折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『時には母のない子のように』と『悲しい色やね』の共通項

2010-09-28 | 音楽
主宰者のKさんから今年3回目のオーディオ談笑会開催のメールがあったのが今月上旬。

さて、今回の出し物をどうしようかとあれこれ考えていると、購読している朝日新聞の土曜別刷[be]に連載している「うたの旅人」が目についた。

この「うたの旅人」は、歌謡曲、童謡、民謡、スタンダード、クラシック、ポップスなどジャンルを問わず、名曲に隠された歌の背景を紹介すると言う記事で、毎回楽しみに読んでいる。

そして、この記事で取り扱った(5月29日)上田正樹の『悲しい色やね』の新旧バージョンを前回のオーディオ談笑会に出し物として持参した経緯がある。

今回(9月18日)の記事は、

寺山修司作詞、カルメン・マキ歌

『時には母のない子のように』

を扱ったものだった。


この記事を見て初めて知ったことだが、『悲しい色やね』と『時には母のない子のように』の間に共通点がいくつかあることに気付かされた。


  
カルメン・マキ『時には母のない子のように2007』(左)上田正樹『SMOOTH ASIA』(右)


それは、

①二人が目指す音楽と方向性が違うにもかかわらず空前の大ヒット曲となって、それぞれ二人の代表曲とみなされることになってしまったと言うこと。

②本人の意に反しての大ヒットに対して、二人とも複雑な思いでこの曲に距離を置き、この曲を歌うことを長く封印してきたこと。

③歳を経、年輪を重ねるにつれて、封印を解いてこのうたを歌って見ようと言う心境になり、上田の場合27年ぶり(2010年5月「SMOOTH ASIA」)、カルメン・マキの場合24年ぶり(1993年「MOON SONGS」)に、それぞれこの曲が入ったアルバムをリリースしたと言うこと。

小生としては、年輪を重ねた二人のアーティストが長らく封印して来た曲にどういう姿勢で臨み、その内容をどう表現したかに興味をそそられた次第である。

そして、ジャズとのコラボ、名曲『サマータイム」とのジョイントによって14分余の大曲に生まれ変わった『時には母のない子のように』は装いも新たな曲に大変身していた。


前回と趣がかぶってしまうが、今回もカルメン・マキがジャズの板橋文夫(P)、太田恵資(vln)との競演で歌った『時には母のない子のように』を持参して、メンバーの感想をぜひとも聞かせてもらいたいとその日が来るのを楽しみにしている次第である。




容色未だ衰えず~愛犬パール10歳の誕生日

2010-09-25 | 家族・母・兄弟

孫たちと遊ぶ愛犬のパール。孫たちはみんなパールが大好きだ。



皆さんこんにちは。
当家の愛犬の『パール』です。

今日は、わたしの10歳の誕生日です。

人間の年に換算すると75歳なのだそうですが、異常気象だった今年の暑い夏も平気の平左で乗り切って、いたって元気です。

自慢の『黒毛』も以前と変わらずピカピカと光っていて、若い頃と変わってません。(あごに白髪がはえてきちゃいました、いやですねぇ)

散歩で出会う人に、『体毛がつやつやしていて、とても10歳になるなんて思えないね』と良く声を掛けられますが、そんな時はうれしくて尾を激しく左右に振って喜びを体いっぱい表現してしまいます。

先日、わたしがこの世で一番大好きなおねえちゃんのご主人から、

『パール、とても10歳には見えないぜ。おまえさん本当に若いよ』と面と向かって言われた時は、うれしくて彼の胸に突進してしまいました。

これも、当家のみんなから大事にされ、心身ともに健やかに過ごすことができているからと感謝の気持ちでいっぱいです。

これからも、この幸せがいつまでも続くといいなと願っています。




愛犬の『パール』が10歳になった。


パールが我が家にやって来た時は、小生はまだ現役でかみさんも娘もそれぞれ勤めていたので、生後3カ月くらいで我が家にやってきたパールは昼間はいつも一人で留守番を余儀なくされていた。きっと、寂しかったに違いない、部屋のあちこちを齧りまくっていた。今もその跡が幾つも残っている。

10年ひと昔と言うが、この10年で、小生はリタイアし、娘は結婚し、孫のKちゃんが生まれた。

あっという間に10年がたってしまった感がする。

パールのような大型犬の寿命は中・小型犬に比べて短い。

しかし、見る限りでは『容色未だ衰えず』で、まだまだ溌剌としている。

『10歳を過ぎると大型犬の場合、色々と出てきますのでこれからが大変ですよ』

とは、かかりつけの獣医師の話である。

これからの1年、1年はこれまでの1年とは違うと言う認識を持って愛犬に接して行きたいと思っている。


イチロー・野球の神様に選ばれ、愛されし者

2010-09-24 | 雑感
朝、起きてテレビをつけるとどのチャンネルもイチロー選手の『10年連続200本安打達成』の話題で持ちきりであった。


 
イチロー選手の10年連続200本安打の瞬間(左)と新聞の『号外』(右)を伝えるテレビ。


200本安打は、言うまでもなく1本、1本の安打を積み上げて行ってはじめて達成できる記録である。
言わば『足し算』の世界の話であり、並はずれた根気と集中力が求められる世界である。(ブログを書いて見て、積み重ねることの大事さと難しさを少しだが実感している昨今である。)

それを10年続けるのだから『10年連続200本安打』は、前人未到、不滅の大記録なのである。

これだけの大記録をなしえたのは、勿論、イチロー選手の天賦の才とたゆまざる研鑽、努力に他ならないだろうが、選手生命を脅かされるような大きなケガをすることなく活躍を続けているイチロー選手を見るにつけ、そう言った個人的な能力、努力を超えた次元の言わば『目に見えぬ大きな力』にイチロー選手は守られているのではないだろうか、そう思ったのは小生だけだろうか。

そして、人間って、こんなにも可能性を秘めた素晴らしい存在なのだということを知らしめるために、創造主がこの世に遣わした一人がイチロー選手なのではないだろうか。(プロ野球の世界だけでなく、他の分野でも同じような人間が存在していると思う。)

野球の神様に選ばれ、愛された人間、それがイチロー選手ではないだろうか。

イチロー選手の快挙を聞いてそんな感想を抱いた次第である。

勇気~『案ずるより産むが易し』

2010-09-23 | 日常生活
全くの見ず知らずの人に話しかけるには、ちょっとした決断と勇気がいる。

かれこれ2週間前ほどのこと。

愛犬パールとの朝の散歩での帰り道、いつも通る公園で一人の青年が一生懸命木刀を振っている姿を目にした。



件(くだん)の青年が木刀を振っていた公園


歩くペースを落として、遠くからその様子を観察する。

剣道の素振りとは明らかに違う、どちらかと言うと居合の型のようだが、居合ともちょっと違う。

居合をやっている小生、それを見て興味をひかれ、声をかけてみようと思ったが、見ず知らずの人に話しかけるのが何となくためらわれて、そのまま通り過ぎてしまった。

そして、帰る道すがら、声を掛けることをためらった、自分の優柔不断さに内心忸怩たるものがあった。

同時に、『よし、もう一度見かけたら今度こそ声をかけてみよう』と思い定めて、それ以降、散歩の帰りに必ず公園をのぞくようにしていた。

しかし、そう言う小生の決意をあざ笑うかのように、あの日以降、ぷっつりと彼の青年は公園に姿を見せなかった。

『きっと、あの時だけだったんだろう』とあきらめかけたいたら、先日、再び公園で木刀を振っているあの青年を見かけたのである。

パールを公園の柵につなぎ、躊躇せずに、真っすぐに青年の所に歩んで行って、話しかけた。

青年はR大学に在学中で合気道のサークルに入っていること、居合には興味を持っているが、経験はまったくないことなどを快く話してくれた。

小生の方からは、近くの中学校の武道場で居合の稽古を週2回していること、居合の仲間に、たまたま君と同じ大学の学生が練習に通っていること、などを話し、よかったら練習している様子を見に来て、と言って別れた。

はきはきと物を言う好青年の印象で、話しかけて良かった、『案ずるより産むが易し』とはこういうことを言うのだろう、と前回の帰り道と違って、晴れ晴れとした気分で家路に着いた次第であった。

せっかくの出会いである。
叶うことなら、あの青年が、われわれが居合の練習をしている武道場に顔を出してくれて、居合に興味を持ち、これから新しい仲間に加わってくれると非常に嬉しいのだが・・・・・・・。




幼稚園『祖父母会』でのハプニング

2010-09-20 | 家族・母・兄弟

孫のKちゃんが通う幼稚園の祖父母会には、たくさんのじいじ、ばあばが参加していた。写真は、先生が説明する『魔法の望遠鏡』の作り方を孫たちと一緒に熱心に聞く祖父母の皆さん方。


先日、孫のKちゃんが通う幼稚園の祖父母会にかみさんと二人で行った時のことである。

教室の入り口付近でこれから教室に入ろうとしているKちゃんと顔を合わせる。

われわれ二人を見て、Kちゃんにっこり。
うれしそうに、いそいそと教室に入り、自分の椅子に座る。

そこへ少し遅れて、隣に座るお友達が来て、座る場所のことで一方的にKちゃんにいちゃもんをつけ、挙句の果てにKちゃんの体を「どけ」とばかりに押した。

それでも、やさしいKちゃんはじっと我慢している。

何とか、収まったのかなと見ていると、それまで耐えていたKちゃんが堰を切ったように泣きだした。

次々にあふれ出る涙を一生懸命にぬぐっているその姿は、
『我慢したんだよ』と訴えかけているように見えた。

その一部始終を見ていた小生には、そんなKちゃんの姿が、何ともいじらしく、切なくて、胸が痛む思いだった。

そして、この思わぬハプニングに年甲斐もなくおろおろしてしまった。

結局は、それから数分後、園児たちと祖父母たちが一緒に『魔法の望遠鏡』を作る段になって、ようやくKちゃんも機嫌をなおして、かみさんと楽しそうに作業をするのを見て、ほっと胸をなでおろしたのだが、この数分間が何と長く感じられたことか。


 
当日は園児たちが作った作品が祖父母の皆さんにプレゼントされた(左)。機嫌もなおって、ばあばと一緒に『魔法の望遠鏡』を作るKちゃん(右)


そう言えば、息子の方の孫であるKくんも幼稚園の入園式で同じようなことがあったし、もっと遡れば息子自体が幼稚園の頃にそんなことがあったっけ、どうも、その場の雰囲気にうまくなじめないと『いじけて』しまう性癖は、まさに我が家のDNAなのだということを再確認した孫の幼稚園の父母会での一幕であった。