折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

元会長、90歳卒寿翁の金言~岸本新一著「成功の鍵は、『真似』のなかにこそある」

2012-10-31 | 読書
宅急便で書籍小包が届いた。

その表書きを見て驚いた。

そこには小生が勤めていた会社の元会長の個性的な字が踊っていた。

懐かしさで思わず胸がいっぱいになった。

中には元会長が9月に上梓した「成功の鍵は、『真似』のなかにこそある」というタイトルの1冊の本が入っていた。

その内容は、「90歳、卒寿翁の金言90」とサブタイトルにあるように、現在、齢(よわい)90を数え、今なお元気な元会長がこれまでの90年におよぶ人生経験から得たビジネスや人生に役立つヒントを、年齢と同数の(10章)90項目にわたって書いたものとなっている。

岸本新一著「成功の鍵は、『真似』のなかにこそある」(幻冬舎ルネッサンス)


元会長には、小生の在職時代に社内報にこまめに寄稿いただいたり、新聞記者とのアポイントに懇切丁寧に応じていただいたり、海外で社債を発行した際は、ロンドンに随行させていただいたりと仕事上で色々とお手数を煩わせ、また、ありがたいことに、随分と目をかけていただいた。

しかし、リタイア後は年賀状のやり取りをさせていただく程度で、疎遠になっていた。
それだけに、わざわざ小生にまで上梓した本を送っていただいて申し訳なく、恐縮してしまった次第である。


人間、「話すことは得意だが、書く方は苦手」、またその逆に「書くのは得手だが喋りの方はどうも」と両方とも得意という人は少ないのではないかと思えるのだが、小生の知る元会長は「書くことも、話すことも得意」という二刀流の達人であった。

前述のように社内報の会長専用のコラムに、毎月寄稿いただいたほか、新聞記者から要望があれば気軽に投稿に応じられていた。

また、朝の朝礼では「5分間スピーチ」という時間があって、そこで毎回会長の含蓄に富み、かつ簡潔明瞭なお話に全員が耳をそばだてて聞き入っていたものだ。

さて、その上梓された本だが、見開き2ページで一つの話を完結させるという、簡にして要を得た書き方のスタイルが実に「岸本流」で面目躍如である。

著者が本文に入る前の「はじめ」のところで、

「中には今日的ではない、古めかしいものもあることを、あらかじめおことわりしておきたい」

と断りを入れているように、そう言う所が若干あるとしても、啓発される内容の多い、珠玉の1冊である。

特に最終章の第10章は、実に含蓄に富んだお話しで、これから歳を重ねて行く小生にとって、一つの羅針盤の役目を果たしてくれるように感じた次第である。

著者が本文の「おわり」のところで、節目の年齢として

還暦の60歳、古希の70歳、喜寿の77歳、傘寿の80歳、米寿の88歳、卒寿の90歳、白寿の99歳、茶寿の108歳、皇寿の111歳、福禄寿123歳、黄金受の131歳、成寿の144歳

という数え方を紹介し、

成寿を目指し、あわよくばギネスを狙おうというけしからぬ思いにかられておる今日この頃です。

と書いている。

その心意気たるや青春を謳歌する若者のようである。

これからも、また遥かな人生の旅路に挑もうと決心している元気印の卒寿(同書「はじめ」より引用)の元会長の今後ますますのご精進をお祈りする次第である。

「幹事役」談義~余人をもって代えがたい存在とは

2012-10-29 | 雑感
国宝松本城をバックに記念写真。(旅行1日目)


週末、小・中学校のクラスの幼なじみたち有志17人(男9人、女8人)が集まって長野方面に1泊2日の旅行に行って来た。
 
この旅行、平成8年に始まって、今回で3回目になる。

 
諏訪大社下社にて(左、旅行1日目)、断崖絶壁に建てられた布引観音(右、旅行2日目)。

我が幼なじみたちは、昭和17年、18年生まれだから今年は「古稀」である。

この記念すべき年に、まさにタイムリーな企画であった。

心配された天候も何とか2日間もって、紅葉の信濃路の旅をみんなでエンジョイして来た。

富岡製糸場、世界遺産へ推薦が決定となり、多くの観光客がお訪れていた(旅行2日目)。


出かける前、いそいそと準備している小生を見て、いつものようにかみさんに

「この間クラス会があったと思ったら、今度は旅行、仲がいいわね」

と揶揄されたが、確かに我が幼なじみたちの会の活動は活発かつ多彩である。

なぜこれほど活動的になれるのか。

この種の集まりがうまくいくかどうかは一に「幹事役」に人を得ているかどうかにかかっている。

そして、うまくいっている会には必ず名幹事がいるものだ。

この名幹事、長く勤めるといつの間にか「余人をもって代えがたい人」、「永久幹事」などと呼ばれることに。

こうなると会の運営は、まさにこの種の幹事に『おんぶにだっこ』である。

従って、この「永久幹事」がいる限り、会の運営は安泰であるが、逆に言えば、その存在が大きければ大きいほど、もしもの時は会の消長をも左右しかねない懸念があるとも言える。

我々幼なじみの会(同窓会)もこれまでこの幹事役に人を得て、人に羨まれるほど活発に活動して来ることができた。

特に、現幹事の皆さん方は長い間にわたる献身的な努力で多くのイベントを企画し、みんなに喜ばれ、それこそ最早「余人をもって代えがたい存在」と思われて来た。

その幹事の一人Kくんから、旅行の帰りのバスの車中で現幹事の「勇退」を切り出されたのには、それこそ「永久幹事」として、これからも会を牽引して行ってくれるものとばかり思っていたので、ショックであった。

慰留にこれ務めたのだが、どうも辞意は固いようで、名ばかりであるが今年から会の長を仰せつかった身としては、来年の集まりで今後のことをどうするか、みんなに計らなければならないか、と思っている次第である。

現幹事の存在が大きいだけに、会も始まって以来の「大きな曲がり角に差し掛かっている」との思いを深くした次第である。

引導を渡す~スーツ類処分始末記

2012-10-26 | 日常生活
今回は、着なくなった背広類の処分にまつわる話である。

一人で家にいると良く電話がかかってくる。

「お墓の勧誘」、「生命保険の勧誘」、「利殖の勧誘」が圧倒的に多い。

個人の用事はほとんど携帯にかかって来るので、この手の電話には出ないようにしている、また、出たとしてもすぐに切ることにしているのだが、先日、たまたま「もう着なくなった背広などありませんか、有料で引き取らせていただきます」という電話を受けた時は、すぐに電話を切るのをためらった。

というのは、先般、姪の結婚披露の食事会に招かれ10年ぶりに背広に袖を通した時に、タンスの奥から背広を取り出したかみさんが、「もう着ないのに、場所ばかりとるのよね、機会があれば処分したいわね」と言っていたのを思い出したからだ。

そんなことでかかって来た電話に耳を傾けているうちに、「それでは近々お宅の方にお邪魔します」ということになっていた。

かみさんにそのことを話すと、「何か怪しい話ね」とちょっと警戒気味。

そこで電話をかけてきた会社をネットで調べたところ問題はなさそうだったので、来てもらうことに。

当日、会社に勤めていた時代に着た背広、コート類をテーブルの上に並べ、一着、一着を取り上げてじっと眺める。どの洋服にもそれなりの思い出と愛着がある。

スーツ類が処分となり、後に残ったのはハンガーの山。


約束の時間に業者がやって来た。

そして、いきなり、

「これまでリサイクルに出されたことありますか」

と聞いてきた。

「ないですね」と言うと、

「そうですか、ではこれから提示する金額を聞いて、『えぇ』ってびっくりされるでしょう。『そんな金額では』と思われたら、遠慮なく『止めた』と言って下さい」

と言いながら、テーブルの上に広げられている十数枚の背広を査定して行く。

その作業は、ぞんざいなもので、およそ査定とは程遠い。「十把一絡げ」の扱いだ。

その光景を何ともやるせない気持ちで眺めながら、「今、まさに背広たちに引導を渡しているのだ」という思いがこみ上げてきた。

査定の結果は、コーヒー一杯分の金額。

「これで良ければ、引き取らせていただきますが」

と業者に念を押される。

内心忸怩たるものがあったが、了解する。

確かに、これで我が家の洋服ダンスには大きな空きができたが、同時に、束の間、胸に大きな穴があいたような気持ちを味わった。

そして、他の人は着なくなった洋服類をどうしているのだろう、と思いを巡らせた次第である。

人間の哀しい性(さが)に心揺さぶられる~葉室 麟著「千鳥舞う」

2012-10-23 | 読書
だいぶ秋めいてきた。

秋と言えば、本を読んだり、音楽を聴いたりするのにもってこいの季節である。

そんな訳で、出かけない時は日がな本を読み、音楽を聴いて過ごしている。

そこで丁度読み終わったばかりの「千鳥舞う」という本の感想をいつものように会話風に紹介したい。

作者はこのところ小生が傾倒している葉室 麟(先般直木賞を受賞)さんである。

「千鳥舞う」葉室 麟著(徳間書店)

主人公は博多の女絵師(春香・本名里緒)。
彼女は江戸から来た妻子持ちの狩野派の絵師(杉岡外記)と不義密通のかどにより、男は江戸へ追放の上破門、彼女も師から破門される。
それから三年。
女絵師は破門が許され博多の豪商から博多八景の屏風絵の依頼を受ける。
そして、この主人公が博多八景を描きながら出会う人々の物語に触発され、下絵にその思いを込めて屏風絵を完成させていく。
主人公が描く「博多八景」には、誰もが切なさを胸に納め、懸命に自らの道を求めて歩んでいる人たちの『哀しみ』がこめられていた。

― 葉室作品、ほとんど読みつくして新作を待ち望んでいた。

― 期待に違わず、心揺さぶられて一気呵成に読み終えた。

― 博多八景を小題とする8短篇と二人の運命的な馴れ初めを描いた序、そして、二人の恋の結末を描いた結の2編を配した構成、構想が何ともすばらしい。

― 10編ともそれぞれ味わい深くて、まさに珠玉の作品と呼ぶにふさわしい。

― 不覚にも涙が出てしまうことが何回かあった。歳のせいで涙もろくなっているのかも知れないが・・・・。

― 許されるべくもない、男と女の情愛。親子の悲しい愛。叶わない愛。もどかしく、狂おしいまでの様々な愛が描かれていて、身につまされる。

― 許されることのない想いを自分の胸に押し込めて、つらい日々を生きていく人々の姿は哀れでもあり、愛おしくもある。

― 人間の哀しい性(さが)を暖かく、深い愛情を込めて描いていて、心が震える。

― 作者の人への思いやり、やさしさを感じさせる作品。作者の清廉な心が現れている。

― この手のテーマを現代小説で描くのは中々むずかしい。

― 時代小説ならではの味わいというべきか。

― こう言う小説を書ける作家は、得難い存在だね。

― まさに「読書の秋」にふさわし作品で、多くの人に読んでほしい、お勧めの作品である。


富士山は見えたが・・・・富士山すそ野一周ウオーク第2回

2012-10-21 | 友達・仲間
雲の合間から顔を出した富士山を正面右に見て、山中湖からスタートしたツアーの一行。


先月に続いて今月も富士山すそ野一周ウオークに行って来た。

先月は1回目で北富士本宮浅間神社~山中湖花の都公園の約10㎞を歩いたが、2回目の今月は、山中湖花の都公園~須走冨士浅間神社の約12㎞である。

参加者は総勢39名と今回も盛況。

前回は富士山に雲がかかって終日その姿を拝むことができず、少々がっかりしたが、今回は天候に恵まれ頂上に雪を頂く霊峰富士の山を見ることができたのは幸運であった。

午前中のビューポイントから折よく雲間から顔を出した富士山の山頂を望む。


しかし、それはそれでラッキーだったが、良いことばかりではない。

というのは、今回のコースは、全12回の中でもほとんど国道のアスファルトの道を歩くという、実に足に負担のかかるコースで、しかも午後からの篭坂峠からゴールの須走冨士浅間神社までは車の往来の激しい国道138号線の路側帯を歩かなければならない。

下り坂を一列になって歩くのだが、我々の横を上ってくる車が猛スピードで走り去って行く。大きなトラックが轟音をあげて迫ってくる時などは、身の縮む思いである。

交通量の多い国道138号線の路側帯を歩くツアー一行。


ガイドさんによれば、このコースを歩いた後、もうこれからは参加したくないという人が結構いるという。
確かに、歩道のない交通量の多い国道の路側帯を歩くのは危険を伴う。しかも、1列になって歩くので、仲間同士の会話もままならず、ただひたすら歩くというツアーのスタイルは、適度に休憩を取りながら気儘にのんびりと歩くという我々のスタイルとは、いささか勝手が違う。

     休憩時間も少なく(左)、昼食は食堂(右)で食べたので、持参した茶菓類を食す暇もなかった。

今回も各自、茶菓子類を持参したのだが、休憩時間も少なく、飲食する暇もなく、とうとうそっくり持ち帰る羽目に。「次回からは持ってくるくるのは止めようや」ということに。

前回もそうだったが、ツアー旅と自由気ままな旅との違いを改めて実感した次第であった。

かなり急なアスファルトの下り坂を歩いてきたため、ゴールの須走冨士浅間神社に着いた時は、皆、相当足に来て疲労困憊の様子であったが、4時ごろになって雲がきれ、富士山の頂上が目の前にくっきりと見えた時は、皆、一斉に歓声を上げて、シャッターを切って、その姿をカメラに収めていた。
雪をかぶった霊峰富士の姿に癒され、少し疲れが取れたように感じたのは小生だけではあるまい。

ゴール到着後、4時過ぎに見た富士山の神々しい姿。