折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『わが意を得たり』~ある日の新聞記事から

2008-02-27 | 日常生活
ある日の朝。

いつものようにのんびりと新聞に目を通していると、経済面に『原油100ドル再突破』、『投機マネーが主導』と言う活字が踊っていた。

記事は『度重なる利下げで潤沢になった投機資金の多くが、商品相場に向かっている』、『相場上昇の最大の要因は投機的な動きだ』と指摘し、『原油は投資商品になってしまった。投機による価格高騰と、激しい相場の変動を憂慮している』というIEAの事務局長のコメントを掲載していた。

『投機家』と呼ばれる一部の金儲け集団によるマネーゲームの『ツケ』が『ガソリン、灯油』高となってわれわれ庶民のふところを直撃するという図式にはかねて腸が煮えくり返るような強い怒りと憤りを覚えていたが、今回もまたぞろ彼らの仕業か、と苦々しく読んでいると、同じ紙面に小さな見出しで『ガソリン価格国内下落続く』、『急騰で買い控え』という記事があった。



ガソリン価格の下落を報じた新聞記事(朝日新聞より)


そして記事は国内のガソリンや灯油の小売価格が昨年12月中旬以降、一本調子で下がり続けている。価格が高すぎて、消費者の買い控えが定着したためとみられる、と伝えていた。さらに記事は、灯油の場合、暖房を弱めて、灯油の消費を抑えるとともに、割安な電気やガス式の暖房器具に切り替えたためとみられると分析していた。

この記事を見て、『よし、やった~!!』と心の中で快哉を叫んだ。


巨額の投機マネーには対抗すべくもないが、『一寸の虫にも五分の魂』である。
急激な価格上昇が消費構造の変化に影響を与えた結果の消費の抑制であれば、目下の喫緊の課題である『温暖化』防止にもつながることでもあり、まさに『災いを転じて福となす』一例と言えるのではないだろうか。


まさに『わが意を得たり』と気分を良くして新聞をめくっていくと、投書欄に『前向き志向で車のない生活』という記事が目に入ってきた。

投稿者によれば、節約のために車を手放した。

『当初は日常生活に色々支障を来たすのではと心配したが、そんな心配はいらなかった』
『車がなければないで、徒歩、自転車、バスなどでけっこう間に合う、CO2排出量や大気汚染が改善され、交通事故は減り、マイナスよりプラスの影響の方が大きいのではないか』
『車が持てないから、とがっかりするのではなく、環境や健康のために持たないといった前向きな風潮が広まればよいと思う』、と書いていた。


これもまた『わが意を得たり』のご意見であり、新聞を読んでいて2回も『わが意を得たり』と思えるような記事に出くわすことは、稀であり、その日は一日中ほのぼのと暖かい気分で過ごすことができた。

昨今はガソリン、灯油はもとよりあらゆる日常生活用品が値上がりしている。
われわれ庶民としては、これらの状況を前にして、ただ漫然とこれまでの生活パターンを続けるのではなく、生活防衛のために『知恵』と『工夫』をこらす努力、場合によっては投稿者のように車を止めてみるとか、あるいは電気や暖房を多く消費している夜型の人は朝型に変えてみるとか、思い切ってこれまでの生活スタイルを変えてみる勇気も必要なのではないだろうか。

今こそ、そうした具体的なアクションが、われわれ一人一人に求められているのではないだろうか。


その日の新聞記事を読んでそう思った次第である。

『老い』のシグナル~誕生日雑感

2008-02-23 | 日常生活
3つ違いの次兄は無類の本好きで、家では本に埋もれた生活をしている。
これまでは暇さえあれば、日がな一日好きな本を読んで過ごしていた。

ところが義姉によると最近はどうも様子が違うらしい。

『前は暇さへあれば本を読んでたでしょう。でも、今は違うのよ、朝からもっぱらテレビなの。たまには本を読んだら、とわたしが言うぐらだから変われば変わったでしょう。どうも、最近は【根】が続かないみたい。それって、【老い】ってことよね』

その話を聞いて、ずっと前に長兄が言った

『おれのこれまでの経験から言えば、気力、体力とも65歳まではなんでもないね、へちゃらだったよ。でも、65歳を境に変わって来るみたいだよ。例えば、リタイアしたばかりの頃は、仲間の集まりがあると、待ってましたとばかり勇んで出かけて行ったけど、そのうち面倒くさくなって段々行かなくなる。そういうふうに物事が『億劫』になったり、『根気』がなくなったりし始めるのが、65歳過ぎた頃かな』

と言う言葉を思い浮かべていた。

そして、この長兄が言っていることに思い当たることがつい最近にあった。

その日は、37年勤めた会社生活の中で最も思い出深い部署である『総務部』の仲間との飲み会であった。

前々からその日を楽しみにしていたのだが、いざ出かける段になって、夜の都心に出かけることが妙に億劫に感じられた。

そこで、仲間に『いやあ、夜の宴席に出かけるのが、少々気分的に億劫になってね』と話したら、『もうそんな年かよ』とか、そんなんじゃあ『老け込んじゃうぞ』とさんざんからかわれ、笑われてしまった。

その集まりは、3人は現役で、そのうち2人はまだ40代のバリバリの現役、もう1人、本ブログでもたびたび登場する元S課長は今は、中小企業の副社長。リタイア組みは小生のみである。話しをしていても、さすがに現役組は元気いっぱい、活気にあふれている。
そして、いつの間にか彼らの話題についていけない、のりきれない自分を否応なく意識し、普段は余り感じないが現役組とリタイア組の落差というものを改めて自覚させられた。

帰りの満員電車に揺られながら、これなども『老い』の一つの兆候なのかなと考えてしまった。


また、これとは全く違った形で『老い』を意識することがある。

それは、最近、新聞を読んでいて感じることなのだが、目は活字を追っているのだが、うまく意味が頭の中に入ってこないことが増えてきたということである。

それと、新聞を隅から隅まで読もうとする『根気』がなくなってきた。

これなどは、『老い』の一つの兆候、シグナルといえるだろう。

逆に言えば、こんなことを考えてしまうこと自体がすでに『老い』の証なのだろう。

ところで、冒頭で紹介した次兄の近況だが、今年になって近くの公民館でやっている『囲碁』の集まりに顔を出すようになり、今では持ち前の負けず嫌いの性分を存分に発揮して、『取る』か『取られる』か、得意の『ケンカ』碁を楽しんでいるとのことである。


長兄は年男の72歳、次兄は68歳。
そして、小生は今日2月23日65回目の誕生日を迎えた。

まだまだ、『老い』などを考える年ではないと自分自身を『叱咤』しているところである。

『キレ』てしまった!!~矯正不能?『北風』的性格

2008-02-19 | 日常生活
昨年、ブログで我が家の愛犬『パール』の名前を借りて、小生とかみさんの性格の違いをイソップ物語に出てくる『北風と太陽』にたとえて、小生が『北風』でかみさんが『太陽』である、と紹介した。(2007年5月9日付『寓話』)


その後、『犬と私の10の約束』(川口 晴著 文芸春秋社)と言う本に感化され、しばらくは小生も『太陽』政策にこれ努めてきたのであるが、先日、本来の『北風』的性格が露わになった『ハプニング』が起こった。



我が家では、ボールの代わりにぬいぐるみで遊ぶのだが、すぐにあきてしまい、
『つまんない』というポーズの愛犬パール



ある日の午後の散歩でのこと。

愛犬『パール』と一緒にいつもの午後の散歩コースを歩いていると、遠くにボールで遊んでいる幼児の姿が目に入って来た。

ボール遊びが何よりも大好きなパールがいち早くそれを見つけて、そわそわと興奮状態を呈し始めた。

『ちょっと、やばいな』と思ったが、近寄らなければ大丈夫と、そのまま進んで、幼児との距離を開けたまま、まさにすれ違おうとしたその時、ハプニングが起こった。

幼児が手に持っていたボールをパールに向けて転がしたのである。
まさに、『あっ』と言う間の出来事で、小生が拾い上げる前にボールはパールの口の中に。

ボールはサッカーボールぐらいの大きさで、運悪く空気が抜けていてパールがくわえるにはもってこいのやわらかさである。

急いでボールを口から引き離そうとしたが、もう興奮しきっているパールは何としても離すものかと頑強に抵抗する。

パールも興奮しているが、こちらも頑としてボールを離さないパールにすっかり『キレ』てしまった。

何としても、パールを屈服させずにおくものか、こちらも本気モードである。

ボールを巡って、パールと小生の肉弾相打つ『格闘』が始まった。


そして、数分後。

パールの頭をひざの下に組み伏せ、ねじり上げるようにして、ようやくにしてボールを取り上げた。

そんなことで、散歩を再開しても、しばらくは、犬も人間も興奮さめやらずの体である。


そして思った。
あの時、『太陽』的性格のかみさんだったら、どうしただろうかと。

そして、また、こうも思った。
どうも、おれは根っからの『北風』的性格のようだと。

『男子厨房に入る』~料理に初挑戦、結果は・・・・

2008-02-16 | 日常生活
先日、料理に初挑戦した。

その日は、夕食の時間が近づくにつれそわそわと落ち着かない。

『今晩のご飯のおかずは、おれが作るよ』と宣言した料理のレシピが書かれたメモ用紙を何回となく見直す。

そうなった、いきさつはこうである。

小生は、平日はかみさんが勤めに行ってしまうと帰ってくるまで、ほとんどテレビを見ないが、かみさんが休みの日である木曜日は唯一の例外である。

愛犬『パール』との散歩を終えて、少し遅い朝食をとる。
このとき見るテレビが、『はなまるマーケット』と言う番組で、特に木曜日の特集<千秋の『教えて!シエフのmyごはん』>と言うコーナーがお気に入りで、欠かさず見ている。

その週は、フランス人のシエフ フィリップ・ベットンさんが紹介した『フランス風の肉じゃが』を『薬くん』が、それはそれはとてもおいしそうに食べていた。

グルメ通の『薬くん』があれだけうまそうに食べているのだから、きっとおいしいんだろうと

『今度作って見たら』

『いいかもね』

ということになった。

そして、司会者の『おいしい!!』、『カンタン!!』と言う言葉の後の方の『カンタン』にひかれて、『それなら、おれでも作れるかな』とチャレンジしてみようとなったわけである。

ところが、いざはじめて見ると、ことはそう簡単ではない。
ジャガイモの皮のむき方で先ずかみさんの教育的指導が入る。

『もうちょっと、きれいにむかないと。皮がまだついてるわよ』

また、タマネギのみじん切りには悪戦苦闘する。

それでも何とか、先ずはタマネギを炒め、ひき肉を炒めて、いよいよ味の決め手となる『塩』、『コショウ』を使っての味付けである。

この辺になると、かみさんに頼らざるを得ない。

『どう、これくらいでいいかな?』と小生。

『もっと、大胆に』とかみさん。


なんや、かんやでジャガイモをつぶしてマッシュポテトを作る工程はかみさんに分担してもらう。

つぶし終わったジャガイモに温めた牛乳、バターを入れてよくかき混ぜて、あっという間にマッシュポテトが完成。
その手際のいいこと、さすがは主婦である。

グラタン皿にマッシュポテトを敷き、その上に炒めたタマネギとひき肉を乗せ、さらにその上にマッシュポテトとピザ用チーズを乗せてオーブントースターでチーズがカリカリになるまで焼いて完成である。


そして、いよいよ試食である。


かみさんとの共同制作の結果できあがった料理『フランス風肉じゃが』

『薬くん、あの時とってもおいしそうに食べてたよね』

と言う言葉が、かみさんの第一声。

と言う言い方は、期待したほどではなかったと言うことか。

『ジャガイモを茹でる時、もう少しお塩を入れたほうが良かったかもね。それと、タマネギとひき肉の味付けも、塩、コショウが少し足りなかったかな』

とは、かみさんの講評である。

わが料理の師の指導に『妥協』の二文字はないようだ。

わが料理の第1作目『フランス風肉じゃが』は、失敗作と決め付けられないものの、若干ほろ苦いデビューとなった。

これが、始まりの『第一歩』となるのか、はたまた、『もうこれっきり』となるのか、現段階では何とも言いがたい。

『男子厨房に入る』、楽しく、面白い体験であった。

『忘我』の境地、『陶酔』の世界へと誘われる~諏訪内晶子ヴァイオリンコンサート

2008-02-13 | 音楽
昨夜(2月12日)クラシックのコンサートに行ってきた。
前回が06年12月であったから、実に久しぶりのコンサートである。

コンサート会場は『サントリーホール』である。

今回のコンサートには、三つの楽しみがあった。

その一つは、コンサートに一緒に行くのが、弟であること。
弟とはゴルフには良く行くが、クラシックのコンサートは始めてである。

一時期、音楽から遠ざかっていた弟が一緒に行かない、と誘ってくれたのが何より嬉しかった。

第二の楽しみは、コンサート会場がサントリーホールであること。
サントリーホールには、ぜひ一度行って見たいと念願していたのだが、これまでその機会がなかった。
その念願が叶う。

第三の楽しみは、諏訪内さんのヴァイオリンを聴けるということ、しかも、小生が大好きなモーツアルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K364を、である。

そして、コンサート当日。

先ず、びっくりしたことが二つ。

その一つは、初めて目にしたサントリーホールの偉容。

そして二つ目は、演奏会場に皇太子殿下がお見えになったこと。

開演5分前、会場から盛大な拍手。
そこには、にこやかに手を振って着席する殿下の姿があった。(位置的には、われわれが座った場所のほぼ真向かい)

全く予想だにしていなかったので、これには本当に驚いた。

いよいよ、開演。



諏訪内さんが競演したユーリー・バシュメット&モスクワ・ソロイスツ合奏団
(当日のプログラムから)


諏訪内さんが登場したのは二曲目。

彼女が現れると、まるで大輪の花が咲いたように会場が華やいだ。

その立ち姿はあくまでもエレガントで、白い『妖精』を思わせる。

そして、いよいよモーツアルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K364の演奏が始まる。

この曲は、数ある好きなモーツアルトの曲の中でも5本の指に入るほど小生が好きな曲である。特に、その第二楽章が。

そして、演奏はまさにその大好きな第二楽章に入っていく。

息を詰めて聴き入る客席。

諏訪内さんのヴァイオリンとユーリー・パシュメットさんのビオラが織りなす、涙がにじむような哀切極まりない調べが、し~んと静まり返った空間に紡がれていく。

そして最大の聴き所、カデンツアへ。

ヴァイオリンとヴィオラの音が次々に絡み合って、ため息の出るような美しい音の世界が繰り広げられていく。

観客は『忘我の境地』、『陶酔の世界』へと誘われて行く。
思わず、鳥肌が立った。

演奏が終わった。

サントリーホールを埋め尽くした客席からの熱狂的な拍手の嵐がしばし鳴り止まない。

そうした観客の拍手に応える諏訪内さん、そして、殿下に向かって軽く会釈を送って舞台の袖に向かう彼女の姿には『女王』の貫禄が溢れているように見えた。

休憩を挟んで後半のプログラムは、モーツアルトのヴァイオリン協奏曲第2番。

諏訪内さんのヴァイオリンは、美しく、のびやかにそして豊かな音色でモーツアルトの世界を再現していく。

カデンツアでのヴァイオリンの音色が何とも艶やかで、その絢爛たる演奏テクニックに聴きほれてしまう。

『クラシックのコンサートは初めてだったけど、いや~、よかったね。』と弟。
『コンチェルトは、カデンツアがあるからいいよね、今日の彼女のカデンツア良かったね、聴きほれちゃったよ』と興奮冷めやらぬ体である。

『次回は、フルオーケストラでぜひベートヴェンの交響曲かコンチェルトを聴きたいね』と弟。

『そうだね、じゃあ、年末に第9を聴きに来ようか』と小生。

『うん、そうしよう。楽しみだね』と弟。

大いなる感動と満足を味わった愉悦の一時であった。

コンサートに誘ってくれた弟に感謝である。


【当日のプログラム】

J・Sバッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調BMV1048

モーツアルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K364

モーツアルト:ヴァイオリン協奏曲第2番ニ長調K211

ブルッフ:コル・ニドライ(ヴィオラと弦楽合奏版)

モーツアルト:セレナード第13番ト長調【アイネ・クライネ・ナハトムジーク】

ヴァイオリン独奏:諏訪内晶子  指揮・ヴィオラ:ユーリー・バシュメット
演奏:ユーリー・バシュメット&モスクワ・ソロイスツ合奏団