折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「もてなしの心」や「たしなみ」といった日本文化の行方は?

2013-01-31 | 雑感
1月28日付天声人語


数日前の天声人語が「お茶」を取り上げ、このお茶をめぐる簡便化の行方にちょっとした文明批判に及んでいて面白かった。

長くなるので、前半の部分を要約すると

▼「母親がお茶を作っているところを見たことがなく、いつもペットボルのお茶を飲んでいて、お茶を『いれる』という言い方を知らない幼稚園の若い母親」

▼「急須を見て『これは何ですか』と聞く料理教室の受講生」

▼「家庭科の授業で急須を直接火にかけようとした生徒」

などの実例が、実は驚くにあたらないのだと書いて来て

▼おそらくは「粗茶ですが」や「茶柱が立つ」といった言葉も知らないだろう。市販の飲料は手軽でいいが、文化や歴史をまとう「お茶」と無縁な子らが育つのは寂しいと書いている。

この手の話で思い出すことがある。

それは昨年の暮れの忘年会での大学時代の先輩であるNさんの話である。

Nさんによると、子どもたちがいっぱい集まった席でのこと。

部屋に入るほとんどの子どもたちが、履いてきた履物を脱っ放しする中で、一人だけ作法に則って、きちっと履物を揃えている子どもがいたというのである。「あれを見た時、『あぁ、なんて美しい所作だろう。こんな小さな子でも、きちんと履物を揃えて上がる子がいるんだ』と無茶苦茶感銘を受けたんだ」という。

「それまで、おれは『履物を脱ぐ時のたしなみ』は常識としては知っていたが、現実には全然できていなかった。この子を見ておれは『恥ずかしかった』」、「おれはこの子に教えられた。よし、これからはおれも絶対そうしよう、と誓ったんだ」と話しに力を込めた。

そして、こう続けた。

ほとんどの子どもが「家にお邪魔する時のたしなみ」を教えてもらっていないんだと思うんだ。だから、脱ぎ散らかした子どもが悪いわけではない。教えていない親が悪いんだ。(知らない親も多いと思うが。)

それだけに、この子をここまで躾けた「親」が素晴らしい、と。

小生も履物に関しては、かつて居合の先生から

「皆さんが、道場に入る時に履いてきた履物が、脱ぎっぱなしで実に見苦しい。あなた方は、居合の礼法は恭しく、それらしくやっているが、実際の生活では履き物の脱ぎ方一つまともにできなくて、何が礼儀作法か。そんなことで、本当に居合の精神が身についていると言えるのか。稽古の中でできていても、それが実生活の中で活かされなければ、本当に居合をやっているということにはならない」、と大喝された、恥ずかしい思い出があり、以来、履物はきっと揃えることを励行してきたので、その旨Nさんに話すと、一緒にいたHさんが、二人から「いい話を聞かせてもらった。自分もこれまでできていなかったので、これを機会に実行しようと思う」と賛意を示し、3人でその励行を誓い合ったのだった。


天声人語は、最後のくだりを

▼「客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ」と言ったのは大名茶人の松平不昧だった。庶民もお茶でもてなし、もてなされる。入れてもらったお茶は、粗茶でも心が和むものだ。コンビニエンス(便利)と引き換えに大事なものをこぼして歩いているようで、立ち止まりたい時がある、と結んでいる。

これからは、お茶は『ペットボトル』で飲むことになるのが「常識」になってくるのだろうか。
そして、お茶を「いれる」という言葉は『死語』になってしまうのだろうか。

お茶をはじめとする「もてなしの心」や「たしなみ」といった日本が誇る文化がコンビニエンス=『便利』と引き換えにされてしまっても、それを「文明の進歩」と呼べるのだろうか。

この流れを押しとどめる術はないのかもしれないが、せめて我々の世代がたとえ時代錯誤と言われようが、少しでも後世に伝えれられるよう、一踏ん張りすべきではないだろうか。

天声人語を読んでそんな感を深くした次第である。

写真&俳句VOL132 黒目川からの眺め11~四方山話(よもやまばなし)

2013-01-30 | 写真&俳句


ひなたぼこ     四方山話に     時間(とき)忘れ


例年に比べ格段に寒いと言われている今年の冬。

確かに、朝晩の寒さは厳しいものの、日中は暖かい日も結構多い。

この日も風もなく暖かく絶好の散歩日和。

そんな陽気に誘われて、黒目川遊歩道は散歩を楽しむ人が多い。

中には、自転車を立て掛けてベンチに座って、日なったぼっこをしながら長々と四方山話に時を忘れる人たちの姿も。

冬晴れの黒目川河畔ののんびりとした情景の一こまである。

美しいヴァイオリンの音色に陶然~川畠成道with東京ニューシティ室内合奏団

2013-01-29 | 音楽
幼なじみたちと聴きに行くクラシックコンサート。

1月はKくん、Y子ちゃん、U子ちゃん、そして小生とフルメンバー。

今年初めてということもあり、先ずは会食。

おいしい料理に舌づつみを打ち、いっぱいおしゃべりをしてから会場へ。

今回のプログラムは、川畠成道with東京ニューシティ室内合奏団による「ハートフルコンサート」

ヴァイオリンと弦楽合奏の調べに心を洗われる1日となった。

以下、何時もの通り今回の感想を会話風に。


― 演奏を始める前に川畠さんが、クラシック音楽に余り親しんでない人にも楽しんでいただけるようなコンサートにしたいと言っていたが、そのとおりのコンサートだった。

― メロディを聴けば、一度は耳にしたことのある曲が多かったので、親しめたわよね。

― 川畠さんの話は訥々として、ちょっと硬いんだけど、ヴァイオリンの音色は柔らかくて、豊かな響きで、こちらはとても雄弁だったわよね。

― 狭い会場のしかも前の方の一番よい座席で聴けたので、特にヴァイオリンの響きが際立って良く聴こえた。

― 楽器ではピアノの音が一番と思っていたけど、今日のヴァイオリンの音を聴いて考え方が変わったかな。

― 後半のプログラムは、東京ニューシティ室内合奏団のモーツアルトで始まったけど、司会、進行した人の話がくだけた調子で、とても面白かったので、川畠さんの演奏とはガラッと雰囲気が変わった。

― 弦楽合奏のそれぞれのパートの役割を「すき焼き」を食べることに例えて説明してくれたのは、わかりやすかった。

― 第一ヴァイオリン群が主役の「牛肉」、第二ヴァイオリン群が牛肉をおいしく頂く「とき卵」、ビオラ群が味を決める「割り下」、そしてチェロとコントラバスが全体の味を左右する「なべ」の役割という説明は、実にユニークでわかりやすかった。

― 各パートごとに演奏し、最後に全体で演奏してくれたので、よくわかったわよね。

― モーツアルトとチャイコフスキーのセレナーデを演奏して、同じセレナーデでも時代や国によって曲の雰囲気ががらっと違ったものになってしまうという説明も参考になった。

― コンサートの最後は、再び川畠さんの演奏だったが、特に最後の2曲は良かった、胸にじんときた。

― 「タイスの瞑想曲」の繊細きわまる旋律、涙がにじんだよ。

― 得意の「ツィゴイネルワイゼン」は、圧巻だったわよ。聴き惚れてしまった。

― 川畠さんのヴァイオリンに癒され、東京ニューシティ室内合奏団の楽しい演奏に共感した今年初めてのコンサートだった。



川畠成道with東京ニューシティ室内合奏団ハートフルコンサート プログラム

ヴィヴァルディ 「ヴァイオリン協奏曲<四季>~<春>第1楽章
メンデルスゾーン 「歌の翼に」
J.Sバッハ 「2台のヴァイオリンのための協奏曲二短調 BWV1043~第1楽章」
クライスラー 「愛のよろこび」
クライスラー 「愛の悲しみ」
クライスラー 「美しきロスマリン」
クライスラー 「前奏曲とアレグロ」
― 休憩 ―
モーツアルト 「<アイネ・クライネ・ナハトムジーク>~第1楽章
アンダーソン 「プリンク・プランク・プルンク」
チャイコフスキー 「<弦楽セレナーデ>~第1楽章」
― 以上の演奏は東京ニューシティ室内合奏団

クライスラー 「中国の太鼓」
マスネ 「タイスの瞑想曲」
サラサーテ 「ツィゴイネルワイゼン」 

<演奏>

川畠成道
東京ニューシティ室内合奏団



写真&俳句VOL131~淡雪2題

2013-01-28 | 写真&俳句
梅の木に積った雪と青空 (1月28日午前8時6分、雪はすでに溶け始めている。)


淡雪や     梅青空に     溶け込みぬ


青空に  取って代わられ  消えゆかむ

今朝の淡雪  儚(はかな)かりけれ



布団の中で目覚めるとやけに辺りがシンとしている。
急いで起きて窓を開けると、何と小雪がチラついている。

天気予報では、こちらの方は雪は降らないはずだったのだが・・・・・。

外に出て見ると、すでに薄らと積っている。

朝食を摂りながら、「この間みたいな大雪になると困るよね」とかみさんと話している間に、見る見る辺りが明るくなってきて、食べ終わった頃には、もう太陽が顔を出していた。

愛犬のパールを外に連れ出すと、空はすっかり晴れ上がって一面の青空。

小さく膨らんだ我が家の庭の梅の木に積った雪が青空にまぶしい。

わずか数時間の儚い雪景色であった。

人騒がせな早朝のにわか雪、大雪にならずに先ずはほっと胸をなでおろした次第である。