折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

小さな満足、大きな反省

2007-05-29 | 家族・母・兄弟
5月も残すところあと2日である。

5月はゴールデン・ウイークがあり、日頃夫婦と愛犬「パール」とで暮らしている我々にとって久しぶりに家族全員が一堂に集う賑わいの時であり、『盆』と『正月』に続く「3大楽しみ」の一つである。

とりわけ今年は、小生にとって二つの大きなイベントがあって楽しく、賑やかでかつ忙しく、また慌しい5月であった。

その一つは、わが女房殿がめでたく『還暦』を迎えたことであり、もう一つは、わが母が5月で91歳になったことである。
そして、これをお祝いする催しが2週続けて行われ、小生がそれぞれ幹事役を務めたのである。

(余談ながら、5月は我が家の周辺では誕生日ラッシュである。
即ち、わが女房をはじめ、母、弟とその奥さん、そして姪と実に5人が5月生まれなのである。)


特に、例年実施していたおばあちゃんとの旅行会を衣替えし、今年はじめて開催することになった『おばあちゃんを囲むお食事会』には、我々子供たちの他に孫が5人、ひ孫が1人出席するなど、賑やかなお誕生会になった。

しばらく会っていなかった孫たちの顔を見て、何とも嬉しそうにしているおばあちゃんを見て、都合をつけて集まってくれたそれぞれの孫たちに感謝すると同時にこの催しをやって本当に良かったとこちらまで嬉しくなった。

身内の催し物とは言え、そこはおめでたいお祝いの席ゆえ、万事遺漏なく運ぶのが幹事の役目であり、何はともあれ、滞りなく終ってほっと胸をなでおろしている。

先日、当日撮った写真をプリントし、録画したビデオを編集・ダビングして出席者に送付したが、その作業をしながら『あれ?あの場面が写っていないや!』、『全員の集合写真を撮り忘れているぞ!』等々、いつものことながら、事が済んでしまってから「ああでもない、こうでもない」と反省ばかりで、一向に進歩が見られないのは我ながらなんとも情けない。

別に手を抜いたつもりは毛頭ないのであるが、そこは、やはり身内の席ゆえ、どこかに『甘え』があって、場の流れに任せすぎてしまったきらいがあったのではないか、もう少し、気遣い、心配りといった「おもてなしの心」が必要だったな、と反省すること頻りである。

その意味では、今回のおもてなしは

『小さな満足、大きな反省』

と言う結果になった。

映画は原作を超えられる?

2007-05-25 | 映画・テレビ
映画 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を見る。

何故、『東京タワー』かと言うと、テレビの連続ドラマでやっていたのを、おばあちゃんに見せてやろうと言うことで毎回録画していたが、内容も知らないで『見てみたら』とは言えないので、昼食時に毎日1時間、録画した全11回を11日かけて見た。

『マザコン』を自称する小生-男はすべからく『マザコン』の要素を持っていると思っているのだが-にとって、このテレビドラマは是非とも見てもらいたいと思って、早速宅急便で届けたのであるが、今回映画化されたと言うので、テレビとどう違うのか興味と関心があって足を運んでしまったと言うわけである。


映画を見終わって、あれえ、テレビでは一方の主役を演じていた『ボク』の恋人である美大の同級生との純愛は、どうなったんだ?確かに映画でも『ボク』の恋人は登場してくるが、テレビとは全く設定が違うし、一体どちらが本当なの?と、むくむく好奇心が湧いてきて映画の帰りに本屋で原作を購入し、電車の中でさっそく読み始めた。


いやあ、それにしてもこのリリー・フランキーと言う作者は、何と達者な文章を書く人だろう。語り口のうまさは格別で、次から次へとページをめくっているうちに危うく乗り過ごす所だった。

その文章は、小生の頭の中で次々にイメージを膨らませ、人物や情景を活き活きと眼前に浮かび上がらせる。また、印象的なフレーズがあちこちに散りばめられていて、思わずその箇所を読み返してしまうケースも多々あり、久しぶりに449ページもある厚い本を一晩で読み終えてしまった。

そして、文章の持つ表現力のすごさを再認識すると同時に、それを映像化することの難しさと限界について考えさせられた。
勿論、文章では表現しきれないところを映像が見事にとらえている場面も多々あるのであるが、文章を読んで一人一人が『感情移入』しながら思い描くイメージと実際の映像表現との落差は埋めがたく大きいと言う感じは拭えなかった。(テレビや映画もそれ自体の出来栄えは十分に素晴らしいものであるが・・・・。)

その落差の一例を示せば、

                母親というのは無欲なものです

                我が子がどんなに偉くなるよりも

                どんなにお金持ちになるよりも

                毎日元気でいてくれる事を 

                心の底から願います

                どんなに高価な贈り物より

                我が子の優しいひとことで 

                十分過ぎるほど倖せになれる

                母親というものは

                実に本当に無欲なものです

                だから母親を泣かすのは

                この世で一番いけないことなのです


(リリー・フランキー 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 442~443ページより)


ストレートに心に沁み込んで来るこのフレーズを映像で伝えるとしたらどうだろう?


ずっと以前にも同じような体験をしたことがある。

それは、浅田次郎の『壬生義士伝』が映像化された時である。

先ず、テレビで12時間ドラマとして放映され、少し経ってから映画化されたのであるが、この時、小生は既に原作を読んでいたので、この小説がどのように映像化されるのか大いに興味と期待をもってテレビと映画を見たのであるが、原作を読んで抱いていた自分なりのイメージと映像との落差が余りにも大きすぎてひどく落胆したのを今でも鮮明に覚えている。

今回は、テレビと映画を見てしまった後に原作を読んだこともあり、『壬生義士伝』の時のような期待はずれと言う感覚はなかったものの、やはり感情移入しながら、自分なりの強烈なイメージが出来上がってしまっている原作を映画やテレビが超えるのは『至難の業』なのだと改めて実感した。

取り止めのない『独り言』

2007-05-21 | 教育
                   
                  足の踏み場もないほどに散らかっている部室内


『相変わらず、ひどいもんだね。』

『足の踏み場もないじゃない。』

『我々が、毎回のように掃除してやってんのに、ここの子供たちったら全然気がつかないのかね。』

『先生も先生だね、生徒に整理整頓をちゃんと指導してるのかね。』

『職員室の先生方の机の上だって、随分と乱雑だもんね。整理整頓しろ、と強く言うのはちょっと気が引けるのと違う?』

居合・抜刀の稽古が始まる前のことである。

午後7時前になると三々五々メンバーが集まってくるが、真っ先に話題に上るのが練習で使わせてもらっている学校の剣道場の散らかし放題になっている部室の状況を嘆き、憤る言葉であり、冒頭の会話がメンバーの言わば挨拶代わりになってから久しい。

今回も一向に改まる気配のない状況に苛立ちを募らせているメンバーの声を横で聞きながら、小生もいつしかこの問題について、取り止めのない思いの中に引き込まれていった。
以下は小生の独り言、モノローグである。


だけど、いやしくも武道を志す者にとって、道場をきれいに掃き清め、自分達が稽古着に着替える場所の整理整頓に努めるのは、初歩中の初歩でしょうよ。こう言う基本的なことも部活の先生は教えないのかね。

試合での礼儀作法については、教えるんだろうけど、防具の手入れ、整理整頓についてはどうなのかね。でも、この有様を見れば、およそ見当がつくじゃん。

どうして教えないのかね、その辺が全然理解できないね。

教える方も、教わる方も、面倒くさいからと違う?

そんな横着な!!

そう思うだろう、だけど現実にはある程度の努力、忍耐、不自由さを伴う『義務』の履行を指導するってのは、容易なことではないんじゃない。

確かに後片付けとか整理整頓とかは結構面倒だものね。できればやりたくない、誰かにやって欲しいと思ってるのが多いという訳か。

今の世の中、権利は人一倍主張するが義務の方は疎まれ、軽んじられていると言うことと大いに関係があるのと違うかね。

これには多分幼児期の『しつけ』も関係があるんだろうね。『しつけ』には、努力と忍耐が必要であり、手間、暇がかかるからね。

最近の『大らかに、伸び伸びと育てる』と言う教育方針には大いに賛成だけど、その美名の下、基本的な『しつけ』までがないがしろにされて、『放任=手抜き』が行われているということはないかね。

正直言って、子供の給食費を払えるのに払わないと言う親に育てられた子供は一体どうなるのか、他人事ながらはなはだ心配だね。

大人の世界=価値観が、ダイレクトに子供の投影されるというからね。小さな子供の前で、大人が平然と赤信号を無視して道路を横断している。大人が平気で約束事を反故にしている。学校に『道徳』の授業をと言う前に大人のモラルが先ずは問われなければ・・・・。

ある現役の先生がこんなことを言っているのを聞いたことがあるんだ。それはね、『この子の親の顔を見てみたい』と言う言葉は、ちょっと前までは、先生方を手こずらせるどうしようもない『ワル』の親は、一体どんな親なんだと言う意味合いに使われていたが、今は、こんなに『素直な良い子』に育てた親ってどんな親なんだと言う180度違う意味に使われているんだって。

へえ!ほんとかね。

話を元に戻すと、『整理整頓』なんて言葉は、今や『死語』になっちゃったのかね。

整理整頓と言う言葉が『死語』になっちゃったかどうかはともかくとして、『死語』の増加は『モラルの低下』と相関関係があるんじゃないかな。

『Kさん、何ぼんやりしてんのよ、練習始めるよ。』

と言う声に「はっ」と我に返る。

さあ、雑念を振り払って、『稽古、稽古』

写真が主役VOL2 「いっちょ前」

2007-05-17 | 写真が主役シリーズ
昨年の12月20日付ブログ「写真が主役VOL1 <うるわしき親子愛>」の冒頭で、「今日の主役は、文章でなく1枚の写真である。」と記して、2ヶ月になった孫が一生懸命パパさんに話しかけている写真を掲載した。(この写真は、小生の今年の年賀状のデザインに使ったほどの『お気に入り』である。)

あれから4ヶ月ちょっと、娘夫婦は御多分に漏れず、暇を見つけてはあちこちに出かけて写真を取りまくっているようだ。そして、その後は我が家のプリンターが大活躍する仕儀となるのである・・・・。 

                        
                           


第2弾の今回の写真もそうして撮られたうちの1枚である。

前回の写真は、『目』と『口』にものを言わせていたが、今回の写真は、パパさんの大きな背中と孫の小さな背中との絶妙なコントラストと小さいながらも いっちょ前に『背中』で自己主張している 姿が実に微笑ましく、また、後頭部にできた『噴火口』 を思わせる『寝癖』 の跡が何ともユーモラスで心がなごむ写真である。

自分遺産

2007-05-13 | 友達・仲間
先日、新聞が特集記事として取り上げていたが、今は時ならぬ『自費出版』ブームなのだそうである。

時を同じくして、先般、大学時代のサークル仲間と静岡県・Y市に行った時のメンバーの一人であるO君が自費で『砂漠の預言者 ベングリオン』と言う1冊の本を上梓し、先日その本が送られて来た。
誠に快挙であり、喜ばしい限りである。

以下は、本書を読んだ感想である。                       
                          
                          発注した1,000部が、あっという
                          間に無くなってしまうほど好評を
                          博したO君の本
                          

『好奇心』と『情熱』のスケールの大きさに敬服


そのきっかけは、著者の言によれば、イスラエルに巡礼の旅に出かけたときに見た「ネゲブの砂漠」の景色にあった、とのことである。

本書の冒頭で著者はこう記している。


古い国、新しい国、未来の国イスラエル、荒野に忽然と現れる広大なオリーブ畑、また大貯水池、完全コンピューター管理の養魚場、驚きと感動の連続のネゲブ砂漠、これを予言し、成就させたイスラエル建国の父、ベングリオン(『砂漠の預言者ベングリオン』1P)

我々は、あちこちに旅行し、色々なものを見聞し、多くの感動、さまざまな感慨を抱くが、それは大抵の場合『一過性』のものにとどまり、時間の流れと共に薄れ、記憶の底に埋没してしまうのが一般的であるが、この時彼が抱いた好奇心は薄れるどころか、抑えがたく膨れ上がって、度々かの地を訪れることになるのであるから、その好奇心のスケールの大きさは並外れていると言えよう。
何がそこまで彼を惹き付け、魅了したのか強い興味に駆られた。(本書を読んで、その一端がわかったような気がする。)

しかし、いかに好奇心に駆られたといっても、その思いを実現させるのは、全くの別問題である。
現実には、1冊の本を上梓するには、途方も無い努力と忍耐とエネルギーを必要とするのであるが、著者は自分の好奇心=使命感とも言い換えても良いかもしれない、を満たすために実に2年間にわたって大量の資料を収集し、それらを十分に読み込んだ上で、それを自分自身の言葉で表現すると言う、ものすごく困難な作業を成し遂げたのである。
好奇心のスケールの大きさもさることながら、それを成し遂げた並外れた『情熱』のすさまじさにただただ敬服した。

そして、こういうことを成し遂げられる人は、並の人とはどこか『ものが違う』んだなと実感した次第である。


ベングリオンへの止みがたき『強く』、『深い』思い


著者が傾倒して止まないベングリオンとは、そも何者なのか、恥ずかしながら本書を読むまで全く知らなかった。

先般のY市旅行のもう一人の同伴者であるM君が本書の読後感として、「ベングリオンの情熱が貴兄(O君)に乗り移った」と表現しているが、まさにその通りでベングリオンに関する記述は、ベングリオンへの敬愛に溢れた著者のやみがたい『強く』、『深い』思いが込められていて、著者の筆が一段とその「さえ」を発揮する。

本書には、ベングリオンの示唆に富んだ『警句』が至る所に散りばめられていて、思わず引き込まれて、その箇所を何度も読み直す仕儀となってしまうのである。

そして、『地球温暖化』が喫緊の課題となり、人類が一つに結束することが何をおいても求められている今こそ、ベングリオンのような常に『先頭に立つ強い意志を持った指導者』の出現を全世界の人々が待ち望んでいるのではないだろうか。


思いが溢れる『啓蒙』の書


その文章であるが、著者はひたすら平易な言葉と読者の理解に役立つ写真やイラスト、図表を多用して、本書が学術書・専門書にもかかわらず、所謂学者が得てして専門用語駆使し、難解な表現を用いて己の学識を誇示しようとする文章とは明らかに一線を画し、ひたすら本書を通じて多くの人にイスラエルと言う国、そしてベングリオンと言う『不世出』な指導者を知って欲しいと言う思いがひしひしと伝わって来るのである。

再度、M君の言を借りれば

日本ではイスラエル、パレスチナ、ユダヤ、アラブ・・・・・と言う言葉は盛んに耳にしますが、大多数の人にはよそごとで、断片的な知識にとどまっています。いわんや、イスラエルの南部にネゲブ砂漠があり、そこで壮大な事業/実験が行われているなど知っている人はもっと少ない。(前出M君の感想文より引用)

といみじくも指摘しているように、本書はイスラエルに関するさまざまなことをわかりやすく理解させてくれる絶好の『啓蒙』の書であると思う。


誇れる『自分遺産』


「ネゲブの砂漠を『緑の園』に!この夢に生涯を懸けたイスラエル建国の父・ベングリオンについて一人でも多くの人にこの人のことを知ってもらおう。(著者の手紙文から引用)』
と言う『夢』をライフ・ワークとして持ち続けてきた著者が、ついにその『夢』を成就させた。

この『エポック・メーキング』な業績は、『世界遺産』ならぬ『自分遺産』として世の中で賞賛され、これからも輝き続けていくに違いないと確信している次第である。


ご参考

著者情報(本人了解済み)

書籍名 「砂漠の預言者 ベングリオン」
著者・発行者 大西俊明
住所 横浜市泉区緑園4-21-1 西の街5-106
メールアドレス onishi@ec.catv-yokohama.ne.jp

(現在在庫切れの状態で、重版については考慮中とのこと)