先日、弟が仕事の帰りにひょっこり我が家に立ち寄った。
小春日和の昼下がり、二人してコーヒーを飲みながら音楽に耳を傾けた。
それは、兄弟水入らずで音楽を聴くという何とも得がたい一時であった。
帰りがけに、「兄貴は、ワルターが好きだったよね」と言って、彼が図書館を駆け回って精力的に収集した数々のコレクションの中から、ブルーノ・ワルターのコレクションを置いていった。
ブルーノ・ワルターという指揮者は、昔からフルトヴェングラーと共に小生の大好きな指揮者の一人である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/36/d74ce3ab54e5b8944772b7a1db97d677.jpg)
ブルーノ・ワルターの名盤 シューベルト交響曲第8番ロ短調「未完成」のジャケット
早速、シューベルトの交響曲第8番「未完成」を聴いてみた。
ワルターの「未完成」は久しく聴いていない、何年ぶりだろうか。
出だしの音を聴いて、「あっ、これぞ<ワルターの『未完成』だ」と懐かしさがこみ上げてきた。
ブルーノ・ワルターが指揮するシューベルトの交響曲第8番「未完成」との出会いは、今から40数年前の大学時代に遡る。
アルバイトをして買ったベートーヴェンの交響曲第5番「運命」とカップリングになっていたレコードであった。
当時持っていた、ちっぽけな「電蓄」から聴こえて来た甘美なメロディに瞬時に心を奪われていた。
特に、第2楽章。
「憧れ」と「祈り」と「崇高さ」に満ち溢れた旋律が、切なく胸に響き、「魂」を清められるような恍惚感を味わったのであった。
まるで魔法にでもかかったかのように、その演奏の虜になって、飽くことなく、毎日、毎日聴いた。
以来、色々な指揮者が演奏した「未完成」を聴いたが、特にその第2楽章は、ワルターに比肩しうる演奏にはついぞ出会ったことがなかった。
今、こうして改めて聴いて見てもその思いは、いささかも変わらない。
むしろ、年を重ねただけ、瑞々しい、美しい詩情あふれるワルターのシューベルトの音楽は、こよなく小生の心を癒してくれる。
そして、ワルターの演奏を聴きながら、音楽に限らず「絵画」、「文学」等々偉大な先人たちが遺してくれた文化遺産は、人類への福音であると心からそう思った。
音楽を聴いていて、時々、この演奏を作曲者自身が聴いたらどう思うのだろうと愚にもつかないことを考えることがある。
音楽とジャンルは異なるが、かって作家の松本清張氏が自分の作品を映画化した「砂の器」―日本の映画史上に燦然と輝く名作だと思っているのだが―を見て、「原作を超えた」と評したそうだが、さしずめこのブルーノ・ワルターの指揮する「未完成」は、シューベルトをして、何と言わしめるだろうか。
きっと、シューベルトはこの演奏を松本清張流に言えば「作曲者の思いを超えた」と評するのではないだろうか。小生はそう確信して止まない。
小春日和の昼下がり、二人してコーヒーを飲みながら音楽に耳を傾けた。
それは、兄弟水入らずで音楽を聴くという何とも得がたい一時であった。
帰りがけに、「兄貴は、ワルターが好きだったよね」と言って、彼が図書館を駆け回って精力的に収集した数々のコレクションの中から、ブルーノ・ワルターのコレクションを置いていった。
ブルーノ・ワルターという指揮者は、昔からフルトヴェングラーと共に小生の大好きな指揮者の一人である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/36/d74ce3ab54e5b8944772b7a1db97d677.jpg)
ブルーノ・ワルターの名盤 シューベルト交響曲第8番ロ短調「未完成」のジャケット
早速、シューベルトの交響曲第8番「未完成」を聴いてみた。
ワルターの「未完成」は久しく聴いていない、何年ぶりだろうか。
出だしの音を聴いて、「あっ、これぞ<ワルターの『未完成』だ」と懐かしさがこみ上げてきた。
ブルーノ・ワルターが指揮するシューベルトの交響曲第8番「未完成」との出会いは、今から40数年前の大学時代に遡る。
アルバイトをして買ったベートーヴェンの交響曲第5番「運命」とカップリングになっていたレコードであった。
当時持っていた、ちっぽけな「電蓄」から聴こえて来た甘美なメロディに瞬時に心を奪われていた。
特に、第2楽章。
「憧れ」と「祈り」と「崇高さ」に満ち溢れた旋律が、切なく胸に響き、「魂」を清められるような恍惚感を味わったのであった。
まるで魔法にでもかかったかのように、その演奏の虜になって、飽くことなく、毎日、毎日聴いた。
以来、色々な指揮者が演奏した「未完成」を聴いたが、特にその第2楽章は、ワルターに比肩しうる演奏にはついぞ出会ったことがなかった。
今、こうして改めて聴いて見てもその思いは、いささかも変わらない。
むしろ、年を重ねただけ、瑞々しい、美しい詩情あふれるワルターのシューベルトの音楽は、こよなく小生の心を癒してくれる。
そして、ワルターの演奏を聴きながら、音楽に限らず「絵画」、「文学」等々偉大な先人たちが遺してくれた文化遺産は、人類への福音であると心からそう思った。
音楽を聴いていて、時々、この演奏を作曲者自身が聴いたらどう思うのだろうと愚にもつかないことを考えることがある。
音楽とジャンルは異なるが、かって作家の松本清張氏が自分の作品を映画化した「砂の器」―日本の映画史上に燦然と輝く名作だと思っているのだが―を見て、「原作を超えた」と評したそうだが、さしずめこのブルーノ・ワルターの指揮する「未完成」は、シューベルトをして、何と言わしめるだろうか。
きっと、シューベルトはこの演奏を松本清張流に言えば「作曲者の思いを超えた」と評するのではないだろうか。小生はそう確信して止まない。