折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

ネット・ショッピング

2007-01-31 | 日常生活
ちょっと旧聞になるが、先日NHKのテレビで『グーグル革命の衝撃』を見ていて、孫の誕生日のプレゼントをネットで検索して選んだことを思い浮かべた。

その日は、たまたま娘と3ヶ月前に生まれたばかりの孫が我が家に泊りがけで来ていた。


『1月は、Sくんの誕生日なんだけど、何が良いかね』

『まだ、何も決めてないの?』

『お正月に来た時に、あいつらカブトムシの幼虫を持ってきてたろう。それで「カブトムシとクワガタ」の図鑑は買ったんだけどね、それだけではね・・・・」

『それだったら、ネットで調べてあげるから、ちょっと待ってて』

娘はおもむろにパソコンを立ち上げて、あれこれと検索を始めた。


『これなんかどうよ、Tシャツなんだけど、胸のところに自分で好きなように絵を描くようになってるの。世界にたった一つだけの自分だけのデザインのTシャツだから、良いんじゃない』

『うん、こりゃ、よさそうだ。これにしよう、ついでに申し込みもやっといてくれない』

と、まさに『おんぶに抱っこ』である。

それから数日後。

孫のママさんから電話が入る。

『おとうさんですか、このたびは素敵な誕生プレゼント、ありがとうございました。こどもたちは、大喜びでもうすぐにも絵を描きだしそうな勢いだったので、「ダメ!一度描いたら消せないんだから、ちゃんと練習してから描きなさい!!」てブレーキをかけるのが大変でした。描き終えたTシャツを着て、大喜びでした。本当にありがとうございました』


後日、くだんのTシャツを着た孫の写真がメールで送られて来た。



胸にカブトムシを大きく描いて得意満面の孫たち
写真左が今月誕生日を迎えたSくん
右がおにいちゃんのKくん


その胸には、『カブトムシ』が大きく描かれていた。そして、得意然としてカメラに収まっている彼の顔には、うれしさがあふれていて、思わず『ヤッター』とガッツ・ポーズをしてしまった。

今度の孫へのプレゼントは、娘のネット・ショッピングというアイデアで孫たちに喜んでもらって大いに面目を施すことになったが、居ながらにしてさまざまな商品をいとも簡単に選べて、購入できるネットショッピングの威力と可能性の大きさを改めて実感した次第である。

一石三鳥

2007-01-28 | 趣味
本屋の店頭をのぞくと、今や『脳』をトレーニングするための
本が所狭しと並んでいて、ちょっとした『脳ブーム』の観を
呈している。このブームの火付け役となった観のある
『えんぴつで奥の細道』が発売になった時は、小生も実際
書店で手にとって見て「面白いアイデアだ、書いてみようかな」
と思ったが、その時は購入しなかった。
そうこうするうちに、同じ出版社から新聞に「えんぴつで脳を
鍛える百人一首」という大きな広告が掲載された。
百人一首は子供の頃に熱中した遊びで、今でも大いに
興味があるので、こちらを購入することにした。
また、そのすぐ後に今度は「書いて楽しむ百人一首」という
本が出た。同じなぞり書きでも、こちらは『楷書』のほかに
『行書』もあって、今、書道で『行書』を習っていることもあり、
多少は役に立つのではないかと思って、これも購入した。


一石二鳥ならぬ一石三鳥の効果をねらって
購入した2冊の本


① 脳の活性化と『ボケ』防止

えんぴつを使って、はみださないように丁寧になぞり書きをしたり、文字の「とめ」や「はらい」に気をつけて書くことで、脳が刺激を受け、ひいてはそれが「ボケ」防止につながると言うキャッチ・コピーに惹かれたこと。

② 『百人一首』の世界を知る

それぞれの歌に「現代語訳」、「歌の背景解説」、「作者紹介」がついているので、これまでうろ覚えであった百人一首を改めて勉強し直す機会にしようと思ったこと。

③ えんぴつ・ボールペン字の上達

なぞり書きやお手本を見ての写し書きによって、『楷書』と『行書』の二通りの書法を習得することができること。 





なぞり書き(右)、お手本(左)を
見てかいた浄書(中央)
(えんぴつで脳を鍛える百人一首より)


以上、一石二鳥ならぬ『一石三鳥』の効果をねらって
始めた次第である。

現在、「1日1首」を日課に、先ず始める前にえんぴつを
小刀で入念に磨ぎ、気息を整え、おもむろに「楷書」の
「なぞり書き」を二通り、「行書」の「なぞり書き」を一通り
そして、同じく「楷書」の「浄書」を二通り、「行書」の「浄書」
を一通りと合計一つの歌を「6回」書いている。



こちらの本の楷書(左)は、正楷書というよりは
丸みを帯びていて、行書に近い楷書で、また
違った味わいがあり、参考になる。
(書いて楽しむ百人一首のテキストより)


書いている時間は、わずか30分たらずであるが、その間
気力が充実し、また、書き終わったあとの心やすらぐ時間が
何ともたまらない。



<今日の1日1首>  第二十二首

吹くからに秋の草木のしおるれば

              むべ山風をあらしといふらむ



<作者:文屋康秀 出典:古今集>

初稽古・初試斬

2007-01-25 | 武道

<居合い・初稽古風景>
居合いの稽古は月・水・金の週3回
午後7時から午後9時までの2時間
おこなわれている


1月22日は、居合道の初稽古、抜刀道の初試斬
の日であった。

紋付・袴・白足袋で威儀を正した3人の先生方
(7段1名、6段2名)の姿を拝見して、身が引き
締まると同時に、日本古来の着物の持っている
美しさに心引かれ、いつかは自分も揃えて見たい
と言う思いを強くした。

当日は、先生のほかにも2人のメンバーが紋付・
袴を着用、当日の出席者11名のうち5人が正装
と言うことで、稽古場も自ずと粛然とし、緊張感
をはらんだ初稽古となった。
先ず、各自が基本練習で体をほぐした後、今年の
初稽古ということで早速、全剣連制定居合12本
を全員で抜いた。

正月休みが長かったため、この2ヶ月くらい刀を
抜いていないので、最初のうちは中々思うように
体が動かず、調子が出ないまま初稽古は終了。



<抜刀・初試斬風景>
抜刀道範士8段の先生の
袈裟切りで見事に両断された巻き藁


その後は、居合いと抜刀に分かれて、それぞれ
稽古を行った。

抜刀も居合い同様、しばらく練習から遠ざかって
いたこともあり、思うようには斬れずにこちらも
不完全燃焼。

今年の初稽古は、意気込みとは裏腹に不出来な
スタートとなった。

途中経過

2007-01-22 | 家族・母・兄弟
『もしもし、おばあちゃん、I だけど、どう元気?』(I とは小生のこと)

『ああ、I かい、おかげさんで元気だよ。お正月には、お年玉もらっちゃって、とんだ散財をさせちゃって、悪かったよ』

『とんでもない、こちらこそ、孫にお年玉をもらっちゃって、かえって気を使わせちゃったよ

『それにしても、今年の冬は暖かいね』

『年寄りには、暖ったけえのは何よりだよ』

『おばあちゃんの部屋は、日当たりがいいから、日向ぼっこにもってこいじゃない』

『昼間はいいんだけど、朝・晩はそれでも寒いよ』

『どう、この間の「塗り絵」やってるかい?』

『ああ、ぼちぼちやってるよ。3枚ばかり出来上がったよ』

『へえ、そりゃ、すごいね。で、どう、できばえは、うまくいった?』

『まあ、いいのもあれば、そうでないのもあって、色々だよ。そんでも、Yが「おばあちゃん、すごいんじゃない」と言ってくれたよ』(Yとは同居している長兄のこと)

『出来上がったのを見ると、やっぱし、嬉しいもんでしょうよ』

『そうだよ、きれいに書けた時は、とっても嬉しいよ』

『まだ、色鉛筆で色を塗っただけなの?』

『うん、もう少し暖かくなったら、筆に水をつけて書いてみようと思ってんだ』

『そう、そりゃ、よかった。正直言って、正月におばあちゃんにちょっとやってもらったろう、あの時の様子じゃあ、「どうかな」と半信半疑だったんだ』

『あっし(私)もそうだったんだよ。プレゼントしてもらったのはいいんだけど、できなかったら、お前に悪いなって、心配だったんだけど、やってみたら、だんだん面白くなってきて、楽しいよ。いいものもらって、良かったよ』

『そりゃ、よかった。プレゼントした甲斐があったよ。今度行った時、見せてもらうのを楽しみにしているよ。風邪などひかないでね』

『ああ、ありがとう。おまえもな』



塗り絵のことがちょっと心配になって、途中経過を知ろうと、おばあちゃんに電話したのやりとりの一こまである。

この種の試みは、出だしが肝心である。その意味では、目下の所、91歳のチャレンジは、一応順調にスタートしたようで、ほっと、胸をなでおろしている。

百人一首

2007-01-19 | 趣味


百人一首の思い出

先日、テレビで百人一首の「名人・クイーン」決定戦の放映
を見ていて、もう50年も昔百人一首に熱中していた子供時代
を懐かしく思い出した。

その頃の子供のお正月の遊びと言えば、
「凧揚げ」、「こま回し」、「羽子板」そして
「かるたとり」と相場が決まっていた。

それらの遊びの中で、我が家では父が教師をしていた
ことの影響だろうか、「百人一首」が特に盛んで、家族
みんなの楽しみの一つであった。

小生も、小学校に上がる頃には、小さいながらも二人の
兄に混じって、いっぱし札を取っていた。

そして、お正月が近づいてくると、カルタを取り出してきては、
意味は全くわからないまま、百人一首の歌を丸暗記する
特訓を密かに繰り返すのが常であった。

また、お正月ということで、百人一首には家族全員が参加した。
母までが百人一首に加わったことが、われわれ子供たちを
より夢中にさせた。母と一緒に遊ぶことが出来るということが
たまらなく嬉しくて、みんな張り切っていた。小生など一人で
はしゃぎまわっていたものである。

一方、父の役割はかるたの読み手であった。
抑揚をつけて、朗々と読み上げる名調子に、子供たちは
みんな聞きほれ、すごいなあ、と尊敬したものである。
そして、父の顔を見るといつも「読んでよ」とせがんだ。
新年会などの集まりに出かけて、酔って帰ってきても、
せがまれると「またか、しょうがないな」と言いながらも
機嫌よく読み手をつとめてくれた。

今、思うにあの子供の頃のお正月の百人一首ほど、
家族のふれあい、一家団欒の喜びを実感できた
ことは、後にも先にもなかったように思われてならない。


また、百人一首では忘れらない想い出がある。


それは、小学校4年生の時に初めて百人一首の競技大会に
出場した時のことである。

当日は、全員無欲で臨んだこともあってか、トントン拍子に
勝ち進んで、あっという間に準々決勝に勝ち上がってしまった。



準々決勝の場面

自陣(手前)に1枚、敵陣に1枚の札が
残る大接戦であった


そして、その準々決勝でのことである。

競技は進んで、自陣、敵陣にそれぞれ1枚の札を残す
のみと言う、大接戦となっていた。

小生とペアを組む相棒が、「2枚とも知ってるか」と小声で
聞いてきた。「まかせろ」と自信満々に答える小生。

2枚の札のうち、敵陣にあった札については、今はもう
思い出せないが、自陣にあった札は、小生が最も
得意としていた札であったので、今でもはっきりと
覚えている。

勿論、相手方も残っている2枚の札については、熟知していて
自信満々に見えた。

双方とも、身を乗り出して残りの札が読み上げられるのを
今か今かと待ち構えていた。

そして、緊張が最高潮に達したと思われたその時に
ハプニングが起こった。

読み手が、前に読み上げた札の「下の句」を再度読み上げた
時に、何を勘違いしたか相手方の一人が、猛然と小生の前の
札を取ったのである。

「おてつき」で勝負はあっけなく終った。

そして、今でも思う。

あの時、相手方がお手つきの反則を犯さなかったら、あのゲーム
に果たして勝てただろうかと。


大江山いく野の道の遠ければ

まだ文も見ず天のはし立


忘れもしない、自陣に残っていた1枚の札である。


準々決勝で自陣に残っていた札

小生の最も得意な札が残っていた
のに不思議な因縁を感じる