折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

随所に光る映像美~映画「蜩ノ記(ひぐらしのき)」

2014-11-02 | 映画・テレビ
かみさんと二人で映画「蜩ノ記(ひぐらしのき)」を見てきた。

映画は、孫のお供で何回か一緒に見たことはあるが、二人だけでとなると遠い遠いその昔、結婚する前に「ベン・ハ―」を見た以来?、というくらい記憶にないのである。

かみさんがリタイアし、お互い毎日が日曜日の生活ゆえに、これからは映画を見る機会も増えると思ってはいるが・・・・。

そこで、久しぶりに見た映画の感想をいつものように会話風にまとめてみた。

― テレビなどで色々取り上げられていたので、期待していたんだけど、ちょっと期待はずれだったかな。

― 同感だね、原作のきめ細やかさに比べるとちょっと「はしょり」過ぎて、少し粗かったんじゃないかな。

― 原作よりも映画の方が良かったというのは、余りないんじゃない。

― 原作の味を出すのであれば、映画よりもテレビの連続ドラマ仕立てにした方が良かったかもね。

― そのいい例が、藤沢周平の「蝉しぐれ」ではないかな。「蝉しぐれ」の場合、先にNHKテレビで7回にわたって放映され、大いに感動し、その後、映画化されたので期待して見に行ったけど、はしょり過ぎて味気ない作品になってしまってがっかりしたのを今でもよく覚えている。

― 小説の膨大な情報を、2時間程度に圧縮して映像化するというのは難しいと思うよ。

― ただし、文章でもテレビでも表現できない映画ならではの良さが随所に見られたよね。

― ネットのレビュー欄にある人が、「スクリーンに映るすべてが美しかった。心、四季、所作、言葉。目に映る形にならないものが、ひとつの形となってすべて映像としてそこにあった」と書いていたが、言い得て妙な表現だよね。

― 確かに、あの日本の四季の移り変わりの美しさは、どんなに文章のうまい作家でもかなわないと思う。

― 映画の大画面ならではの美しさ、テレビではあの映像美は再現できないんじゃないか。

― 立ち居振る舞いと言った所作の美しさも、文章ではイメージし難いよね。

― まさに「百聞は一見にしかず」だよね。

― 映画ならではのもう一つの要素「音楽」も素晴らしかった。

― 加古隆のピアノ、時代劇にはどうかなと思ったけどしっとりとマッチしていて最高だった。

― ということは、結局見どころの多かった映画ということになるんじゃない。

衝撃の結末は、予測の範囲~TVドラマ・半沢直樹最終回

2013-09-23 | 映画・テレビ
人気テレビドラマ「半沢直樹」最終回を見た。

いつもはテレビを見ていても、うたた寝が多いかみさんもこの番組だけは眠らずに見ている。

ドラマの大詰め。

頭取に呼ばれて新しい辞令をもらいに頭取室に向かう半沢次長。

この場面で、かみさんと「どんな辞令だと思う。同時に言ってみよううか」ということになって、

二人の答えは「出向」でドンピシャ一致した。

新聞のテレビ欄では「~衝撃の結末!!」と言う見出しが躍っていたが、小生もかみさんも、当然のように「出向」という結末を言い当てたのだから、テレビをご覧の多くの人がこの結末は分かったのではないだろうか。謂わば、衝撃の結末は、予測の範囲ということになるのだが・・・・。

ヒントは、頭取が大和田常務に「降格」を言い渡す場面の「私は、『銀行人としての大和田常務を評価していた』」という頭取の言葉。

大和田常務の処遇とこの言葉を聴いた時に半沢次長の処遇は「あれ」以外にないと思った次第である。

話をテレビに戻すと、頭取から「出向」を言い渡された瞬間の半沢次長の目のクローズアップ。

瞬時、驚きに見開かれた目が次に強い光を帯びたように見えた。

「やられたら、倍返し」を標榜する半沢直樹。

この処遇に、どんな「倍返し」をするか、どんな「倍返し」ができるか、続きを待ちたい。


心揺さぶられる秀作~映画「北のカナリアたち」

2012-11-14 | 映画・テレビ
しばらく映画から遠ざかっていたので、重い腰を上げて映画館に足を運んでみた。

「のぼうの城」か「北のカナリアたち」のどちらにしようか、しばし迷った末、義妹がブログで「北のカナリアたち」を紹介していたことを思い出して、こちらを見ることにした。

以下、いつものように感想を会話風にまとめて見た。

 
東映創立60周年記念作品「北のカナリアたち」(監督:阪本順治、主演:吉永小百合)
20年後の先生と教え子たち(左)、20年前の先生と教え子たち(右)(小冊子「北のカナリアたち」から)

<ストーリー>
日本最北の島・礼文島と利尻島で小学校教師をしていた川島はるは、ある事件で夫を失う。それをきっかけに島を出てから20年。教え子のひとりを事件の重要参考人として追う刑事の訪問をきっかけに、はるはかつての生徒たちに会う旅へ出る。
再会を果たした恩師を前に生徒たちはそれぞれの思いを口にし、現在と過去が交錯しながら事件の謎が明らかになっていく。


― 原作が湊かなえというので、見ようかどうかちょっと迷ったんだが。

― 「告白」が映画化された時、原作を読んだものとしては、「見るのが怖い」という気持ちがあってとうとう見に行かなかった。

― 今回は原作を読んでいなかったからそういう葛藤はなかった。

― 見終わってしばらく立ち上がれなかった。

― いつもは、終わるとざわざわする会場が声もなく、エンディングの音楽に聴き入っていて、席を立つ人がいなかったのは異例というべきだろうね。

― 映画だけど、ストーリーにもあるように吉永小百合扮する小学校の先生が、20年後、かっての教え子の一人が殺人犯として追われていることを知り、ずっと忘れることができずにいた6人の教え子たちに会に行くという設定。

― 教え子それぞれのエピソードを経て、クライマックスへと収斂されていく展開は見ごたえ十分だね。

― 画面に引き込まれて、時間が過ぎているのを忘れてしまう。

― 画面に釘付けになっているうちに、自然と涙が止めどなく溢れ出て来て、抑えられなかった。

― 涙脆くなったとは言え、半端じゃなかった。

― 映画が終わって、真っ先にトイレに駆け込んで顔をごしごし洗ったよ。

― ところで、この映画のテーマは何だったんだろう。

― 「償い」「許し」「再生」、そしてこの3つを1つに繋いだのが「絆」ということなのかね。

― 今の時代に一番求められていることのように思うね。

― 特に「絆」、先生と生徒、個々の幼なじみとの間にあんなにも強い絆があったなんて奇跡のようだね。

― 教育の原点は、まさにあそこにあるんだろうが・・・・・・。

― 我が世代では、まだ幼なじみという言葉は生きていて、現に今も心が通い合った付き合いが続いているけど、今の世代ではどうなんだろうね。

― この映画、ストーリーも良かったが、映像がとてつもなく素晴らしかった。

― 資料によれば、体感温度が-30℃で撮影したと言う真冬の北の大地の厳しい荘厳な風景、美しい花々が咲き誇る利尻島、礼文島に建てられた分校から望める雄大な利尻富士、とにかく素晴らしい映像だ。

― 吉永小百合が見せるさまざまな表情が実に美しい。

― 歳を重ねるごとに美しさが際立つ、こう言う人もいるんだと嬉しくなるね。

― 「心揺さぶられる」素晴らしい映画だった。

― お客さんもいっぱい入っていて、ほぼ満員だった。こういう映画を作れば映画館にもともっと足を運ぶファンが増えると思うね。

― 今年度の映画賞のレースに間違いなくノミネートされる作品だと思う。


先週(第13週「帰郷」)の連ドラ「おひさま」を見て

2011-07-08 | 映画・テレビ
2年半ほど前に「だんだん」を見て以来『ゲゲゲの女房」、「てっぱん」そして今回の「おひさま」とNHKの朝の連ドラにすっかりはまっている。

             NHK朝の連続ドラマ「おひさま」のオープニングシーン


今回の「おひさま」は、ヒロイン・陽子が信州・安曇野と松本を舞台に戦争をはさんで、日本人が生き抜いてきた昭和と言う激動の時代の中で、人々をおひさまのように明るい希望で照らす一人の女性のさわやかな一代記(NHK「おひさま」番組紹介)で、全26週ということなので先週で丁度半分が終わり、物語は後半に差し掛かったところである。

前にもちょっと書いたことだが、このところ涙腺がゆるみがちで、テレビなどを見ては涙を流すことが多くなって、かみさんに悟られぬように、涙をぬぐうのに苦労しているのだが、先々週の第12週「消息」、先週の第13週「帰郷」を見ては、そんな余裕はなく、ぼろぼろと涙を流しながら画面に見入った次第である。

中でも、先週の『帰郷』の放送で最も強烈に印象に残ったシーンが二つある。

その一つは、6月27日放送のヒロイン・陽子が兄・春樹の戦死の知らせに兄が好きだった「心に太陽を持て」という詩の表紙にすがって、とめどなく涙を流し、声を上げて号泣する場面。

二つ目は、6月30日放送のヒロイン・陽子が生徒たちに国語の教科書を墨で塗りつぶすように指示する場面。

実は、小生の両親が全く同じような場面を体験しているのだ。

即ち、母には特攻隊に志願して戦死した弟がいたのだ。

母も、朝ドラのファンであり、きっとこの場面を見ているだろう。
その気持ちたるやいかばかりであろうか・・・・。

また、父は終戦時教師であった。

父もヒロイン・陽子と同じように生徒たちに教科書を塗りつぶすように指示したのだろうが、やはり、その気持ちたるやいかばかりであったか・・・・。

母に戦死した弟がいたこと、父が終戦当時教師をしていたことは、ずっと前から知っていたが、小生には、その二人がそれぞれ感じた『痛み』などには一向に思い及ばず、「のほほん」と過ごしてきた。(戦争体験について、両親と面と向かって聞いたことも、話したこともなかった。)

この歳になって、また、このテレビドラマを見て、いまさら父や母の気持ちに思いを致すなんて、内心忸怩たる思いである。

そして、同時に『先の大戦』についての自分の「無知」と「無関心」さを思い知らされた次第である。


物語は、これから後半に入る。
どんな展開になるのか、楽しみである。

涙腺ゆるむ~朝ドラ「てっぱん」佳境

2011-02-18 | 映画・テレビ
NHKの朝の連続ドラマ『てっぱん』が今週佳境を迎えている。

朝ドラに『ハマった』のは、5年ほど前に、何気なく見始めた『だんだん』(2007年)がきっかけだった。
以後、病みつきになって『つばさ』、『ウエルカメ』、『ゲゲゲの女房』と見続けている。


この朝ドラの魅力は、何と言っても、たった15分と言う放送時間枠の中に毎回、毎回、必ずヒロインに関する悲喜こもごものエピソードが巧みにブレンドされていて、見る側としては、ワクワク、ドキドキ、ハラハラ、あっという間に15分が過ぎ、この続きはどうなるだろうと期待をいだかせて終わるところが、視聴者を引き付けて離さない要素の一つだと思っているが、それを毎日延々百何十回も続けるのだから、制作サイドはさぞかし大変だろうとつくずく感じ入ってしまう。

今週の朝ドラ・第21週「ひまわり」の意味が今朝の放送で明らかに。
それにしても、てっぱんをはさんで交わされる実の父親と娘の会話、二人の表情が実に良くて、思わず『グッと』きてしまった。

19年を経て対面した親子。

音楽家の父親が思いのたけを込めて娘に贈った曲『ひまわり』。
娘が吹くトランペットに乗って流れる『ひまわり』のメロディ。

今朝の朝ドラのエンディングは、秀逸だった。


今、放送されている朝ドラ『てっぱん』のオープニングの一場面。


涙と言えば、かみさんは、もともと涙もろい性質(たち)でドラマなど見ていると、必ず涙を流す。

先日も、テレビで『沈まぬ太陽』を見て、大粒の涙をこぼしていた。

小生も最近はかみさん以上に涙もろくなってきて、『沈まぬ太陽』ではかみさん同様、何回も涙があふれ、かみさんに悟られないように涙をぬぐうのに苦労した次第である。

そして、涙腺が随分とゆるくなってしまったのは歳のせいなのかと実感させられる日々である。


朝ドラの時間帯は、かみさんは出勤の準備で忙しくてテレビなど見る余裕はとてもないが、今週の『てっぱん』を見たら、涙を流すこと請け合いだろう。

この日の朝ばかりは、かみさんの目を気にすることなく涙をぬぐいながら、画面に見入った次第である。