折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

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晩秋のモーツアルト~交響曲「第40番」聴き比べ

2007-11-28 | 音楽
秋の気配が一段と深まり、晩秋と言うより、冬が駆け足でやって来た感がする。
暮れなずむ前のひと時、一人静かに音楽を聴くのも一興である。

そんなことで、お彼岸に弟から借りた彼のCD『コレクション』を久しぶりに聴いて見ることにした。


弟の『コレクション』の一部


弟の弁によると、『ジャズは、ほとんど集め終わった。今はクラシックを集めてるんだけど、クラシックは無尽蔵だね、しばらくは楽しめそう』とのこと。

『そんなに急いで集めて、聴く方が間に合わないんじゃない?聴くことよりも、集めることが目的見たいじゃん』と冷やかすと、『聴くことは、聴いてんのよ、まあ、大分集める方が先行しちゃってるけどね。だけど、コレクターって、集める過程が面白いんだから』とすましている。

今回借り受けたCDは150枚。ちょっとやそっとでは終わらない。毎日1枚ずつ聴いていっても150日、5ヶ月かかる勘定である。今、やっと三分の一ぐらい聴き終わったかどうかといったところである。

今回は、物悲しい晩秋の季節にふさわしく【モーツアルトの交響曲第40番ト短調】を聴いてみようと思い、コレクションを物色していると何と40番だけで13枚もあるではないか。

学生時代からつい最近まで、モーツアルトの『40番』はブルーノ・ワルターがベストと決め付けて、他の演奏には見向きもしなかったのだから、相当の『偏食漢』と言うべきであろう。

そこで、今回はせっかくの機会なので、色々な『40番』を聴き比べて見ようと、13枚のうちから指揮者の顔ぶれを見て7枚を選んだ。いずれの盤も、聴くのは今回が初めてである。


ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団の
モーツアルト『交響曲第40番』のジャケット

第1楽章を聴き比べることにする。

① 【ラファエル・クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団】

しばらくぶりに40番を聴いたせいもあってか、ゆったりとした端正な響きが実に新鮮に聴こえた。特に弦がきれいで、小生の好む演奏であった。
聴き比べの1枚目にして、早くも『大当たり』である。

② 【オイゲン・ヨッフム指揮、バンベルク交響楽団】

クーベリック盤が明るく、さわやかな印象であったのに対し、渋く、重厚な音色、テンポはクーベリック盤よりちょっと速めである。

③ 【ジョージ・セル指揮、クリーブランド管弦楽団】

音はクリアーで広がりも申し分なく、素晴らしい録音である。
アップ・テンポで畳み込んでくる演奏は、好みが分かれるのではないだろうか。
小生は、クーベリックの端正な演奏の方が好きだ。

④ 【リッカルド・ムティ指揮、ウイーンフィルハーモニー管弦楽団】 

テンポはクーベリックよりもやや速めであるが、緊張感に溢れた迫力ある演奏は聴き応え十分である。

⑤ 【イシュトヴァン・ケルテス指揮、ウイーンフィルハーモニー管弦楽団】

演奏もさることながら、素晴らしい録音に聴きほれる。
スピーカいっぱいに広がる艶やかで、しなやかな弦楽器の音に恍惚となる。
ケルテス、ウイーン・フィルの録音は、『新世界』が秀逸であるが、本録音も『新世界』の録音にひけをとらない。

⑥ 【オットマール・スウィトナー指揮、NHK交響楽団】

1982・12・17N響とのライブ。
ライブ特有の緊張感を孕んだ演奏。
ただ、その速いテンポには、好みが分かれるのではなかろうか。
小生の好みには合わない。

⑦ 【宇野功芳指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団】

音楽評論家として著名であることは知っていたが、演奏を聴くのは初めてである。
2005・4・10のライブ盤だが、一瞬、CDの回転数が狂ったかと思うぐらい音の強弱、間のとり方が実に大胆で個性的な演奏で少々戸惑う。
この人の演奏も好みが分かれるのではなかろうか。

最後に、コレクションにはなかった

⑧ 【ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団】

を聴く。

この曲のスタンダードと長年自負してきた演奏である。耳になじんだ音、何かほっとした雰囲気がそこはかとなく漂い、懐かしい場所に戻ってきたような気分に浸る。

一瞬、その昔、高校時代の親友のH君がいみじくも言った言葉を思い出した。

『俺、音楽、特にクラシックは全然わからんけど、要は、音楽って<慣れ>と違うんかいな。最初はわからなくても、何回も、何回も繰り返し聴いているうちに慣れてくる、親しみが出てくる、それを<好きになった・わかった>と言うのと違うかいな?』

その時は、『そんな単純なものじゃあないぜよ』
といっぱしの講釈を垂れた記憶があるが、今回、ワルターの演奏を聴いて『慣れ』という要素について、改めて考える良い機会となった。


時間が瞬く間に過ぎて、気が付けば外は黒々と、夜の帳が降りていた。

久しぶりに、モーツアルトの世界を堪能した夕刻の一時であった。
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素晴らしき二人

2007-11-24 | 家族・母・兄弟
今回も前回に続いてKちゃんの逝去にまつわる話である。


これを『人徳』と言うのだろう。

Kちゃんが亡くなり、棺が家に戻って来た時、5~60戸ある某住宅団地の住民がこぞって故人の家の両側に並んで棺を迎えてくれた。

『これまでも、この団地で多くの亡くなった人を見送って来たけど、こんなことは初めて、Kちゃんの人徳だね』と自治会のお世話役をしている人がしみじみと話してくれた。

事実、まだ、葬儀・告別式の段取りも決まらないというのに、次々に住民の皆さん方が弔問に訪れ、その誰もが決まって故人の亡骸の前で『号泣』するのであった。

また、亡くなった当日の夜には、故人の息子の友達が大勢駆けつけ、これまたみんな目を泣き腫らしている。
若い人をこよなく可愛がった故人が、何かにつけて自宅に呼んで面倒を見ていた連中である。

普段着で、何をおいてもとかけつけてくる弔問客が後を絶たない。

そんな光景を見ていると、明るく、陽気で、気さくで、思いやりのあるKちゃんは本当に誰からも好かれ、慕われていたんだと改めて実感した。

そして、隣にいる義弟のMちゃん、Tちゃんに、そっと話しかけた。

『おれたちが年寄りになってから死んだんでは、涙なんか流してくれる人なんていないよ

な』

『そうだよ、大体、こんなにお別れに来てくれないよ』

『こんなにいっぱい来てもらって、みんなに泣いてもらえるんだったら、おれ死んでもいい

な。(笑い)』

『60歳だから、年からすれば早いけど、これだけ皆に好かれ、愛され、慕われてたんだ

から幸せだったんじゃない』



人徳と言えばもう一人、喪主を勤めた義妹のMちゃんの悲しみをこらえて気丈に振舞う姿に強く心を動かされた。


弔問客のお悔やみに、こらえていた悲しみを一気にほとばしらせ、人目をはばからず号泣したかと思うと、すぐに立ち直って、平静に対応している様子を見て、その切り替えの早さ、見事さにほとほと敬服した。

そして、『おれには、とても、とても、ああはいかない』と思った。

また、次々に持ち込まれる葬儀に関わる雑事を健気に処理していく姿に彼女の『芯の強さ』をまざまざと見る思いであった。


隣にいる、かみさんに『Mちゃん、すごいね。感心しちゃうよ』
と言うと、かみさんは、黙って頷きながら、溢れる涙を拭っていた。


告別式の謝辞で、

『まだ意識がはっきりしている時に夫がわたしを枕元に呼んで、いつもは名前を呼んでくれない人が、わたしの名前を呼んで、<ありがとう>と嬉しい言葉をプレゼントして旅立って行ったという話しを披露し、また、『夫は、60歳と逝くには、まだ早かったと思いますが、たくさんのお友達、ご近所の皆様方に恵まれ、また、その人たちからいっぱい愛情をもらって、短かったけど、きっと幸せな人生だったと思います。そんな夫を、わたしも、家族みんなも誇りに思っています』

と凛として挨拶した義妹の姿は、多くの会葬者に深い感銘を与えたのであった。



今を遡ること28年前の夏の日。

『I(小生)さん、T(息子)くんもW(娘)ちゃんも無事見つかったから安心して。それから、一つ前の駅で二人が間違って降りちゃったことを叱らないでね』

とKちゃんがかけてくれた電話の声が今も耳の中に残っている。(8月23日ブログ『一夏の経験』)


Kちゃん、ありがとう。

Kちゃん、さようなら。

安らかに眠ってください。 

合掌

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『幻』の弔辞

2007-11-21 | 家族・母・兄弟
うちのかみさんは、妹二人、弟一人の4人姉弟である。
かみさんは長女であるから、小生には義理の弟が3人いることになる。

実の姉弟同士はまれに見るほど仲がいいが、義理の兄弟も実に仲が良い。
その義理の兄弟の中でも、ひときわ明るく、陽気で『太陽』みたいな存在だったKちゃんが『ガン』で逝った。(8月23日付ブログ『一夏の経験』に登場したKちゃんである。)

まだ60歳だった。

仲の良かった義理の兄弟として、Kちゃんに我々の思いを、感謝の気持ちを伝えたいと話し合った結果、3人の思いを弔辞にこめてKちゃんに捧げようということになって、小生が原案を作ることになった。

3人ともKちゃんとは長い、長い付き合いであったが、飲み友達で特にKちゃんと親しかった義弟のMちゃんを念頭に、Kちゃんのさまざまなエピソードを思い浮かべ、一語、一語、語りかけるような文体にして、心を込めて書いた。筆を進めながら、何度も溢れる涙を拭った。

小生としては、『渾身』の文章であった。


『ダメだ!!、おれには読めない』

出来上がった原案を見て、早くも目を泣き腫らしてMちゃんが言った。

『つっかえても、間違っても、途中で詰まってしまってもいいんだよ、Mちゃん。それが、Kちゃんへの供養になるのだから』ともう一人の弟のTちゃんと二人でMちゃんを励まし、何とか説得する。



告別式当日。

いよいよ、弔辞を読み上げる場面を迎える。

Mちゃん、小生そしてもう一人の義理の弟Tちゃんの名前が読み上げられ、3人で祭壇の前に進む。

Mちゃんが弔辞を片手に、遺影を見つめておもむろに語りかけ始めた。

小生にとって、全く予期せぬことが起こったのはこの直後である。

その内容は、かの弁慶が白紙に、あたかもそこに文字が書かれているが如く『勧進帳』を読んだように、のっけから原文を離れ、アドリブを交えたMちゃん独自のものになっていたのである。

まさか、この期に及んでそんな、とびっくり仰天すると同時に一体どうなるのかと事の成り行きを固唾を呑んで見守った。

Mちゃんの『語り』は、言葉は途切れがちで、内容的にも言い尽くせないところが多々あったが、Kちゃんのもとに届いて欲しいというMちゃんの心の内から溢れ出るKちゃんへのやみがたい熱い思いが、言葉は拙くても、意味は曖昧であってもご遺族をはじめ多くの会葬者の心を打ち、深い感銘をもたらした。


この語りかけをMちゃんのすぐ後ろで聞いていて、悲しみの言葉がそこかしこにちりばめられている『原文』を『シャイ』なMちゃんは、そのまま素直に読むのは、きっと耐えがたかったんだろうな、それよりも何よりもMちゃんは自分の思いを、自分の言葉で、自分のやり方でKちゃんに伝えたかったのだと痛切に感じた。

そして、自分としてはMちゃんの気持ちになって書いたつもりでいたが、『その辺が、おれには、まだまだわかっていない』ということを改めて突きつけられた気がした。

そして、Mちゃんは、自分流の弔辞を読み終わると、小生の書いた原文を弔辞として霊前に捧げた。

かくて小生が書いた弔辞は、読み上げられることなく故人の霊前に捧げられ、まさに『幻の弔辞』となったのである。

Kちゃんは、長い、長い飲み友達で、形の上でこそ義理の兄弟であったが、血の通った実の兄弟以上の付き合いをしてきたMちゃんの『魂の叫び』のような弔辞を聞いてきっと喜んでくれたに違いない。
そして、それでよかったのだと心から納得した。
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受け継がれる『親の思い』

2007-11-17 | 家族・母・兄弟

採りたてのネギがとてもおいしかった。


『うあっ、このネギおいしい!!』

『うん、すっごく甘くて最高!!』

『本日の<主役>だね』

先週末、娘夫婦を交えての夕食時の会話である。

当日のメニューは、娘夫婦が来る前日、かみさんの実家に行った時に貰ってきた野菜をメインにした『鍋』料理である。


小生もかみさんも、父親は既に他界しているが、母親はそれぞれの実家で健在である。
小生の母親は91歳、かみさんの母親は84歳で二人とも今でも畑や田んぼに出て、季節、季節の野菜作りに精を出している。

どちらの母親も、子供たち(我々)が来て、自分が丹精込めて栽培した野菜類をおみやげに持たせるのを励みに頑張っているのである。

『お前さんたちに持って行ってもらうのが楽しみなんだ』とどちらの母親も口を揃える。
(今回は、かみさんの母親であるが、わが母については、07・1・4ブログ『お新香の味』で同じようなことを掲載した)

『そろそろ、帰るよ』と言うと、畑に行って、ネギ、キャベツ、白菜、大根、タマネギ、じゃがいも等々その時あるものを持ちきれないほど採って来てくれる。


おみやげにもらってきた野菜の一部。(<やつ頭>と<じゃがいも>
ネギは、とっくに食べ終わってしまった。


そんなことで、帰りの車のトランクはいつもおみやげの野菜で満杯である。

そして、いつも『また、取りにお出で』と送り出してくれる。

『親は、いくつになっても子供のことを思ってくれてるんだ、ありがたい』と素直に親の愛情を感じる瞬間である。


夕食も終わり、娘夫婦が帰り支度を始める。

かみさんが、いそいそと実家からもらってきた野菜を小分けにして袋につめている。

『これ、どうする、持っていく?』

『うん、じゃあもらってく』

母、娘の会話を聞きながら、うちのかみさんも『しっかり<母親>してるな』と内心ニャリとした。

そして、こうして親から子へと愛情は受継がれて行くんだ、と思わず胸が熱くなった。

娘夫婦も車のトランクに野菜を積み込んで帰って行った。

『またお出で』と言って、二人で見送った。
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『バトンタッチ」~子そして孫へ

2007-11-13 | 家族・母・兄弟
              
              孫を抱っこして、『ゴー』と通り過ぎる電車を見守る
              (Kちゃんパパ撮影)

週末、娘夫婦が孫を連れてやって来た。

孫のKちゃんは満1歳を過ぎておちゃめで、愛らしく、可愛い盛りである。
また、自我も芽生え、自分の意思をはっきりと示すようになった。

『これなら、そろそろ、頃合いかな』と思い、予ねて暖めていた思いを実行することにした。

それは、我が家において子、孫の二代にわたって引き継がれている『電車を見に行く』という慣わしである。

孫を抱っこし、歩いて5~6分の所にある私鉄の線路に向かう道々、同行したKちゃんパパに『電車を見に行く』慣わしについて説明する。


そのルーツは30数年前、息子が満1歳の誕生日を過ぎた頃に遡る。

当時は、まだその踏み切りには遮断機がついていて、電車が来ると『カン、カン、カン』と警報音が鳴り、遮断機が左右から大きな弧を描いて降りて来た。この警報音と遮断機が降りてくる様を、まだ言葉が余りままならない息子は、『カン、カン、ジュー』と、また、電車が通り過ぎる様を『ゴー』という声をそれぞれ発して喜びを表すのが常であった。

ご機嫌が悪かったり、むずがったりすると『カン、カン、ジュー』、『ゴー』を見に行こうかと、よく電車を見せに連れて行った。


それから30年後。

息子に子供が生まれた。小生にとっては初孫である。

その初孫のKくんが1歳を過ぎた頃のこと。

帰省していた孫を、息子の時と同じように抱っこして電車を見せに連れて行った。(この時は、残念ながら『警報機』も『遮断機』も撤去されていた。)

この時の体験が、よほど強烈だったのだろう、Kくんはすっかり電車が気に入ってしまい、その後は我が家に来ると必ず、『じいじ、<ゴー>見にいこう』(息子と同じように孫も『ゴー』と言っていた。)とせがまれて、よく電車を見に行ったものである。

Kくんは、ドアが開いたり、閉まったりする様子が特にお気に入りで、身振り、手振りを交えた片言言葉で真剣に小生にその場面を説明してくれるのであった。
また、駅員さんが発車を知らせる笛を吹くのが面白いらしく、『じいじ、ピー』だよ、とその音を真似て喜んでいた。

線路際のフェンスの金網にしがみついて『ゴー』と走ってくる電車を食い入るように見ているKくんの小さな後姿が今もまぶたに焼きついている。


              
              フェンスの金網にしがみついて電車を見る孫のKくん

そして、時折上りと下りの電車が音を立ててすれ違うのを見て、目を輝かせていた。
『ほら、Kくん電車がすれ違ったよ』とその都度話してやったせいかKくんは、幼児にはちょっとむずかしい『すれ違う』と言う言葉と意味を早めに覚えてしまった。

また、或る時、しばらくKくんを我が家で預かったことがあったが、その時は二人で首都圏近郊の電車―山手線、中央線、、総武線、埼京線、武蔵野線、湘南新宿ラインなどのに乗って、電車が到着したり、発車したりする様子をビデオ撮影して1日を過ごしたこともあった。



埼京線武蔵浦和駅のホームから入ってくる電車をビデオで撮影


Kくんは、小さいながらもこの時のことを覚えていたようで、ママによれば、ちょっと前まで、このビデオを時々家で見て楽しんでいたらしい。
『余ほど、この時のことがうれしかったんでしょうね』とはママさんのコメントである。

その孫にも弟ができ、二人とも大きくなって今や小学1年生と幼稚園の年長組である。
最近は、我が家に来ると『山手線に乗って、池袋、新宿方面に行こうよ』と生意気を言うようになった。
もうそろそろ、『電車は卒業』の年頃に二人とも差し掛かっているようだ。


そんな矢先に、娘の子供が満1歳を過ぎ、そろそろ電車に興味を持っても良い年頃となったのである。
じいじとしては、この日が来るのをひたすら待ち望んでいた訳である。


『ゴー』とすごいスピードで目の前を電車が通過していく。

小生に抱っこされた孫の体が一瞬こわばったように思えたが、目の前を猛スピードで通り過ぎていく電車の動きを大きな目を見開いて追っている。
そして、電車が通り過ぎて行った方向を指差して、しきりに言葉にならない声を発している。

かくて、記念すべき『電車初お目見え』は、手ごたえ十分であった。

今は、抱っこであるが、そのうちよちよち歩きで手をつなぎながら、そして、次は走り回りながらと月日を重ねながら孫との『電車見物』は、これからもしばらく続きそうである。


(なお、もう一つ我が家には、子・孫へと受け継がれたものがあるが、それについては06・7・19付けブログ『子・孫二代の子守唄』に掲載した。)
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