折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

はじめての『お泊り』体験

2008-06-29 | 家族・母・兄弟
まもなく1歳9ヶ月になる孫のKちゃんは、娘夫婦の住まいが我が家から車で30分ということもあって、ちょくちょく我が家に遊びに来る。

特に、毎週木曜日(この日はかみさんが休みの日でもある)は我が家から車で5~6分の所にあるSチャイルド・アカデミーに通って来るので、その帰りに必ず我が家に立ち寄っていく。(これを『Kちゃんの定期便』と名づけて小生は楽しみにしている。)

そんなこともあってかKちゃんはすっかり我が家に慣れ親しんで、あたかも自宅感覚で自由気ままに遊んで行く。

そんなKちゃんが先日はじめて一人で我が家にお泊りするという体験をした。

娘夫婦はこれまでも、何かにつけてKちゃんをわれわれ二人に預けて出かけている。
そんな時、パパやママがいなくても『おりこうさん』しているKちゃんだが、さすがに一人で『お泊り』となるとどうかな、といささか危ぶんだのだが、そんな心配は無用で、Kちゃんはじいじ、ばあばといっぱい遊び、夕食に出た大好物を腹いっぱい食べて、グスリもせずに拍子抜けするほどあっけなく寝てしまった。

じいじ、ばあばはお互いに顔を見合わせて、ほっと安堵のため息をついた。

年端もいかない孫を預かるのは、息子の長男のKくんを預かって以来、実に6年ぶりである。



階段を大急ぎで這い上がるKちゃん
階段の上り下りには、目が離せない。KくんもKちゃんも階段を急いで這い上が
るのが大好き


会話は今泊まっているKちゃんの話から、6年前のKくんの話へと自然につながっていく。

『拍子抜けするほど、あっけなく寝てしまったね』

『ある程度は、予想してたけど、寝る時もう少しグズルかなと思ったけど』

『6年前、Kくんもそうだったね。パパやママがいなくても平気で、泣きベソ一つかかなかった』

『ほんと、その点は二人ともよく似てるわね。パパさんやママさん、形無しという所ね』

『あんなに可愛がってる子供を一晩手放した二人の心境や如何にだね』

『ほっとして、つかの間自由な時間を二人で楽しんでいるか、それとも、いつも身近にいる子供がいないので、寂しく感じているか、おそらくその両方だと思うけど』


『Kちゃん、やること、なすこと、実に小さい時のKくんに似てるんだよね。階段をきゃっきゃ声を上げながらすごい勢いで這い上がっていくのも同じなら、パールにえさをやるよ、と声をかけると、急いで飛んできて、<じゃ~、じゃ~>と言いながら何回もカップですくったえさを食器に入れたり・・・』



パールの食器にえさを入れているKちゃん
パールにえさをあげるよ、と言うとKくんもKちゃんもすっ飛んでくる


『Kくんもお掃除が大好きで、いつも掃除機をいじくり回していたけど、Kちゃんもお掃除が大好きで・・・・・』



ほうきとちりとりを手に掃除をするKちゃん
KくんもKちゃんも無類の掃除好き。一度掃除を始めると、なかなか止めない


『Kくんを預った時は、まだ、おとうさんは会社に行っていて、帰って来て門扉を開ける音を聞きつけると、Kくんとパールが競争するように玄関に迎えに行ったわよね』

『玄関を開けるとパールと並んでニコニコとお出迎えしてくれたKくんの小さな姿を今でもよく覚えているよ。あのお出迎えには本当に癒された』


『あの頃は、Kくんを預かってもそんなに疲れたと思わなかったけど、今回は一晩だけでもどっと疲れたわ』

『あの頃は、まだ体力も気力もあったんだよ。この6年で、それだけ年を取ったということかな』

『・・・・・・・・・・・。』

本当に疲れているみたいで、かみさんはいつの間にかソファーにもたれて舟をこいでいた。

そんなかみさんの様子を眺めながら、今回孫のKちゃんを預かって見て、二人ともさほど自覚していなかったが、この6年間でいつの間にか気力、体力ともに目には見えなくても間違いなく衰えてきている、という現実を思い知らされたような気がした次第である。

『守り人』シリーズの世界に『どっぷり』とはまる

2008-06-25 | 読書
今、上橋菜穂子と言う児童作家に『どっぷり』はまっている。

きっかけは、NHK教育テレビで『精霊の守り人』というアニメを見て、原作を読んだのが始まりである。


NHK教育テレビで放映中のアニメ『精霊の守り人』


読み始めて、余りの面白さに一気呵成に読んでしまう本がある。
読んでいて、このまま読み終わってしまうのが何かもったいない、と思わせる本がある。

そういう本に出会えた時は、何よりも嬉しく、心が弾む。

上橋菜穂子さんの大作『守り人』シリーズ全10巻は、そういう類の本である。


『守り人』シリーズ全10巻


1日1冊のペースで読み進み、あっという間に全10巻を読み終わっていた。

全10巻の長い物語を一言で要約するのはむずかしいが、『信頼』と『絆』そして『自然への畏敬の思い』この三つは長い物語の全編を通して描かれているテーマではないかと思った。

ともかく、読んでいるうちにすっかり物語の主人公に感情移入し、全10巻を通して主人公と一緒に長い物語の世界を共にして来た感が深い。

そして『夢』と『冒険』の世界、『ロマン』と『ファンタジー』の世界に手に汗を握り、ページをめくる手ももどかしいほどに夢中になってしまっていた。

読書の『醍醐味』、まさに、これに尽きると言える。

少し時代がかった表現をするなら、久しぶりに『血沸き、肉踊る』世界を味わい、興奮を禁じえなかった。

この面白さは、思い起こせば小学校の頃、こんな面白い世界があったのかと、読書に目覚めさせてくれた吉川英治の『三国志』の世界、そして同じく子供の頃、ラジオにかじりついて毎日胸をわくわくさせて聞いた『笛吹き童子』の世界と相通じるものがあり、それが遠い昔の記憶につながったのだと言えるだろう。
そうなのだ、この本は間違いなくあの頃の自分に連れ戻してくれたのである。


時間が経つのも忘れるほどに熱中できるものを見つけたり、出会えたりした時ほど嬉しいことはない。

そしてまた、たとえ一時的であったとしても、『のめり込める』ものがあるのは幸せである。

今は、上橋菜穂子という作家とその作品に出会えたことの幸運を心から感謝している次第である。


今日は孫のKくんの8歳の誕生日である。

まだ、小学2年生のKくんには少しむずかしいかと思ったが、ママさんと一緒に読めば、十分楽しめるだろうと『守り人』シリーズ全10巻をセットでプレゼントした。
読書の楽しみを小さい頃からぜひ知って欲しいとの願いを込めて。

大人が読んでも子供が読んでも楽しめる本はそんなに多くはないが、この『守り人』シリーズは家族揃って楽しめる本である。


孫のKくんの誕生日祝いに贈った『守り人』シリーズ全10巻が収められている専用ケース

愛犬のいない散歩

2008-06-22 | 日常生活

孫のSくんが描いたナナちゃん(右)と我が家の愛犬パール(左)


ある日のこと。

愛犬の『パール』と午後の散歩をしていると、前方からお隣のご主人が一人で歩いて来る。

パールがその姿を見て、盛んに尾っぽ振っている。

『パールや、おとうさんと散歩か。いいな、お前さんは。』と言って、お隣のご主人は愛しそうにパールの頭を撫でている。

『ナナちゃんがいない散歩は、どこか物足りないのではないですか』と小生。

『だいぶ慣れましたけど、散歩と言うとどうしてもナナをつれて歩いたコースを歩いてしまうんですよ』

『そうですよね、どうしてもそうなりますよね、』

『何と言っても、長く一緒に暮らしていれば犬も家族の一員ですから・・・・・。居なくなって見て改めてよくわかりました』

『ナナちゃんが息子さんの所に引き取られていって3ヶ月ぐらいになりますよね。その後、ナナちゃん<里帰り>してないんですか』

『行ったきりで、うんともすんとも音沙汰なしですよ。われわれ年寄りの楽しみを奪ってしまって・・・・・。もっとも、飼い主は息子なのだから、連れて行くと言われてしまえば、しょうがないんですけどね』

『夏休みには、お孫さんと一緒にナナちゃんも来て、きっといっぱい泊まっていきますよ』

『来れば、来たで何かと騒々しいんでしょうが、でも、楽しみにはしてるんです』

そんな立ち話をして別れたが、ナナちゃんがいない散歩は、そう見るせいか小生には歯が欠けたみたいで、遠去って行くご主人の背中が少々寂しげに見えた。



お隣の愛犬のナナちゃんが息子さん一家に引き取られていってから3ヶ月、この間、お隣のご主人は朝、夕、それまでナナちゃんを連れて歩いた散歩コースを歩いているらしい。

小生などは、愛犬のパールがいなくなったらそれまでどおり散歩を続けられる気力があるかはなはだ心もとないが、それに比べお隣のご主人は『すごい』といたく感心した、そんなある日の午後の散歩であった。

原因があり、結果がある~ゴルフ『大たたき』のメカニズム

2008-06-18 | 趣味
先日、前の会社のOBたちとのゴルフコンペに行ってきた。

約3ヶ月ぶり、今年2回目のゴルフである。

ゴルフは、キャリアこそかれこれ40年と長いが、決してうまくはない。
それでも好きで、現役の頃はよくやった。

しかし、リタイア後は激減した。
回数が激減したのであるから、スコアや内容が悪くなるのは当然なのだが、余りにも情けない有様に、一方ならず落ち込んいる。

丁度、ゴルフを始めたばかりのようなスコアであり、ゴルフを始めたばかりのようなプレー内容なのである。

そうのなのだ、このところのゴルフは、「初心者に戻ってしまった」ようなゴルフと言っても過言でない状態なのである。

しかし、考えて見れば、最近は滅多にコースには出ない、練習場には行かない、挙句の果ては素振りはおろかクラブにも触っていないのが実情である。

一言で言えば、それだけゴルフに対する情熱、関心がなくなってきているのだ。

だから、これはまさに自業自得でスコアやゴルフのできをうんぬんすること自体が大変おこがましい話しなのだが、いざコースに出てみると、やっかいなことに自意識だけは昔のままで、良かった頃の打ち方ができないことに苛立ち、一打ごとにこんな筈ではなかったと『臍(ほぞ)』を噛み、それがさらなる焦りを生むという悪循環にはまってにっちもさっちもいかなくなり、それがさらにフォームを崩し、スコアを乱す。

どうもこれが、最近小生が『大たたき』をする心理面でのメカニズムのようだ。

今回のゴルフで顕著だった現象は、『トップ』と『チョロ』である。

原因はどうも『早くボールを打ちたい』と気持ちが先走って、バックスイングで右足に重心が乗らないうちにダウンスイングに入ってしまい、左肩が早く開いて、結果的にボールを迎え打ちに行くことになって、ボールの上っ面をたたいていた、ことにあったようだ。
このことにプレーの終盤にやっと気がついたが、すでに「万事休す」、「後の祭り」であった。


次回のゴルフは、2ヶ月先の8月下旬の大学時代のサークル仲間との年1回のコンペまで予定が全く入っていない。

このまま手をこまねいていたら、結果は明々白々である。
少なくとも今回のコンペの終盤に気付いた点については、練習場に行って実際にボールを打って確かめて、早目に修正しておきたいと思っている。

それにしても、今回は『結果には、必ず原因がある』ということを身をもって思い知らされたゴルフコンペであった。

札所めぐりの『ご利益』?!

2008-06-14 | 日常生活
『今日の予定なんだけど、札所めぐり兼ハイキングと言うことにしようや』
『それは楽しみだね、ハイキングなんていつしたのか記憶にないよ』

秩父へと向かう車中での会話である。

4月16日から始めた秩父札所めぐりの旅は、その後4月30日、5月14日と続き、24番札所まで順調に参拝を済ませることができたが、その後は拙宅の修繕工事やたまたま予定していた日に雨が降ったりで、4回目の実施が延び延びになっていた。

梅雨の「晴れ間」を利用して、ほぼ1ヶ月ぶりの札所めぐりである。

その日は、久しぶりに雲一つない快晴で、秩父地方は29度と夏日であったが湿度が低く風もあって、絶好の日和となった。

午前10時過ぎに最初の目的地である25番札所「久昌寺」に到着。
早速、参拝をする。

その日は、札所めぐりを契機に一念発起し、書き始めた『般若心経』の写経を持参し、本堂に置いてある箱に納めた。

続いて27番札所「大渕寺」へ。
ここでも写経を納め、参拝を済ませていよいよ本日のお目当ての「山歩き」へ。

「大渕寺」から尾根づたいの道が26番札所「円融寺(岩井堂)」へと通じている。
記憶を辿っても思い出せないほど久しぶりのハイキングということで、子供に帰ったような浮き立つ気分である。

リュックを背負い、相棒が用意してくれた杖を片手に雨上がりですべりやすくなっている道に足をとられないよう1歩、1歩踏みしめて歩く。


ハイキングコースに咲いている野草の説明をしてくれる相棒


山道は野草の宝庫である。
山歩きが趣味で野草にはやたらと詳しい相棒が楽しそうに野草の説明をしてくれる。
その説明を聞きながら、なるほど野草のことがわかると山歩きの楽しみは倍になるのだなと納得した。

歩くに従って岩や石が多くなってきた。
そして、そんな岩や石の間を縫うようにして、あちらこちらに根を張り巡らしている木々をしばしば目にするようになった。

『この木の根の張り方見た!すごいね、この生命力!こういうのを見ると自然の営みのすごさを実感するよね』

『ブログでも書いたんだけど、最近、木や花などの生命力に妙に惹かれるんだよね、ちょっと前までは全くと言っていいほど関心がなかったんだけどね。そんなことを考えるようになるなんて、やはり年なのかね』

『でも、それって何も悲観的に考えることではないと思うよ。そういうことにも思いが行くような年になった、気がつかなかったことに気がつくようになったと考えれば、逆にいいことではないのかい』

そんな心に染みるようなやりとりをぽつぽつりと交わしながら、歩く。


尾根からは秩父の峰々と秩父盆地の美しい景色が見渡せる


真っ青に晴れ渡った空。
清澄な山の空気。
尾根を渡る心地よい風。
時折、鳴き交わす鳥たちの声。
尾根から眺める秩父の峰々と秩父盆地の美しい景色。
そして、ぽつりぽつりと交わすともがきとの『清談』。

ゆったりとした時間の流れの中に身をゆだね、心が和む『愉悦』の一時である。

これも札所めぐりの『ご利益』、『功徳』と言えるのだろう。

こうした山歩きを楽しみながらおよそ1時間、26番札所「岩井堂」に着く。


山の中腹の懸崖の上に立つ、26番札所「岩井堂」


山の中腹の懸崖の上に立つ舞台造りの観音堂を目にすると、思わず『おっ!』と声を上げてしまいそうになる威厳のあるたたたずまいである。

そして、その場所から少し離れた場所で二人で食べた昼食のおにぎりが山歩きでおなかが空いていたせいもあって何ともおいしかった。


今回巡った札所はわずか3箇所に過ぎなかったが、思い出に残る札所めぐりとなった。