折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

対決!農民VS野武士、忍者~小説「弩(ど)」と「白疾風(しろはやち)」

2009-07-29 | 読書
この所、鬱陶しい日々が続いている。

湿度が高くて、ちょっと歩くだけで汗みどろである。

さすがに外出する気にはなれず、クーラーのきいた室内で本を読んで過ごすことが多くなった。

読む本は、肩の凝らない「時代小説」が多い。(以前、良く読んでいた海外ものはめっきり減った)

そんな時代小説の中から、続けて読んだ2冊の本

『弩(ど)』(下川 博著 小学館)

『白疾風(しろはやち)』(北 重人著 文芸春秋社)

を紹介したい。

                
『弩』(左) 表紙の帯封のキャッチ・コピーに魅かれて読んだ。
『白疾風』(右) 図書館で借りた時は、弩と同じような内容だとは想像もしていなかった。



先ず、『弩(ど)』であるが、

黒沢監督「七人の侍」から55年ー。     

こんどは、百姓が武器を取った!

という表紙の帯封のキャッチ・コピーに先ず目を吸い寄せられた。
さらに、その帯封には次のように書いてある。

とは―。

古代中国で開発された弓の一種。宋代に改良され戦場での主力兵器となる。
西洋では、クロスボーと呼ばれ、強力な破壊力と命中精度で重装騎兵を駆逐。
日本ではなら大和朝廷が採用、律令国家の基本装備となるも、
鎌倉時代以降は鍛錬不要の武器ゆえに、侍から嫌われ、広まらなかった。

これは、南北朝時代に、悪党の略奪に対抗するため百姓が侍をやとい、自らも弩を手にして戦った因幡の百姓の物語である。


この類(たぐい)の本には、目のない小生である。
いつもは新刊本が出ると図書館に予約して借り受けるのだが、それまでとても待てなくて、本屋まで出向いて購入した本である。

時は南北朝時代。
ところは因幡(いなば)の国智土師郷(ちはじごう)。

主人公は才智があり、村の特産品である柿渋を商品化し、塩の交易をすることに成功し、村は豊かになり、繁栄を続ける。
たくましい村人、生き生きとした平和な村。

それから10年後ー。

その村の富に目を付けた残忍な元領主が率いる武装した野武士の集団が略奪、蹂躙しようとする。

かけがえのない生活をおびやかされ、それを守ろうと立ち上がった村人は様々な戦略を練り、その武器として弩を手にして立ち向かう。

これは今も横浜市金沢区にある称名寺(しょうみょうじ)の古文書にある資料をもとにし、存分に想像力をはばたかせて書かれた小説とのことである。(因みに、小生は大学1年の頃、この称名寺と目と鼻の先に下宿していて、夕暮れ時になると時を告げる寺の鐘を毎日のように聴いた、という懐かしい思い出がある。)

一方の『白疾風』であるが、弩(ど)を読み終って次に読む本を物色中に、たまたま図書館で見かけて、内容はわからぬままに、何となく借り受けて来た本である。

ところがである。

全くの偶然ながら、この『白疾風』、読み終わったばかりの『弩(ど)』とオーバーラップする内容だったのである。

時代は戦国時代末期から江戸開府時代。
ところは、武蔵野のとある谷。

かつて伊賀の忍び、「疾風(はやち)」として名を馳せた主人公は、戦国の世に嫌気がさし武蔵野の谷に住み着き、田を耕し、新たに村を築く。

そして、平和で豊かな村を襲う何者かの陰謀。

主人公はかけがえのない自分の村を、そして命を守るため再び忍びとなって村人と共に敵に立ち向かう。

両作品とも、

刻々と迫りくる強敵との戦い、迎え撃つ戦略、そして切って落とされる壮絶な戦いを縦糸に、主人公の生きざまと彼を取り巻く村人とのかけがえのない生活、人間模様を横糸に物語は、展開する。


このように、この2冊の本には「村人が自分たちの生活を脅かす敵に一致結束して立ち上がる」という、映画「七人の侍」を彷彿とさせるような共通点があるのだが、その他にも興味深い共通点がいくつか見出せる。

その一つは、村の経済活動が生き生きと描かれている点である。

「弩(ど)」では、山国の唯一の特産品を塩と交換するというくだりが興味深く描かれていて面白いし、「白疾風」では、村で生産した品物を江戸にまで運んで行って銭と交換するという経済活動が重要な役割を担っている。

もう一つは、両作品とも最後の最後で思わぬ悲劇が待ち受けている点である。

まさか、こんなに似通った内容の本を続けて読むことになるなんて、予想だにしていなかっただけに、ちょっと驚くと同時に、図書館で「白疾風」を何となく借り受けたと言う、この偶然を本当にラッキーだったと感謝した次第である。


フィクションの世界は、イマジネーションの世界であり、想像力は縦横無尽に広がり、それゆえに面白さも無限である。

そういう本は、夏の暑さを束の間、忘れさせてくれる。

異変?それとも・・・・~洋ラン、ヤマツツジの「2度咲き」現象

2009-07-26 | 日常生活
               
今年2度目の花を咲かせた洋ラン

我が家のベランダで洋ランが今年2度目の花を咲かせている。

さすがに最初に咲いた2月中旬の頃に比べれば花弁の数は大分少ないものの、今が丁度見頃だ。

                 
                 今年2月に1回目の花を咲かせた洋ラン


もうとっくに咲き終わった花が、もう1度咲くなんて予想だにしなかったことなので、正直驚いている。

そうは言っても、前兆がなかったわけではない。
7月に入ったある日のこと、かみさんがベランダで花に水をやっている時に洋ランにいくつか花芽があるのを見つけて、

「変だわね、洋ランは一度咲き終わったら、その年はもう花は咲かないのに、この分だとまた咲くかも」

といかにも腑に落ちないと言った表情。

そんなことがあったので、その後、小生も洋ランを注意して観察していると、日毎に花芽の数が増え、膨らんでくるではないか。

そして、7月中旬に最初の花が開くと次々に花が咲いたのであった。

この「二度咲き」現象は、洋ランだけに止まらず、丁度洋ランが花芽を持ち始めたのとほぼ時を同じくして、庭の片隅に植えられているヤマツツジが数枚の花弁を付け始めたと思ったら、あっという間にその数を増して、今から1週間ほど前に見頃となったのである。

                
7月中旬に今年2度目の花を咲かせたヤマツツジ


「何かおかしいわよ、ヤマツツジだってとっくに咲き終わってるのに。こんなことは、これまで一度もなかったのに・・・・」

とかみさん。

我が家で起こった洋ランとヤマツツジの二度咲き現象、この不思議な現象をどう考えればよいのか、たいして物珍しくもないのか、それとも異常気象のなせるわざなのか?

破天荒~ゴルフの聖地「セントアンドリュース」をアポなしでプレーした漢(おとこ)

2009-07-22 | 友達・仲間
<電話>
かれこれ3週間ほど前の早朝。
我が家の電話が鳴った。

「今、セントアンドリュースでのプレーが終わったところ。バンカーで8回も叩いたでよ、結局スコアは98だった」

電話から静岡弁が聞こえて来る。
大学時代の親友のHくんである。

「3月いっぱいで勤め辞めたので、念願のゴルフの聖地スコットランドへゴルフ巡礼の旅に行って来るよ」と連絡があったのは、数カ月前のこと。

早速、実行に移したのだとその行動力に羨望の念が湧く。

これから全英オープンがあるターンベリーアイルサコースに向かうんだ、と言って電話が終った。


<絵はがき>
その電話があってから数日後、Hくんから1通の絵はがきが届く。

                
Hくんから送られて来たセントアンドリュースリンクスの絵はがき


ゴルフの聖地巡礼一人旅を始めて早くも1週間が過ぎました。

美しい景色!
 
素晴らしいゴルフ場!

親切な人々!

感謝、感激です。

セントアンドリュースリンクスの美しいたたずまいの写真の裏に、彼の心境を実に見事に表現した、まさに「簡にして、要を得た」名文が添えられていた。 


<メール>
その絵はがきをもらってから大分経ったある日、Hくんからメールが入る。
そのメールには、今回のゴルフ巡礼一人旅の経緯が綴られていた。

               
               スコットランドへのゴルフ巡礼の様子を伝えてくれたHくんからのメール


その一部を紹介したい。

(前略)圧巻は、セントアンドリュース・オールドコースでした。ここの予約は抽選で行われていますが、2年待ちは当たり前ということ。元よりそんな時間はありません。あの荘厳な玄関をゴルフバッグを担いでくぐりました。予期していた通り玄関払いです。「2万キロ彼方から、たった一人でここを目指してやってきた日本人に直ぐ帰れと仰るのですか!このまま帰国することは絶対に出来ません!ご再考を願いたい」結果として、アメリカ人2人、オーストラリア人1人の3人組の中にねじ込んでくれました。(以下略)

「セントアンドリュースでプレーしたんだ」とかかってきた、あの日の朝の電話には、こんな驚くべきエピソードが秘められていたとは!。

しかし、あの格式の高い名門ゴルフ場がよくプレーを許可してくれたものだ。彼の誠心誠意の熱意とひたむきさにほだされたか、はたまた、彼の気迫に気おくれしたか、いずれにしても、あのセントアンドリュースで予約なしの飛び込みでプレーをした人など、そんなにはいないだろう。大胆不敵と言うかその破天荒な行動力には、ほとほと敬服した次第である。

今、Hくんはゴルフ巡礼の旅をまとめている最中とのこと、この他にどんなエピソードがあるのかその完成が待ち遠しい。

今は亡きスーパー・スターを熱く語り、その音楽を聴く~納涼オーディオ談笑会

2009-07-20 | オーディオ談笑会
<夏祭りはダシ?>
学校が夏休みに入ると各地で夏祭りが始まる。
オーディオ談笑会の主宰者Kさんが住む地域でも夏祭りが始まった。

その夏祭りにことよせて、臨時の談笑会が開催された。
名付けて「納涼談笑会」。


エルビス・プレスリー(1977年8月16日没 42歳)
ジョン・レノン(1980年12月8日没 40歳)
美空ひばり(1989年6月24日没 52歳)
マイケル・ジャクソン(2009年6月25日没 50歳)

神にこよなく寵愛され、惜しまれながら若くしてその御許に召されたスーパー・スターたちである。

今回の納涼談笑会は、マイケル・ジャクソンが亡くなったばかりということもあり、これらの今は亡きスーパー・スターたちを取り上げ、想い出の曲、代表曲を聴くことになった。

その中から、最も盛り上がったプレスリーと美空ひばりの話を紹介したい。

<熱き思い>
「エルビス・プレスリーは高校時代から熱狂的なファンでね」と言いながらMさんが嬉しそうに、いそいそとCDが入ったふくろを開ける。
中から出てきたのは、いずれ劣らぬプレスリーの名盤の数々である。

                
Mさんが持参したプレスリーの名盤


「仕事柄アメリカ出張が結構あってね、チャンスがあれば出張の合間にエルビス生誕の地メンフィスへぜひ行ってみたいと思っていたのよ。社長と一緒にアメリカに出張した時に、金曜日にニューヨークで仕事が終わり、社長は所用があってどうしても翌日土曜日には帰国しなければならなくてね、僕はまだメンフィスの代理店を訪問すると言う仕事が残っていたので、これ幸いとばかりに社長をJFK空港まで送って、その足でラ・ガーディア空港へ移動してアトランタ経由でメンフィスへ移動、翌日曜日エルビスの聖地「グレイスランド」とメンフィスの街歩きを堪能したんだ。今日持って来たCDの中にはその時、「グレイスランド」で購入したという、いわくつきのものもあるんだ」

「翌日の月曜日は、エルビス・プレスリー通りにあるメンフィスの代理店を訪問。その晩にナッシュビルへ移動、カントリーのライブハウスで本場のカントリーソングを聴き、ホテルのラウンジバーでピアノを伴奏にプレスリーのCant Help Falling In Loveを歌ったんだ。数ある海外出張の中でも忘れられないものの一つだね」

プレスリーへの熱い思いを語るMさんの表情は、幸せいっぱい、輝いていた。

早速試聴することに。
曲目は、以下の5曲。

Heartbreak Hotel
I want You I need You I Love You
Cant Help Falling In Love
I Just Can't Help Believin'
An American Trilogy

若かりしプレスリーが歌った<Heartbreak Hote>は貴重な歌声であり、ラスベガス公演での<I Just Can't Help Believin'>、<An American Trilogy>の2曲はライブならではの高揚感と円熟の境地にあるプレスリーの豊かな声がオートグラフからあふれ出て来る。

「すばらしい、この一言に尽きるね」と主宰者のKさんが、感に堪えぬと言った表情で絶賛する。


                
                当日持参した美空ひばりゴールデンベスト②のCD

<ひばり讃歌>
「タンノイオートグラフで美空ひばりの歌を聴くのは初めてだったけど、相性が実にいいね」

「<悲しい酒>、ライブ録音とスタジオ録音を聴き比べると断然ライブだね」
「スタジオ録音の方は、演奏時間が4分55秒、ライブの方は6分55秒、実に2分も演奏時間が違うんだ」
「その2分の中にライブならではのひばりのインスピレーションがこめられている」

「とにかく、何を歌わせてもひばりの歌唱は抜群だね。<昴>なんて谷村新司よりもうまいし、味がある」
「天性のリズム感なんだろうね」

「この間、テレビでひばりの追悼番組をやっていて、演歌歌手たちがひばりの歌を歌うのを聴いたんだけど、自分の持ち歌ではないというハンデキャップはあるにしても、ひばりのあの自在の歌いぷりには遠く及ばなかった。彼女は、さりげなく、いとも簡単そうに歌っているけど、他の歌手が歌うと『ひばりの歌ってこんなにむずかしかったの』と改めてひばりのすごさを認識させられたよ」

「晩年の<愛燦燦>、<みだれ髪>、<川の流れのように>の3曲はそれまでのひばりの歌とは本質的に違ってるよね」
「3曲ともそれぞれ性格が異なっているし、ひばりの晩年の代表作として歌謡史に残る傑作だと思うよ」

「この3曲、それぞれ性格が違うと言う点で、モーツアルトの交響曲第39番、40番、41番の3大交響曲とオーバーラップするんだよね。<みだれ髪>はモーツアルトの40番だよ」

「3曲とも晩年の傑作と言う点、しかも3曲とも期間を置かずに作られた言う点で共通してるけど、その他にも、モーツアルトは35歳、ひばりは52歳で神の御許に召されたんだけど、その引き換えに神様がすばらしい作品を人類への「形見」として与えてくれたのだと思えるんだ」

「なるほど、初めて聞く説だけど、中々面白い」

プレスリーはMさんの独壇場の感があったし、ビートルズナンバーでは、黙って彼らの歌に耳を傾けていた面々が、ひばりの歌になった途端、饒舌になり、次々にひばりへの賛辞が飛び出して来て、話は尽きない。

<鎮魂>
そして、今回の納涼談笑会のフィナーレは、スーパー・スターたちへの思いを込めてベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」である。

                                 
ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のCD


演奏は、Mさん推薦のピエール・モントゥ-指揮、アムステルコンセルトヘボウ管弦楽団のライブ演奏。

偉大なスーパースターを称え、しのぶにふさわしい名演でオートグラフが実に朗々と鳴って陶酔の世界へと導いてくれ、感動のフィナーレとなった。

麗人の奏でる十七絃筝に魅入られる~東京邦楽合奏団定期演奏会

2009-07-17 | 音楽
先日、東京邦楽合奏団第6回定期演奏会を聴きに行って来た。

              
              東京邦楽合奏団の演奏会のパンフレット


「また尺八を吹きだしたんですよ、今度演奏会があるんでぜひ来てくださいよ」

かれこれ40年近いお付き合いのあるKくんから誘われて、はじめて邦楽の演奏会に顔を出したのが一昨年のことであった。

その時、尺八奏者坂田誠山さんが吹く<散華>と言う曲を聴いたのが尺八と言う楽器との初めての出会いであった。

そして、尺八と言う楽器の音色の豊かさ、変化の多彩さに目を見張ると同時に、坂田さんの生演奏という1回限りの入魂の演奏に鳥肌が立つほど心を揺さぶられ、爾来、すっかり坂田さんのファンになった。

今回もお目当ては坂田さんの尺八。
ソロ演奏を期待していたのだが、今回は十七絃筝との競演。

曲は<黄砂の記憶>。
勿論、初めて聴く曲である。

中国の黄土地帯やゴビ砂漠などで風によって舞い上げられた黄砂が日本へと旅して来た情景を曲にしたものとのこと。


今回小生が座った席は前から6列目。
演奏者のこまかな表情まで手に取るようにわかる。

十七絃筝を演奏する女性は、細面の楚々とした佳人である。

その佳人の両手がある時は、優雅に、ある時は繊細にそしてある時は激しく十七絃筝の上を駆け巡る。
十七絃筝を操る真っ白な両腕が目にまぶしい。

顔の表情もある時は優しく、またある時は厳しくと刻々と変わっていく。

手の動き、顔の表情を見ているだけでも興味は尽きない。

尺八は耳で聴き、目は十七絃筝を弾く彼女の一挙手一投足に釘づけ。

これぞ、前から6列目の席を確保した特権である。

曲は十七絃筝のソロで始まり、それに尺八が加わり、息の合った掛け合いが聴衆を音楽の高みへと誘っていく。

そして、山場は十七絃筝の奏でるカデンッア。
ソリストの腕の見せ場、聴きどころである。

目の前で縦横無尽に十七絃筝を操るその姿に見入り、朗々とまた寂々と紡ぎだされる音の世界を固唾をのんで聴き入る。

演奏者のオーラを目の当たりにすることができる、これこそ、生演奏でしか味わうことのできないスリリングな一瞬であり、生演奏の醍醐味である。


今回は、十七絃筝の麗人についつい目が行ってしまい、肝心の坂田さんの尺八の演奏はわき役のような聴き方になってしまった。

もっとも、小生のような邪道の聴き方をしている人は邦楽ファンの方々にはいないと思うが・・・・。