折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

認められ、ほめられることの喜び

2010-04-28 | 趣味
池袋にあるTカルチャースクールの書道教室に月2回通っている。

勿論、書を習うのが目的だが、リタイアすると中々都会に出る機会がないので、大都会の雰囲気を肌で感じようという副次的なねらいも含まれている。

今回は、その書道教室での話である。

 
お手本


授業は、12時30分から2時30分までの2時間。
その間、先生が書いた数枚のお手本を練習、清書、添削してもらう。

添削は、それぞれ書き終わった順である。
小生の順番が来た。

いつもは、すぐに朱色で直しの筆を入れるのだが、その日は、しばらくの間、じっと見つめたままで、直しを入れる気配がない。

そして、先生がおもむろに口を開く。

『さっき、見せてもらった作品の『千字文』だけど、何枚ぐらい書いたの?』

『5枚ほど書きました』と小生。


この日は、今年の『展示会』に出品する作品を各自が持参して、先生に校閲していただくことになっていて、小生も行書で書いた『千字文』を先ほど見てもらったばかりであった。(昨年は、楷書で書いた『千字文』を出品した。)

『5枚と言うと、5000字よね、一瞬も気を抜かないで、集中して5000字書くって、大変だったでしょう。でもね、それだけ一心不乱に書くと、知らず知らずに力がついて、レベルが上がるものなのよ。あなたの場合は、そのよい見本、<一皮むけた>と言う感じだわよ』

『今日の課題も、直す所がない。このまま作品になるわよ』

と言って、清書した作品を添削なしで戻してくれた。

生徒を励まし、やる気にさせる先生の『テクニック=おだて』が多分に含まれているにしても、3日間一心不乱に骨身を削るような思いで作品(『千字文』)に立ち向かった努力が、先生のこの一言で報われて心の底から嬉しかった。

ましてや、この年齢になると滅多にほめられることがないだけに、人間だれしも、一生懸命の努力を認められ、ほめられるのは、あまたある喜びの中でも、最高に嬉しい喜びの一つである、ということを今回改めて身にしみて感じた次第である。

『赤心』、『至誠』、『志』の人・山岡鉄舟を活写

2010-04-25 | 読書
あまたいる人間の中には、普通の物差しでは収まりきれない規格外の人物がいる。

本書の主人公の山岡鉄舟は、その典型的な人物と言えるだろう。

それだけに、鉄舟にまつわる逸話は沢山残されている。
それらの話が『手練(てだれ)』の作家にかかると新たな『生命(いのち)』を吹きこまれて、生身の山岡鉄太郎(鉄舟)という人間が目の前に生き生きと立ち現われて来るように思えるから、作家の力量たるやすごいものだとつくずく感じ入ってしまう。


『命もいらず、名もいらず(上・下)』 山本兼一著 NHK出版

本書のタイトルは、西郷隆盛が山岡鉄太郎を評して言った「命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困りもす。そういう始末に困る人物でなければ、艱難を共にして、国家の大業は為せぬということでございもす」と言う言葉(本書下巻104ページ)から採られている、とのことだが、山岡鉄舟と言う人は、まさにこのような人物として描かれている。

本書を読むと、鉄舟という人が『赤心』、『至誠』、『志』 と言った、今の日本人が忘れてしまった感のある崇高な生き方をした人間であったことが、さまざまなエピソードを通して語りつくされていて、そのような人間がいたという事実に、感動せずにはいられない。


また、本書には、将軍慶喜・清河八郎・勝海舟・西郷隆盛を始め、剣の千葉周作・浅利又七郎、禅の星定・滴水など多士済々な人物が登場し、それぞれが幕末・維新という時代が大きくうねり、変わって行く激動の時代を生きた男たちの生きざまが活写されていて、読み応え十分であるが、特に印象的なのは、海舟が侍従として仕え、しばしば命を賭して直言した、明治天皇との間で育まれた細やかな情愛の数々である。

本文から二つほど引用させてもらうと

鉄舟が明治天皇の侍従になりたての頃の話。

「陛下は、侍従を、玩具とでもお考えでしょうか」
「さようなことはない。そのほうが、酒を九升ものめるなどとホラを吹いた故、嘘をあばいてやろうと思うたばかりだ」
鉄舟は、また首をふった。
「山岡は武士でございますから、けっして嘘はつきません。武士にとって、いや、人間にとって、一番大切なことは、嘘をつかぬこと。その信念をもって生きております」
鉄舟のことばに、陛下がすぐさま反応した。
「ならば、嘘でない証に、九升呑んで見せるがよい。目の前で呑んで見せたら信じてつかわす」
「目のまえで見なければ信じぬとは、人と人のまことの信ではございません。まことの信とは、人の言をそのまままるごと信じること。信じていただけぬとは、この山岡の不徳のいたすところでございます。(本書下巻247ページ~248ページ)

陛下にこれだけの直言ができる。『赤心』なくしてはかなわぬことだと、その揺るがぬ信念に粛然となった。


死期の迫った鉄舟に、明治天皇からのお言葉を伝える場面。

午前十時になって、陛下の侍医である池田謙斎が、勅命で診察に来た。座敷から人払いをして、陛下のことばを伝えた。
「山岡は、よく生きた、と陛下が仰せでございました」

その一言で、鉄舟は、おのれの一生が光に満たされた気がした。(本書下巻425ページ)

というくだりには、読んでいて胸が詰まる。


山岡鉄舟の死は、そのまま、日本の侍の死であった。

これは、本書の最後の1行である。

この1行を書くために作者は上下2巻787ページにおよぶ物語を書いてきたのではないか、この1行に作者の思いのたけがこめられているのではないかと感じた次第である。


ある著名な文芸評論家が、本書について「唯一つ、久しぶりに真に美しい小説を読んだ、というだけでもう満足である。その美しさにおいて本書は山本作品の頂点である。」と評しているが、まさに本書は美しさと、清々しさにあふれた作品であり、多くの人たちに読んでほしい作品であると思った次第である。


 

ジンクス破れ、『カサ』が主役に~幼なじみとの『山歩き』

2010-04-22 | 友達・仲間
【崩れた『ジンクス』】
小・中学時代の幼なじみとの『山歩き』。

誰が『晴れ男』なのかわからないが、とにかくこれまでは一度も雨に降られたことはなかった。

そのジンクスがとうとう破れた。

この日の天気予報は、昨日の『夏日』から一転、朝から終日雨の『冬日』。
さすがにこの日登る予定だった妙義山は急きょ取りやめ、秩父方面に変更。

秩父に近づくにつれ、雲が切れて空が明るくなって来る。
みんな、『ジンクスは生きてるぞ』と大はしゃぎ。

しかし、午前中天気が何とかもったのがジンクスの神通力の限界。
午後は本降りとなって、ジンクスもあえなく潰え去ることに。



午前中は「ツエ」の役割を果たすことになったカサ

【「ツエ」代わり】
午前10時スタート。
琴平ハイキングコースを秩父札所第27番大淵寺から第26番円融寺まで約30分かけて歩く。

全員、雨に備えて合羽とカサを持参。
しかし、午前中は雨は降らずに、カサはもっぱら『ツエ』代わり。

雨が降らないので、みなハイテンション。このまま、『芝桜』で有名な羊山公園まで歩こうかと言う意見も出たが、歩きが苦手のHちゃんの『あとどれくらい歩くの』という問いに、リーダーの『あと1時間30分ぐらいかな』という返答にその提案は即却下。


 

【カサの花】
結局、この判断が大正解で、円融寺に着く頃には雨が降り始め、出発地点の大淵寺に向かう途中から本降りとなって、カサの花が咲く。


【芽吹きの季節】
午後は山歩きは止めて、札所23番音楽寺、札所第8番西善寺を訪れ、木々が雨に濡れて美しい古刹の境内をカサをさして散策した。

今回は『山歩き』変じて『札所めぐり』になってしまったが、芽吹きの季節、美しい花々が咲き乱れる秩父の自然を堪能した1日となった。

 
雨に打たれて境内の花々が一段と美しい。(秩父札所第23番音楽寺にて)


テレビでもよく取り上げられる札所8番西善寺境内の樹齢600年と言われる
コミネモミジの木。
(レンズに水滴が)

写真が主役VOL41~ハトの番(つがい)『愛の一幕』

2010-04-20 | 写真が主役シリーズ
舞台は、朝の散歩の帰りに愛犬のパールが決まってフェンスにマーキングする公園。

役者は、舞い落ちた桜の花びらが降り積もる公園の一角を歩きまわるハトの群れ。

そして、主役はその群れを離れてちょこちょこと歩きだした1羽のハトとそれを追いかけるもう1羽のハト。

こうして、ハトの番(つがい)が交わす『愛の一幕』の幕が開く。

それは、時間にすればほんの一瞬のことであったが、情熱的な一幕であった。

咄嗟のことでもあり、また、ハトとの距離もちょっとあったので、細かな動きまでは鮮明にとれなかったが、散歩の帰りに偶然見かけたハトの番の『愛の一幕=求愛行動』を写した写真が今回の主役である。


ハトの番(つがい)『愛の一幕』


その1 接近(アプローチ)

                
                その2 求愛(ラブコール)


その3 成就(フィナーレ)
                    

『KKDK』~処世訓&グチ

2010-04-18 | 雑感
購読している新聞の別冊に実業家の藤巻健史・幸夫兄弟が読者からの各種相談に答えるコーナーがあり、毎回目を通している。

この日は、16歳の男性からの

いろいろと手を出した方がいいのか、いろいろ手を出すと中途半端になるのか、どちらがよいかわかりません。

という相談への回答。

その中で、小生の興味をひいた個所を紹介したい。



購読している新聞に掲載されていた記事


(前略)フジマキが世の中を渡って行く上で大切にしているのが『KKDK』だ。最初の『K』は『経験』。次の『K』は『勘』で『D』は『度胸』。最後の『K』は『行動』を指している。

『経験』とは、『場数』のことだよ。『勘』とは『場数』を踏んで、五感を使って見たり聞いたり触ったりしていくうちに養われるもの。実はフジマキ、『勘』が人間にとって最も大切なモノだと思う。『これだ!』と勘が働いたら、度胸を据えて『エイッ!』と行動してみよう。

(中略)もちろん、外れもある。でも外れがあるからこそ当たりがあるとも言える。人生も同じことでしょう。

フジマキも30代、40代を経て、やっと50代で自分の行きたい道がわかってきた感じがしている。いろいろ考えるのも大切だが、いろいろと行動するのはもっと大切だよ。
(4月17日朝日新聞「やっぱりフジマキに聞け」より)


16歳の相談者にとっては、『KKDK』(『経験』、『勘』、『度胸』、『行動』)と言われても、その年代ではまだピンとこないかも知れないが、リタイアし、第二の人生を過ごしている身には、ストンと胸に落ちる話である。


フジマキの定義によれば、『経験』とは『場数』のことであるが、これまで果たして、『経験』と呼ぶに値する、『勘』を養うに値する、『場数』をどれだけ踏んだと言えるだろうか。

実際に五感を使って、見たり、聞いたり、触ったりして養った『勘』を持ち合わせていると言えるだろうか。

『これだ!』と『勘』を働かせたことがあったか。

『行動』しなければならなかった時に、ためらったことはなかったか。

等々、フジマキの言う『KKDK』の意味するところと、これまでの来し方―大きな冒険もせず、決められたレールの上を安全に、ただ、ただ平々凡々と安易に歩んできた人生―を照らし合わせて振り返ると、安全な道しか歩いて来なかった者にとって、その『KKDK』もまた平々凡々なのは自明の理であり、今さらそれを悔やんでも仕方ないことだ、とわかっていても内心忸怩たる思いがある。


リタイアしてからは、昔のことなど振り返ったことなどなかったが、今回は思わぬことから、とんだ『グチ』を披露することになってしまた次第である。