折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

予定表

2007-03-31 | 日常生活
明日から4月。

桜も満開で、春本番である。

春は、万物が一斉に芽吹く季節である。
そして、心が騒ぎ、じっとしていられず、外に飛び出したい欲求にかられる季節でもある。

第二の人生を静かに過ごしている小生にも「春への憧れ」への思いはもだしがたく、まるで春の息吹に誘い出されるように昨日から1泊2日の日程で大学時代の仲間4人と静岡県Y市にいる親友のH君を訪ねて同地の桜を賞味し、ミナミマグロを堪能して、今帰ってきたところである。

そして、明日4月1日は中学時代の『幼なじみ』6人と横浜にお花見と連日のお花見である。

11日には中学時代の同級生とのゴルフ・コンペ、14日は10年ぶりの高校のクラス会、そして21日には大学時代の先輩とのプライベート・ゴルフと普段は自宅に逼塞している小生にとって、久々に外出予定が賑やかに書き込まれている。

今、4月の予定が書き込まれているカレンダーを見ながら、うきうき、わくわく、その日が来るのが楽しみでならない。

そして、4月は多くの懐かしい人たちとの久しぶりの出会いと語らいに大いに癒され、元気をもらい、これからの生きる活力をいっぱい享受できる月となるに違いない。

この季節に予定表が『空白』では、余りにもわびしいし、切ない。

何とか予定表が埋まって、正直な話、いささか「ほっ」としている心境である。

ある述懐

2007-03-27 | 家族・母・兄弟
実家に帰った時の長兄との会話

その日は、いつになく長兄は饒舌であった。

『お前、幾つになったんだっけ?』

『64歳になったばかりだよ』

『それじゃあ、まだ、体の衰えは感じないだろう?』

『うん、まあ、そうだね』

『65歳を過ぎると、衰えを自覚するようになるよ』

『そうなんだ、そんなもんかね』

『お前は、まだ元気だし、介護するような者と一緒に住んでいないから、余り<ピン>とこないかもしれないけど、俺のように70歳になり、しかも91歳の親の面倒を看る立場にいると<高齢化社会>の大変さを身にしみて感じるよ』

『そうだろうね・・・・・』

『おふくろは91歳でも、まだまだ元気で、自分のことは、何でも自分でするから、今はいいけど、歳を考えれば、いつ、どうなるか、こればかりはわからないから、もし、介護と言うことになれば、こっちもこの歳だから、みんなが<共倒れ>になりかねない。それだけじゃない、俺だってこの歳になれば、おふくろよりも先に<ポックリ>と逝ってしまうことだって、ありえない話ではないだろう。そんなことを考えると、不安になるぜ』

『そうだね』

『おふくろは、あのように<気位>の高い人だから、病気にでもなって俺達に情けない姿をさらすのが、何よりも耐え難いことだと思っているから、健康にはそれはそれは、注意しているよ。特に、ボケて痴呆症にでもなったら大変だとばかりに、新聞を読んだり、お前が持ってくるビデオを見たりと、あの歳になって、良くあれだけの努力ができると感心するよ』

『ほんとだね』

『お前なんか、おふくろと一緒に生活をしているわけではないから、おふくろの<いいイメージ>しかないかもしれないけど、毎日生活を共にしていれば、嫌でもお互いの欠点や我慢できない所が出てきちゃって、きれいごとでは済まされないことが多いんだぜ』

『・・・・・・・・』(この頃、段々わかってきたよ。)

『そりゃあ、俺だって、親子の情愛を大事にしたいし、親に対する良いイメージもずっと持っていたいよ。だけども、一緒に暮らしていれば、<見なくていいもの>、<見たくないもの>まで見えてしまうんだ。それは辛いもんだぜ、残酷なもんだぜ』

『お前も、頭では分かってくれているかもしれないが、本当のところは、一緒に暮らしてみなければ分からないよ』

『・・・・・・・』(確かに・・・)

『ブログでおやじや、おふくろのことを色々と書いてるけど、俺から見れば、多分、お前の中にはおやじや、おふくろの美しい思い出、いいところしかないだろうけど、そうしたいいイメージだけで、現実の姿を知らずに済んでいるお前は、恵まれているし、幸せ者だってことだよ』

『・・・・・・・・』(本当にそう思うよ。)


その席には、その時どういう訳か長兄と小生の二人っきりであった。

そして、それが、今回の述懐に繋がったのだろう。

とにかく、この日の長兄は何時になく饒舌であった。

『小江戸』逍遥

2007-03-24 | 家族・母・兄弟
『でも、お天気はどうなのよ、雨、大丈夫?。今日は、レザー・クラフトもあるし・・・・。』

と渋る妻を何とかその気にさせて、先週に続いておいしい「すし屋さん探し」に出かける。

というのは、昨年まで続けてきたおばあちゃんとの『一泊旅行』を91歳と言う年齢も考慮して、今年からはおばあちゃんを囲む『お食事会』に衣替えしようと言うことになり、我が家がその幹事役となったからである。

今日のターゲットはネットで検索した<「K」すし>と言うすし屋である。

先週は車で行ったのだが、今回は食事が終った後、街の中をぶらついてみようと言うことで電車にする。

場所は『小江戸』と称される人気スポット「K」市である。
東京から近いこともあり、週末ともなれば大勢の人が集まる観光地である。我が家からも、おばあちゃんの家からも車で30分ぐらいの至近距離にある。

今回のお店は、『雰囲気』、『味』とも申し分なかったので、早速仮予約をし、気分もすっきりとしたところで市内をぶらつくことにする。


散策中に購入したコーヒー・カップ


そこでは『蔵造りの街』にふさわしい、ゆったりと優しい時間が流れていた。

最初に入ったお店は、とある陶器店

『このコーヒー・カップ、いいんじゃない』
と小生

『久しぶりに、おそろいで新調してみる』
と妻

と言うことで、先ずはお揃いのコーヒーカップをゲット。

朝のうちは寒かったものの、午後からは風も止んで暖かくなり、絶好の散策日和である。

道端に止まっている1台の人力車が目に留まった。

『あれに孫たち二人を乗せてあげたいね』
と妻

『ああ、きっと喜ぶんじゃない。今度連れて来ようよ』
と小生も応じる。

次にのぞいたのは、五月人形の店である。

店内は、生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこした若い夫婦とスポンサー役のおじいちゃん、おばあちゃん達で賑わっている。

我が家も、昨年10月に生まれた3番目の孫の『初節句』である。

店内に展示されたとりどりの『兜』を見ながら、最初の孫のKくんに買ってあげた兜のことを思い出した。

『あの時は、初孫と言うので御徒町の問屋までわざわざ買いに行ったんだったよね』
と小生

『あの<正宗の兜>、かっこよかったわよ』
と妻。

早いもので、その初孫のKくんは、この春、小学校に入学する。

駅まではおよそ30分。
そんな具合に、あちこちのお店に立ち寄りながら午後のゆったりとした一時を楽しんでいるうちに駅に着く。

今日は、おいしいお寿司をご馳走になり、久しぶりに夫婦で寛いだ一時を持つことが出来て、それこそ『命の洗濯』をした1日であった。

そんな佳き1日に感謝である。



宿願

2007-03-21 | 家族・母・兄弟


墓前にブログを印刷して供えた



明治生まれのおやじが、何よりも大事にしたのは『家の存続』と『家長としての責任』であった。


その象徴が『お墓』であった。


『お墓を守り、子孫に引き継いでいくこと』が自分の責任であり、『俺の時代に必ず墓石を建立するんだ』と口癖のように言っていた。

それだけに、子供たちの教育にお金がかかり、墓石の建立どころでない現実をいつも気に病んでいたようだ。

おやじにとって、お墓の建立こそはまさに『悲願』であった。



子供たちが一人立ちしたのを機会に、おやじの『悲願』は成就したのであるが、その披露の席でまるで子供のようにはしゃいでいるおやじの嬉しそうな姿は、今でも瞼に焼きついている。

満面に笑みをたたえ、上機嫌で招待客にお酒を注いで回っているおやじの後姿には、ようやくにして『宿願』を果たし、肩の荷を降ろした安堵感が漲っていた。


そして、張り詰めていた緊張の糸がプッツリと切れてしまったかのように脳溢血で倒れてしまったのは、この披露宴が終ってから間もなくのことであった。


今日は、彼岸の中日である。


おやじが建立した墓石の前に手を合わせ、ブログ100回目と101回目を印刷して、墓前に供えた。


今夜当り、夢でおやじが『読んだよ、ありがとう』とでも言ってくれれば、最高なのだが・・・・・・・。

『偶然』の不思議さ

2007-03-15 | 日常生活
このところ『偶然』がもたらす「出会い」の不思議さを何回か経験している。

今回も『偶然』がもたらした不思議さについての話である。


ざっと目を通し終わった新聞を、もう一度読み直していると、ふとある全面広告に目が止まった。
普段は広告など見ることもないのだが、この日はどうして広告などに目が行ったのか、しかも、よりによって白抜きの小さな字で綴られた目立たない文章に目が行ったのか何とも不思議であるが、ともかく、何気なく目がそこに行き、そして何気なく広告のコピーを読み出していた。

読み進むにつれ、『ぞくっ』と来て、あとは一気に読み終わっていた。
そして、全部で3回読んだ。最初は、前述のとおり一気に、2回目はじっくりと、そして3回目は何度も心のうちで大きくうなずきながら。
まさに、『わが意を得たり』と言う文章に出会ったのである。
そこには、小生が目標としている、お手本とすべき、一つ理想の文体がそこにあった。
少々長くなるが、その全文を掲載させていただきたい。


乾杯のコーヒー



千円札を出して、おつりも受け取らずにタクシーを飛び降りた。

間に合うだろうか。

いかにも営業マン風の僕を、一瞬、守衛さんが呼び止めようとしたふうにも見えたけど、
二十段ほどの階段を二段抜かしで駆け上がって、中庭を抜け、旧校舎を目指した。

三階の五十二番教室。息を整え、真鍮の取っ手をゆっくり押す。

よかった。間に合った。

最後列にそっと腰掛ける。午後の光が、ゆるい弧を描く机に反射して大教室を満たしている。

淡々とチョークの音が響く中、顔を上げている学生はわずかで、
数名は机に伏して昼寝をしている。起きている学生、メールのやり取りに余念がない。

僕は、胸が締めつけられた。

・・・・最後なのに


午後四時十五分。教室の隅で賑やかな着メロがなり、
同時に、四限の終わりを告げるチャイムが響いた。
そそくさと立ち上がる学生たちに向かうでもなく、教壇から、短い挨拶があった。

『えー、私は定年なので、これで最後の授業になります。皆さん、ありがとう。」

え?という顔の学生たちが数人、足を止めた。ぱらぱらとまばらな拍手が起きた。

北校舎、1階。短くノックして研究室に入ると、
書籍の山の向こうから、父が覗いた。

「なんだ、お前、来てたのか。」

「授業・・・聴いたよ」

父が古びたカップを二つ取り出した。
僕は、本立てになっていたゴールドブレンドを入れた。

「お疲れ様」

「ありがとう。」

父の笑顔と、あの日の乾杯を、僕は一生忘れない。

いつか、自分もそんなコーヒーを味わえたらと思う。

(3月15日付け朝日新聞より引用)

ブログを書くようになってから、新聞のコラム欄や投書欄を丹念に読むようになった。
その書き方、物の考え方が大いに勉強になり、刺激になっている。

それにしても、今日の収穫の何と大きかったことか。
今朝の何気ない『偶然』がもたらしてくれた贈り物に感謝である。