折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「競作」~「日和田山」山歩きの1日

2008-10-31 | 友達・仲間
「日和田山(ひわださん)」は日高市にある標高305・1メートルの小さな山である。

その山に幼なじみのKくんからの誘いで登った。

Kくんは9月中旬に「大腸がん」の手術を受けたばかりであるが、すっかり元気になっていた。

そんな彼とこんなにも早く山に登れるなんて予想だにしていなかったので、無性に嬉しかった。


高麗神社に参詣した後、そこから奥武蔵ののどかな風景を楽しみながら歩く。


話題はもっぱら先日の小・中学時代の同級生との一泊旅行。


「60代半ばを過ぎたおじさん、おばさん連中が<○○ちゃん><××くん>なんて子供の頃の呼び名で呼び合っている図なんて、他人が見れば異様に映るんだろうね」

「おれのとこなんて、かみさんにあきれられてるよ。いつも、<○○ちゃんから電話よ>とからかわれてる」

「この間の旅行の収穫の一つは、<俳句>。今、<1日1首、365日>というタイトルで毎日作った俳句をパソコンに記録してるんだ」

「趣味のレパートリーを増やそうって言うのか、頑張るね」

「この間の旅行でSくんがいみじくも言ってたじゃない。<これから残された時間は減るだけなんだから、考えるよりも思いついたら即実行って>あの精神だよね」

「Sくんと言えば、この年になって中国語の勉強をしてるんだから、その向学心には頭が下がるよね」


そんな話をしながら、もうすぐ登山道入り口という所で左前方に「煙」が立ち上っている。近くの人が「野焼き」をしているのだ。

それを目にした途端、その情景を俳句にまとめることに気を取られ、話しかける相棒へ返す言葉が生返事になってしまう。


そしてできた句


青空に   野焼きの煙   吸い込まれ

すると、相棒もすかさず

もみじ風   山稜渡り   里に来る

と応じる。


俳句の「競作」になりそうな予感。


歩くこと15分、登山口入り口の標識のある場所に到着。

305・1メートルと標高こそ低いが、山には変わりない。
想像以上に道は険しく、きつい。

相棒は山歩きは大ベテランだが、なにせ病み上がりの体、杖を片手にゆっくりと登る。


上り下り   きつき山路を   辿る秋

木洩れ日と   我が足取りの  やわらかさ


小生にはきつく思われたのだが、さすが山歩きに慣れている相棒には、余裕らしい。



岩場を登る相棒


もうすぐ頂上というところに、ちょっとした「岩場」が待ち構えている。このコース最初にして最後の「難関」である。

そして、この難関を登り切ると鳥居の前に出る。



鳥居の間から巾着田(きんちゃくだ)が見える。


視界がぱっと開け、秩父の山々が幾重にも連なって見渡せる。

眼下には、曼珠沙華(彼岸花)の群生でつとに有名な巾着田(きんちゃくだ)がはるかに望める。

一汗かいた体にそよと吹く山の風が心地よい。

この絶景の場所で昼食。

はるか遠くに霞む、新宿や池袋の超高層ビル群を眺めながら、握り飯を食べていると突然、幼児たちのにぎやかな声が響く。

幼稚園児の遠足のようだ。



元気いっぱいの園児たち


頂上から降りてくる園児たちが、急な下り坂をはしゃぎ声を上げながら下りてくる。


園児らの   声生き生きと   山の秋


園児たち   秋のひかりを   全身に


岩場から数分でもう頂上。

そして1時半には下山。


帰路の話題は一転して、音楽の話、最近読んだ本の話、そして「世界的な金融危機」から「少子化問題」へと次々に話の花が咲く。


そんな中、家々の庭にたわわに実る柿を見て小生が一句

秋の陽に   真っ赤に映えて   柿たわわ   


すると、今度は相棒が田んぼの中に「吾亦紅」を見つけて、返句

高麗(こま)の郷(さと)   歩く傍ら   吾亦紅(われもこう)


かくして、ともがきとの山歩きの1日が終わった。

「今日は足慣らし程度だったけど、もうちょっと体力に自信がついたら、<晩秋の秩父路>をもう一度巡ってみようよ」と相棒。

いくら足慣らし程度とはいえ、手術後間もないこと、体調を心配したが何ともなさそうなので、先ずは一安心。

天高く   日がな一日   山歩き

ともがきと   心通わす   秋の山

実り秋   友と歩くは   無二無心

小生にとって、それは、それは楽しい、そして何より嬉しい山歩きの1日であった。

「定期便」と「不通便」~孫との電話2態

2008-10-29 | 家族・母・兄弟
午後7時過ぎ。

かみさんが1日の勤めを終えて帰ってくる。

と、見計らったようにかみさんのケイタイが鳴る。

孫のKちゃんからの「定時」のコールである。


2歳の誕生日を過ぎた頃から、Kちゃんはケイタイで電話をすることを覚え、何かにつけてママさんに電話をせがむ。

今もケイタイを通してハイ・テンションのKちゃんの声が漏れ聞こえてくる。

どうやら、大好きな電車のおもちゃを持ってきて、盛んに何をして遊んでいるかを訴えようとしているらしい。

ママさんの通訳を交えて、かみさん、Kちゃんママ、Kちゃん3人の楽しそうな会話が続く。

「いやねえ、Kちゃんたら何時までも電話切らないんだから・・・」と言いながらも、かみさんの顔は満足そうである。


同じ日の夜9時半過ぎ。

神戸に住む息子から電話。

先日、当方で手配した「ラ・フランス」が届いたとのお礼の電話である。

数年前なら息子でなく孫のKくんかSくんが電話を奪い合うようにして、「じいじ」と真っ先に呼びかけてくれたものだが、二人とも小学生になってからは、とんとそういうことはしなくなった。

「ほれ、じいじとお話ししな」

「だって、話すことないもん」

息子とKくん、Sくんとのそんなやり取りが電話口から聞こえてくる。

しばらくして「じいじ」というKくんの声が聞こえてきた。

「Kくん、元気。ラ・フランス送ったけど、食べた?」

「まだ・・・・・」

「自転車に乗れるようになったんだって?」

「うん・・・・・」

「自転車、楽しい」

「うん・・・・・」

今一つ会話が弾まない。

2時間前のKちゃんとかみさんの電話とは対照的である。

「子供たち、何を話したらいいのかわかんないみたい」と息子。

「そうだよな、おれも何をしゃべったらいいかわかんないもん」と小生。

「顔を合わせれば、また違うんだろうけどね」と息子。


連絡のありなしでなら、Kちゃんは「定期便」、最近滅多にかかってこないKくんやSくんは「不通便」と言えよう。

孫たちが成長すれば、それだけお互いの距離が開いていくのは自然の理であり、誰しもが通る、誰しもが経験する思いとは言え、一抹の寂しさを覚える。


同じ孫との電話であったが、はっきりとコントラストが別れたその日の電話であった。

歴史は繰り返す?~「リスク」をとる「勇気」と「決断力」

2008-10-26 | お金・投資

株価の急落、急激な円高のニュースを大きく報じる新聞


日経平均株価が8,000円の大台を大きく割り込んでバブル崩壊後の安値に迫り、円相場も対ドルで13年2ヶ月ぶりに90円台を記録するなど、日本経済は世界的な金融危機に激しく揺さぶられている。そのニュースを新聞は1面トップで大きく報じている。

季節は心地よい秋だが、われわれの生活は一気に厳しい冬の季節を迎えたような雰囲気である。


「歴史は繰り返す」と言うが、この「株安」現象を目の当たりにして、今から6年前、定年退職を3ヵ月後に控えた2002年(平成14年)10月末の体験を思い出す。


その時は、退職を目前に控え、定年後の生活設計なかんずくお金の運用をどうしようかと頭を悩ませていた。

と言うのは、当時は「預金利息」は限りなくゼロに近く、また、株式市場も「閑古鳥」が鳴く有様で、「運用」環境はまさに最悪であった。


だから、選択肢は

「何もしない」か、「リスクをとるか」の二者択一であった。

そして、小生が選んだのは、後者、即ち「株」であった。


最大の理由は、当時不振を極める「株式市場対策」の一環として、当局が打ち出した「特例の非課税措置」(注1)の存在であった。

「買った株を3年間売らずに持っていて、その後2年以内に売却して得た利益には税金がかからない」これこそ、小生の「長期保有」という投資方針(注2)にぴったりの、まさに「願ったり、叶ったり」の制度であり、この制度が「株」での運用の決め手となった。

しかし、方針は決まったものの一つ問題があった。

この特例措置を利用するには、12月31日までに株式の購入を済ましておかなければならないという点である。

退職金を手にするのは、早くても翌年の2月以降なので、必然的にタイムラグが生じてしまう。

運用に「余裕資金」を振り向けるのは、基本中の基本である。

しかし、それでは間に合わない。
一時的にせよ、生活資金に手をつけるべきかいなか、悩みはその点にあった。

そして、「特例の非課税措置」の適用期間の終了まで残す所あと2ヶ月となった段階で、「タイム・リミット」に背中を押されるかたちで、11月、12月に約20銘柄ほどの株式を購入したのであった。


購入後しばらくして日経平均は最安値をつけたが、「長期保有、最短3年間は塩漬け」と言う方針に基づいて購入したので、最安値をつけようが株価には一喜一憂することは全くなかった。

そして、この間、株価は順調に回復し、小生も昨年その時購入した株式を売却し、この「優遇措置」の恩恵に預かることができたのであるが、その折購入した銘柄の購入単価、配当利回りを週末の株価、配当利回りと比較したのが、次の数字である。

日経平均    7,649・08円      8,756・59円
         (2008・10・25)    (2002・10・30)

S建設      395円(1・8%)    345円(1・4%)
O製紙      380円(3・2%)    500円(1・6%)
MUFJ      683円(2・1%)    770円(0・5%)
N証券    1,055円(3・2%)   1,350円(1・1%)
Mレーヨン    181円(6・1%)    255円(2・3%)
A化成       320円(4・1%)    259円(2・3%)
I 忠商事     419円(4・3%)    220円(2・2%)
H不動産     220円(5・5%)    230円(3・4%)
T電力     2,765円(2・3%)  2,200円(2・7%)  

株式用語の一つに「いって来い」という言葉がある。

相場や株価が値上がりまたは値下がりした後に、結局はもとの水準まで逆戻りしてしまうことを言うのだが、週末の株価で見ると、日経平均は2003年4月の最安値に「ツラ合わせ」であり、小生の購入した銘柄も半数以上が「いって来い」状態となってしまっている。


歴史は繰り返すというが、今の状況も6年前とよく似ているが、前回の危機の要因が「バブルの崩壊」という専ら国内要因に起因していたのに対し、今回は米国を震源地として全世界を巻き込んでいるという点において、スケールが全く違っている。

それだけに、単に株価水準だけで「買場」と一概に判断するわけにはいかないだろうが、東証第一部の株価は、企業を解散して資産を処分した場合の価値をかなり下回る、という異常な安値になっているのも事実である。

市場の動向、落ち着き具合、今後の株安対策等々まだまだ見定めなければならない要素は多いと思うが、6年前と同じようにリスクをとる「勇気」と「決断力」を忘れず、今後の推移を見守って行きたいと思っている。


(注1)「特例の非課税措置」=平成13年11月30日から平成14年12月31日までに購入した上場株式を、平成17年1月1日から平成19年3月31日までの間に証券会社を通じて売却し、一定の手続きをした場合、買付価額1,000万円までについて「売却益は非課税(所得税・住民税)」という制度

(注2)「投資方針」
・ 余裕資金を当てる ・ 長期保有、3年間は「塩漬け」にする ・ 銘柄は、各業界のトップもしくはそれに順ずる企業で配当利回りが1%以上

懲りもせず・・・・・・

2008-10-23 | 趣味
「熱しやすく、さめやすい」余り誉められることではないが、小生の性格の一つである。

前回のブログで同級生との旅の様子を初めてチャレンジした「俳句」で紹介したが、どうもその俳句にはまってしまったらしい。

「五・七・五」が頭から離れない。

そんなことで、懲りもせず、今回も「俳句」。
すっかりと秋めいてきたある朝のパールとの散歩の情景を詠んだ駄作をご披露したい。


秋めいてきた<朝の散歩コース>のたたずまい


題して、

<パールとの朝の散歩道>にて


さわやかに   川面を渡る   秋の風


いつもの散歩コースについたのは、6時15分過ぎ。

早朝、大気は澄んで、散歩コースの横を流れる黒目川をふきわたる風が冷たくて心地よい。


愛犬の   歩み軽(かろ)やか   落ち葉道


愛犬のパールも心地良さそう。
ちらほらと落ち葉が見られるようになった、いつもの道を足取りも軽く、嬉しそうに歩いて行く。   


すれ違い   交わす挨拶   秋の朝


散歩を楽しんでいる人たちも、気分良さそう。
すれ違う時に、思い、思いに朝の挨拶を交わす人が多く見られる。


もみじ道   出会う老女に   母重(かさ)ね


散歩の途中でいつも出会う、お年寄りのご婦人。
すれ違う時に必ず立ち止まって、にこにこと笑顔を浮かべて、「おはようございます」と挨拶をしてくれる。
その姿に、田舎の老母の姿を重ね、こんな風に元気でいて欲しいと思う。


釣り人が   じっと見つめる   秋の川


川辺では、いつも同じ人が、いつも同じ時間に、いつも同じ場所で釣り糸をたれて、じっと川面に集中している姿がある。



毎日、変わらない朝の散歩道の光景である。   

「写真」と「俳句」で辿る、「同級会」宿泊旅行

2008-10-20 | 友達・仲間
<旅行1日目>

夜来の雨がすっかり上がり、雲一つないすっきりとした秋晴れ。
絶好の旅行日和である。

小学校・中学校の同級生たちとの、一泊二日の信濃路の旅が始まった。


小生の小学校・中学校のクラス会は、8年連続して開かれている。
最初の頃こそ、「あいつ、誰だっけ」ということもあったが、毎年顔を合わせていると、今ではお互い「やあ」、「よう」と幼なじみの気分で通じ合えるようになった。

そんな下地もあって、今年3月のクラス会で「今年は、泊りがけで、どこかに行こうよ」という声が上がり、この日の旅行となった。


参加者は15名。
この参加者を見て嬉しかったことが3つ。

その一、15名のうち6名が女性であったこと。

その二、先般、ガンの手術をしたばかりの親友のKくん、体調を崩して1週間前のゴルフコンペを欠席したTくん、心配していた二人がそれぞれ元気に参加してくれたこと。

その三、参加者15名のうち三分の一の5名を、わが幼なじみたちの集落が占めたこと。


観光バスが高速道路に入ると、早くも「酒盛り」ムードである。

幹事が缶ビールや焼酎といったアルコール類を配り、女性陣が競って準備してきた色々な「おつまみ」も次々と回ってくる。

「泊りがけの旅行なんて、中学校の修学旅行以来だね」と誰かが言うと、「そうだ、そういえば修学旅行は箱根だったよね」と遠い昔を懐かしむ声が、期せずしてあちこちで上がる。

バスの車内は、一気に小学校・中学校の修学旅行の頃へとタイム・スリップし、子供のようにワイ、ワイ、うき、うきとした雰囲気で、盛り上がる。


今回の旅は、

「燃える紅葉<松川>・<新・善光寺山門>・<湯田中温泉>の旅」

である。


そこで、今回は旅の途中で立ち寄った<一茶ゆかりの里>の俳人・小林一茶にあやかり、「俳句」と「短歌」で旅の様子をまとめてみた。
勿論、「俳句」も「短歌」も初挑戦である。


名前の由来通りに雷のような轟音を立てて流れ落ちる滝


<松川渓谷「雷滝」>にて


紅葉の   山に轟(とどろ)く   滝の音


落差30メートル。
松川渓谷の本流が雷鳴のように轟音を立てて落下している様は、まさに迫力満点。

一同、滝のしぶきに濡れながらも、滝と紅葉のコントラストを満喫する。



ちょっとモダンすぎる感もする「一茶館」の建物


<一茶ゆかりの里>にて


ともがきと   秋のよき日を   もみじがり


突然、着想が湧き、一句作って備え付けの投稿箱に投函した。
Sくん、Uくんも一緒に一句ひねりだす。

俳句を作るのは、この日が初めてであるが、その気になるとアイデアが湧いてきて結構面白い。

そして、ここで今回のブログ構成上のヒントを得た。
これも、俳人「一茶」のお導きか?



車座になり、肩を寄せ合って楽しく語り合った二次会は、夜遅くまで続いた


深夜、宿の<「露天風呂」>にて


露天風呂   深酒さます   冷気かな


初めての泊りがけの旅、みんなの楽しみは宴会。

一次会は「おしゃべり」と「カラオケ」。
二次会はもっぱら「おしゃべり」。車座に座って、肩を寄せ合うようにして、「○○ちゃん」、「××くん」と幼なじみの呼び名が飛び交い、それは、それは楽しい「おしゃべり」が続く。

時間が経つのも忘れ、気が付くと11時。

一次会と併せると実に5時間、いささか飲み疲れ、しゃべり疲れである。


宴会がお開きになった深夜、一人露天風呂へ。

夜空には煌々と地上を照らす満月。
そして、肌を刺す信濃の冷たい夜気。

そんな「ポエム」のような世界を満喫していて浮かんだのが、上掲の句である。



江戸時代天明年間に作られた池泉廻遊式庭園

<豪商の館>にて


豪商の   栄華伝える   四季の庭


<旅行2日目>


最初の見学は、江戸時代、須坂藩をしのぐ財力を有していたという田中家に代々伝わる「家宝」を見る。

そこに展示されている数々の衣装・調度品は、愛好家にとっては、垂涎の品々だろうが、この手のものには全く疎い小生にとっては「猫に小判」である。

しかし、女性陣にとっては興味津々のようで、おしゃべりしながら目の保養を楽しんでいる。

特に興味を引かれたのは、庭の風情である。

散策の途中立ち寄った茶屋に、四季折々の庭園の佇まいを写した美しい写真―「春のしだれ桜」、「秋の紅葉」、「冬の雪景色」―に触発されて詠んだのが上掲の句である。



善光寺山門にて記念写真


<善光寺山門>にて


ともがきと   平安祈る   善光寺


旅行二日目のメインは善光寺。

みんなで参拝した後、小生と「秩父札所めぐり」の先達役を勤めてくれた親友のKくんは「納経所」へ。

小生は、「敬老の日」に母のために書いた「般若心経」の写経を納めてきた。

善光寺は初めて。その「偉容」に打たれる。


<帰路のバス>にて


浅き秋  日がな一日  ともがきと  思い出刻む  信濃路の旅


今回の旅の心境を詠った短歌。


幼なじみとの初めての泊りがけの旅行は、天候にも恵まれ、和気藹々のうちにたくさんの思い出をそれぞれの胸に刻んで、終わった。


在学中の頃は勉強のできる仲間、悪がき仲間とそれぞれが「群れ」を作って、お互いが余り交わることがなかったし、また、クラスの女子とは余り口をきいたこともなかったが、何十年もたって再会すると、不思議なことにそんな垣根はどこへやら、悪がきも、優等生も、そして、口をきいたこともなかった女子も、分け隔てなく、みんな同じ「○○小・中学校の同級生」、すぐに溶け込んでしまう。まさに「同級生」とは、そういう特別な存在なのだ。

そんな仲間は、それこそかけがえのない存在である、とつくずくそう思う。

そして、これからも、これらともがきとの「友情」を大切にしていきたい、そういうことを改めて感じた今回の「旅」であった。