疎化と高齢化の波が急速に押し寄せており、今後の農業の在り方が問われる状況となっている。



<写真> 「土手」 雑草が生い茂って荒れている堤防


田舎に帰ると、必ずこの土手に来る。子供の頃は、牛やヤギが草を食み、農家の人が欠かさず草刈をし、秋には野焼きをするなど、堤防をしっかりと守ってきたが、今は歩くことが困難なほど雑草が生い茂ってしまっていた。




<写真> 「荒地」 堤防の外は、見渡す限り荒涼とした荒地


堤防の外も子供の頃はさつまいもの畠や、桑畑が広がり、学校帰りには桑の実を食べるのが楽しみの一つであったが、今は耕作する人もいないらしく、放置されて荒れ野となっていた。




<写真> 「小川」 子供の頃一番魚が取れた場所


小川も、しかり。子供の頃「フナ」「コイ」「ナマズ」「ライギョ」等がたくさんいて、川をせきとめて「川干し」をして魚を取るのが最大の楽しみであったが、今は、川は澱み、魚影を見ることは出来ない。


ふるさとが子供の頃と変わることなく存在していることは、幸せなことであるが、そこかしこに、古き良き時代の自然環境が蝕まれていくのを見るのは、痛ましいことであると同時に、耐え難いことでもある。