折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

かんたん、おいしい、ぜひ、作って見て~自慢の郷土料理「すったてうどん」

2010-05-12 | ふるさと

郷土料理『すったてうどん』
『すったてうどん』の材料を調合中


調合した冷たい汁にうどんをつけて食べる


子供の頃、食欲がなくなる暑い夏の真っ盛りに、どこの家でも決まって食べていた一品が『すったて』と呼ばれる一種の『冷汁』料理。(川島町でも「すったて」は、別名「冷汁」、「つったて」、「きゅうりもみ」と呼ぶ人もいる。呼び名に関しては地区によって偏りがあり、われわれの集落では「きゅうりもみ」という呼び方が一般的)



お店には『グルメ王』初栄冠の
新聞記事が置かれていた。



その懐かしい郷土料理が先日行われた『第6回埼玉B級ご当地グルメ王決定戦』で優勝したというニュースをテレビで見て、久しぶりにふるさと川島町まで食べに出かけた。

われわれが子供の頃は、この『きゅうりもみ』をご飯にかけて食べていたのだが、うどんで食べてもおいしいということを再確認した。

一緒に行った家族に、子供のころに食べた思い出を話しながら、懐かしい味を堪能した次第である。


川島町商工会が『すったてうどん』のレシピを紹介しているので、ぜひともわが郷土の素朴な料理を作って見てください。

暑い夏、食欲増進間違いなしです。


「すったて」の昔から食べられてきた素朴な作り方をご紹介します。

材料(2人前)

ごま 大さじ 3杯  味噌 大さじ 2杯
大葉 4から5枚  キュウリ 1/2本
玉ねぎ 1/4個   だし汁又は冷水 適量
氷 適量   うどん 250g

※味噌の種類はお好みによります。

作り方

 手順①

* ゴマを煎ってから、すり鉢でよく擂る。
* 味噌、玉ねぎ(みじん切り)、大葉(みじん切り)を加えて、すり鉢でゴマとあわせる。
* キュウリを輪切りにし、すり鉢に加え、すりこ木で軽くたたいたうえで、よく混ぜ合わせる。

* だし汁又は冷水を加えてよく混ぜ合わせる。濃さは好みで調整する。※好みで砂糖を加えてもよい。


 手順②

* 鉢に氷を入れて冷たい汁にする。(食べきる場合)
* 小鉢に汁を入れてこちらに氷を入れても良い。(こうすると食べる分しか汁は薄くならない。)
* 薬味にミョウガやショウガを加えても良い。
* キュウリも千切りにして別に添える場合もある。


注意点
 シソの葉の枚数、味噌の量、砂糖の量はお好みで調節しましょう。
 味噌の種類はくふうして独自の冷汁をお作り下さい。

郷土の誇り~『遠山記念館』を訪ねる

2010-03-23 | ふるさと

遠山記念館の全景
右に見える瓦葺の建物が美術館、左手の木々の中に遠山邸本館(敷地面積約9200㎡、東棟、中棟、西棟)がある。本館は昭和8年より、2年7カ月を費やして昭和11年4月に竣工。当時最高の建築技術と全国から集めた銘材を使って建てられた。



郷土が生んだ立志伝中の人物

わが郷土『川島町』が生んだ立志伝中の人物―日興証券の創立者で我が国の証券業界の大立者・遠山元一(とおやま げんいち 1890年7 月21日 - 1972年8月 9日)は、我々の世代以上の人であれば、その名を知らない人はいないほど、有名な人であり、郷土が生んだ最も誇りとする人物である。

その遠山さんが、身を立て、名を挙げ、故郷に錦を飾った証として3000坪の豪邸を建設して没落していた生家を再興させるとともに、苦労した母美以さんの安住の住まいを建てたと言う、親孝行の話も知らない人はいないほど有名な話である。

そして、この豪邸は遠山記念館として、多くの人たちが今でも見学に来る郷土の観光スポットとなっているのだが、『灯台もと暗し』のたとえの通り、地元の人たちにしてみれば、『いつでも、行ける』という頭があるので、意外とここを訪れる人は少ない。小生も4,5年前に一度行ったきりである。

次兄などは、これまで一度も足を運んだことがないと言うので、お彼岸で墓参りに実家に行く途中でちょっと寄り道をして見学して行こうと言うことになり、昨日わが夫婦と兄貴夫婦の4人で行って来た。


『一度は見ておきたいと思っていたけど、こうした機会に見ることができて良かった、胸のつかえが下りた感じだよ』と次兄。同感である。

それにしても、昔名をなした人というのは、これだけの価値あるものを後世に残し、伝えて行くのだから大したものだ、凄いもんだと改めて感じた次第である。



               
               遠山記念館見取り図


 
敷地内に建てられた美術館(左)には、美術収集家としても著名であった遠山元一さんの長年にわたる貴重な蒐集美術品が収蔵されている。遠山邸東棟(右)邸全体は、建築様式を異にする3棟(東棟、中棟、西棟)を渡り廊下で結ぶ構成となっている。


 
中棟1階中央の18畳の大広間(左)は、伝統的な書院造りで建てられ、貴顕の来客を接待した。四季の風情豊かな庭園(右)。

わがふるさと

2006-08-16 | ふるさと

<写真> 「生家」 数々の懐かしい思い出を刻んだ我が生家、取り壊して今はもうない


8月13日は、墓参に田舎に行く。
自宅から車で1時間足らずの所だが、我が田舎は子供の頃とさして変わらないたたずまいで、いつもやさしく迎えてくれる。

ここはまるで時計の針が止まってしまっているのでは、と思わせるほどに全てが子供の頃と変わっていない。

ふるさとが、このように子供の頃と変わることなく存在していることは、本当にありがたいことであり、嬉しいことである。

しかし、一見変わっていないように見える風景の中に、最近はちょっと気になるところが見えてきた。




<写真> 「集落」 青々と広がる田んぼの先に、集落が点在している


この集落にも、過疎化と高齢化の波が急速に押し寄せており、今後の農業の在り方が問われる状況となっている。



<写真> 「土手」 雑草が生い茂って荒れている堤防


田舎に帰ると、必ずこの土手に来る。子供の頃は、牛やヤギが草を食み、農家の人が欠かさず草刈をし、秋には野焼きをするなど、堤防をしっかりと守ってきたが、今は歩くことが困難なほど雑草が生い茂ってしまっていた。




<写真> 「荒地」 堤防の外は、見渡す限り荒涼とした荒地


堤防の外も子供の頃はさつまいもの畠や、桑畑が広がり、学校帰りには桑の実を食べるのが楽しみの一つであったが、今は耕作する人もいないらしく、放置されて荒れ野となっていた。




<写真> 「小川」 子供の頃一番魚が取れた場所


小川も、しかり。子供の頃「フナ」「コイ」「ナマズ」「ライギョ」等がたくさんいて、川をせきとめて「川干し」をして魚を取るのが最大の楽しみであったが、今は、川は澱み、魚影を見ることは出来ない。


ふるさとが子供の頃と変わることなく存在していることは、幸せなことであるが、そこかしこに、古き良き時代の自然環境が蝕まれていくのを見るのは、痛ましいことであると同時に、耐え難いことでもある。