折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

早く、元気に産まれておいで~出産態勢へシフト

2010-11-30 | 家族・母・兄弟
今、娘夫婦が新しい命を授かろうとしている。

出産予定日は、来月なのだが、胎児は母体の中でもう十分に育っていて、「いつ産まれても大丈夫ですよ」と産科の先生から言われたとのこと。


初産の時は、出産に備えて早めに実家に戻ってきていたので、小生は至ってのんびり構えていたが、二人目となると事情がいささか変わってくる。

先ず、孫のKちゃんが、幼稚園に通っているので、実家に戻る訳にはいかない。それに、現在、パパさんが海外赴任中ということもあって、何かと娘も不安のようだ。

こういう時に絶対的に頼りになるのが、母親であり、かみさんとは、あれこれ、しょっちゅう携帯でやりとりしている。

いつ産まれても不思議でないよ、と先生に言われてから、二人して改めて『その日』を想定した準備を色々と始めたようだ。

その第1弾として、ママが入院中、孫のKちゃんがママさんがいなくても、われわれ夫婦と一緒にいられるかどうかを試すべく、その『予行演習』として、先週末、Kちゃん一人を我が家に1泊させたのだが、まさにその日の夜中に娘から『兆候』ありとの電話。まだ、早いと思うけどと言いながらも、かみさんは『その日、その時』に備えて、翌日から娘のマンションに泊まり込む態勢に。職場には、当分、娘の家から通うとのこと。

 
Kちゃんの一人お泊まりは大成功。
碁石で遊んでいたKちゃん(左)に、目の前にある目ざまし時計をモデルに、碁石と将棋の駒で時計を作って、どっちがうまくできたか競争しようと持ちかけて、完成した時計と数字(写真右が小生、左がKちゃんが作った時計)



小生は、目下のところ愛犬パールの世話をしながら、『予備軍』として『自宅待機』であるが、『その時』の小生の役割分担は、出産でママさんが入院している間のKちゃんの幼稚園の送り迎えと、Kちゃんとの遊びである。


こう言う状況がいつまで続くのか定かでないが、これから無事産まれるまでの間、しばらくは気ぜわしく、落ち着かない日々が続きそうである。

師走を前に、一足早く我が家も慌ただしくなってきた。

『子どものお使い?』~兄弟4人、何とも『無粋』な紅葉がり

2010-11-28 | 家族・母・兄弟

暖かい日差しが降り注ぐ小春日和とあって、平林寺には美しい紅葉を一目見ようと多くの人が訪れていた。しかし、今年の紅葉は『異常な夏』の影響を受け、去年に比べ大分見劣りし、少々がっかり。


『何時ごろ帰って来たの』と外出から戻ったかみさんが聞く。

『2時半ごろかな』と小生。

『そんなに早かったの』と信じられないといった体のかみさん。

『他の家でも、速かったわね』、『子どもの使い』のようね、ときっと言われてるわよ、とかみさんの感想が続く。

この日は、『兄弟4人が集う会』の3回目で、武蔵野の一角、野火止台地にある臨済宗の名刹・平林寺の紅葉を見ることになっていた。

確かに、そう言われれば、11時に集合、昼食を済ませて平林寺の山門をくぐったのが12時過ぎ、そして帰宅したのが2時半頃、兄弟が一緒にいた時間は3時間に満たないのだから、そう言われても仕方がないかもしれない。

同じ兄弟でも、これがそれぞれのかみさんたち(義姉・妹)が一緒に出かけるのであれば、間違いなくこんなに早く帰ってくることはないだろう。

『ただ歩いていただけで、いつものように、ろくに話もしてないんじゃない』とかみさん。

『兄弟4人で同じ空間、同じ時間を分かち合えればそれで十分なのだ、何をしゃべったとか、何をしたかと言うのは二の次だよ』

と強がって見せる小生。

男の兄弟なんて、およそそんなものだと思っているのだが、認識不足だろうか。


 
広大な武蔵野の雑木林の中、色とりどりの紅葉に足を止めて写真を撮る兄弟たち(左)、その雑木林の中にある『業平塚』の横にある一際きれいな紅葉の前で記念写真。(右)



落葉ロード~自然界の法則が受け継がれている場所

2010-11-26 | 雑感

地上には舞い落ちた真っ赤な桜の葉が降り積もり、落葉ロードの観を呈している黒目川の遊歩道。桜の木の根元に吹き寄せられた落葉が、腐食して木の滋養となる。


秋が一段と深まって来た。

愛犬の『パール』と毎朝散歩している黒目川の遊歩道だが、ここには200本を超す桜の木が植えられていて、春は花見、秋は紅葉の名所として、今や近隣の住民にとって、なくてはならない場所になっている。

今、紅葉した桜の葉が落葉のピークを迎え、地上には舞い落ちた真っ赤な桜の葉が降り積もり、朝日にキラキラ輝いて実に美しい。

この落葉、かって、落葉が担っていた役割、『腐食して土に還り、土を豊かにし、木に養分を与え、春に再び花を咲かせ、葉を茂らせる』と言う自然界のリサイクルの法則がうまく機能していた時は、有用なものであったが、都市化が進み、地面がコンクリートやアスファルトに覆われるようになるにつれ、一転、不用なゴミとして『厄介者』扱いされるようになってしまった。

しかし、ことこの遊歩道に関しては、落葉はゴミとして処理されることなく、木の根元や土の上に降り積もったまま、腐食して、土に還り、木々の滋養となっていく。即ち、この場所は、落葉が担っている本来の役割、自然界のリサイクルの法則が、受け継がれている数少ない場所の一つになっているのである。

また、学校や公園の桜の木が花の季節が過ぎると、枝を下ろされ、見るも無残な姿になってしまうが、この遊歩道の桜は、一切、手を加えられることなく、自然のままに枝を縦横に伸ばして見事な枝ぶりを誇示している。

そんな恵まれた環境にある、ここ黒目川遊歩道の桜の木にとって、きっと、この場所は何とも心地よい、天国のような場所なんだろうな、だから、この遊歩道はこれからも自然のままで残してほしいな、間違っても舗装などしないでくれよな、と晩秋の遊歩道を落葉を踏みしめて歩きながら、そんな取り留めのないことを考えた次第である。

じいじとゲームでしょうぶ~孫とマジで遊ぶ

2010-11-24 | 家族・母・兄弟
こんにちは。

ぼく、Kちゃんです。いま、4さいです。

じいじとばあばのいえにおとまりにいって、じいじとこうえんにいったり、ゲームをしたり、いっぱい、
いっぱい、あそびました。

とってもたのしかった。また、おとまりにいきたいな。



 
公園にあるジャングルジム(右)や飛行機(左)で遊ぶ孫のKちゃん。


先週末、我が家に遊びに来ていた孫のKちゃんとママさんの二人だが、Kちゃんがひいた風邪がうつったらしく、ママさんがダウン。結局、親子共々週末を挟み数日を我が家で過ごすことに。

この間、娘はひたすら休養につとめ、わが夫婦が孫のKちゃんの遊び相手を勤めることに。

『孫は来るも良し、帰るも良し』

と言うとおり、孫は、来てくれれば楽しく、嬉しいが、帰れば、帰ったで、ほっとするものである。

だから、ちょっとの間ならまだしも、数日間も孫の面倒を見るのは、中々大変である。

そして、その遊び相手をつとめるのは、じいじというのが通り相場である。

長丁場となると、じいじとしては、孫とうまく付き合う遊び方を工夫しないといけない。

晴れている日は、何をおいても近くの公園に連れ出す。これで、なんとか半日は時間がかせげる。

ちょっと前までは砂場遊びが中心だったが、今は、ジャングルジムや飛行機によじ登るなど、見ていて冷や冷やすることを平気でやるようになってきた。それだけ、目が離せないが、一人で遊んでくれるので余り工夫はいらない。

問題は、室内での遊びである。

我が家には、これと言った子どもの遊び道具は置いていない。あるものと言えば、小さい時に遊びに使っていた乾電池(これは今もお気に入りである)、将棋の駒、碁石、野球のボールぐらいなものである。

そこで、乾電池をボーリングのピンに見立て、野球ボールを転がして乾電池を倒すボーリングゲームとか、予め配っておいた碁石をじゃんけんやサイコロを使って取り合うゲームとか、少し離した場所に置いた箱に玉入れの要領で将棋の駒を投げ入れる遊びなど、普段のKちゃんがやらない遊びを一緒に楽しんだ。

その際、Kちゃんの興味を引き付け、やる気にさせたキーワードは、『競争』と言う言葉。

どの遊びも『じいじとKちゃんのどちらが勝つか競争しよう』と持ちかけると、『わかった、よーし、じいじとしょうぶだ、まけないぞ』とやる気満々。そして『じゃんけん』にはめっぽう強くて、小生は負けてばかり。『わ~い、じいじにかった』と有頂天のKちゃん。


これまでKちゃんペースで遊んでいる時は、ちょっとお座なりになりがちで、そんな時は時間が経つのがやけに遅く、遊びが終わるとガクッと疲れるのだが、今回はKちゃんも小生も一緒に楽しく遊んだので、時間が過ぎるのが早かったし、疲れもほとんど感じなかった。

そして、子どもの好きなおもちゃがなくても、こちらが一生懸命遊んであげれば、子供にもその気持ちが通じるものなのだということを身をもって体験した。

『ママ、じいじといっぱい、いっぱいゲームしたんだよ』とママさんに報告しているKちゃんを見ながら、『いっぱい、いっぱい』と強調したKちゃんの言葉の中に、Kちゃんの満足な気持ちが籠っているように聴こえて、小生もまんざらでない気分を味わった次第である。




重々しいクラシックからノリ、ノリのマンボへ~カルテット・スピリタスコンサート

2010-11-22 | 音楽
このところ毎月続いてきた幼なじみのKくんとの『コンサートを楽しむ会』、11月度はチケットの手配がうまくいかず、今月は休会もやむなしかと諦めていた所、先日、スリーデーマーチに参加した際、休憩所の壁に貼ってあるサクソフォン四重奏団演奏会というコンサートのポスターが目についた。

サクソフォンだけの演奏会と言うのも面白いかも、と早速帰宅後ネットで申し込んだのが今回のコンサートであった。

当日のプログラムは、クラシックを中心とした第1部と映画音楽を始めとするポピュラー系の音楽、マンボ音楽のメドレーを中心とする第2部という構成。

第1部は、重々しく堅苦しい雰囲気でちょっと辟易とさせられたが、第2部は一転明るく、伸び伸びと、そして、楽しい雰囲気にあふれ、場内からは自然に手拍子が出るなど和気藹藹としたコンサートで、1部と2部で対照的な雰囲気のコンサートであった。

そこで、いつものように二人の感想を会話風にまとめてみた。

  
会場の東松山市民文化センターに集まった聴衆(左)、カルテット・スピリタスのメンバー(右)

『第1部は、モーツアルトのフィガロの結婚序曲で明るく始まったと思ったら、段々重々しく堅苦しい雰囲気になってしまって、この先どうなることやらと心配になった』

『同じ楽器の音だから、どうしても単色になってしまって、変化に乏しく面白みに欠けるという結果的になってしまった』

『ちょっと取っ付きにくいと言った雰囲気だった』

『クラシックとは、少々、相性が悪かったという印象だよね』

『4人がサクソフォンを吹きながら、会場を回るというパフォーマンスで、スタートした第2部は、がらっと雰囲気が変わって、リラックスムード。お客さんも手拍子で応えるなど和気藹藹だった』

『派手な照明が、コンサートと言うよりも、ディナーショーといった趣だった』

『2部の方は、ソプラノ、アルト、テナー、バリトンサックスが臨機応変にソロを吹くなど、それぞれの楽器の特徴を思う存分発揮して、聴いていて実に楽しかった』

『サックスと言う楽器は、クラシックよりも、ジャズやムード音楽の方が断然相性が良いことが、改めて良く分かった』

『マンボのメドレーなんて、まさに打ってつけ、演奏する側も聴く側もノリ、ノリだった』

『これまでのコンサートと一味違った、一風変わったコンサートで、前回の新日本フィルのコンサートが今年一番の感動だったとすれば、今回は今年一番楽しいコンサートだったね』