折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「T・P・O」をわきまえる?~3歳の幼児の「頭の中」は?

2009-10-31 | 家族・母・兄弟
    
     コスモス畑にて
    「パパ、待ってよ」とコスモスの花の中、パパを追う孫のKちゃん。  



携帯で娘と話していたかみさんが、突然、大声で笑い始めた。
それは、「笑い転げる」と言った方が、ぴったりの笑い方であった。

何事かと、こちらも興味をそそられ、ことの成行きを注視する。


この10月で3歳になった孫のKちゃんから、毎日のようにかみさんの携帯に電話がかかってくる。

我々夫婦は、これをKちゃんの「定期便」と呼んで楽しみにしている。

この時も、いつもの定期便で、しばらくKちゃんのお相手をしてから、娘と電話を代わったのだ。


ようやく長い電話を終えたかみさんの話によると、

Kちゃんが余りにも言うことをきかないものだから、「がみがみ」小言を言ったのだそうだ。

その時、Kちゃんがとった態度が面白いのよ、とかみさんは思い出し笑い。

「何をしたの」と話の先を促すと、

「Kちゃんたら、ママからがみがみ小言を言われた時に、下を向いて

『まったく、うるさいな』

と小声でつぶやいたんだって!!」

まさか、そんなリアクションが返ってくるなんて思っても見なかった娘は、その小生意気な態度に、カチンと来て「誰に向かって言ってるの」と大声を上げると、

『ママ』

とすまして言ったんですって。

「全くあの子には、カリカリしちゃう」と娘がかみさんに愚痴ったのだそうだ。

それを聞いて、下を向いて「まったく、うるさいな」とつぶやくKちゃんの姿を想像して、思わず手を叩いて笑ってしまった。

「それって、多分、パパがママに何か言われた時の『口ぐせ』なんだろうね」

「それを見ていて、Kちゃんが『学習』した」

「多分、そうなんだろうけど、それを状況に応じて使い分けているところが、感心を通り越して恐れ入るね」

「手前味噌になっちゃうけど、Kちゃんの言動は『T・P・O』をわきまえてるって言えるんじゃない」

「でも、まだ3歳になったばかりだぜ、そんな知恵が回るのかね」

「もう、何でもわかるのよ。だから、娘にはいつも言ってるの、子供の前では夫婦喧嘩をしないで」と。

「<子は、親の鏡>と言うけど、子供を通して夫婦の日常生活の一端が透けて見えて来ると言うわけだ」


この日の夕飯は、こんな会話でいつになく盛り上がったが、それにしても、3歳にして、すでにこんな能力が備わっているとは!

幼児の知恵の発育の速さには、改めて目を見張らされる。

一体、孫の頭の中はどうなっているのだろう、その中をのぞいて見たいものだと興味をそそられた次第である。



T・P・O=Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)の略。

T・P・Oをわきまえる=時と場所、場合にあった物や、行動、ふるまいをすることができると言うこと。

紅葉の三頭山を行く~『奥多摩三山』制覇

2009-10-28 | 友達・仲間
    
木々がすっかり色ずき、秋たけなわの三頭山の登山コースを辿る幼なじみたち


<台風一過>
登山前日は、思わぬ台風20号のせいで、中止か決行かヤキモキしたのがうそのように、当日は抜けるような青空が広がり、空気は澄んでまさに「台風一過」、絶好の登山日和。

奥多摩に向かう車中からは、富士山がくっきりと見えて、「今日は、富士山を始め、大菩薩峠などがくっきりと見えて最高だぜ」とリーダーのKくん。

一同の期待はふくらみ、いやが上でもテンションは高まるばかり。

<宿題>
東京都の奥多摩山域にある「大岳山」(1,267m)、「御前山」(1,405m)、「三頭山」(1,531m)の三つの山を総称して「奥多摩三山」と言うらしい。

小、中学校の同級生の幼なじみKくん、Mくん、Hくん4人で今年4月に大岳山に、6月に御前山にそれぞれ登った。

今年中に「三頭山」に登って「奥多摩三山」に全て登るのが、かねてからの宿題であった。

<コンディション>
午前9時30分、都民の森到着。登山開始。

前日の台風の影響で足元がぬかるんでいて、すべりやすく、相当の悪コンディションを覚悟していたのだが、思ったほどのこともなくて先ずはほっとする。

だが、小生の体調の方がイマイチ。

どうも、前夜、雨や風のことが気になって良く眠れず、また久しぶりに早起きしたこともあってか、歩き始めてすぐに体が重く感じられ、足がいつものように動かない。仲間から「体調悪いの」と声をかけられる始末。

<登山妻?>
今回はいつもの男4人のメンバーの他にH子ちゃんが加わって、華やか。
苦しい上りも、彼女の元気でみんな勇気づけられる。


 
紅葉が一番きれいな場所で記念写真           東峰展望台で大岳山をバックにパチリ


特に、昼食時などは細やかな気配りで、男どもは喜ぶやら、恐縮するやら。
Mくんから「一夜妻ならぬ、登山妻だ」との声。

やはり、「女性が加わると雰囲気が違うね」と一同改めてマドンナの参加に歓迎の意を表する。

<残念!富士山頂は雲の中>
三頭山の名称は、東峰(1,527m)、中央峰(1,531m)、西峰(1,524m)の三つの峰があることからそう呼ばれているとのこと。

11時40分、約2時間かかって最初の峰・東峰に到着。
ここには、木で組まれた見晴らし台があり、大岳山、御前山の山並みがくっきりと見渡せる。
素晴らしい眺望である。

この場所で昼食休憩。

次に、第二の目標地点西峰に。
ここは、富士山が正面に見える絶景ポイントである。



   
残念ながら富士山頂は雲に隠れて、ついに見えず。    


だが、無常にも山頂付近には雲がかかっている。
雲が動いてくれないかと、しばし注視するも、後から後から雲がやって来て、山頂を覆いつくしてしまう。
一同、がっかり。

<来年は、『上毛三山』制覇>
下山は、登りは「青息吐息」だが、下山になると途端に元気になるHちゃんを先頭に、快調に下る。

2時40分、出発地点の駐車場に到着。

かくて、約5時間にわたる三頭山登山は無事終了、一路帰路へ。

帰りの車中では、

今回で「奥多摩三山」は制覇した。
今度は「上毛三山」だ。
今年、「赤城山」、「榛名山」に登ったので、来年は早々に「妙義山」に登ろうぜ、と大いに意気軒昂であった。

幼なじみとの楽しみは、これからも続く。
そのためにも、お互いに健康に気をつけようと誓い合った次第である。

写真が主役VOL31~93歳、毎日『天声人語』を読む母

2009-10-25 | 写真が主役シリーズ
        
朝食を終えて、我が家で寛ぎながら『天声人語』など新聞を読む母。


実家で母と一緒に生活し、世話をしている長兄は今年72歳。

お彼岸でお墓参りに実家に行った時のこと。

お茶を飲んで寛ぎながら、話題はいつしか『介護』の話に。

「自分たちも年々歳をとって行くので、体が動ける時に夫婦で旅行などに行きたいと思っても、ままならなくて・・・・・。」

と、一言、長兄から愚痴にも似た言葉が。

「気が付かなくて悪かったね、そういう時は我が家でおばあちゃんの面倒は引き受けるから連絡して」と小生。

そんなやり取りがあってしばらくして長兄から、「行楽シーズンでもあり、紅葉狩りを兼ねて温泉にでも行って来たいので、一晩おばあちゃんを頼むよ」との電話。

一も二もなく引き受ける。


母は今年93歳になった。

足腰がすっかり弱くなり、さすがに肉体的な衰えは隠しようがないものの、頭の方は本人は「物忘れが激しくて、もうダメだよ」と言っているが、我々から見れば、すこぶるしっかりしていて、「認知症」などとは無縁である。

どうも、わが母は「周りの人に迷惑をかけたくない」という過剰なまでの意識があるようで、93歳になった今も自分で洗濯機を回し、洗濯物を自分で干して、自分で取り込み、自分で畳むなど、日常生活では極力兄貴夫婦に迷惑をかけないようにしているらしい。

ある時、「洗濯ぐらい頼んだら」と言うと、「体を動かせば、脳に良いと言うから、体が言うことをきいてくれるうちはやるよ」との返事。

それを聞いて、その気持ち、気力に驚かされたものだが、今回3日間ほど生活して驚かされたことがもう一つ。

それは、新聞を熱心に読むと言うこと。

老眼鏡をかけて、熱心に読んでいる。

小生自身、新聞を読むのが少々億劫になりかけているだけに、

「すごいね、まだ、新聞を読む気力があるんだ」

と言うと、

「この頃は、目が弱って来たので以前のように隅から隅までとは行かないけど、大きな活字は見てるんだ。特に『天声人語』は面白いから、楽しみに毎日欠かさず見ているよ」と。


93歳になっても、未だ欠かさず『天声人語』を読んでいるとは!
しかも、面白いとは!

母が「ボケ」ない秘訣を垣間見たように思った。

今回の写真は主役シリーズは、我が家で寛ぎながら新聞を読む、93歳のわが母が主役である。



天声人語=朝日新聞の朝刊に長期連載中の1面コラムの題名。
     ジャーナリストの確かな目で時代の流れを見続ける同新聞の看板コラム

「白川ワールド」を堪能~小説「最も遠い銀河」(上)(下)

2009-10-22 | 読書
読書と言えば、この頃はもっぱら「時代小説」なのだが、久しぶりに「サスペンス」物を読んだ。

白川 道(とおる)の「最も遠い銀河」(上)(下)である。

白川 道、北方謙三は、小生にとってハードボイルド作家の双壁である。

その白川 道が8年ぶりに書き下ろした長編である。



             
             白川 道著「最も遠い銀河」(幻冬舎)
             

上下巻合わせて原稿用紙約2500枚の大作で、上巻は少々ストーリーの流れが滞りがちだが、下巻は一気に読ませるサスペンスだ。             


日陰に生まれ落ちた男と女。(作者は、この不平等を本文中で「日の当たる場所に落ちた種子」と「日の当たらない場所に落ちた種子」と言う言葉で表現している。)

幼くして両親を亡くし、ともに身を寄せ合い、貧しさをともに耐え抜いた二人は、夢を抱いて小樽から東京へ出る。

つかの間の幸せ。
しかし、男のために全身全霊を捧げた女は、非業の死を遂げる。
そして、女は今わの際に、故郷・小樽の海に眠ることを望み、男はそれを叶える。

月日が流れ、晩秋の小樽の海で、一隻の漁船の網が女性の変死体を引き揚げる。
遺体の身元も分からないままま事件は迷宮入りするが、同じ場所で娘を失った元刑事は、わずかな手がかりをたどって、やがて東京で活躍する新進気鋭の建築家にたどり着く。

建築家となった男は、非業の死を遂げた女との約束を果たすために非情なまでの苛烈な意志で成功を目指す。

恵まれない環境からはい上がろうとする男の野望や哀歓、憎しみ…。
次第に明らかにされていく彼の秘められた過去の闇。

運命のいたずらと言うべきか、当初は、最愛の女の「故郷・小樽の海に眠りたい」という遺言を叶えてやった男の、言わば二人の「純愛の行為」としての単なる「死体遺棄」が、この元刑事の追及で、全く予期せぬ方向に展開していくことに・・・・・・・。

純愛、哀しみ、友情、憎しみ、そして野望──。

物語は、それぞれの要素を随所に絡ませて、過去、現在とめまぐるしく展開する。

そして、社会的成功を目前にした主人公。

しかし、運命の糸に導かれるように、一度、狂い出した歯車は、ひたすら悲劇の結末に向かって回り続ける。

後半の山場、末期ガンで延命治療を受けている元刑事と主人公との会話の場面。
元刑事の温かい思いやりにあふれた言葉に男は頑なな心を開く、この場面は哀切きわまりなく、読んでいて涙がにじむ。

映画『砂の器』を思い浮かべた。

       光、生まれる朝、

       光、支配する午後、

       光、眠る夜、

       生まれ出でたる光輝かざれば、夜の闇に朽ちるのみ、
      
      一瞬の光は永遠の輝きをもって遠い銀河に眠る・・・。



朝は平等にみなにやって来る。でも日が昇ってから不平等が、不公平がみなを襲う。でもまた明日の朝はみなに平等にやって来る。

作品の中の重要な登場人物の一人である、美貌のジュエリーデザイナーが作った詩の一節で、主人公の人生の転機となった言葉である。

この詩といい、前述の「日の当たる場所に落ちた種」「日の当たらない場所に落ちた種」と言う言葉といい、あらゆる職業を転々とした作者ならではの人生観が投影されているように感じられて、当初、タイトルの意味が良く分からなかったが、読み終って少し理解できたように思った次第である。

先週は、指揮者フェレンツ・フリッチャイの音楽、今週は白川ワールドと「音楽の秋」、「読書の秋」を堪能しているこの頃である。



「たら」、「れば」の話だが・・・指揮者フェレンツ・フリッチャイのこと

2009-10-19 | 音楽
「兄貴は、フェレンツ・フリッチャイと言う指揮者、知ってた?」

「名前は知ってたけど、CDなどで聴いたことはないな」

「すごく、いいよ。聴いて見たら」

と言って弟が自分のコレクションの中からフリッチャイのCD10数枚を貸してくれた。

先に借り受けたブルーノ・ワルターのCDをほぼ聴き終えたところだったので、早速聴いて見ることに。

曲目を見ると、フィッシャー=ディースカウがソリスト陣に加わっているベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」に興味を引かれて聴いて見る。

録音が1958年1月4日となっているので、実に51年前の演奏である。


            
            衝撃を受けたフリッチャイ指揮、ベルリンフィルの「第9」のジャケット



先ず、第1楽章の冒頭から釘付になる。
まさに、息をのむ思いだ。

こんな感覚は、初めてフルトヴェングラーを聴いて以来だ。

ベルリンフィルと渾然一体となった熱気をはらんだ演奏に、ぐいぐいと引き込まれていく。

第2楽章も同様の演奏で素晴らしかったが、最も感動したのが第3楽章。

ベートーヴェンが書いた最も美しい音楽の一つが第3楽章だ。
そして、小生が最も好きな楽章でもある。

フリッチャイ・ベルリンフィルによって、涙がにじむような美しい旋律が次々に紡ぎだされ、夢見るような陶酔の世界に誘われる。

何と清澄な安らぎに満ちた崇高な楽章だろうか。

(第4楽章は、第1楽章から第3楽章までの完璧性に比べ、少々期待はずれのように小生には思われた。)

先週の午後は、ベートーヴェンを中心にモーツアルト、シューベルト、チャイコフスキー等、フリッチャイが指揮したCDをひたすら聴き続けた。

            
            先週たくさん聴いたフリッチャイ指揮、ベルリンフィルの演奏のうち
            ベートーヴェンの「運命」と「第7」のCDジャケット
            特に、交響曲第7番の演奏が実にすばらしい。


そして、それぞれの曲に新しい発見があった。


ネットで検索したところによるとフェレンツ・フリッチャイは、

1914年、ブタベストに生まれ、1963年白血病のため逝去。享年48歳とある。

活躍した時期は、1940年代から1960年代初頭までと短く、小生が聴いた一連のCDは、1958年秋に白血病の症状が現れ、手術後、翌年夏頃に演奏界に復帰した頃に録音されたものらしい。

それだけに、まさに、命を燃やした演奏と言えるのだろう。

特に、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、白血病の手術を受け、復帰したばかりのフリッチャイ渾身の指揮で、しかも、没後30年を経て発売されたといういわく因縁のあるCDとのこと。

そういう背景や、一種の先入観も手伝って、これまで聴いた「悲愴」の演奏と一線を画する壮絶な演奏と言う印象。


それにつけても、天賦の才能を持って生まれた者が、さあ、これから芸風の幅、深さを広げ、極めて行こうとする時に白血病で48歳の若さでこの世を去るとは・・・・・。

今回、たまたまフェレンツ・フリッチャイという指揮者の演奏を聴く機会を得て思ったことは、これは、「たら」、「れば」の話になってしまうが、もし、フリッチャイが病を得ずに指揮活動を続けることができたら、「マエストロ」フリッチャイは、人類にとってかけがえのない遺産をもっともっと沢山残してくれたであろうにと残念でならない。


「もっと長生きしてほしかったなぁ、フリッチャイ健在であれば、かのカラヤンと名声、地位をかけて彼と十分に競うことができたであろうに」と埒のないことにつらつらと思いをはせた次第である。

それと今回はからずもフリッチャイを知る機会を取り持ってくれた弟には、本当に感謝である。