折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

リニューアル~年代物の携帯電話リタイアす!

2009-04-29 | 日常生活
以前、本ブログで「古色蒼然」たる旧型の携帯電話を使っていることを書いた(08・8・26「年代物の携帯電話」)が、とうとう、この携帯も「年貢の納め時」を迎えることになった。


<引導を渡す>


「おとうさんの携帯使えなくなるって知ってた。」
「そうなの」
「2012年3月末日と言うから、時間はまだあるんだけど、今、<取替サポート>セールス中で割引があるの。それに、これまでに溜まっているポイントの有効期限も今月末なのよ。この際、新しいのに取替たら」

このところ、かみさんに再三言われ、その都度、適当にあしらってきたのだが、ポイント有効期限のタイムリミットが迫り、また、今はブログの材料集めのために常時デジカメを持ち歩いているが、それも煩わしいしと思い始めていたところだったこともあり、年代物の今の携帯も、そろそろ「年貢の納め時」と思い定め、近くにあるお店に出かけて新しい携帯電話を購入してきた。


                 
割引セールで購入した新しい携帯電話機
「あんしん」、「かんたん」、「しんせつ」、「見やすい」がセールスポイント
「歩数計」、「GPS]機能つきで年配者向き



<アナログ世代の携帯談義>


先日、オーディオ談笑会のメンバーと飲んでいて、たまたま携帯電話に話が及んだ時のこと。

主宰者のKさんは、「わたしは、携帯は持たない主義なんだ」と胸をそびやかした。

それに対して、Mさんは「携帯は最新のを持ってるけど、ほとんど使ってないのよ。おれにとって携帯とは、<家族と連絡を取る手段>が唯一の目的な訳。それと、Kさん、あなたも独り身なんだから、朝暗いうちから散歩に出て、もしものことがあったらどうするの。携帯には、GPS機能がついてるから、万が一連絡が取れなくなった時などで役に立つと思うよ。だから、おれはどこに行くにも必ず携帯を携行することにしてるんだ」

「もし、そういう時は<寿命>だとあきらめるよ」
とKさんはあくまでも文明の利器を断固拒否する。

Mさんは、独り暮らしだし、大病を経験してるのでそういうことにまで気を配ってるんだ。

なるほどGPS機能は<子供専用>という訳ではないんだ。今までそんなことは考えてもみなかったが、そろそろ、そういうことも考えなければならないのか・・・・

「それが自分の寿命」とは、Kさんも相変わらず頑固だ。

等々、二人の会話を興味深く拝聴した。

小生にとって、別に携帯がなくても、今の生活に不便、不自由など支障が生じているわけではない。

小生にしてみれば、これまで、そもそも携帯は手軽に持ち運びができる自分専用の「公衆電話」程度に考えていたので、それこそ、こちらからかける必要がある時に使えばいいというのが、携帯についての一貫した基本スタンスである。

だから、日頃からデジカメは携帯しても、携帯電話は「不携帯」と言うことが結構多い。

従って、機種が新しくなったと言っても、基本スタンスは変わらないが、これからはせめてカメラと「GPS」機能、この二つの機能を活すためにも、携帯電話を常時携行しようと思っている。


それにしても、1か月前にパソコンを新しく買い換え、ようやく慣れたと思ったら今度は携帯電話である。

機械音痴の小生にとって、またしてもマニュアルと首っ引きの日々が当分続きそうである。

「有終の美」飾れず~悔い残る一瞬の油断

2009-04-26 | 武道
<「ほっ」とため息>


土曜日、朝から冷たい雨が降りしきる。

そんな中、家の近くにあるA中央病院に行く。
病院は朝から非常に込み合っている。

外科病棟の前で待つこと約3時間。ようやく名前を呼ばれる。

「どうしました?刀で指を切ったって。ああ、これなら大丈夫心配ないよ」

と先生はいとも簡単に言い、傷口を消毒し、細いセロテープ状のもので傷口をしっかりととめ、バンドエイドを巻いて治療終了。

この間、5分。

化膿止めの薬もいらないという。

「ほっ」と、ため息をつく。


<「痛っ!」、一瞬の油断>


事の起こりは、前日金曜日の夜の抜刀の稽古。

前々回のブログで書いたが、抜刀は今月で退会することになっていて、稽古もその日が最終日であった。

稽古も終わりに近づき、斬り納めとなる巻き藁を斬り終って、刀にぬぐいをかけていると、仲間の一人が声をかけてきた。

刀に注いでいた神経が一瞬途切れたその瞬間、「痛っ」と感じた時は右手中指の先から見る見る鮮血が盛り上がっていた。

急いで血止めの応急措置を施す。

この時の仲間たちの冷静な対応は実に見事なものであり、本当に助かった。


抜刀で指を斬るケースは、刀を鞘に納める「納刀」と、刀の手入れ、特に刀にぬぐいをかける時が多い。

                 
                 5年間抜刀で使用した愛刀。
                 鞘には、抜刀の全国大会に出場した時に刀の検査を受けた印が貼付
                 されている。


<仲間たちに感謝>


抜刀を始めて5年。

この間、真剣を握っても一度たりとも指など切ったことがなかったのだが、いよいよ、真剣を握るのもこれが最後と言う段になって指を切るとは・・・・。

本来ならその夜の稽古で「有終の美」を飾れるはずだったのに・・・・。

最後の最後での不注意に、悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれない思いに「臍」を噛む。

5年間一緒に稽古に励んできた仲間には、土壇場で迷惑をおかけすることになってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいである。

そんな中、仲間から

「居合の四段に合格したら、また一緒にやろうよ」

「絶対、帰ってこいよ」

とそれぞれ思い思いの言葉をかけてもらって、落ち込んでいた小生もこの仲間たちの温かい言葉に救われる思いであった。

「根気」と「集中力」の世界~「千字文(せんじもん)」に取り組む

2009-04-23 | 趣味
<大先輩>


小生が月2回通っている池袋にあるカルチャー・スクール「書道教室」でのこと。


「あなた、よく書いたわね」
「わたしが書いたのは、もう一昔も前のことよ」
「わたしには、残念だけどとてもこれを書くだけの気力も体力もないわよ」
「そう、そう、これを書くのには、根気と集中力がいるのよね」
「あなたは、まだ、若いからできるのよ。うらやましいわね」


その日は、7月に書道教室が開催する展示会の申し込み締切日で、この教室の大先輩・古参の人たち(ほとんどの人が70歳代の女性)が多数顔を出していた。

皆、「一家言」持っているお歴々である。

その人たちが、小生が出典作品として持参した「千字文(せんじもん)」を見て示した反応が冒頭の会話である。

さすがによる年波には抗せないのか、出てくるのは昔を懐かしむ声ばかりである。

しかし、決して作品を誉めないのは大先輩としての「矜持」か?

その点、先生は

「とってもきれい、いいわよ」

と誉め上手である。


<一行46文字、23行。一行1時間>


リタイア後の趣味の一つとして、この書道教室に通いだしてからもう6年になる。

普段はお年寄りの「社交場」の感のある、のんびりした教室も、展示会を控え、今月中に出品作品にめどを立てなければならない、この季節だけは皆真剣である。

ほとんどの人が、先生のお手本を書いて出品しているが、小生は最初の年だけはそうしたが、翌年以降は自分で書きたい作品を選んで出品している。

昨年は、「般若心経」の写経を、今年は「千字文」にチャレンジしている。

                  
お手本として使用した大貫思水著「新版四体千字文」
千字文は、天地万象をうたい上げて、重複する文字が一字もない、四言二百五十句、一千字の詩である。
作者は梁の武帝の臣、周興嗣。彼は武帝の命によって、この千字文を一夜にして作り上げたが、そのために鬢髪ことごとく白く変わったと伝えられる。


今回はこの「千字文」を一行46文字、23行の罫線入りの全紙(幅70㎝、長さ140㎝)を使って書いた。

一行46文字を書くのに要する時間は、およそ1時間弱。
23行書き終わるには、23時間かかる計算になる。

午前中2行、2時間、午後3行、3時間、1日5時間書いたとして、5日間かかる勘定だ。

この間、一字でも間違えたり、脱字があったりすれば最初からやり直しである。

昨年の「般若心経」は全文で262文字であったが、誤字脱字には随分と神経を使った。

それに比べ今回の「千字文」はその名が示す通り全文で1000字である。
その大変さにおいて、「般若心経」の比ではない。

手本を見ながら書いていくのだが、書く方にばかり神経を使っていると、思わぬ落とし穴が待ち受けている。読み飛ばしによる「脱字」である。

「あっ」と気が付いても後の祭り、それまでの苦労が一瞬にして「水の泡」である。

半分ぐらい書いてきて、脱字をしてしまったことが数回あった。

そういう時は、少なからぬショックで、しばらくは、立ち直れない。


                                                       
途中まで書いてきて、「脱字」のためボツになった書きかけの作品


そういう時は、「書いていて気に入らなかった字や、気になっていた字の不揃いなどもあったので、これらを直して、もっと完璧なものを書こうと」ポジティブに考えて、再び筆を取ることにしている。


まさに、「根気」と「集中力」が試されているのである。
逆に言えば、この「根気」と「集中力」が何ともたまらない快感なのである。

作品提出の締切日は5月18日。
もう1カ月も残されていない。
ラストスパートである。

これまで、「出ずっぱり」であったため、作品に取り組む時間がなかったが、一段落した今は、午前中2時間、午後3時間のノルマを課して「書道三昧」の毎日である。

これまで書いたのは4枚。
気力を振り絞って、今、5枚目にアタックしている最中である。

「二兎は追えず」・「抜刀」退会、苦渋の決断

2009-04-20 | 武道
先週の金曜日。

抜刀の稽古が終ったところで、指導者のSさんに抜刀を辞めさせてもらいたい旨申し出て、了承された。


<そびえる高いハードル>


リタイア後の趣味の一つとして始めた居合、抜刀も居合が6年、抜刀が5年になった。(抜刀は居合の初段を取得してから始めることが入会の暗黙の条件だったので、1年遅れた。)

現在、居合も抜刀とも三段である。
そして、今年の秋、居合、抜刀とも四段の昇段審査が控えている。

居合、抜刀とも三段までは、誰でもと言っては言い過ぎかもしれないが、ほとんどの人が審査に合格する。

しかし、四段になると状況は一変する。
居合の場合、合格率はおそらく2割以下ではなかろうか。
それは四段から上の段位は、真に「選ばれし者」だけがその称号を与えられる、ということを意味している。

四段の受験資格を得るには、三段昇段後3年間が必要である。
なぜ3年もの期間が必要なのか。
それは、日頃の修行の質と量即ち、『修行の深さ』と言うべきものが問われているのが4段審査会であり、そのためには最低でも3年間は修業を積みなさいということに他ならない、それほどに四段と言う段位は『価値』と『重み』があるものなのだ。

一方、抜刀の四段審査も、居合に負けず劣らず厳しい。
審査は、「型」と「実技」である。

特に、実技においては、日本抜刀道連盟の制定刀法10本を全て定められた部位を定められた刀法で完全に斬らなければならない。
斬りそこなったら、そこで「不合格」である。

これも、居合同様に日頃の「修行の深さ」が問われている。

その昇段審査が居合、抜刀とも半年後に迫っているのである。
待ったなしの状況である。


<二兎を追うべきか?>


それほどに難しい居合、抜刀の審査が同時にあるのなら、例えば、今年居合を、来年抜刀の審査を受けるという方法もある、何もここであえて抜刀を辞める必要はないのでは、という考え方もある。

それも有力な考え方であり、悩んだところである。

と言うのは、これまでの抜刀のような同好の士がより集い、のんびりと厳しさという点では少々欠けるところもあった活動状況が続いていくのであれば、その選択は大いにあり得たのであるが、抜刀の指導者として2年目を迎えたSさんがこの4月から、これまでの「同好会的・ぬるま湯的」体質から脱皮し、各種の大会に積極的に参加し、「試合に勝てる」抜刀を目指して、稽古内容、稽古方法を抜本的に変えていきたいと言う方針を打ち出したばかりである。

そのSさんの新しい方針に異存はないが、小生としては居合も抜刀も全力投球というほどの余裕はない。

ましてや、新生抜刀の足を引っ張るようなことは、小生の性格上到底できない。

「二兎を追うもの、一兎も得ず」の格言ではないが、居合と抜刀を両立させることは小生にとっては至難のこととの判断の元、苦渋の決断であったが、この際、居合を選択することにした次第である。

この上は、秋の居合四段の審査に合格することが、5年間一緒に励んできた抜刀の仲間たちへの小生のせめてもの恩返しだと思って、日々懸命に稽古に精進していきたい。

「春爛漫」の秩父路を満喫~琴平ハイキングと羊山の芝桜

2009-04-17 | 日常生活
昨日、春爛漫の秩父路を散策してきた。
パートナーは言わずと知れた幼なじみのKくんである。


<スイカが使えない!!>


いつもはK君の車で出かけるのだが、この時期は例年見ごろを迎えた秩父の羊山公園の「芝桜」を見にマイカーがどっと押し掛け、大渋滞になるので、「君主危うきに近寄らず」で平日とは言え電車を利用することに。

今回の第1の目的は琴平ハイキングコースでの山歩き。

それには東武東上線で寄居まで行き、秩父鉄道の影森駅で下車、秩父札所第27番大渕寺まで行かなければならない。

そこで、寄居駅で秩父鉄道に乗り換えたのだが、秩父鉄道では何と「スイカ」、「パスモ」が使えませんという張り紙が。

「おい、おい、マジかよ!」今どき「スイカ」が使えない鉄道なんてあるのと二人で絶句。


<独り占め>


仕方なくいったん改札を出て、新たに切符を購入する。
そして、「スイカ使用不可」のローカル線に揺られること43分、下車駅の影森駅に着く。

第27番札所大淵寺。

昨年、Kくんと秩父札所34か所を巡ってこの寺を訪れてからもう1年になるのかと、時の流れの速さに改めて思いをはせる。

                  
                  今回の第1の目的「琴平ハイキングコース」のスタート地点で
                  ある大淵寺。
                  この寺の裏山から山歩きをスタート。


天気はうす曇り。
風は微風。

絶好のハイキング日和である。

時折、さわやかな風が吹いて、汗ばんだ体に心地よい。

その微風に盛りを過ぎた山桜の花びらが日差しを受けてキラキラと輝きながら舞い落ちて来る。

そして、全山あっという間に、芽吹いた木々の緑が目にしみる。

路傍にはミツバツツジ、山ツツジ、ヒトリシズカなどの草花が咲き誇り、目を楽しませてくれる。

鳴き交わす小鳥の声に混じって、時折、鶯の鳴き声も聞こえる。

実に静かでのどかである。

そんな秩父路の春の風情をあたかも「独り占め」するかのように平日の午前中の山路には小生とKくんの二人だけ。

何とも、贅沢で、満ち足りたひと時を心ゆくまで満喫した。

                  
路傍に咲く「ヒトリシズカ」の花


<百花繚乱>


琴平ハイキングコースを歩くこと約2時間、第2の目的地である羊山公園内の「芝桜の丘」に着く。

                   
芝桜の丘」は羊山公園南側の一角に、約16,500㎡、9種類、40万株以上の芝桜が植栽されている。


平日だと言うのにすごい人出である。

丁度見頃で、まさに「目を奪われる」眺めである。

ここで昼食。

昼食後は、芝桜の「海」の中をあちこち散策しながら、色々な場所から美しい芝桜を堪能する。


羊山公園一帯は、芝桜だけでなく、ヤマザクラ、八重桜、シダレザクラ、ヒメリンゴと言った花々が満開である。

通常、さくらは種類によってそれぞれ咲く時期が早かったり、遅かったりするが、季節が少し遅れてやってくる、ここ羊山公園では、色々な桜が一斉に咲き揃うようだ。

その風情はまさに「百花繚乱」、「芝桜」に勝るとも劣らぬ見事な眺めである。

折からの微風に満開のさくらが舞い散る「桜吹雪」は、今シーズンの桜の季節を締めくくるにふさわしい風情で、思わずしばし立ち止まって、見入ってしまった。

                   
羊山公園の芝生広場に咲く満開のベニシダレザクラ


<お出かけ「狂騒曲」に幕>


3月25日、26日、28日、29日、31日、4月3日、8日、12日とほぼ連日のように出かけてきた「お出かけ狂騒曲」も今回の山歩きをもって一応の幕が下りた感じである。

これらの多くを幼なじみのKくんと過ごした訳だが、これらの日々は小生にとって記憶に残る楽しく、充実した日々であった。

改めて紙上を借りてKくんに感謝したい。