折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

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写真が主役VOL7『蝶』~はじめて目にした『さくら貝』

2008-01-29 | 写真が主役シリーズ


『蝶』~能登の海岸でかみさんが拾い集めてきた『さくら貝』
蝶の形をした小さなさくら貝がとても可憐で可愛い。



『はい、お土産よ』

3泊4日の旅行から帰って来た、かみさんがやわらかな和紙にくるんだ小さな包みを大事そうに開いた。

中から現れたのは、ピンク色をした貝殻の小片。

『知らないでしょう、さくら貝よ』

今回の旅行先の能登半島の海岸で拾ったとのこと。

『へえ~、これがさくら貝か』

と、はじめて見るさくら貝に見入った。

訪れた能登の海岸は、予想に反して風もなく暖かで、日本海というよりも太平洋といった印象だったそうである。
そういう陽気に誘われて海岸を散策している時に集めたのだそうだ。

そして、いっぱい持ち帰ってきたさくら貝の中で一際目を引き、かみさんが自慢したのが今回の主役である『蝶』のような形をした小さなさくら貝である。

わずか15ミリという小さな貝を良く見つけたものだと、その観察眼の鋭さに感心した。




さくら貝という言葉を聞いて、小生が真っ先に思い浮かべるのは子供のころに実家のラジオから流れていた『さくら貝の歌』という曲の歌詞である。


うるわしき   さくら貝ひとつ

去り行ける   君にささげん

この貝は    去年(こぞ)の浜辺に

われひとり   拾いし貝よ

(土屋花情作詞/八洲秀章作曲)


この歌が作られたのは、昭和24年7月。
当時は、ラジオが唯一の娯楽であり、いわば『ラジオの時代』であった。
そして、NHKの『ラジオ歌謡』が幅広く大衆に支持された時代でもあった。

小生は、その頃は小学校に上がるか、上がらないかぐらいの年頃であったが、母や二人の兄たちが口ずさんでいたラジオ歌謡を聴くとはなしに聴いていて、いつの間にか覚えてしまっていた。(子供の頃の兄貴たちの影響は絶大である。)

この『さくら貝の歌』もその中の一曲であり、そのロマンチックなメロディーが幼心の片隅に一片の記憶を残してくれたのだろうか、長じた後もこの歌は古き良き時代の思い出として、今も小生の愛唱歌となっている。

思いがけなくも、さくら貝の実物をはじめて見て、手に触れて、幼い昔イメージしていた『さくら貝の歌』の歌詞とを重ね合わせて、感慨を新たにした。

かみさんは、小生のためにこのさくら貝を持ち帰ったわけではないが、それでも、懐かしい昔を思い出させてくれたかみさんには感謝である。


コーヒーを飲みながら、バリトン歌手の福島明也さんが歌う『さくら貝の歌』、『あざみの歌』、『山のけむり』など当時一世を風靡したラジオ歌謡を聴くと、まだ幼かった頃が懐かしくよみがえってくる。

ラジオ歌謡しかり、そして『笛吹き童子』、『紅孔雀』と言った物語の世界、ラジオを聴きながら空想の世界を駆け巡ったあの頃が今も思い浮かぶ。

まさに、あの当時は『ラジオの時代』であった。

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新聞小説『宿神』最終回に寄せて

2008-01-25 | 読書
夢枕 獏さんが朝日新聞朝刊に1年余にわたって書いてきた小説『宿神』(しゅくじん)が1月19日に完結した。

それまで新聞小説など読んだことがなかったが、この連載小説は作者の夢枕 獏さんに興味、関心があったこととタイトルに惹かれて読み出した。
読んでいるうちにすっかりその魅力の虜になり、毎日新聞が来るのを楽しみに待って、真っ先に目を通すのが一日の始まりとなった。

夢枕さんの名前は知っていたが、実際に文章を読むのは始めてであった。

『ツボ』にはまった時の語り口の巧みさと物語の展開の面白さは群を抜いて素晴らしい。

また、タイトルの『宿神』と言う文字、挿入されている『挿絵』のいずれも最近の新聞小説の中では秀逸である。



岡本光平さんの『宿神』と言う題字は実にユニーク
(1月19日付朝日新聞朝刊 『宿神』より)


物語は、『漂白の歌人』西行が若かりし頃、まだ佐藤義清(のりきよ)と名乗っていた頃の平清盛との友情、鳥羽天皇の御后待賢門院との激しくも切ない恋等をタテ軸に、古来よりわが国に土着する『宿神』の話しをヨコ軸にして、佐藤義清が西行へと生まれ変わっていく様を克明に描いている。

『宿神』の話しの方は、今一つ釈然としない所があったが、義清と彼を取り巻く人間群像、人間模様の話しは断然面白く、かつ興味深かった。

そして、いつの間にか熱心に毎回、毎回新聞を切り抜いて保存するようになっていた。
言って見れば、新聞小説にすっかり『ハマッテ』しまったわけで、新聞紙上に『宿神』が1月19日で終わる旨のお知らせが掲載された時、小生はこの長編小説のエンディングにどんなラストが用意されているのか非常に興味があり、その日を心待ちにしていた。


そして迎えた最終回

それは、西行が子供の頃『蹴鞠』をしていて、中天高く蹴り上げた鞠がそのまま戻って来ないということがあったが、その消えうせた『鞠』が中空から落ちて来る場面から始まる。

浄土の旅にまさに赴かんとしている西行、生れ落ちた場所に再び戻って行こうとしている西行に、あたかも歩調を合わすが如く、戻って来た『鞠』。

この暗示的な場面を、夢枕さんは実に簡潔に表現している。

「おう・・・・・・・」

西行は、その鞠を見て、思わず声を上げていた。

間違いない。

あの鞠であった。(中略)

「そうか、おまえだったのか・・・・・・」

西行は嬉しそうに眼を細め、

「やっとかえってきたのだね・・・・」

そうつぶやいた。

(1月19日付朝日新聞朝刊 『宿神』より抜粋)
 
『死』とは、もとに戻ることなのだという『悟り』の境地を、戻ってきた『鞠』になぞらえた、短いが秀逸な文章である。



飯野和好さんの挿絵は大人気を博した。
最終回は、西行のもとへ戻ってきた『鞠』の絵であった。
(1月19日付朝日新聞朝刊 『宿神』より)


そして、ラスト20行

「西行様、これに用意ができました」

言いながら、桶を西行の枕元に置き、桜の枝を

桶の水に差した。

そこで、申(さる)は、ようやく、西行の枕元に転がっ

ている鞠に気がついた。

美しい、夢のような鞠だ。

いったい、誰がこの鞠を持ってきたのか。

「西行様、この鞠はどなたが・・・・」

申は問うたが、返事はなかった。

「西行様・・・・・」

もう一度声をかけた。

やはり、返事はない。

申が眼をやると、西行は仰向けになったまま眼

を閉じていた。

西行様・・・・・

と、申は声をかけようとして、それをやめた。

眠っているのだと思った。

眠っているのなら、起す必要はない。

西行は、眼を閉じたまま、その唇に微笑を浮か

べていた。                 (完)

(1月19日付朝日新聞朝刊 『宿神』より抜粋)


思い残すことなく西方浄土へと旅立って行った西行の最期の様子が活写されていて、何とも素晴らしいラストシーンである。


このラストシーンを読んで思わず17年前に逝った親父の最期と重ね合わせていた。

おやじは、夕食前のひと時おふくろとテレビで大相撲を見ていた。
そして、おふくろがちょっと台所へとたって行ったわずかな間に、相撲中継を見ながら眠るように逝った。

西行がその唇に微笑を浮かべていたように、おやじもまた穏やかな表情であったそうである。(勿論、小生は臨終には立ち会えなかったのだが・・)

その瞬間も大好きな大相撲を楽しんでいるかのように。


安らかな『死』、それは誰しもが渇望していることの一つであろう。
しかし、現実にはどんなにそれを望んでも叶えられない望みであることもまた事実であろう。


ねかはくば 花のしたにて春しなん そのきさらぎのもちつきのころ(山家集)

この歌のとおりに天寿を全うできた西行は、その叶わぬ望みを叶えることができた稀な人である。

そして、また、小生のおやじも。


安らかな最期を迎えられるか否かを分かつものがあるのかどうか、もし、あるとしてもそれは単なる『偶然』なのか、それとも『必然』=『運命(さだめ)』なのか、小生にはわからない。

しかし、おやじの最期、それは人生を限りなく自分に忠実に、精一杯生きたことへの神様のやさしい思いやり=ご褒美だった、と信じて疑わない。
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『主夫業』雑感

2008-01-21 | 日常生活
昨夜のことである。

ご飯が炊き上がったことを知らせる炊飯器の電子音が軽やかに鳴った。

かみさんに教わったとおりにやったのだから、うまくいって当然なのだが、何しろこれまでお米を研いだこともないし、炊飯器などには触れたことすらなかったのであるから、炊き上がってひとまずほっとする。

いつもよりちょっと軟らか目だが、まずまずのできである。(水加減が若干多かったか?)



現在、かみさんは友達と3人で3泊4日の旅行中である。
これまで1日ぐらい家を空けることはあったが、3日も留守にするのは始めてである。

1日ぐらいならどうってことないが、3日ともなると食事は?、洗濯は?ということになり、出かける前に急遽、炊飯器と洗濯機の使い方を教えてもらうことにする。

昨晩がかみさんの旅行初日であり、従って『飯炊き』実践の初日と言うことになる。


『飯炊き』実践初日、ちょっと軟らか目だが、まずまずに炊き上がった。



かみさんは、小生がリタイアする以前から我が家から徒歩で20分ぐらいの所にあるT大学に勤めている。

小生がリタイアする以前も以後も勤めに出るかたわら、こまごまとした家事一切をやっている。

小生がリタイアして毎日家にいるようになっても、特にあれをやってくれ、これをやって欲しいというような指図がましいことは一切言わずに、これまでどおり家事をこなしている。

小生も当初は黙って見ていたが、そのうちこれは自分にもできそうだと思われる家事を見つけて、黙ってやることにした。


先ずは、朝食時にコーヒーを淹れることから始めた。
その後、朝食後の片付けや食器洗い、週4回(月、火、木、金)のゴミだし、部屋や浴室の掃除、そして、洗濯物を取り込んだり、たたんだり、天気の良い日には布団を干したり、取り込んだりとこまごまとした日常の雑事を、仕事を『シエアー』すると言う感覚でやり始めた。
所謂、『主夫業』である。


そうした中で、これまで全くやらなかったのが『飯炊き』と『洗濯』の二つである。

これについては、『主夫』でなく、『主婦』のテリトリーでは、と言う思いがあって、これまでは『アンタッチャブル』できたのである。

しかし、3日も留守となるとそうもいかない。
そこで、これを機会に炊事、洗濯もやってみよう、という気になり、かみさんにやり方を教えてもらったという次第である。


リタイアして丸4年。

そんなに楽しいわけではないが、人に指図されてやっているわけでもない。
自分で買って出てやっていることだから苦痛というわけでもない。
という訳で、最初のうちは慣れなかった『主夫業』も段々と板についてきた。

今回米研ぎや炊飯器の扱いを覚えたことで、今後、仕事でかみさんが遅くなれば、ご飯だけは炊いておけるので、少しはかみさんの助けになるだろう。

あとは、『料理』という超大物が残っているが、こちらの方はもう少し、かみさんの『手料理』を食べていたい心境である。


さあ、ご飯の方はもう大丈夫だ。
洗濯物は、今の所まだ溜まっていないので、洗濯機を回すのは明日にしよう。
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イチローと他のプロを分かつもの

2008-01-17 | スポーツ
プロとアマを分かつもの、そして、プロ同士を分かつものは一体何なのだろう、ということに予てから興味を持っていた。

そして、プロとアマを分かつものについては、NHKのドキュメント<考える 石田衣良の場合>を題材にして、12月28日付のブログに私見を書いた。

今回は、同じように選ばれたプロ同士であっても、陽の目を見ずに消えてしまうプロもいれば、その才能を開花させ、脚光を浴びるプロもいる。
この両者を分かつものは、一体何なのかについて考えて見たい。

この命題を解く一つのヒントになりそうなテレビ番組がこの正月に放送された。

1月2日にNHKで放送された【プロフェッショナル仕事の流儀 イチロー・SP】という番組である。

このドキュメンタリーは「イチロー」という一人の人間を多面的に捉えて、これまで余り知られていなかった「イチロー」の素顔に迫るもので、イチロー自身から興味あるコメントが語られ、また、イチローの『本音』が垣間見られ内容的にも非常に面白い。

その中から、今回のテーマであるプロ同士を分かつもの、即ち、イチローと他のプロを分かつものは何かに焦点を絞って、イチローのコメントを中心に考えて見たい。


バッターボックスで集中力を高めるイチロー
(1月2日放送NHK【プロフェッショナル仕事の流儀 イチロー・SP】から)


イチローとその他のプロを分かつもの

その1 過去のイチローを捨てる~『成功体験』の否定

イチロー ー自分が過去もっていた形を思い返して見ると、よくあれで打てたなって今もそう思うんですよ。

これは終わりがないんですよ、今のところは。

日本で7年連続首位打者、大リーグで2回の首位打者、毎シーズン200本以上のヒット、そして1シーズンの262本の最多安打の大リーグ記録、そうした数々の輝かしい記録を残しているイチロー。

その偉業を成し遂げてきた自分の打撃を自らこう評するイチロー。

およそ人間も企業も一般的には『成功体験』の上に修正、改良を加えて進歩につなげていく。それが堅実で一番確かだからである。

しかし、イチローの場合、常人の発想と次元が異なっていた。

イチローにとって、栄光は常に過去のものであり、過去のイチローを捨て去ることで新しい自分を見つけようとしている。この場合、過去の成功体験が大きければ大きいほど、その成功体験を捨てるリスクは高くなるわけで、あえてそのリスクをおかして、新たなものに挑戦する勇気と決断力は、並のプロにはとても求められるものではない、と思う。


イチローとその他のプロを分かつもの

その2  究極のバッティングへのチャレンジ~完璧性を追及する『求道者』


イチロー -4割打ったから完璧なフォームかと言ったらそうではない。肉体の状態、精神の状態その中で自分の完璧を作り上げていく。

過去のイチローを捨て、あえて『成功体験』を否定する先にイチローが見据えているものは『完璧』を追及する『求道者』の道である。

イチローは、常に『高み』を求め、それを達成することの中にのみ喜びと満足を見出す。
上記コメントは『完璧主義者』イチローの面目躍如である。

イチローにとって、たとえ4割打てたとしても、自分がベストの状況を作り上げた結果での4割でなければ満足できないと言い切っているのである。
イチローにとって大切なのは、『結果』でなく、その『過程』であり『中身』である。

だから、結果が出てしまった時点で、イチローの達成感は消えてしまい、絶えず次の達成感を求めて新しい何かを求めざるを得ないのである。

先のコメントの『これは終わりがないんですよ、今のところは』とは、そういうことを言っているのだと思う。


それでは過去のイチローを捨てて新たな境地に挑んだ07年のイチローの目標は、何か。

カメラは07年、イチローが目指した新しいバッティングに迫るべくメンタル面、技術面の両面からアプローチして行く。


緊張感漂うインタビュー
(1月2日放送NHK【プロフェッショナル仕事の流儀 イチロー・SP】から)


先ずは、メンタル面でのイチローのコメント

イチロー -重圧に強いかって、弱いですよ。これまでは、この重圧をに何とか耐えてきましたが、重圧を克服したとは言えません。

プレッシャーはどうしてもかかる、それは避けることができない。ならば、こちらからかけにいこう、重圧から逃げずにそれと対決するバッティングを見つけよう、これが2007年のボクのテーマです。

そして、具体的なバッティングについてのコメント

イチロー -ストライクゾーンだけ、もし打つことができたら、ボクの右に出る人はいないですよ。

でも訳のわからないボール球に手を出したりね、ダメだ、これに手を出したらだめだといって手を出すのがいけないんです。でも、これなくせるんじゃないかな。

この感覚を得られれば、今までの技術は必要ない。普通に打てると思った球を打ちに行けば、ヒットが出るということですよね。

重圧を乗り越えていくためのバッティング面でのイチローの処方箋、それは上記コメントにあるような『悪球に手を出さずに、ストライクだけを打てればむずかしい技術はいらない』という、実に大胆極まる、恐るべきものであった。

それこそ野球人であれば誰しもが夢み、あこがれる究極の目標であるが、その実現が実は不可能であることを一番良くわかっているのも彼ら自身である。

勿論、イチローもそれがいかに困難なことかは百も承知で、そのむずかしさをイチロー特有の表現で次のように述懐している。

イチロー -あそこの空間でしかわからないことって必ずあると思うんですよ。バッターボックスでしか感じられない感覚、においだとか雰囲気だとかね。あそこでしか生まれないものってあるから厄介なんですよね。

バッターボックスには、選手の『平常心』を惑わす『魔物』がいるらしい。


しかし、イチロー選手は07年の1年のシーズン中、この夢のような究極のバッティングに挑戦し、実践し続けてきたのである。

そして、シーズンが終了した時点での彼のコメント

イチロー -自分が打席の中で感じている感覚、見えている景色、これは過去のものとは全く違ったものだと感じることができたので、ようやくスタートラインにつくことができたかなと思ってます。


2007年につかみかけた何かを2008年どこまで自分のものにすることができるか、今年のイチローから目が離せない。
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久々の『お年玉』

2008-01-13 | 日常生活

リタイア後4年間の年賀状
(右上04年、左上05年、右下06年、左下07年)


松飾も取れた、ある日の昼下がり。

居間で一人くつろいで浅田次郎の小説【蒼穹の昴】を読んでいると、電話の呼び出し音。
電話を取ろうか、取るまいか瞬時迷った末、受話器を取る。

『もしもし、Kさん。私、R・Kですけどお久しぶりですね』という声が飛び込んできた。
その声に一瞬耳を疑い、次に長年のサラリーマンの『性』(さが)と言うべきか、思わず威儀を正していた。

電話の声は小生が37年間勤務した会社の元専務のR・Kさんであった。

R・Kさんは、小生が入社した時には、すでに若くして営業部門の担当役員という職にあり、周囲からは『鬼のK専務』と恐れられていたが、小生とは仕事上の関係は全くなく、二十数年前、囲碁が大好きな専務にプロ棋士の武宮さんとの指導碁をセットしたことが唯一の接点であり、そのせいもあってか何かにつけて目をかけていただいたが、何分にも『雲の上の存在』の人であり、個人的に特に親しい間柄ではなかった。

リタイア後も年賀状のやりとりぐらいのお付き合いしかなかった。
だから、突然の電話に何事かと思わず身構えてしまった。

『いや、実はね、今、今年いただいた年賀状を整理しているところなんだけど、あなたの年賀状毎年楽しみでね、あなたの年賀状は毎年とってあるんだ。
ところが、今年のあなたの年賀状を見たら、例年と違ってるじゃない、何か心境の変化でもあったのかなと思ってね、ついつい電話しちゃったのよ』

ええ!、まさか十数年も会ってもいなければ、話しもしていない元社員からの年賀状のことでわざわざ電話をくれるなんて!と信じられない思いであった。

『それは、それは、恐縮です。お懐かしいお声を聴けて嬉しいです。しかも、年賀状のことでお電話いただくなんて・・・・・・』と言葉が中々続かない。

『いやあ、あなたの年賀状は一目で近況がわかるからね、いつも感心して見ていたのよ。何時だったかな、真剣で巻きわらを両断している写真が入った年賀状をいただいたけど、今でも印象に残ってるよ。』


懐かしさとうれしさで、話題も弾む。

そして、

『あなたの元気な声が聞けてよかった、電話してよかった』

と言うR・Kさんの言葉で電話は終わった。

それは、久しぶりにもらった『お年玉』のように、全く予期せぬ、うれしさであり、心弾む電話であった。

受話器を置いた時、何ともいえない温かい思いが心を満たしてくるのを感じた。


その日の夜の食卓での会話。


『今日は珍しい人から電話があってね』

『誰よ』

『元専務のR・Kさん』

『へえ~、それは珍しい、何だって?』
(かみさんとは職場結婚のため、かみさんもR・Kさんのことを良く知っている。)

『今年の年賀状、例年に比べるとシンプルでそっけなかったじゃん。何か心境に変化があったのかって』

『ええ!、おとうさんの年賀状を気に掛けててくれてたわけ?』

『そうらしい、毎年おれの年賀状を取って置いてくれてたらしいよ。おかあさんは、おれの年賀状はゴテゴテしていてダサイっていつも言ってるけど、ちゃんと良さをわかってくれてる人もいるんだよ』

『そう、それはそれは良かったじゃない。ところで、R・Kさん元気なのかしら』

『今年、傘寿を迎えるって言ってたけど、矍鑠としてたよ。今でも毎日スポーツジムで汗を流し、週4回碁会所に通い、読書も欠かさない生活だって、すごいよね』

『おとうさんのお手本になるみたいな生活ぶりね』

『そうだね、今度の電話みたいな細やかな心遣いに接すると一人の人間として改めて尊敬しちゃうよね』


日頃は、かみさんと二人きりで、会話も少ない食卓が、この夜はこの話題でひとしきりにぎわった。

そして、この日の夜は温かい、幸せな気分ですこやかな眠りについたのであった。


     
     今年の年賀状
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