折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『文化格差』

2007-07-31 | 音楽
弟がインターネットを検索しては、東京都の5つの区の図書館から、お目当てのCDを借りてきて『マイ・コレクション』作りに入れ込んでいるということについては、何回もブログで書いた。(1月10日付ブログ『今年の音楽聴き初め』、4月23日付ブログ『コレクター』等)

話しは少々さかのぼるが、その彼が、今度はクラシックの『マイ・コレクション』持ち込んできた。

彼によればコレクションの範囲はジャズだけでなく、クラシック、ポピュラー、歌謡曲等音楽全般にわたっているとのことで、それを聞いて小生は彼が若かりし頃『レコード店』開店を夢見て都内の某レコード店に勤めていたことを思い出し、ひょっとしたらこの『コレクション』作りも、自分一人の『レコード店』を開店し、叶わなかった『夢』の続きを見ようとしているのでは、と思ったものである。


彼が我が家に持ち込んだクラシックの『コレクション』は100枚以上に上るが、そのどれもがクラシック・ファン垂涎の名演・名盤と言われるものばかりである。中には、絶版になっていて店頭では入手できない名盤や歴史的名盤も幾つか含まれている。

『へえ~、東京の図書館にはこんなに沢山のCDがあるのか』と感心し、小生が利用している4つの市の図書館はどうなのだろう、と興味をそそられ、それぞれネットで検索して見ると『ええっ!!、これしかないの』と余りの保有枚数の少なさにびっくりした。

例えば、今回のコレクションの中で、弟が最も精力的に収集した指揮者ブルーノ・ワルターのCDは、東京の図書館では代表的名盤を始めとして、そのほとんど揃っているのに、小生が利用できる図書館では多いところで4~5枚、ほとんどのところが1~2枚しか保有していないのである。

そこで小生が利用している4つの図書館のうち最も良く利用するA図書館に、『新刊本はリクエストすると対応してもらってるけど、新譜のCDはどうなの?』と尋ねると、『音楽CDのご利用は、保有リストに載っているだけなんです。新規購入は、予算の関係でできないんです』ということであった。

『地方財政逼迫』のしわ寄せが、こんな所にも及んでいるのかと驚き、厳しい現実を思い知らされると同時に税収が豊かな東京との文化『格差』の一端をまざまざと見せ付けられた思いであった。

1,534分の1

2007-07-27 | 日常生活
昨晩のことである。

我が家の電話が鳴った。

『もし、もし』と応じると、機械的な声がいきなり飛び込んできた。
参議院選挙に関する『電話アンケート』であった。

いつもなら、このてのアンケートの電話はすぐに切ってしまうのだが、今回ばかりは『ちょっと待てよ』と考えた。

そして、無作為に抽出されたサンプルの中に我が家の電話番号が入っていたのも何かの縁かも知れないと思い直して応じることにし、テープに誘導されるまま、電話機の番号を押してアンケートに答える。

Q: 選挙に行きますか
A: (勿論)『行きます』

Q: 地方区では、どの候補に投票しますか
A: 『○○候補』

Q: 比例区では、どの政党に投票しますか
A: 『××党』

Q: 支持する政党は?
A: 『××党』(これまでは、○×党だったが、今回は××党にする)

『以上です、ご協力ありがとうございました。』
で電話アンケートは終わった。

受話器を置いて、多分明日あたり掲載されるであろう選挙の予想記事の中に自分の答えも、ささやかながらも反映されているのだと思うと、『ああ、俺も選挙に参加してるんだ』と言う感慨を覚えた。

そして今朝。
昨晩予想したとおり、1面に選挙の予想が大きく掲載されていた。

愛犬の散歩を終え、いつものようにシャワーを浴びてさっぱりしたところで、これもいつものように風呂上りの牛乳を飲みながら、朝刊に目を通す。

これも、いつもの如く連載小説『宿神』を急いで読んでから、おもむろに選挙予想に目を通す。

新聞の説明によれば、小生の居住する県の場合、選挙予測電話アンケートのサンプル数は、1,534人とのこと、そのうちの1人が小生であることを考えると、目の前の予想記事がいつもより身近に感じられる。

そして、偶然にも1,534人のうちの1人として、世論形成の過程に自分も一枚かむことになってしまった昨晩の電話に改めて不思議な『縁』を感じた次第である。

(注)調査方法
コンピューターで無作為に発生させた番号サンプルのうち、有権者のいる家庭用番号にかかったのは2,740件で、そのうち1,534人から有効回答を得た。回答率は56%

言葉の重み

2007-07-24 | 武道
先日開催された『居合道特別講習会』に参加した。

この特別講習会は、範士八段クラスのご高名な先生をお招きして、先生の含蓄に富んだ講話をお聞きできると同時に、親しく先生のご指導が受けられる、貴重な機会ということで、毎回県下から多くの居合い愛好家が参加している。

小生が所属している居合いサークルも、遠路2時間かけて参加した。

今回講師をつとめられた、先生は範士八段で、現在居合道委員会の幹事をされており、全日本剣道連盟が製作した『全日本剣道連盟制定居合』と言うビデオの演武をされるなど大変ご高名な先生である。

深い修行に裏打ちされたお話しは、どの話しも一々言葉に重みがあって、深くうなずきながら拝聴した。

ご高名な方にもかかわらず、気さくなお人柄とお国言葉の交じった朴訥とした話し方は、或る時はユーモアを交えてわかりやすく、また或る時はご自身のシリアスな体験をさりげなくお話になるなど、話の中身にすっかり引き込まれて、講話時間の1時間がまたたく間に過ぎてしまった。

そんな先生のお話の中から、印象に残った話を断片的であるが要約して紹介したい。

武道についての全般的なお話の要約

・ 武道には、入りはあっても終わりはない。一生が修行
→19歳でこの道に入り、爾来40年余未だ修行途中の身で、この道の奥の深さを痛感している毎日。

・ 武道は、偉大な先達が残してくれた『文化』

・ 武道の文化は、精神文化
→武道の本質は『切りあい』、『殺し合い』にあるが、多くの先達たちによって剣の理念が極められ、それが精神文化に昇華されて現在に受け継がれている。
→武道は、心身の鍛錬を通じて養われる『人間形成』の場。
     
・ 武道国際化の流れ
→この武道の精神文化を正当に評価しているのは外国。  
→外国の人たちは、この武道の心を素直に理解し、共感してわざわざ日本まで修行に来る者までいる。
うかうかしていると、日本人は外国に遅れを取ることにもなりかねない。
→今や、日本の武道は世界で注目されている。その、武道に携わっていることにわれわれは誇りを持たなければならない。

先生は、外国から見た日本の『品格』を現すものとして、

『茶道』、『華道』、『書道』とならび『武道』が堂々と入っていることを上げて
心身の鍛錬を通じて養われる、人間形成の場としての武道の役割が世界において認知されているのは、うれしいことである、と述べられた。

・ 今こそ武道を
  
 →反面、わが国の現状を見ると『親殺し』、『子殺し』など、精神の荒廃が顕著になっている。
このような時代だからこそ、人間形成の場としての武道の役割が求められている。
→武道での『世直し』。
→日本の親たちの中には、武道を暴力と結び付けて考える人たちがいるが、武道には、『対すれば、和す』と 言う言葉もあるように、相手を思いやる『慈愛』の心が武道の心である。

武道の修行、稽古についてのお話の要約

・ 他人と同じことをやっていたのでは、うまくなれない
→『居合馬鹿』、『居合狂い』と奇人、変人扱いされるほど生活のすべてを、修行、稽古に打ち込んだ末にようやく『背中で風を感じる』境地を得た。  
 
→真夜中の稽古 
先生は、自分の稽古時間を作り出すため、夜中の12時から1時までの1時間明かりを全て消し去った真っ暗闇の道場で無心に真剣を振られているとのことである。

・ コツコツと『常』の稽古を積み上げていく努力
→審査会や試合の前になって一生懸命稽古しても、常の稽古を積んでいない人は一目見てすぐにわかってし まうものである。毎日の稽古が大事。

・ 心の内に『敵』を想定する
→形だけでなく、形の中にある心を学べ、技に命を吹き込め。
→心の内に『敵』を想定しない居合は、刀を振る踊り。

講話に続く実技でも、これまでお招きした先生方とは一味違った指導方法で、『目から鱗』の思いを何度も味わうなど、午後3時半まで行われた特別講習会は有意義な1日となった。

『つっ込み』と『切り返し』

2007-07-20 | スポーツ
少し前に、テレビで見たインタビューの感想である。


一つは、大リーグのオールスター・ゲームでのイチロー選手のインタビュー

オールスター史上初のランニング・ホームランホームランを含む3安打と大活躍し、MVPに選ばれた同選手に『3本<出ましたね>』と話しかけるインタビューアーを遮るように強い調子でイチロー選手は、『出ましたでなく、出しました』と答え、その直後、もう一度『出ました』を『出しました』にあえて訂正させた。

そう言い切った時のイチロー選手の表情は、自信に満ち溢れているように見えた。

このやり取りをテレビで見ていて、二度までも『出ましたでなく、出しました』と言い切った大胆さにちょっとびっくりした。(『出しました』には、『思いのままに打てる』と言ったニュアンスが含まれているように思え、見方によっては『不遜』とも受け取られかねない表現に思えたから。)

そして、こう願った。

インタビューアーよ、ここでもう1歩つ込んで

『<出ましたでなく、出しました>と言い切られましたが、<出しました>を突き詰めると、夢の4割は無論のこと、10割も可能だということになりますよね?・・・・・。』と言った類の、ちょっと挑発的な質問を是非してくれないか、と。

何故ならば、イチロー選手があえて『出ましたでなく、出しました』と自らの打撃について一つのヒントを出してくれたのだから、ここは是非とも『二の矢』を放って、イチロー選手の打撃論をもう少し本人自身の口から聞いてみたかったのである。

この種の挑発にイチロー選手が応じてくれたかどうかはわからないが、イチロー選手が聞いてくれと言わんばかりに『お膳立て』してくれたのであるから、インタビューアーがもう1歩つっ込んでいれば、と思うと残念でならない。


二つ目は、サッカーのアジアカップ第1戦・対カタール戦が終わった後のオシム監督へのインタビュー


オシム氏は、名将の誉れが高い監督であるが、独特のキャラクターによってインタビューする人にとっては、中々とっつきにくい、手ごわい相手、言わば「インタビューアー泣かせ」の一人と言えるだろう。

この日も、インタビューが始まった直後、虫の居所が悪かったのだろうか、インタビューアーの質問に素直には応じず、切りつけるような調子で『あなたは、どう思うのか』と聞かれた質問を投げ返した。

この場面を見ていて、小生は『それはないだろう』といささか不快であった。

そして、思った。

インタビューしているアナウンサーよ、お前さんは、日本のサポーターをはじめとしてこのテレビを見ている多くの人を代表してインタビューしているのだ。だから、私が皆を代表して<あなた>にお聞きしているのですと切り返す気概を是非示して欲しいと。

所が、件のアナウンサーは強面のこの逆質問に一瞬ひるんでしまい、次の言葉が続かない。
そして、次に出てきたのは監督に阿るような言葉であった。

大いにがっかりすると同時に、非常に残念であった。

インタビューは、聞き手側も答える側も『プロ』である。

そして、良いインタビュー、視聴者に共感と感動をもたらすインタビューは、プロ同士の意地と誇りを賭けた『丁々発止』のやり取りを通じて、もたらされるのではないだろうか。

その点、今回のインタビューは聞き手側に、もう『1歩のつっ込み』『切り返す勇気』が足りず、プロとして『甘さ・甘え』が垣間見えた結果となったのは、いささか残念であった。

うれしさ『半分』

2007-07-16 | 日常生活
行きつけの床屋さんのマスターとは、かれこれ30年にわたるお付き合いである。

お互いに気心も良くわかっていて、小生にとっては月1回の「リラクゼーションの場」となっているが、この所床屋さんに行っても、何となくそわそわして落ち着かない。

それには、今年の2月3日に書いたブログ『一念発起』が関係していた。

このブログで小生は、今まで、自分の『髪』に無関心であったので、『これからは、手入れもせずに放置してきた『髪』への『償い』、『いたわり』の気持ちを具体的に行動で示して行きたい』と書いて、

①入浴時の『洗髪』
②入浴後と起床時の『整髪料+ブラッシング』

を1日も欠かすことなく実行してきた。

さらにブログでは、『効果がなくても、これからも決めたことをずっと続けて行こうと思っている』とも書いているのであるが、そこは『欲目』で、ついつい、効果のほうも気になる。

そんな小生の思いを見透かしたように、

『おとうさん、床屋さんが何か言うまでは何にも言わないほうが良いわよ。』

と妻には釘をさされ、自身も『自分から言い出すのはやめよう』と思っていたのだが、しかし、そうは言っても、日々それなりに『有言実行』を続けていると、床屋さんのマスターの

『お客さん、髪が増えてきてるようだけど、何かやってるの』

と言った類の言葉を期待したくなるのも、また人情と言うものである。

ところが、そんな小生の思いなど知る由もないマスターは、やれ松坂がどうの、イチロウがどうのと大リーグの話しや消えた年金の話などの世間話ばかりで、髪の話しなどこれっぽっちも出てこない。

『おいおい、その話はもういいから、何か気付いたことはないのかよ』と言う言葉がのどから出かかっているのだが、『床屋さんが言うまでは、言わないほうが良いわよ』という妻の言葉が、ブレーキをかける。

そして、『まあ、今日はいいか。来月になれば、きっと気が付いてくれるだろう』と自分自身を納得させて床屋さんから帰ってくる、ということがここ何回か続いていた。

そんな内心の葛藤を抱えて迎えた7月のある日、美容院から戻って来た妻が、

『この間買って来たあの整髪料、効果有るって評判で、口コミで売れてるんだって。そう言えば、おとうさんも頭頂辺りの髪の毛、少し太くなったみたい

『そうだろう、俺もそう思うんだ

というやり取りがあった翌日、床屋に行く。

昨日の妻との会話が頭にあったので、意気揚々、今日こそはマスターも気が付くだろう、と期待していたが、相変わらずの世間話ばかりで、とうとう我慢できなくなってこれまでの顛末を話すと、

マスターは、ニコニコしながら

『何だお客さん、そんなこと気にしてたの、それならそうと言ってくれればいいじゃん、みずくさいな。だって、お客さん、髪の心配をするようなタイプには全然見えないじゃん。そうか、そうなんだ、それなりに努力してるんだ。』

『髪だけに限らないと思うんだけど、髪は特に敏感だから、一番の特効薬は<思いやりの心>だと思いますよ。だから、お客さんも今の心がけを続けていけば、髪のコンデションは良くなることはあっても、悪くなることはないですよ』


マスターの奴め、とうとう髪が増えたとは一言も言わなかったな。。でもいいか、コンデションはいいって努力の跡を認めてくれたんだから、とうれしく思ったものの、手放しで喜べないのは、『とうとう、こちらの方から言い出してしまった』と言う、『禁』」を破ってしまったことへのうしろめたさが心に引っかかっているからだろう。


『うれしさ半分、うしろめたさ半分』、そんな心境で床屋さんのお店を後にした、7月のある日のことであった。